JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

高知御朱印巡り③

2024-02-21 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、五台山から高知駅に戻りました。

JR高知駅から西に歩きましょう。安楽寺があります。

10世紀前半に菅原道真の子である菅原高視が潮江(高知市中心部から鏡川を挟んだ対岸)に創建した真言宗豊山派のお寺です。道真は太宰府に流されましたが、連座して高視は土佐に流され、父の死を聞き菩提を弔うために創建したとされています。

その後場所を移転するも廃絶と再興を繰り返し、1875年に現在地で再興されています。再興後すぐに四国30番札所であったものの廃寺となった善楽寺の本尊であった阿弥陀如来像が移され善楽寺の代わりに30番札所となりました。

既にご紹介の通り1930年に善楽寺は再興し30番札所を名乗ったため30番が2ヵ所存在する事態となりました。当時のガイドブックを読むと「どちらも30番札所」とされていました。お遍路さんを悩ませる2つの30番札所は1994年に善楽寺を30番札所、安楽寺を30番奥の院とすることで決着しました。本尊の阿弥陀如来像は安楽寺にそのまま残されて国の重要文化財に指定されています。

奥の院となった現在も納経できるようになっています。

安楽寺の御朱印です。

安楽寺の御影です。


安楽寺のお隣に薫的神社があります。

1870年に創建された神社で薫的和尚を祭神としています。僧侶が祭神という全国的にも珍しい神社です。

薫的は1625年に四万十市で生まれ、15歳で出家しのち22歳で現在地にあった曹洞宗瑞應寺の住職となります。瑞應寺は長宗我部氏の菩提寺ですが、やがて山内氏の菩提寺である真如寺と対立するようになります。土佐では山内氏の土佐入国前からの家臣が中心だった上士と長宗我部氏の旧臣が中心だった下士が長年対立し、下士出身の坂本龍馬などが倒幕に動くことになりますが、同じことが仏教界でもあったことになります。

土佐藩2代藩主の山内忠義の戒名を真如寺の了谷が付けたものの不吉であるとして薫的が異を唱えたことから両社の対立が先鋭化、宗門に訴えようとしたところ内通で発覚し薫的は投獄され、ついには1671年に獄舎で舌をかみ切り自害してしまいました。

その後薫的の祟りとされる現象が相次ぎ、密かに葬られていた薫的を改葬し瑞應寺に祀ったとされます。その後瑞應寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となりますが、薫的を祀る洞ケ島神社となり、1949年に薫的神社に改称し現在に至っています。

薫的神社の御朱印です。


さらに少し歩いてお城の方に向かいましょう。高知大神宮があります。

1879年に伊勢神宮を分祀して創建された神社です。

廃仏毀釈の一方で全国に伊勢神宮の分社が創建された一環で創建されたもので、神宮内宮と同じ天照皇大神が主祭神です。

高知大神宮の御朱印です。境内にあるよさこい稲荷神社の御朱印も合わせて頂けます。なお「書き置きはやっていないので必ず御朱印帳を持ってきて欲しい」とありました。


高知大神宮のすぐ近くに「ひろめ市場」があります。

1998年にオープンした土佐の食を揃えたフードホールで、カツオのたたきはもちろん、屋台餃子やちくきゅうなど様々な料理が楽しめます。人気観光スポットのため相席になることが当たり前で、17時以降は席を確保することも大変になります。

まずは人気の明神丸のカツオのたたきから。

実際お店でわら焼きしています。

こちらは土佐料理の名門として梅田にも店を持つ「司」の鯨カツです。肉の臭みを取るためカレー粉をまぶしてから揚げています。

高知特産の柚や文旦のチューハイなどで楽しむことができます。面白いけれどオフシーズンでも混雑するため早めの時間から席を確保するのがいいでしょう。

さらに続きます。
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高知御朱印巡り②

2024-02-20 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、土佐神社からバスで市内中心部に向かいます。

