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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

小浜旅行・食べたもの

2013-10-14 23:30:54 | 食べたもの(銘菓・名産)
今年も福井県小浜市の「若狭おばまの秘仏めぐり」に行ってきた。東京の友人が同行してくれたので、旅の食生活も豊かだった。

土曜日、バスツアーの前に慌ただしく昼食をとった、はまかぜ通り商店街の「カフェあさい」。普段使いの骨董販売もしている。体にやさしいごはんのランチ。



選べるドリンク&デザートつき。



夜は居酒屋「どんど」にて。美味しかったわ~。



小浜に行く楽しみが増えた。来年もぜひ泊まりで!
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札幌・植物園の秋

2013-10-07 22:02:04 | 北海道生活
久しぶりに植物園を歩いてきた。

西日本は、まだ真夏日になっているらしいが、札幌の10月は、すっかり実りの秋である。

赤い実(ヤマボウシ)


黒い実(ナツハゼ)


青い実(サワフタギ)


また赤い実(イチイ)


むかし、北海道出身の先輩を見ていて、植物の名前をよく知っているなあ、と感心したことがあるが、私も少しは覚えて帰れるかもしれない。
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連続テレビ小説『あまちゃん』と2013年秋のNHK新ドラマ

2013-10-06 23:02:09 | 見たもの(Webサイト・TV)
○『あまちゃん』(2013年4月1日~9月28日、全156回)

 2013年の春から夏、社会的話題となった『あまちゃん』ブーム。私も第6週(5月初め)に視聴したのがきっかけで、以後1回も欠かさず、最終回まで見てしまった。半世紀の人生で、初めてのことだ。

 私は、あれほど国民的人気を誇った『おしん』も見ていないし、最近の人気作『ゲゲゲの女房』も『カーネーション』も見ていない。理由は、家にBS環境も録画設備もなかったからである。この4月に引っ越して、新居(宿舎)でテレビをつないでみたら、BSが見られることが分かった。土曜の朝、たまたまBSにチャンネルを合わせていたら、1週間分のまとめ放送が始まって、見てしまった。主人公アキの祖父・天野忠兵衛が初登場した週で、前後して、憧れの種市先輩、のちにアキのマネージャーになる水口など、主要な登場人物が揃い、母・春子の過去の一部が明かされて、ちょうど物語が動き始めた頃だった。

 詳しいストーリーは書かないが、宮藤官九郎の脚本は、最後まで面白かった。分かるヤツだけ分かればいい小ネタと、世代や国籍を超えて普遍的な人間ドラマの同居。ターニングポイントでは、いつも気持ちよく裏切られた。シロウトの予測など及びもつかないところに連れていかれる快感が、だんだん癖になっていった。ドラマと伴走し続けた、大友良英の音楽も抜群によかった。

 2008年から2012年の北三陸を舞台としたドラマでは、東日本大震災の「被災」と、それに続く「復興」の日々も描かれた。制作者は、これは東日本大震災を描くドラマではないと語っていたそうだが、東北の(というより、本当は日本列島の)「今」を生きている人たちを描くとき、震災の体験を外すことはできない。目をそらしてもいけないが、さりとてそれが、彼らの人生の全てでもない。そんなことも考えさせられた。人情コメディを基盤にしながら、けっこう毒の効いた社会批判も含んでいたドラマだと思う。

 9月28日に全編が終わって、どれだけ「あまロス」になるかと思っていたが、意外と喪失感がない。最終週の脚本が、多くの登場人物を、丁寧に幸せに導いてくれたおかげではないかと思う。「めでたし、めでたし」で終わる幸福な物語を読み終えた気分。

 NHKは、『あまちゃん』視聴者がツイッターなどで感想を共有する「ソーシャル視聴」に注目しているという。昨年の大河ドラマ『平清盛』で、回を追って「ソーシャル視聴」が盛り上がる様子をつぶさに体験した身としては、今更かい!と思わないでもない論評だが、家族で楽しむものから個人で楽しむものに移行したテレビ放送が、ソーシャルメディアによって、新たな楽しみ方を獲得しつつあることは確かである。

