見もの・読みもの日記

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安定の名作劇場/文楽・卅三間堂棟由来ほか

2018-07-26 23:46:58 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成30年夏休み文楽特別公演(7月21日、14:30~、18:15~)

・第2部 名作劇場『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)・平太郎住家より木遣り音頭の段』『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)・六波羅館の段/身替り音頭の段』

 たまたま前日の金曜日が大阪で仕事だったので、翌日のチケットを取ったら、珍しく初日公演だった。最前列の席だったこともあり、ときどき舞台の上に不慣れな感じが見えて、それも一興だった。第2部は「名作劇場」とうたっており、『三十三間堂棟由来』はよく聞く演目だし、きっと見たことがあるだろうと思ったが、全くストーリーに覚えがない。どうも初見だったらしい。プログラムのあらすじによれば、その昔、紀伊国の山中に梛(なぎ)と柳の大木が夫婦となっていたが、蓮華王坊という山伏(?)に連理の枝を伐り落とされてしまう。蓮華王坊は柳の枝に貫かれて命を落とし、白河法皇に生まれかわる(この想像力!)。梛の木は横曽根平太郎という人間に生まれかわり、老母、嫁のお柳(実は柳の精)、みどり丸という幼い息子と暮らしている。

 ここからが上演の段。お柳は、都に三十三間堂を建立するため、柳の木が伐り倒されることを聞き、眠っている夫に別れを告げて消え去る。慌てる家族たち。そこへ訪ねてきた盗賊・和田四郎(実は源義親の郎党)は、老母を池に吊り下ろして惨殺し、みどり丸に刃を向ける。鳥目の平太郎は手向いができなかったが、あわやというとき、カラス(熊野権現の使い)の羽音がして、平太郎の目が開き、四郎を討ち果たす。一夜明けて、街道筋を曳かれていく柳の木が突然、動かなくなる。平太郎とともに駆けつけたみどり丸は、自ら綱を曳いて、母を都へ送り出す。

 平太郎を玉男。お柳を吉田和生。和生さんはどんな役を遣わせても安定感があるが、こういう古風なヒロインがいちばん合うと思う。語りは睦太夫、咲太夫、呂勢太夫。咲太夫さんは、最近、別人のように痩せられて、少し心配だが、声は艶があり、よく聴こえた。

 『大塔宮曦鎧』は題名さえも記憶にない作品だったが、竹田出雲・松田文耕堂の合作で近松門左衛門が添削したもの。明治以来、上演が絶えていたものを平成22年に「文楽古典演目の復活準備作業」の一環として野澤錦糸によって復曲され、平成25年に復活上演された。プログラムに復曲を手掛けた野澤錦糸さんのインタビューが載っていて、昔の師匠の完本(まるほん)に三味線の譜面が朱で記されているのをたよりに復曲するのだそうだ。「近松門左衛門さんが添削した作品ですから、字余り字足らずの詞章が多いんですよ」「太夫の語りを印象付けるたけに、あえて七五調にしていないように思いますね」などの指摘を読んだあと、上演中「字余り字足らず」に気をつけていると、確かに納得できた。いつも思うのだが、大阪公演のプログラムは、東京公演より格段に中身が濃い。

 上演の段は六波羅館から始まる。後醍醐天皇は隠岐に流され、若宮と生母・三位の局は、永井右馬頭の屋敷に預けられている。六波羅守護職の常盤範貞は、三位の局に横恋慕し、送られた灯籠や浴衣の図柄を見て色よい返事をもらったと喜んでいるが、謹直な古武士の斎藤太郎左衛門は、別の解釈を示して、範貞の思い込みをくつがえす。このへんは、和歌文学の教養を楽しむ仕掛けで面白い。怒った範貞は、切子灯籠にことよせて、若宮の首を差し出すように命じる。永井右馬頭と妻の花園は、我が子を身替りに差し出そうと悩むが、浴衣姿の子供たちの踊りの輪に割って入った太郎左衛門は、全く別の町人の子の首を斬り落とす。それは町人の子ではなく、太郎左衛門の亡き息子が残した、彼の孫だった。咲寿太夫、靖太夫(+錦糸さん)、小住太夫、千歳太夫のリレーで文句なし。名作劇場の名前に恥じないと思った。あと舞台に登場する切子灯籠で、昨年見た八瀬の赦免地踊りを思い出し、懐かしかった。

・第3部 サマーレイトショー『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・野崎村の段』『日本振袖始(にほんふりそではじめ)・大蛇退治の段』

 『新版歌祭文』は何度見てもいい。お染も久松も、社会倫理的には全くダメなやつだけど可愛くて憎めないところに、人間の不思議さを感じる。おみつは豊松清十郎。お染の母親お勝役で蓑助さんがちょっとだけ顔見せ。

 『日本振袖始』は日本神話を題材に、近松門左衛門が書いたもの。今回上演された大蛇退治の段は、まあ景事に近い。岩見神楽の大蛇を取り入れた趣向で、クリスマスモールか中華ふうの獅子舞みたいにキラキラした大蛇が4匹だか5匹だか現れる。ただあまり長い蛇でない(人形遣いが二人で遣う)ので、タツノオトシゴみたいで、あまり迫力がない。織太夫さんが聴けたし、勘十郎さんが見られたのでよいことにしておく。岩長姫(角出しのガブ)が酒に酔って、少しずつ本性を露わしていくところはスリリング。勘十郎さんにはこういうケレンが似合う。ちなみに生贄に捧げられる稲田姫が、脇明(わきあけ)の袖に太刀をしのばせておくことが「振袖の始め」と言われるのだそうだ。知らなかった。誰がつくった説なんだろうか。

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