JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

沖縄移動運用報告⑥

2021-11-18 | 移動運用結果報告
11/9(火)那覇→本部→伊江島→本部→沖縄市→那覇
勝負どころが過ぎましたので今日はのんびりと午前中は中部の中城村からQRVし、沖縄市の原点でコーヒーを飲んできたいと思っていました。

ところが中城村はJA2KFC局とバッティングするため変更することにしました。ネットとかで情報を出さず我が道で行かれる方ですので・・・

仕方ないので他の移動地を。「/IEJ60」となる伊江村は今年クラスタに記録がなく、伊江島に行ってみることにしました(というか最近の伊江村の記録って私だけ)。昨日やおとといの伊江島行きフェリーが平常通り出ていることは確認しています。

本部(09:00発)→伊江(09:30着) ※伊江島滞在時間3時間30分
伊江(13:00発)→本部(13:30着) 

昨日雨はほぼ上がり、北風が吹くようになりました。沖縄では冬の気候になります。

朝一番のやんばる急行バスに乗って本部港に行けば伊江島行きフェリーの1便に接続します。

時刻通り本部港に到着。

乗船券を買って船に乗ろうとすると乗船が始まっていません。

理由はこれ。

昨日まで全くなかった軽石です。北風に流されて伊江行きフェリーの桟橋付近に吹きだまったようです。異様です。

さて、どうしますかね?今のところ欠航にはなっていないのでいけそうな感じもしますので乗ってみます。結局10分遅れで出航となりました。

これで何とかなりそうと思ったのですが、出航後に2便と3便の欠航が決まり、4便は未定となりました。伊江のフェリーは伊江→本部→伊江で1航海ですから2便・3便が欠航ということは4便しかないことになります。それも就航未定。出航後に決めないでよ・・・正直頭を抱えます。


伊江港は軽石はなく30分で到着。帰るあてがないもののいつもの亀の展望台でQRVします。もう7MHzはオープンしていない時間なので21MHzでアンテナを上げます。10時ちょうどにスタート。

九州以外はオープンしており、さらにVK在住のJAの局もコールしてきました。昨日までとは一転して北風が吹いて寒いです。本来伊丹に到着したときに着ようと思っていた服を持ち込んでいます。

11時を回っても21がオープンしており、「沖縄アマチュア無線60年祭」では「/IEJ60」が出ていないので取りに来る局が多いのでしょう。有り難いです。結局11時30分頃まで開きました。

ここでお昼に。

このご飯一杯詰め込んだボリュームで300円です。何があっても食べておかないとダメですから。

18MHzのアンテナに張り替えます。亀の展望台の目の前は具志漁港で、漁船が停泊しています。あれ?明らかに漁師でない人が何人か船に乗りこんでいます。船は漁港を出て本部方面に出て行きました。

どうやらフェリーが使えないので漁船で島に出入りしているのではないかと思われます。瀬戸内海でもフェリーが欠航したときなどに海上タクシーや漁船で島の人を運んでいることを知っています。伊江島はフェリーで30分と近いのでこの手はありそうです。脱出法が見えてきました。

18MHzにQSYするものの、オープンが終わりなのかもう僅かしか呼ばれなくなりました。他局も聞こえないので潮時でしょう。

さっきの漁船が気になって漁港を見ながらQRVしていると、今度は漁船が人を乗せて漁港に到着。間違いありません。12時で終了し撤収します。


漁師さんを捕まえて頼み込みます。「島の人が本部に行く便が13時30分にあるから、余裕があれば乗せてあげる」とのこと。なんとか光が差しました。

13時の時点で集まった島の人は8人ほどで余裕があり、私も乗せてもらえることになりました。心配している方へtwitterで報告します。予定より早めに出航しました。

遠ざかる伊江島を漁船から見ながらふと「じんじん」の知念さんを思い出しました。知念さんは1948年8月6日に伊江島で起きた米軍弾薬輸送船の爆発事故(沖縄戦後に回収された弾薬を島から運び出す際に荷崩れを起こし爆発、死者107人を出す惨事となった)が起きた際に島におり、ものすごい爆発音を聞いた話を生前にしてくれていました。ひょっとしたら天国の知念さんが島からの脱出に手を貸してくれたのかも知れません。

30分ほどとフェリーと同じ時間で本部港の船だまりに到着。ここは軽石の影響がないので船を着けられるようです。あー助かった。ちなみに2,000円でしたのでフェリーの730円と比べるとそんなに高くはありません。

とりあえず漁船で一緒に話をしていたオバーに挨拶をして本部港の待合室でバスの時刻表を確認。14時7分発の117番が来るようです。山里まで行きましょう。


この117番のバス、沖縄道が混んでいる訳でもないのになぜかゆっくり走り、山里到着時点で20分以上の遅れになっています。どう考えても50kmくらいしか出してなく、運転手は何か勘違いしていたのでしょうか?

原点でコーヒーにします。1年ぶりになります。マスターはシャンソン歌手もされており(というか今や全国大会で優勝された息子さんの方が全国的に知られています)、ようやく公演ができるようになったそうです。コロナで活動できない日々が続いただけに良かったです。

「どこ行ってきたの?」とのことで漁船で帰ってきた話をすると驚かれていました。お土産用の挽いたコーヒーを買って帰り後続の117番で那覇に戻りましょう。こっちは定刻で走っていました。


今夜は辻の88でステーキです。この界隈は88の裏手にある特殊なお風呂以外は観光客が来ないのでゆっくり食べられます。

そうそう、88のステーキソースには長らく「No1ステーキソース」がありました。「No1」は明石の木戸食品が同じ那覇のステーキ店「ジャッキーステーキハウス」と共同開発したもので、沖縄ではスーパーでも普通に売っている品です。さすがにライバル店のステーキソースを使うのは止めたようで、自社のソース「S1ソース」に変更しました。でも木戸食品謹製なのね。味は「No1」に慣れちゃいましたので・・・

お腹を満たして「泡盛倉庫」へ。「泡盛倉庫」といえば廃業した宮古島の「千代泉」の原酒を買い取ったことで知られていますが、本部町の山川酒造(「珊瑚礁」で知られています)の社長から「蔵を整理したらこんなものが出てきて」と譲ってもらったのが「千代泉」の一升瓶だったそうです。

どうやら千代泉の社長から贈られたものをそのまま蔵に置いていて所在を忘れていたそうで、所在地が「沖縄県平良市」、市外局番が「09807」なので2002年以前のものであることは確かなようです。少し飲ませてもらいました。20年前後の古酒だけに格別の味でした。蔵がなくなった「千代泉」もですが、蔵を移転し元の酒の味ではなくなった「咲元」の首里時代の酒なんかも今後は飲めなくなる訳で、泡盛って奥が深いものです。


本日は18MHzで10局、21MHzで75局の計85局でした。沖縄移動で最大級のピンチでしたが、何とか切り抜けられました。ありがとうございました。
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