※NHK NEWSweb:「あまちゃん」が示すソーシャル視聴の先にあるもの(2013/10/4)

 だが、「ソーシャル視聴」は、プラスの面ばかりではない。『あまちゃん』の後番組として、9月30日(月)から始まった『ごちそうさん』。私は、ドラマ本編を見る時間がなかったので、金曜までツイッターで視聴者の感想だけを読んでいた。そうしたら「汚い」「可愛くない」「イラつく」など、批判的な感想の多いこと。しかし、土曜に1週間まとめ見をしたら、そんなに悪いドラマだとは思えなかった。いやー今の視聴者って、ドラマの主人公に、どれだけ完全主義を求めているんだか。主人公に品のない言動や暴力が許されるのは、「相手が先に手を出したから」「相手が不当な利益を貪っているから」という言い訳があるときに限るのだろう。

 『ごちそうさん』は大阪のドラマかと思っていたら、序盤の舞台は東京で、主人公の両親が営む洋食屋は帝国大学の近傍らしい。まんざら知らない土地でもないので、楽しみになってきた。主人公の相手役が建築家(をめざす帝大生)というのも面白い設定だと思う。大阪編で登場する新進気鋭の建築家のモデルは、武田五一だという情報もあり。非常に楽しみ。

 そのほか、秋から始まったドラマでは、まずBSプレミアム放送の『怪奇大作戦-ミステリー・ファイル-』(2013年10月5日~11月16日、全4話)に注目。第1話「血の玉」を見たが、初期の特撮ドラマの味わい(子供向けなのに、子供向けと思えないエグさ)がよみがえるようで、ゾクゾクした。いつ頃からだったかなあ、特撮の技術が進歩するのと反比例して、内容が幼稚になっていったのは。もうひとつ、BS時代劇『雲霧仁左衛門』(全6回)も面白かった。個性派揃いの配役に期待。

 というわけで、私はこの秋のNHK制作ドラマにかなり高評価をつけている。若者よりも、もともとテレビ視聴習慣で育った中高年層を狙い、ドラマの黄金期に回帰することで成功しているんじゃないかと思う。頑張れ、NHK。ああ、BS放送が見られる環境になってよかった。
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意外に長い歴史/あなたの知らない北海道の歴史(山本博文)

2013-10-05 23:05:13 | 読んだもの(書籍)
○山本博文監修『あなたの知らない北海道の歴史』(歴史新書) 洋泉社 2012.9

 半年前、全く縁のなかった北海道の住人となって、土地の歴史を知りたいと思った。そもそも基礎知識が乏しいので、取りつく島を見いだせずにいたが、この夏、江差・上ノ国・松前・函館をめぐる旅行をして、ようやく取っ掛かりができた。

 監修の山本博文さんは、どの程度、本書に関わっているのか分からないが、江戸時代の大名や武士をめぐる著作を数多く出していらして、実証的な文献研究にも、エッセイの面白さにも定評のある方だから、大丈夫だろうと判断した(やっぱり本は著者で選ぶのが間違いない)。古代→鎌倉・室町時代→戦国時代→江戸時代→近代と、時代順に設定されたテーマが70題。北海道の歴史では光の当たりにくい鎌倉・室町、戦国も、いちおう取り上げられているのがうれしい。

 古代で気になったのは「阿部比羅夫の北方遠征はどこまで行ったか」。日本書紀・斉明紀に「渡島蝦夷(わたりしまのえみし=道南・道央の蝦夷)」を饗応したという記述があるそうだ。渡島半島(おしまはんとう)の「渡島」ってそんなに古い用例があるのか。しかし、7世紀半ばの『日本書紀』に書かれたような戦いの痕跡は、まだ北海道内では見つかっていない由。今後、もし見つかったら大発見だろうな。あと、北海道大学構内のサクシュコトニ川遺跡(図書館のそばを流れている)と余市町の大川遺跡から見つかった9~10世紀の土師器の杯には「夷」と見られる文字が刻まれていて、東北で蝦夷の饗応に使われた杯が北海道に持ち帰られたのではないかという。故郷へおみやげ(記念品)のつもりだったのかなあ、など、想像を刺激される。

