JF4CADの運用日誌2.5

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京都&八幡紅葉と御朱印巡り④

2021-01-07 | 御朱印めぐり
京都と八幡の紅葉&御朱印巡りの続きです。八幡を中心に回ってから2日後です。

この日は洛陽三十三カ所観音霊場のうちまだのお寺を中心に回ってみます。

振り出しは二条城前駅から。少し南に歩くと三条会商店街があります。最近ではモンブランのお店や焼肉店などで観光客にも知られている商店街ですが途中にこのような案内が。

案内通り進むと武信稲荷神社があります。

859年に藤原良相によって創建、のち藤原武信が厚く信仰したためこの名になりました。

平重盛が厳島神社から持ってきたとされるエノキがあるなど歴史ある神社です。この木には坂本龍馬・おりょう夫妻も登ったことがあるのだそうです。

武信稲荷神社の御朱印です。


さらに南に行くと洛陽三十三カ所の26番・正運寺があります。1600年に加藤清正の重臣である飯田覚兵衛が創建した浄土宗のお寺です。

正運寺は普段門を閉じており、木戸にあるインターホンで来訪目的を告げる形です。庫裏の玄関で御朱印をお願いすると対応してもらえます。

本尊は浄土宗なので阿弥陀如来ですが、長谷寺の十一面観音と同じ木で彫られたとされる十一面観音が安置されており、こちらが札所本尊です。一度も開帳されたことがないと言われています。

正運寺の御朱印です。


さらに南に行くと四条大宮があり、そのまた南にある大宮松原の周辺は千本出水と同様に寺町となっています。その中に長円寺があります。

1587年に浄土宗の僧である浄阿清巌がお告げにより比叡山に安置されていた聖観音像のことを知り、譲り受け現在地に観音堂を建てたのが始まりとされます。その後1608年に京都所司代の板倉勝重がお寺として整備し、勝重の法名(長円院)から長円寺となっています。

板倉家は長年松平氏と関係が深く、のちに備中松山藩主となり、幕末には老中筆頭の板倉勝静を輩出しています。沈みゆく幕府を懸命に支え、もし徳川慶喜の描いた徳川家と有力藩との連合政権が実現していれば幕末の功労者になっていたはずの人物です。

1931年に火災に遭い本堂などを失いましたが仏像は無事で、翌年に新しい本堂が再建され現在に至っています。

長円寺の御朱印です。これにて洛陽三十三カ所は一区切りです。何とか再興15周年に間に合いました。


今年は密を避けるという大前提での紅葉見物でしたが、京都には清水寺や嵐山、東福寺だけじゃない様々な楽しみ方があることが分かっていただけると思います。奥の深さが京都の魅力ですのでうまく情報を集めて訪れて欲しいと思います。


今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
・単伝庵    1種を本堂で授与。
・神応寺    1種を本堂内で授与。
・正法寺    1種を拝観受付で授与。書き置きのみ200円。
・善法律寺   2種を庫裏で授与。うち1種は限定書き置きで500円。
・御香宮神社  3種を授与所で授与。うち1種は書き置きのみ500円。オリジナル御朱印帳あり。
・神泉苑    11種を授与所で授与。一部は書き置きのみ。オリジナル御朱印帳あり。
・妙蓮寺    2種を拝観受付で授与。
・武信稲荷神社 1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
・正運寺    1種を庫裏で授与。
・長円寺    1種を庫裏で授与。
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