○「みほとけの里 若狭の秘仏:平成25年度秋の文化財特別公開」若狭姫神社~竜前区薬師堂~神宮寺~明通寺
今年も小浜に行ってきた。8月初め、今年のバスツアーの日程が福井県のホームページにUPされたので、友人を誘って、いろいろ検討した結果、10/12(土)の半日コースと10/13(日)の1日コースにしようと決めた。ところが、8月中というのに、すでに10/13の「おおい秘仏の旅」コースは満席になってしまっていた。びっくり! というわけで、今回は「遠敷(おにゅう)の里めぐり」半日コースのみ参加。昨年と重なる訪問先が多くて、あまり新味がないが、若狭歴史民俗資料館の館長の特別ガイドつきというのに惹かれた。
札幌を金曜の夜に出て、名古屋泊。翌日、名古屋から特急で敦賀、小浜線に乗り換えて、昼前に小浜に着く。東京から出てきた友人とは、米原で合流した。駅前を出発するバスには、若い女性の添乗員さんが乗り込む。昨年のベテランガイドさんと違って、なんだかたよりないなあ、と思っていたら、道の駅で「かたりべさんの説明がありますので、みなさん降りてください」と促された。「かたりべさん」って誰かと思ったら、見覚えのある若狭歴史民俗資料館の館長さんが待っていた。道の駅にあるパネルの前で、小浜の文化財(仏像)の概要について、説明を聞く。京(みやこ)の仏像と同じ様式でつくられたものが多く、京から運ばれてきたと思われるものが多いこと。海に面しているが、外国の影響を受けたものはないこと、など。そして、いよいよ秘仏めぐりに出発するとなったら、若い添乗員さんは降りてしまった。ガイドは館長さんひとりなのか。ご苦労様。
ずっと館内で仕事をしてきましたが、昨年から、うちの資料館も(福井県立)恐竜博物館と同じで、稼いで来いということで、外に出て喋るようになりました、みたいなことを笑いながらおっしゃっていた(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)。その資料館は、現在改装中で、平成26年夏ごろ、リニューアルオープン予定だという。そっちの仕事もあって、大変ですわ、と館長。
■若狭姫神社
最初の立ち寄り先は、昨年も訪ねた若狭姫神社。この日は同社の祭礼・遠敷祭りで、社前に提灯が下がり、かすかなお囃子が流れていた。神事は10月10日で、その前後の週末は、例年境内に露店が出たりするのだが「今年は九月の台風の影響で、自粛気味ですね」とのこと。この神社の鳥居には、遠敷明神を祀る「遠敷神社」という額が、20年くらい前まで掛かっていたが、いつの間にかなくなってしまった。奈良の二月堂の北東には遠敷神社があるが、現在の小浜に「遠敷神社」は無いそうだ。
ここは説明する宮司さんがいないので、館長が小浜の成り立ちに関する詳しい説明をしてくれて、とても面白かった。神宮寺との関係。東大寺(≒朝廷)と若狭の特殊な関係。若狭は皇室に食料を献じた「御食国(みけつくに)」のひとつとされているが、文献上に明確な証拠はなく、木簡の出土状況による推定であること、等々。
バス移動の車中では、『伴大納言絵巻』『吉備大臣入唐絵巻』『彦火火出見尊絵巻』(もう一作品挙げていたか?)が、若狭国松永庄新八幡宮に伝えられたという文献記事(看聞御記・1441年4月26日)が残っているが、この「新八幡宮」がどこにあったかは定かでない、という話も出た。これだけの美仏に絵巻が揃っていたら、私にはパラダイスだわー。別のところで、窓の外の斜面は三昧(埋葬地)で、別のところに墓石を立てる。小浜の習俗は両墓制です、という解説もあった。
↓若狭姫神社の山門(?)の随身像。
■竜前区薬師堂
昨年は、開ける・開けないで揉めたお堂だったが、今回はスムーズに拝観できた。※昨年のレポート。
■神宮寺
東大寺二月堂への「お水送り」が行われる寺。本堂に入ると、正面の左端は十一面千手観音で多聞天と不動明王を脇侍とする。その右(中央)は、ゆったりと大きな薬師如来坐像。日光、月光、十二神将を従える。その右は板壁で、二柱×三枚の神号掛軸を掛ける。中央から左端へ「白石鵜之瀬明神/手向山八幡大神」「和加佐比女大神/和加佐比古大神」「志羅山比女明神/那伽王比古明神」(※ありがたいことに、ちゃんと図に起こしてくれているサイトがあった)。その右には、かつて本尊の御前立ちだったらしい薬師如来。