高知市の中心ははりまや橋付近で、幸いこちらに宿が取れたので荷物を預けてお昼にします。

近くの土佐ノ国24万石という郷土料理のお店にしました。

もちろんカツオのたたきにします。やっぱり美味しいです。


名物を食べたら次は徒歩で高知八幡宮へ。

鎌倉時代末期に大高坂松王丸が高知城の守護のため京都の石清水八幡宮から勧請したとされています。

その後も神社は残ったようで江戸時代に山内一豊が高知に入城した際に城内で場所を移した記録があります。その後1870年に現在地に移転、1880年に本殿が完成しますが1945年7月の高知空襲で焼失、1953年に社殿を再建しています。

高知八幡宮の御朱印です。


はりまや橋から五台山に向かいましょう。現在は「My遊バス」という遊覧バスがあり、土日は1時間に1本程度運転されています。専用の乗車券が必要で、はりまや橋バス停前の土電ビル1階にあるとさでん交通の案内所などで販売しています。五台山だけなら600円、桂浜までなら1,000円で、当日高知市内の路面電車も乗り放題になります(4月から大幅値上げ予定)。

五台山は標高146mの山で、中国の五台山に似ていることからその名を付けられています。四国31番の竹林寺や高知県立牧野植物園があります。牧野植物園は牧野富太郎博士の業績を記念し作られたもので、生前に「高知に植物園を作るなら五台山がいいだろう」との牧野博士の言葉を元に作られています。

今回は竹林寺のみ回ってみます。

竹林寺バス停で下車します。

竹林寺は724年に行基が開いたとされる真言宗智山派の寺院です。本尊は文殊菩薩像です。

本格的な再興は17世紀前半に空鏡が手がけ、土佐における真言宗の頂点となっていました。「よさこい節」に出てくるかんざしを買った坊さん・純信は竹林寺の南の坊の僧侶だったようです。その後荒廃するものの1897年に住職となった船岡芳信が諸国行脚の末に再興を果たしています。船岡は日露戦争では少佐待遇で戦地に赴き、戦死者の供養などを行ったそうです。

本堂は室町時代のものとされ国の重要文化財に指定されています。文殊菩薩像は秘仏のため拝観はできませんが、お堂に上がると江戸時代に奉納された那須与一を描いた額が良い状態で残されています。たままたいたお坊さんに聞いたら「お寺と那須与一は直接の関係はなく、当時流行した題材ではないか」とのことでした。

こちらは奥の院の船岡堂です。船岡芳信が「我が肉は滅びても魂は永遠に五台山を守護する」と言い残して1923年に亡くなり、遺骸を納めるため1929年に作られたのがこちらのお堂です。竹林寺の奥の院になっています。

竹林寺と船岡堂の御朱印です。

竹林寺の御影です。

船岡堂の御影です。

土佐では慕われた船岡でしたが、今はお参りする人も少ないのか「船岡堂の御朱印を頼まれたのは久しぶりです」とのことでした。


「MY遊バス」はバスが通過したかをこんな形で表示しています。

運転士が車から降りて札をセットするみたいです。今ならGPSとかでできるのでしょうが、費用が掛かるからかも知れませんね。

帰りの「MY遊バス」が来ました。高知駅に向かいましょう。

さらに続きます。
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高知御朱印巡り①

2024-02-19 | 御朱印めぐり
各地の御朱印巡り、今回は高知市内です。

高知ももちろん四国ですから四国八十八ヵ所の霊場が点在しています。高知の霊場は広い高知県内に16ヵ所と少なく、難行が続くことで知られています。

関西から高知へは
・伊丹または神戸から高知空港
・岡山経由でJRの特急「南風」
・大阪や神戸からの高速バス
がポピュラーです。


それでは神戸の三宮から高速バスで向かいましょう。三宮からは西日本JRバス・JR四国バスの「高知エクスプレス」と神姫バス・とさでん交通の「ハーバーライナー」があります。始発の三宮出発時刻は7時34分と7時35分でほぼ同じですが、高知駅到着は11時56分と11時25分で大きく違います。今回は一宮バスターミナルで下車する予定ですので神姫バスにします。所定は5往復ですが現在は運休便があるため2往復のみとなっています。

