JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

宮城移動運用報告②

2017-09-20 | 移動運用結果報告
9/16(土)伊丹→仙台空港→仙台市内→塩釜港→野々島→寒風沢島→塩釜港→仙台市内
ということで仙台に向け出発。

JAL2201便はJ-AIRのE90です。8時10分発で仙台着は9時25分となります。連休初日の朝の便ですから満席での出発です。

今回2201便の到着からアクセスの電車までの時間が短く、定刻で到着してくれないと塩釜港11時発の船に間に合いません。仙台空港は発着便が少ないため伊丹を定刻で出発してくれれば仙台に定刻で到着できる可能性が高くなります。

ところが機内に積み込みできない荷物を持ち込もうとする客が相次ぎ預け荷物への変更で手間を取られ5分遅れでの出発となりました。機内に持ち込める荷物のサイズは一律ではなく、
100席以上:合計115cm以内 55×40×25cm以内
100席未満:合計100cm以内 45×35×20cm以内
となっており、E90で運航される2201便は100席未満のサイズしか持ち込めません。これで引っかかり持ち込みできず預けになった荷物が10個以上ありました。

キャリーカートで「機内持ち込み可能」として売られている物の中には100席以上のサイズがあります。今後MRJなど100席未満の機材が増えるので合計100cm以内の物を選んだ方が無難でしょう。大きけりゃいいって物じゃないです。


結局より5分遅れて仙台に到着しました。荷物の受け取りを待ちます。

受け取ったら早速仙台市内へ向かいましょう。JR仙台駅まで仙台空港鉄道(面倒なので以下略称のSAT)があります。SATはSuicaが使えるので改札はすぐ通れます。次は9時50分の普通になります。

1本前の快速なら石巻12時発の田代島行きや塩釜港11時発の野々島行きに乗れたんですけどね・・・

SATはバスに頼っていた仙台空港のアクセスを改善するために建設された第三セクターで、名取から東北本線に乗り入れるため車両や運行システムはJR東日本と同じものを使用しており事実上東北本線の支線です。バスのような渋滞の影響がないものの本数は1時間に2本、昼間は2両編成が基本と貧弱なため混雑していることが多いです。1時間に8本、6両編成の福岡市営地下鉄とは比べものになりません。


10時13分に仙台駅に到着。本日は塩竃市の浦戸諸島です。お天気は曇りで今日は雨は降らないそうです。

塩竃市は人口5.4万人。東北有数の歴史を誇る塩竈神社があり、漁業の盛んな町です。宮城県を代表する日本酒「浦霞」の蔵元があることでも知られています。歌手の大友康平さん、声優・ナレーターの山寺宏一さんなどの出身地です。

浦戸諸島は松島湾の入口にある島々で、元々は本土と陸続きであったものが平安時代の貞観地震に伴う大津波によって分断されたとされており、有人島は4つあります。貞観地震以来の大きな地震と言われる東日本大震災により浦戸諸島では主産業の漁業が壊滅的な被害を受けました。一方で浦戸諸島が防波堤となり松島は大きな津波の被害を受けなかったようです。

江戸時代は太平洋回り航路の拠点となり、浦戸諸島出身の船乗りが江戸までの船を操っていました。

浦戸諸島への定期船は塩竃市が運営しており、仙石線の本塩釜駅近くにあるマリンゲート塩釜から出ています。飛行機の到着が遅れたので以下の通りとなります。

塩釜港13:00発→野々島13:31着 野々島在島時間約1時間30分
野々島15:00頃→寒風沢15:05頃 寒風沢島在島時間約1時間30分
寒風沢16:38発→塩釜港17:24着
設営と撤収の時間を引いたらかなり短い時間になります。あとはオープンするかですよね。


仙台から仙石線に乗りましょう。仙石線は宮城電気鉄道という私鉄として開業し戦時中に国有化されています。宮城電気鉄道当時から直流電化され1925年に完成した同社の仙台駅は日本初の地下駅でした。東洋初の地下鉄である銀座線の上野-浅草間が開業したのが1927年なので2年早いことになります。

