JF4CADの運用日誌2.5

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高知御朱印巡り③

2024-02-21 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、五台山から高知駅に戻りました。

JR高知駅から西に歩きましょう。安楽寺があります。

10世紀前半に菅原道真の子である菅原高視が潮江(高知市中心部から鏡川を挟んだ対岸)に創建した真言宗豊山派のお寺です。道真は太宰府に流されましたが、連座して高視は土佐に流され、父の死を聞き菩提を弔うために創建したとされています。

その後場所を移転するも廃絶と再興を繰り返し、1875年に現在地で再興されています。再興後すぐに四国30番札所であったものの廃寺となった善楽寺の本尊であった阿弥陀如来像が移され善楽寺の代わりに30番札所となりました。

既にご紹介の通り1930年に善楽寺は再興し30番札所を名乗ったため30番が2ヵ所存在する事態となりました。当時のガイドブックを読むと「どちらも30番札所」とされていました。お遍路さんを悩ませる2つの30番札所は1994年に善楽寺を30番札所、安楽寺を30番奥の院とすることで決着しました。本尊の阿弥陀如来像は安楽寺にそのまま残されて国の重要文化財に指定されています。

奥の院となった現在も納経できるようになっています。

安楽寺の御朱印です。

安楽寺の御影です。


安楽寺のお隣に薫的神社があります。

1870年に創建された神社で薫的和尚を祭神としています。僧侶が祭神という全国的にも珍しい神社です。

薫的は1625年に四万十市で生まれ、15歳で出家しのち22歳で現在地にあった曹洞宗瑞應寺の住職となります。瑞應寺は長宗我部氏の菩提寺ですが、やがて山内氏の菩提寺である真如寺と対立するようになります。土佐では山内氏の土佐入国前からの家臣が中心だった上士と長宗我部氏の旧臣が中心だった下士が長年対立し、下士出身の坂本龍馬などが倒幕に動くことになりますが、同じことが仏教界でもあったことになります。

土佐藩2代藩主の山内忠義の戒名を真如寺の了谷が付けたものの不吉であるとして薫的が異を唱えたことから両社の対立が先鋭化、宗門に訴えようとしたところ内通で発覚し薫的は投獄され、ついには1671年に獄舎で舌をかみ切り自害してしまいました。

その後薫的の祟りとされる現象が相次ぎ、密かに葬られていた薫的を改葬し瑞應寺に祀ったとされます。その後瑞應寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となりますが、薫的を祀る洞ケ島神社となり、1949年に薫的神社に改称し現在に至っています。

薫的神社の御朱印です。


さらに少し歩いてお城の方に向かいましょう。高知大神宮があります。

1879年に伊勢神宮を分祀して創建された神社です。

廃仏毀釈の一方で全国に伊勢神宮の分社が創建された一環で創建されたもので、神宮内宮と同じ天照皇大神が主祭神です。

高知大神宮の御朱印です。境内にあるよさこい稲荷神社の御朱印も合わせて頂けます。なお「書き置きはやっていないので必ず御朱印帳を持ってきて欲しい」とありました。


高知大神宮のすぐ近くに「ひろめ市場」があります。

1998年にオープンした土佐の食を揃えたフードホールで、カツオのたたきはもちろん、屋台餃子やちくきゅうなど様々な料理が楽しめます。人気観光スポットのため相席になることが当たり前で、17時以降は席を確保することも大変になります。

まずは人気の明神丸のカツオのたたきから。

実際お店でわら焼きしています。

こちらは土佐料理の名門として梅田にも店を持つ「司」の鯨カツです。肉の臭みを取るためカレー粉をまぶしてから揚げています。

高知特産の柚や文旦のチューハイなどで楽しむことができます。面白いけれどオフシーズンでも混雑するため早めの時間から席を確保するのがいいでしょう。

さらに続きます。
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