JR三ノ宮駅近くにある神姫バスのターミナルから高知行きのバスが出ています。

JRの高架下にある独特の雰囲気を持つターミナルです。4時間ほどの乗車時間になるため3列独立シートで快適ですが乗り込んだのは5人ほどと少ないです。途中の高速舞子で乗り込むお客がいて10人弱での出発となりました。

高知行きは淡路島から高松道の板野ICへ向かい、そこから徳島道の藍住ICまで一般道を少し進んで徳島道を川之江東JCTへ進みます。松山行きの高速バスと同じルートです。

このバスの休憩は吉野川SA1ヵ所のようです。三宮から2.5時間以上かかるので、バランスから言えば上板SAの方が良さそうな感じです。

休憩後は1時間前後で一宮バスターミナルに到着です。所定より5分ほどの早着でした。「いっく」と読みます。

一宮バスターミナルはスーパーのマルナカと同じ敷地で、とさでん交通の路線バスもここを通るので乗り継ぎに便利です。

ここから乗り換えて5分ほどで土佐神社があります。

一言主尊と味鋤高彦根尊が祭神で、いずれも大和の賀茂氏ゆかりの神です。賀茂氏が土佐の国造に任ぜられたことが影響していると考えられています。創建ははっきりしませんが、古代よりあったとされ平安時代には既に存在していたことが確かめられています。その後鎌倉時代には土佐の総鎮守となり土佐の一宮となっています。これを「いっく」と呼んだため先ほどの土佐一宮バスターミナルも「いっく」と読むようです。

1570年に長宗我部元親が本殿などを再興、江戸時代になると土佐藩の山内家も楼門などを整備しています。これらは現存しており国の重要文化財に指定されています。

土佐神社の御朱印です。


細い道を隔てた向かいに善楽寺があります。四国霊場30番です。810年に空海が創建したとされる真言宗豊山派のお寺です。

元々江戸時代の四国霊場は阿波・土佐・伊予・讃岐の各一宮が札所となっていました。つまり土佐ではお隣の土佐神社であり、その別当寺であった善楽寺と神宮寺が札所でした。しかし明治の神仏分離でともに廃絶、南国市にある29番の国分寺に本尊や弘法大師像を移して仮札所としています。その後1930年に埼玉県の与野にあった東明院の名義を移転し、国分寺が預かっていた弘法大師像を善楽寺に戻して再興し30番となっています。現在は女性のご住職がお寺を守っています。

#ところがこの再興の過程でややこしいことが起きるのですが、これは後ほど。

こんなイラストのお遍路さんが。NHKの朝ドラ「なつぞら」のオープニングアニメを担当した刈谷仁美さんのイラストだそうです。刈谷さんは高知の出身で地元の地銀・四国銀行などのイメージイラストも描いています。現在は北九州市で活躍中だそうです。

こちらが本堂です。1982年に完成したものです。阿弥陀如来像が本尊として安置されています。

こちらが大師堂です。廃仏毀釈で一旦国分寺に預けられていた大師像が安置されています。

善楽寺の御朱印です。

善楽寺の御影です。

また先ほどの刈谷仁美さんのイラストを使った限定御朱印も出しています(他にも授与品あり)。今年1月から始めたそうで、7月にはまた新しいイラスト御朱印も出るそうです。

続きます。
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「第58回 京の冬の旅」に行ってきました②

2024-02-06 | 御朱印めぐり
「第58回 京の冬の旅」の後半です。

公開寺院のうち相国寺の塔頭・光源院の公開が急きょ中止され、2/2より再開となりましたので再挑戦です。

まずは地下鉄で鞍馬口駅へ。

未訪問の上善寺が近くにありますのでお参りしてみましょう。

上善寺は863年に円仁により創建されたお寺です。当初は天台宗でしたが、1594年に現在地に移転し浄土宗のお寺となっています。

京の六地蔵のうち「鞍馬口地蔵」が祀られています。

鞍馬口地蔵は852年に小野篁が一木から六体の地蔵を彫りだしたと伝承される地蔵のうちの一体で、その後平清盛が西光法師に命じて京の入口6ヵ所に地蔵堂を建てて一体ずつを安置しています。そのうちの深泥池畔にあった地蔵を明治初期に上善寺に移したため「鞍馬口地蔵」となったそうです。