 鎌倉・室町時代では、何といってもまず義経伝説。夏の旅行でも松前で義経山の石碑なるものを見たが、義経の伝説は北海道全域に分布しており、アイヌに稗の栽培を教えた文化神オキクルミと同一視されているそうだ。

 北海道が新たな流刑地として定着し、史料に登場するのは、東国に鎌倉幕府が置かれて以降であること。北条氏によって「蝦夷管領」に任ぜられた安東氏(安藤氏)は、室町時代に入っても十三湊を拠点に勢力をふるうが、15世紀半ばに南部氏に攻められ、北海道に逃れる。そして三守護十二館主による強固な支配体制を築くが、首長コシャマインに率いられたアイヌが蜂起し、「蝦夷の百年戦争」が始まる。この蜂起は、アイヌの少年や和人の職人に刀を作らせたところ、刀の出来栄えや値段をめぐって争いになり、少年が刺殺されたことがきっかけであるという。小さなきっかけが、大規模な(民族的な)争いに発展していく点で、台湾の二・二八事件を思い出してしまった。

 和人とアイヌの関係は、周辺国のロシア・中国(清)との交易関係も絡んで、なかなか複雑である。単に抑圧者と被抑圧者と言えない感じがするので、もう少し丁寧に学んでみたい。

 近代の記事でいちばん驚いたのは、奥羽越列藩同盟と新政府による「東北戦争」(って今は呼ぶのか?→戊辰戦争)の最中、会津・庄内両藩が蝦夷地に所有する領地の売却をプロイセンに持ちかけていたということ。ドイツ公文書館に記録が残っているそうだ。軍資金確保のためだというが、国土を外国に売っちゃダメだろ…蝦夷地は日本だと思っていなかったのかな。仮に実現していたら、今頃、北海道内にドイツ領があったかもしれない?

 あと、やっぱり食べ物ネタは楽しくて、町村農場の由来(華族組合が経営する農場だった)、男爵いもの由来など興味深く読んだ。次はもう少し、ひとつの時代にフォーカスした本を読んでみたい。
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名コンビ誕生の予感/日本建築集中講義(藤森照信、山口晃)

2013-10-04 23:00:07 | 読んだもの(書籍)
○藤森照信、山口晃『日本建築集中講義』 淡交社 2013.8

 カバーの折込みにいう、「先生役に路上観察眼をもつ建築家・藤森照信氏、聞き手に平成の絵師・山口晃氏。その二人がニッポン各地の名建築13件を見学して、あれやこれやを発見したり、建築の魅力を語り合う対談&エッセイ漫画」。私の大好きなジャンルであると同時に、大好きなお二人の顔合わせに、気持ちがスパークしてしまった。もとは月刊「なごみ」2012年1~12月号に連載されたもの。

 そこで、ハタと思い出したが、淡交社の「なごみ」といえば、山下裕二先生と赤瀬川原平先生が『日本美術応援団』の第二弾にあたる『京都、オトナの修学旅行』を連載していた雑誌である。いい意味で脱力した老人力の赤瀬川さんを、敬意をもって支える山下先生もいいコンビだが、この藤森・山口コンビも面白い。藤森照信氏は制作(設計)もするけど本業はずっと大学教授で、教壇にも立つけど基本的にクリエイターの山口晃氏に比べたら、社会の約束事は理解していそうなものだ。ところが、本書を読むかぎりでは、山口さんのほうが常識人で、藤森先生の天衣無縫ぶりに、ハラハラさせられっぱなしなのが可笑しい。何しろオビのひとことが「センセイ!こ、今度は何を!?」だもの。利休の作として伝えられる国宝茶室・待庵で、ゴロリと寝そべって「寝て一畳」を体感してみたり。その姿を、絵師・山口晃さんのマンガで読む贅沢。

