見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2017年11月@関西:京都非公開文化財特別公開(法性寺など)

2017-11-05 23:44:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
 三連休は、例年どおり奈良・正倉院展へ行ってきた。土曜日は京都で国宝展(第3期)と決めていたが、その前に非公開文化財特別公開をいくつか訪ねた。

■大悲山一音院 法性寺(京都市東山区)

 京都に到着後、最初にここへ。ずいぶん前に一度来たことがあるので二度目になる。電車の線路沿いだったことを思い出しながら、探し当てた。法性寺は藤原忠平が建立した藤原氏の氏寺だが、やがて荒廃。本尊・千手観世音菩薩立像は、藤原忠通(法性寺入道)が難病にかかった際、この仏像に祈祷して回復したことから厄除観世音菩薩と呼ばれるようになったという。これは俗説だと思うが、均整のとれた美しい千手観音である。お顔の左右に2面を持ち、頭上にはぐるりと2段+頂上面の25面、計28面の千手観音である。脇手は40本、蝶が羽根を広げたように上に広がるシルエットが美しい。シンプルな厨子に入っていて、金箔貼りの背景に脇手の影が映るのが、また効果的である。10畳ほどの畳敷きのお座敷に座って拝観する。内陣の正面に千手観音、左手奥に板の間があり、忠通さまの念持仏と伝える阿弥陀如来、さらに地蔵菩薩と毘沙門天がおいでになる。座敷の左側面に巨大な不動明王坐像と薬師如来坐像、これは20世紀になってからの模刻である。京都女子大の腕章をつけた学生さんが、きびきびした説明をしてくれた。



■北野天満宮(上京区馬喰町)

 直前まで全く行く予定にしていなかったのだが、国宝『北野天神縁起絵巻 承久本』が15年ぶりに公開されているというニュースを聞いて、行く気になった。本当なら、これは国宝展なんて行っている場合じゃない。しかし「15年ぶり」というのは本当か? 自分のブログで調べてみたら、2013年の東博『大神社展』で「日蔵六道めぐり」の場面を見ているので、展覧会に出陳されたことはあるようだ。



 北野天満宮の宝物館での公開となると、私には苦い思い出がある。2005年(平成17年度)の非公開文化財特別公開期間に、承久本が見られると思って行ったら、模本しか出ていなかった経験があるのだ。このとき、宝物館の立て看板にも、京都古文化保存協会のサイトにも「国宝北野天神縁起絵巻(承久本)」と書いてあったのがあまりにも悔しくて、京都古文化保存協会にクレームのメールを書いたら、丁寧な謝罪のお返事をいただいた。あれから12年経って、ようやくこの機会に巡り合い、わだかまりが解消した気がする。黒雲に乗って現れた天神と、剣を構えて応戦する時平の描かれた場面(巻五)、船に乗って都を離れる道真の場面(巻四)が開いていた。各巻一場面ずつなんてケチ~。

 実は、宝物館のかなりのスペースを占めていたのは宝刀展。まあ源氏の宝刀「鬼切丸 別名 髭切」を見られたのでよしとしよう。「館内撮影可」の貼り紙があったので「絵巻もいいんですか?」と聞いたら、案内の学生さんに「絵巻はちょっと…」と困った顔をされたので、逆に安心した。「鬼切丸」の限定ご朱印(1000円、グッズつき)もあったが、ご遠慮申し上げた。



※おまけ:回向院(上京区御前通一条下ル東竪町)

 北野天満宮から徒歩で南に下り、一条通りに出る。ここは大将軍商店街、またの名を「一条妖怪ストリート」ともいう楽しい商店街。一条通りを少し行き過ぎたところに見覚えのあるお寺が現れた。長澤蘆雪(長沢芦雪)の墓のある回向院である。久しぶりなので墓参に寄っていく。場所を忘れていて、墓苑の奥まで入って探してしまったが、墓はわりと手前にある。たぶんこの写真を載せるのは二度目。


 
■大将軍八神社(上京区一条通御前西入西町)

 一条通りに戻り、大将軍八神社へ。江戸時代半ばにスサノオノミコトとその御子八柱と暦神八神が習合して大将軍八神宮となり、明治以降、大将軍八神社と改称して現在に至るという。今回の見ものは、渋川春海によって作られたという天球儀である。江戸時代の天球儀といえば、永青文庫で細川重賢旧蔵品を見たなあと思い出す(調べたら、これも渋川春海作で銅製である)。大将軍八神社の天球儀はたぶん木製、白っぽい表面に赤と黒の鋲で星を表し、星座の名前等が墨書されている。「織女」「畢」「箕」などを見つけた。ほかにも、安倍家(土御門家)伝来の天文暦学関係の資料などがいろいろ出ていた。『貞享五年具注暦』の識語には「貞享四年十一月朔日天文生保井算哲源春海」とあった。最後の太陰暦である『明治五年壬申頒暦』(大学星学局)には「文部省天文局」の朱印があった。

 また、80体に及ぶ木造の神像が林立する薄暗い展示室も、ただならぬ迫力あり。中国風の甲冑をまとった武人像が最も多く、和装(束帯)の文官像がこれに次ぐ。1体だけ愛らしい童子像がある。そういえば、女神像はないのだな。

■八幡山 報土寺(上京区仁和寺街道六軒町)

 大将軍八神社でもらった地図を見ながら、一条通りをさらに東へ進む。初めて歩く道だったが、全く観光地らしくない商店街で、京都にもこんなところがあるのかと面白かった。報土寺の周辺は江戸時代に花街として栄え、遊女の投げ込み寺とも呼ばれた。本尊の木造阿弥陀如来立像は、いわゆるアン阿弥様(快慶ふう)の三尺阿弥陀の基準作。1942年に旧国宝に指定され、京都博物館に寄託されたとみられており、今回、初めての里帰り公開となった。きれいな顔立ちの阿弥陀仏だが、京博でどのように展示されていたか、あまりよく覚えていない。もとは近江八幡の日牟禮八幡宮に本地仏として祀られていたという伝承が興味深かった。



 さて、このへんでいい時間になったので、京博の国宝展に向かうことにする。以下、別稿に続く。
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