上善寺の御朱印です。


それでは拝観中止となっていた相国寺の光源院に行ってみましょう。予定通り2/2から再開されています。

相国寺の総門からすぐにあります。

光源院は1421年に相国寺の28世元容周頒の菩提を弔うため広徳軒として創建されています。1565年の永禄の変で壮絶な死を遂げた室町幕府の13代将軍足利義輝の菩提寺になり、義輝の院号から光源院に改められています。こちらも京の冬の旅初公開で、そのほかの特別公開もほとんどありません。

光源院は内部の撮影は禁止です。日本画家の水田慶泉や加藤晋が手がけた本堂の襖絵を公開しています。また行者堂では役行者像や弘法大師像、不動明王像を公開しています。明治期に廃仏毀釈で移されてきたものだそうで、いつ頃のものかなどは分からないようです。

光源院はこのように5種類の御朱印を出しています。門前に掲示があります。

光源院の御朱印です。


今日のお昼は河原町丸太町の微風台南にしました。開店時間直前で入れました。

ルーローハンにタンズー麺にしました。

サイズが選べますし京都で台湾料理を食べるならオススメしたいお店です。

今年の「京の冬の旅」はこれで締めにしたいと思います。対象寺院が例年より少なく、目玉は相国寺の2つの塔頭ですから回りやすいと思います。


今回の御朱印情報です。
龍源院 1種を拝観受付で授与(他に無料授与あり)。書き置きのみ。
慈雲院 2種を拝観受付で授与。書き置きのみ。
上善寺 1種を庫裏で授与。
光源院 5種を拝観受付で授与。書き置きのみ。
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「第58回 京の冬の旅」に行ってきました①

2024-02-05 | 御朱印めぐり
毎年恒例の「第58回 京の冬の旅」に行ってきました。

今年は大河ドラマ「光る君へ」と辰年に因んで「紫式部と源氏物語」と「京の龍めぐり」がテーマです。メインの非公開文化財特別公開はこのテーマに沿って13か寺と要予約の僧侶が案内する2か寺が対象となります。

今回は「京の冬の旅」で初公開となる相国寺の塔頭・光源院と慈雲院、大徳寺の塔頭・龍源院を中心に回ってみたいと思います。


それではまず龍源院に行ってみましょう。京都駅からですと北大路駅からバスで大徳寺前が便利です。

大徳寺の総門からすぐに龍源院があります。1502年に能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏により創建されています。大徳寺の塔頭としては最古のものだそうです。

「京の冬の旅」としては初公開ですが、常時公開寺院なので案内看板などは整備されています。

創建当初からの建物である方丈・唐門・表門は重要文化財に指定されています。

本尊や襖絵は撮影禁止ですが庭はOKとのことです。「一枝坦」と名付けられています。

龍源院は常時公開寺院ですが、方丈や庭に加え今回は開祖堂を特別公開しています。昭和期に建てられたお堂です。

龍源院の御朱印です。今年は年明けから大きな事件事故が相次いでいることから、御朱印を求められた方に対してご住職が「無事」と書かれた御朱印を無料で出しています。


お次は相国寺の塔頭・慈雲院です。2019年の「京の冬の旅」で特別公開された慈照院のお隣にあります。今回が京の冬の旅初公開です。烏丸中学校の北にあり、相国寺の敷地からは飛び地になる場所です。このため鞍馬口駅の1番出口が最寄りになります。

慈雲院は15世紀半ばに創建されています。その後9世の梅荘顕常は相国寺の復興に尽力した功績を持ちます。また梅荘顕常は江戸時代の天才絵師伊藤若冲の師であったそうです。

明治になり敷地を現在の京産大付属中高校のある場所から富春軒があった現在地に移しています。その後15世の琢堂周圭が敷地の一部を利用し児童養護施設の和敬学園を開設し、今年で創立100周年を迎えます。