 登場する建築は、法隆寺(※)、日吉大社(※)、旧岩崎家住宅(※)、投入堂(※)、聴竹居、待庵、修学院離宮、旧閑谷学校、箱木千年家、角屋(※)、松本城(※)、三渓園(※)、西本願寺(能舞台・書院造・数寄屋)。ほかに藤森先生設計の高過庵やタンポポハウス訪問の記も付いている。※印は私が行ったことのあるもの。旧閑谷学校は未踏地だが、藤森先生の著書で読んだことは覚えている。深い沼のような、磨き込まれた床の美しさ。体験してみたいな~。西本願寺の白書院の魅力は、山口晃さんが雑誌『Pen』2013年8/1号「完全保存版・日本美術をめぐる旅」にも書いていらした。

 山口さんのマンガには、それぞれの建築の案内人のみなさんも登場する。観光地(建築)の魅力は、案内人の個性にも左右される。知識と熱意があればいいというものでもないのが、難しいところ。饒舌になりすぎて、参観者の感興を削いではいかんのだ。西本願寺と三渓園の案内人は、お二人の心をとらえた「二大案内人」ということになっている。山口さん描く西本願寺の案内人の方は、ちょっと水木しげるのキャラクターっぽい。三渓園の建築群は、お庭から眺めただけで、座敷に上がってはいないと記憶するが、楽しかった。また行ってみたい。

 あとがきに藤森先生いわく「私は根っからのツッコミタイプだからボケとしかウマがあわない」。自覚していらっしゃるんだな。このコンビの建築探訪記、ぜひもっと続けてほしい。
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西へ東へ、また京へ/物語の舞台を歩く・義経記(五味文彦)

2013-10-03 23:19:06 | 読んだもの(書籍)
○五味文彦『義経記』(物語の舞台を歩く 10) 山川出版社 2005.7

 歴史教科書で有名な山川出版社による「物語の舞台を歩く」というシリーズの1冊。妙に活字のポイントが大きいのは、老眼に悩む中高年読者を狙っているからかもしれない。しかし、活字の大きい本にありがちな、スカスカした内容ではなくて、私の知らなかったことも書かれていたし、きちんと読み応えがあった。そこは五味文彦先生である。

 構成は『義経記』に従い、つまり源義経の人生をなぞっていく。出生・成長の場であった京都周辺。迷いながら尋ねあてた伝・源為義の墓が懐かしかった。義朝の乳母子・鎌田正清(政清)の子・正近が、四条聖と呼ばれて、四条室町に住んでいたというのは知らなかった。『義経記』だけの伝承なのだろうか。

 奥州に下った義経が再び上洛して、一条堀河の鬼一法眼から兵法書を盗み出すというのも『義経記』の創作。鬼一法眼は北白河に住む「印地の大将」湛海に命じて、義経を斬らせようとする。面白いなあ。銀閣寺のそばにある北白川天満宮にはぜひ行ってみたい。天満宮と言っても、菅原道真でなく、少彦名命を祀る古い神社である。

 さて、武蔵坊弁慶の物語を求めて、熊野、比叡山、書写山、京の清水寺をめぐる。余談になるが、筆者は梁塵秘抄の歌に「淡路はあな尊 北には播磨の書写を目守(まも)らへて」とあるのを確かめようと書写山に登り、実際に淡路島が見えたことに感動して、思わず梁塵秘抄の歌を「うたってしまった」という。こういう、文献上の研究に終わらない、ライブ感覚のある歴史学者は大好きだ。弁慶と義経の決闘の場を五条大橋としたのは『弁慶物語』(御伽草子)で、中世の賀茂川には、四条橋と五条橋の二つの橋がかかっていたという。『洛中洛外図屏風』によれば、五条橋は中島が間にあって二つの橋からなり、中島には安倍晴明の流れをくむ陰陽師が法成寺を立てて根拠としており(雍州府志)、その寺は三条橋東詰めに移されて、心光寺と称している。以上、長々と引用したのは、いつか現地も典拠資料も調べてみたいため。