しかしながらホーム1面の単線と手狭なため戦後地上に移転、JRになってあおば通駅まで延長される際に再び地下ホームになっています。東北・北海道のJRでは唯一の直流電化路線のため電車は代々首都圏で使われた通勤用の電車が使われています。現在のものは山手線の先々代の車両になります。

塩竃市の中心駅・本塩釜に到着。約30分かかりました。ここまで読んで頂いてお分かりかと思いますが「しおがま」の漢字表記が複数存在しています。

・鹽竈 塩竈神社の正式な書き方(塩と竃の字が旧字体)
・塩竈 塩竈市の正式な書き方、神社の現在の一般的書き方
・塩竃 パソコン上で市の名前として出てくることが多い
・塩釜 竈の文字が難しいので駅名などはこの表記が多い

「竈」は「かまど」、「釜」はかまどに乗せる鍋釜の「かま」ですので意味が異なっていますが、略字として広まってしまったようです。ただ現在広告看板などでは「塩釜」が多く使われています。


13時の出航まで時間が大幅にあるので塩竈神社に行き頼まれ仕事の御朱印を頂くことにしました。本塩釜駅から近いと言われていましたが、結構な階段を登ることになります。荷物背負ってだと大変でした。

塩竈神社では3社分(志波彦神社・御釜神社)を頂くことができました。


マリンゲートに到着。定期船乗り場と商業施設との複合施設です。

いくつか空き店舗があるものの何とか生き残っている状態です。津波がここまで来ました、の表示がありますが1.3~1.4mくらいまで襲ってきたようです。これくらいだと人は簡単に流されてしまいます。

塩竃市営汽船の乗船券は券売機での購入です。

塩竃市営汽船は旅客船3隻により塩釜港→桂島→野々島→石浜(桂島)→寒風沢島→朴島のルートで運航されています。フェリーではないため車では行くことができません。車が輸送できる民間のチャーター船があるそうです。

13時の便は「しおじ」です。1989年に墨田川造船で建造された64t・航海速力12ノットの船です。各地のゆるキャラのステッカーが貼り付けられて賑やかです。

浦戸諸島から内側が松島湾になり、浦戸の島々が防波堤の役割を果たすため波は穏やかでノリ養殖のための竹竿がたくさん立てられています。

30分少々で野々島に到着。野々島は人口約120人で市の出先機関や学校があります。

東日本大震災から6年半となりましたが、離島のためか復旧工事が遅れており今も仮設住宅があり、港の復旧工事も行われています。


場所を見つけアンテナを展開して14時過ぎにスタートです。15時前まではできそうです。

コンクリートが新しいので震災の復旧工事で作った防波堤なのでしょう。Condxがよければ有り難いと思いつつリグの電源を入れます。

あまりCondxが良くないようで出ている局も少なめ。近距離はダメなようですが距離のある3~6エリアの固定局から呼ばれます。スポット的に浮き上がって来るそうで、そのタイミングで呼ばれているのでしょう。大規模な太陽フレアが起きなるなど今年は良くないですね。

浦戸諸島は旅客船のみで移動運用が少なく、東日本大震災もあったため「過去10年くらい移動局を聞いたことがない」とのことです。かなりの穴場だったかも知れませんね。

時間になりましたので終了。片付けましょう。野々島からは41局でした。


野々島の次は寒風沢島です。寒風沢島行きの船は13時31分に出航済みで次は16時1分発です。16時1分の船は桂島ですぐ折り返すためこれでは寒風沢島からQRVできないのですが、野々島の学校下桟橋から対岸の寒風沢島までは無料渡船があります。塩竃市道の一部とされており野々島の乗り場に詰めている船長に直接お願いするか携帯電話でお願いすれば随時船を出してくれます。

無料渡船で寒風沢島に渡ることができました。野々島との間は数十mなのでお互いがよく見えています。


長くなりましたのでここまで。続きます。
コメント
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