本堂は二条家の旧邸宅を移設したものだそうで、ふすまの引き手などに邸宅時代の名残があります。

特別公開では本尊の釈迦如来像などが公開されていますが、庭のみ撮影可だそうです。

慈雲院の御朱印です。


お次は同じ相国寺の光源院・・・だったのですが

何と拝観休止ととなっており2/2からの再開となりましたので本日はここで終了です。

近くにあるタイ料理のイーサンで今日はタイカレーのラーメンセットです。ちょうどいい味で美味しいです。ここは現地のシェフを京都に呼んできているのでガチのタイ飯を食べることができます。


御朱印情報は後半にまとめます。
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名古屋中村&錦御朱印巡り③

2024-01-29 | 御朱印めぐり
名古屋の中村区と中心の錦の御朱印巡り、東山線の伏見駅に向かいましょう。

地下の商店街の突き当たりに伏見駅の改札があります。右手はお店が並んでいますが、左手の壁の向こうは東山線の線路だそうです。

栄で名城線に乗り換えて矢場町へ。若宮大路を東に歩くと萬福院があります。

萬福院は成田山新勝寺の名古屋分院です。

元は重秀法印により清洲に創建された真言宗智山派の寺院で、清洲越しで名古屋に移転しています。その後荒廃するものの1676年頃から整備され護摩堂などが建てられています。大正年間に成田山新勝寺から不動明王を勧請し本尊としています。

名古屋大空襲で焼失、1955年に再建されるものの、2002年に現在の栄5丁目に移転しています。元の敷地は三越の商業施設「ラシック」になっています。

萬福院の御朱印です。


矢場町駅付近に戻ると清浄寺があります。「矢場地蔵」として知られているお寺です。

尾張藩2代目の徳川光友が徳川家累代の祈願所として創建しています。空襲で焼失し、1957年に鉄筋コンクリートで再建されています。

本尊は越中立山の地獄谷から出現したと伝えられている延命地蔵菩薩です。その昔立山は「山中に地獄あり」と信じられ、地蔵霊場となっていたそうです。立山信仰の一つの形であったと考えられます。

清浄寺の御朱印です。


清浄寺の近くには「矢場とん」の本店がありますが、1時間以上待たないと入店できないのでパスしてお昼にしましょう。

「ユウゼン」であんかけスパです。

「オリーブ」というベーコンとほうれん草を炒めたものに目玉焼きが載っています。ベーコンとほうれん草が「ポパイ」なので「オリーブ」なのでしょうね。


締めは洲崎神社に向かいます。

9世紀後半に創建された神社で、当時この付近は海に面した砂州であったため洲崎の名前が付けられました。その後名古屋城の整備のために堀川が開削されるなどしたため社地が狭くなっています。

洲崎神社の御朱印です。


それでは名古屋駅に戻りましょう。

今回のお土産は知立の藤田屋「大あん巻き」です。どら焼きの皮を薄焼きにした生地に餡をたっぷり巻いたもので、最近はカスタードクリームや抹茶餡を巻いたものも売っています。

以前はJR名古屋駅のキヨスクで売っていたのですが取り扱わなくなり、現在は名鉄百貨店の地下1階に売り場を出して扱っています。餡の甘さが控えめなので大きなサイズですが飽きずに食べられます。近年名古屋駅周辺では高島屋の地下が人気で身動き取れないほどのお客さんで賑わうこともありますが、名鉄百貨店は観光客にはあまり知られていないのかスムースに買うことができますよ。


今回の御朱印情報です。
豊国神社  限定御朱印含め数種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
常泉寺   限定御首題含め数種を庫裏で授与。オリジナル御朱印帳あり。
円頓寺   1種を庫裏で授与。書き置きのみ。
泥江縣神社 1種を社務所で授与。
福生院   4種を納経所で授与。
萬福院   3種を受付で授与。オリジナル御朱印帳あり。
清浄寺   1種を納経所で授与。
洲崎神社  2種を社務所で授与。
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名古屋中村&錦御朱印巡り②