 治承4年、兄・頼朝の挙兵。頼朝の足跡は、伊豆、相模、房総半島にあるというイメージだったが、房総半島を北上しながら「墨田渡」に至る。白髭神社の北にある石浜神社のあたりが中世の渡だという。のちに頼朝が鶴岡八幡宮を造営するとき、浅草の大工を召したという記録もあり、徳川氏が本拠を置く以前の江戸も、俗に言われるような、ただの野っ原だったわけではないのだな、と思った。

 兄との対面を果たした義経は再び京へ。義経の邸宅は六条堀川とされる。源頼義の邸宅跡に頼朝が創建した若宮八幡宮の写真が懐かしい。その北側一帯が後白河法皇の院御所(六条殿)で、持仏堂の長講堂は、いまは六条通の突当りに移転してしまっている。そして義経の逃避行が始まるが、文楽でおなじみ、摂津の大物浦は尼崎市なのか。今日では、かなり内陸になってしまっている。義経を助けた人々は、次々に捕えられる。藤原忠信の首は鎌倉に運ばれ、由比浜の八幡の鳥居に掛けられたが(うわあ)、のち勝長寿院の後ろに埋められた。あ、初詣の習慣は、頼朝が元旦に鶴岡八幡宮に詣でるようになってからのもの、というのも覚えておこう。

 しばし京都に隠れ住んでいた義経は、北陸道から奥州へ。衣川で最期を迎える。あくまで『義経記』に即した解説本だから、さらに北へ向かう義経伝説には触れない。それにしても中世人の足跡は、現代人の標準を軽々と超えて広範囲である。
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2013年9月・東京の展覧会拾遺

2013-10-03 00:16:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
関西レポートを書き終わったので、9月最初の三連休に行った東京の展覧会について書いておく。

センチュリーミュージアム 『中世の日本美術』(2013年8月19日~11月30日)

 書跡が充実していて、「和様」と「唐様」を比べることができるのが面白かった。中世というのが、そういう時代なのかもしれない。気に入った作品は、室町時代の僧侶、愚極礼才の大字の屏風。長谷寺縁起絵巻(素朴絵っぽい)の断簡。伏見天皇宸筆の「広沢切」は、薄墨色の宿紙(綸旨に用いられる)に書写された珍しいもの。伏見天皇ご自身が「御座所身辺のありあわせの紙を卒然と使用したさまがうかがえ」という解説に感興を誘われる。

五島美術館 『秋の優品展-禅宗の美』(2013年9月13日~10月20日)

 9月16日に参観。台風接近のため、朝のテレビは「外出はお控えください」という呼びかけを繰り返していた。しかし、旅行者の身では、ホテルをチェックアウトしてしまうと引きこもる先もないので、予定どおり展覧会巡りに出かけてみた。五島美術館はフツーに開いていたが、私のほかに観客はいなかった。外の樹木が強風でゴウゴウ唸っているのを聴きながら『寒山図』(風吹き寒山)を眺めるのは、なかなか乙だった。この図、舞い散る葉っぱなどは描かれていなくて、吹き上げられた衣だけで風を表している。白隠の『猿図』は可愛かったなあ。鼻の下を伸ばした猿の顔! 長い腕とは対照的に、短く縮めた足! 白隠の『鐘馗図』の賛には、謡曲「鐘馗」の一節が引かれている。鐘馗は菩提心を発起し、国土を守る存在となったという。謡曲の常識がないと、絵画って十分に理解できないなあ。

 書跡は、まず一山一寧が好き。全体に統一が取れた草書で「和様」だと思う。南宋の希叟紹曇や元の馮子振は、中国人の書だ。偏見かもしれないけど、一字一字がなんとなくバラバラ。いや、そこが魅力でもある。小さくまとまりやすい日本人には、なかなか書けない書風だと思う。今回は版本も多く出ていて、面白かった。しかし補刻とか覆刻とか再刊とか、版本の年代判定はややこしい。1時間ほど館内にいたが、結局、最後まで私ひとりだったので、帰りに受付の方に「独り占めでしたね」と声をかけられ、笑って「はい」と答えた。

泉屋博古館・分館(東京) 特別展『「図変わり」大皿の世界 伊万里 染付の美』(2013年9月14日~12月8日)

 いよいよ風が強くなってきた昼過ぎ、入館時に「警報が発令された場合は臨時休館となります」と注意された。館内には、私のほかに男性の先客がひとり。会場内の解説によれば、19世紀後半につくられた伊万里の染付大皿は「庶民の雑器」とみなされ、あまり評価されてこなかった。本展は、その魅力に気づいた個人蒐集家のコレクションから115点を紹介するもの。会場には、確か蒐集家のお名前も掲げてあったはずなのに、なぜか泉屋博古館のホームページにはお名前がなく、会場でもらってきた展示品リストにも記載がない。いまネットで調べて、たぶん瀬川竹生さんだろうと分かったが、なぜ記載がないのか、気になる。

 でも面白かった。「素朴絵」につながる魅力だ。『染付十二支文大皿』(前期のみ展示)の呆然と目をむく下手くそさ。『染付赤壁文大皿』(数種あり)の子供が描いたような船の図も。「群鹿文様」とか「群馬文様」とか、文字通りなのだが、こんな図柄の上にどんな料理を置くのだろうか、と可笑しくなる。「大明成化年製」というのが、ほとんどお札の呪文のように記載されているのも面白いと思った。

江戸東京博物館 開館20周年記念特別展『明治のこころ-モースが見た庶民のくらし-』(2013年9月14日~12月8日)

 泉屋博古館を出て、地下鉄→JRを乗り継いで、江戸東京博物館に行こうと思ったら、総武線の下りがお茶の水で止まっていた。なんと、どうすればいい? しばし路線図を見て考え、地下鉄の大江戸線に乗り継いで両国に出た。本展は、大森貝塚の発見者として知られるアメリカの動物学者エドワード・モースが、日本から祖国に持ち帰った「モース・コレクション」320点を、ピーボディー・エセックス博物館とボストン美術館の協力を得て紹介する。この展覧会、もっと話題になっていいと思うのに。

 「モース・コレクション」には、さまざまな(むしろ、ありとあらゆる!)明治の日本の生活道具が含まれていることは噂に聞いていたが、面白かった。下駄、腰巻、紅皿、お歯黒道具。砂糖菓子、海苔、かつお節、本郷藤村の金平糖(の箱)。箱枕は、使ってみたら快適だったと書いてあった。真っ黒になった子供の手習い帳、迷子札、火打がね。さまざまな看板。意外だったのは、モノだけでなく、写真も多数残っていること。モースが日本陶器のコレクターでもあったこと(あまり趣味がいいようには思えない)。あらためて『日本その日その日』が読んでみたくなった。
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忘れ去られるもの/田楽と猿楽(国立文楽劇場)

2013-10-01 23:59:22 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 第18回特別企画公演『田楽と猿楽-中世芸能をひもとく』(2013年9月23日、13:00~)

 もともと、この公演の情報を見つけて、行きたい!と思い、関西旅行が決まった。行くと決めておいて言うのもナンだが、そんなに需要があるのだろうかと思っていたら、満員御礼でびっくりした。

 第一部は、那智田楽保存会(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)による「那智の田楽」である。開演前に、芸能史研究家の山路興造さんが舞台に出て、わが国の芸能の歴史を簡単に紹介してくれた。田楽と猿楽は、鎌倉時代に大変人気を集めた芸能であり、その淵源は、大陸から伝来し、宮中や大社寺の儀式に用いられた「舞楽」である。平安時代後半になると、外来の芸能から新しい芸能が誕生した。