2024-01-28 | 御朱印めぐり
中村公園駅に戻り、名古屋駅乗り換えで国際センター駅に向かいます。

国際センター駅からほど近いところに円頓寺商店街があります。下町の商店街として一時は寂れたものの空き店舗を若い人に貸し出し再生が図られています。

そんな商店街に円頓寺があります。

1654年に日言によって創建された日蓮宗のお寺です。元は国際センター付近にあったようですが、1700年の火災で焼失、1724年に現在地に移転し復興しています。その後門前町が作られたのが円頓寺商店街です。

名古屋大空襲で焼失、その後鉄筋コンクリートで再建されています。

円頓寺の御朱印です。


少し歩くと泥江縣神社があります。「ひぢえあがた」と読むそうです。広井八幡宮とも呼ばれています。

名古屋の町が形成させるずっと前の859年に宇佐八幡宮から分祀され創建されています。「広井」も「泥江」もこの地の古い名前だそうで現在は中区錦1丁目になります。

名古屋城と町の整備で社地を削られ、さらに戦後の急速な都市化でさらに社地を削り現在に至っています。

本殿は鉄筋コンクリートですから、戦後の再建だと思われます。

泥江縣神社の御朱印です。


泥江縣神社から東に600mほど歩くと福生院があります。

途中に「長者町繊維街」の大きな看板がありますが、繊維街の組合が解散し撤去されるそうです。製造販売の一貫化や物流の流れが変わったことが理由みたいです。

福生院に到着。1386年に順誉が中村に創建した真言宗智山派の寺院です。大聖歓喜天を安置しています。その後1617年に現在地に移転、名古屋大空襲で焼失しましたが大聖歓喜天は守られ本堂も再建されています。

付近はビル街となり、コンパクトなお寺に感じてしまいますが参拝される方が多い賑やかなお寺です。

福生院の御朱印です。

まだまだ続きます。
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名古屋中村&錦御朱印巡り①

2024-01-27 | 御朱印めぐり
少しずつ続けている名古屋の御朱印巡り、今回は中村区から錦・栄方面を巡ってみましょう。

名古屋が尾張の中心となるのは江戸初期の清洲から名古屋への城や町人の移動(清洲越し)以降のことで、せいぜい400年の歴史しかありません。しかしながら徳川家が経済の中心に据えたこともあり市内には多くの寺社が残っています。


大阪から朝一番の快速(長浜行き)に乗ると米原と大垣で乗り換えれば名古屋には9時14分に着きます。御朱印巡りにはちょうどいい時間からスタートできます。

名古屋駅で下車し、地下鉄東山線に乗り中村公園を目指しましょう。「ドニチエコきっぷ」という市営地下鉄や市営バスに1日乗り放題の切符を買うとお得です。620円と安いです。

名古屋の地下鉄は昼間は10分毎が基本ですが、東山線は銀座線並みの小型車の上に利用が多く5分毎で便利です。ちなみに市内中心部の市営バスは30分毎の運転という路線が少なくなく、ほとんど使い物になりません。

中村区の中村公園駅に到着。中村は豊臣秀吉の出身地で、生まれた地とされる付近を中村公園として整備しています。

駅前には豊国神社の巨大な鳥居があります。1929年に住民らの寄付で完成したものだそうで高さは24mあります。

脇には和菓子屋さんがあり戦前から賑わった町であることがよく分かります。何事も大きくて派手なのが好きだった秀吉を祀る神社らしい広い参道を進み豊国神社に向かいます。

豊国神社は中村公園の中にあり、1885年に当時の愛知県令であった国貞廉平らが発起人となり創建されています。

秀吉の出自についてははっきりせず、父親が木下弥右衛門であるかも確たる証拠がないようです。弥右衛門も足軽・農民・さらに下層の身分など様々な説がありますが、いずれにせよ信長や家康のようにはっきり出自が分かる身分ではなかったのは確かだと考えられます。

豊国神社の御朱印です。今回は帳面書きでお願いしましたが、書き置きになる限定御朱印は美濃和紙に書いているそうです。


中村公園には常泉寺もあります。

1606年に加藤清正が創建し、一族の日誦を初代とした日蓮宗の寺院です。清正は熱心な法華経信者で、旗印は「南無妙法蓮華経」でしたし、熊本の墓所も日蓮宗の本妙寺にあります。