 いまプログラムの解説を読み直しながら、この記事を書いているのだが、「それぞれに楽器を鳴らしながら次々に位置を変化させて動く(躍る)という芸態が、舞楽などに似て大陸的である」という説明は、実際に見た舞台を思い出すと、よく腑に落ちる。確か「舞踊」という言葉をつくったのは坪内逍遥で、本来「舞(まい)」と「踊(おどり)」は異なる概念だった、という説明も聴いたように思う。

 Wikipediaは(広義の)日本舞踊の説明の中で、舞楽も田楽も猿楽も「舞」(摺り足や静かな動作で舞台を廻るもの)に分類し、「踊」(足を踏み鳴らして拍子を取りながら、動きのある手振り身振りでうねり回るもの)は「庶民的で、江戸時代になってから発達した」と書いているが、これはどうかな。現在見られる舞楽(古代の姿のままとは言えないが)には、かなり「踊」の要素が入っていると思う。「うねり回る」ことはしないけど。

 舞台上に現れた演者は、黄土色の衣の編木(ササラ)方が四名、朱の衣の太鼓方(腰太鼓を体の正面に下げる)が四名。どちらも袴は深青色で、平たい綾藺笠(?)を被る。笛方の二名と「めくり」(進行にあわせて曲目を書いた紙をめくる役)の一名は藤色の衣。ほかに補助役で、ときどき笑いも誘うシテテンが二名。左右に日の丸の入った立烏帽子をかぶり、顔の前に紙垂(しで)のような、紐のようなものを垂らしている。

 曲は全部で21種あり、途中で休憩が入ったが、30分ほどノンストップで踊り続ける。曲調は単純だが、フォーメーションを覚えるのは大変そうだ。『年中行事絵巻』の田楽の図(徳川美術館で模本を見た)を彷彿とさせる一瞬もあった。後白河法皇や信西入道が、田楽という新しい芸能に魅せられた気持ちを思って、感慨ひとしお。解説者が、芸能とは、ある時代の人々を熱狂させ、やがて忘れられるものなのです、と述べていたことが印象的だった。熱狂の時代が過ぎたあとは、地方の片隅にひっそりと伝えられていく。だから現代人が見ても、それほど熱狂は感じないと思う、と淡々と述べていらした。永遠の生命を持つ芸術も大切だが、はかないからこそ大切なものもあるのだ。

 第二部は、奈良豆比古(ならづひこ)神社翁舞保存会(奈良県奈良市)による「奈良豆比古神社翁舞」の公演。宵宮に行われる芸能ということで、舞台は夜の境内を模し、開演前にろうそくに火(本物?)が灯された。再び短い解説があった。「能楽」は明治以前は「猿楽」と呼ばれた。その源流は大陸伝来の「散楽」である。「猿楽」(散楽)とは仮面と衣装を着けて何かを真似る芸能で、「翁舞」とは、演者が神様(先祖神)に変身し、郷民を祝福するものである。奈良豆比古神社の翁舞は、演者が観衆の見ている前で面をつけ、神に変身する(神が影向する)ところがめずらしいという。

 前謡→千歳舞(面は着けない)のあと、太夫が面を着け、太夫と脇二名による「翁三人舞」になる。「まんざいらくー」というのびやかな声。よく分からないが、舞台にめでたさが充満する。翁三人の退場のあと、黒い翁面の三番叟が千歳を従えて舞う。「三番叟」って、文楽でしか見たことがなかったが、古式にのっとると、こんな感じなのか。認識を新たにした。終始変わらない、小鼓の打つときの単調な掛け声(プログラムによれば)「イーヤー、アィヤー、オンハー」というのが、なぜか一週間経った今でも、耳に残って消えない。
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