こちらも境内が秀吉の生誕地としています。いずれにせよ中村公園の中ってことのようですね。境内には井戸があり、秀吉の産湯に使ったとしています。井戸はその頃からあったとされています。

本堂に上がらせてもらいました。撮影可とのことでしたので内陣をご紹介します。

また大阪城にあったとされる木食上人作の秀吉像も安置されています。常泉寺は一度焼けており、その際に秀吉像も焼けたそうで修復されたものの、年々顔が変わっていっているそうです。

常泉寺の御首題です。

続きます。
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埼玉川越御朱印巡り③

2023-12-27 | 御朱印めぐり
川越の御朱印巡り、今度は蓮馨寺へ。「川越七福神」の五番(福禄寿)になります。

1549年に川越城主大道寺政繁の甥にあたる感誉が創建しています。感誉は東京の増上寺の十世となり、その後家康が増上寺の檀家となったため蓮馨寺も栄えます。

ひときわ大きなお寺で、この日は境内でコーヒーのイベントをやっていました。自家焙煎したコーヒーのブースがいくつもあって、好きなコーヒーを飲めるそうです。他にもワイン祭りなども開かれるそうで、賑わっているお寺です。

蓮馨寺の御朱印です。

蓮馨寺の境内にはもう一つ「松山の焼き団子」があります。

醤油味の焼き団子で、素朴だけど美味しいです。コーヒーと合わせている人もいました。


川越駅方面に戻りましょう。丸広百貨店の向かいに西雲寺があります。

先ほどの蓮馨寺の末寺として17世紀前半に創建された浄土宗のお寺です。1883年の川越大火に巻き込まれて焼失し、それ以前の資料も灰となったため分からないことが多いようです。

現在の本堂は1976年に板橋区の乗蓮寺の本堂を譲り受けたものだそうです。本尊の阿弥陀如来像は鎌倉期の作とされています。

西雲寺の御朱印です。


たくさん回りました。お土産にサツマイモのお菓子と駅に入っているサイボクハムを買って池袋に帰りましょう。川越にはまだ御朱印を頂ける寺社が残っています。1日かけてのんびり回るのも楽しいと思います。


今回の御朱印情報です。
天然寺 2種を庫裏で授与。書き置きのみ。
見立寺 2種を庫裏で授与。書き置きのみ。
妙昌寺 4種を弁天堂受付で授与(庫裏の場合もあり)。
蓮馨寺 2種を本堂授与所で授与。
西雲寺 1種を寺務所で授与。
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埼玉川越御朱印巡り②

2023-12-26 | 御朱印めぐり
川越御朱印巡りの続きです。

見立寺をあとにして菓子屋横丁を通って妙昌寺に向かいましょう。

菓子屋横丁は飴や麩菓子など素朴なお菓子を扱うお店が多いですが、近年は外国人環境客を意識した食べ歩きをやっているお店が多くなっています。

菓子屋横丁から歩いて10分弱で妙昌寺に到着。「川越七福神」の七番(弁財天)になります。

妙昌寺は1375年に日意が創建した日蓮宗の寺院です。池上本門寺の末にあたります。元々は川越市役所付近にあったそうですが、1741年に川越城主の松平信綱が現在地への移転を命じました。当時は付近から富士山がよく見えたそうです。

日蓮宗は大黒天を法華経の守護神としていますが、妙昌寺が弁財天なのは現在地への移転の際にこの地にあった弁財天を今も祀っています。

本堂は戦後に焼失し、1992年に再建されています。

妙昌寺の御首題です。

蔵の町に戻りましょう。

時の鐘の周囲は観光客で賑わっています。単に町並みが古いだけのところは全国たくさんありますが、川越は「イモ」というキラーコンテンツがあるのが観光地としての強みです。時の鐘の周囲でもサツマイモチップス・大学芋・サツマイモソフトなどいろんなサツマイモのスイーツを売るお店が並んでいます。女の子が好きなサツマイモに集まる→女の子が集まるから男性客も集まるという形で賑わいを作っています。

大学芋を買って次のお寺に向かいましょう。続きます。
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