本堂での説明は、神宮寺の和尚さんがしてくれた。ちょっとイケてる和尚。
館長とは幼なじみだそうで、「説明?俺がするの?」みたいな、気の置けないやりとりが可笑しかった。この春、東博の大神社展に男神像・女神像を出陳するにあたっては、和尚からいろいろ相談を受けたそうである。
■明通寺
昨年に続く再訪だが、今年は国宝三重塔の初層内部を公開。アクリル板を設置して、扉を開放しても雨風を防げるようにしたということだが、反射して内部が見にくいのは残念。ま、仕方ないか。夜のライトアップの準備が着々と進んでいた。塔へ続く長い石段には、般若心経の一文字一文字を記したロウソクが立てられていた。
ここの説明は、たぶん去年と同じ若住職。さっきの神宮寺さんには檀家がないという話だったが、ここはわずか7軒だと館長がおっしゃっていた。大変だなー。前回は気づかなかったが、参道のまわりの木々は、檜皮(ひわだ)を剥がれたところだという。葺き替えも自前なのだ。
他にもいろいろ書きとめておきたい、心に残る話がたくさんあったのだが、このくらいにしておく。「よければ、また来年もおいでください。あの和歌山県博の観仏三昧見ていてください」とおっしゃっていた。
そして、今年は小浜で1泊。居酒屋の夕食も美味しかった。
今年も小浜に行ってきた。8月初め、今年のバスツアーの日程が福井県のホームページにUPされたので、友人を誘って、いろいろ検討した結果、10/12(土)の半日コースと10/13(日)の1日コースにしようと決めた。ところが、8月中というのに、すでに10/13の「おおい秘仏の旅」コースは満席になってしまっていた。びっくり! というわけで、今回は「遠敷(おにゅう)の里めぐり」半日コースのみ参加。昨年と重なる訪問先が多くて、あまり新味がないが、若狭歴史民俗資料館の館長の特別ガイドつきというのに惹かれた。
札幌を金曜の夜に出て、名古屋泊。翌日、名古屋から特急で敦賀、小浜線に乗り換えて、昼前に小浜に着く。東京から出てきた友人とは、米原で合流した。駅前を出発するバスには、若い女性の添乗員さんが乗り込む。昨年のベテランガイドさんと違って、なんだかたよりないなあ、と思っていたら、道の駅で「かたりべさんの説明がありますので、みなさん降りてください」と促された。「かたりべさん」って誰かと思ったら、見覚えのある若狭歴史民俗資料館の館長さんが待っていた。道の駅にあるパネルの前で、小浜の文化財(仏像)の概要について、説明を聞く。京(みやこ)の仏像と同じ様式でつくられたものが多く、京から運ばれてきたと思われるものが多いこと。海に面しているが、外国の影響を受けたものはないこと、など。そして、いよいよ秘仏めぐりに出発するとなったら、若い添乗員さんは降りてしまった。ガイドは館長さんひとりなのか。ご苦労様。
ずっと館内で仕事をしてきましたが、昨年から、うちの資料館も(福井県立)恐竜博物館と同じで、稼いで来いということで、外に出て喋るようになりました、みたいなことを笑いながらおっしゃっていた(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)。その資料館は、現在改装中で、平成26年夏ごろ、リニューアルオープン予定だという。そっちの仕事もあって、大変ですわ、と館長。
■若狭姫神社
最初の立ち寄り先は、昨年も訪ねた若狭姫神社。この日は同社の祭礼・遠敷祭りで、社前に提灯が下がり、かすかなお囃子が流れていた。神事は10月10日で、その前後の週末は、例年境内に露店が出たりするのだが「今年は九月の台風の影響で、自粛気味ですね」とのこと。この神社の鳥居には、遠敷明神を祀る「遠敷神社」という額が、20年くらい前まで掛かっていたが、いつの間にかなくなってしまった。奈良の二月堂の北東には遠敷神社があるが、現在の小浜に「遠敷神社」は無いそうだ。
ここは説明する宮司さんがいないので、館長が小浜の成り立ちに関する詳しい説明をしてくれて、とても面白かった。神宮寺との関係。東大寺(≒朝廷)と若狭の特殊な関係。若狭は皇室に食料を献じた「御食国(みけつくに)」のひとつとされているが、文献上に明確な証拠はなく、木簡の出土状況による推定であること、等々。
バス移動の車中では、『伴大納言絵巻』『吉備大臣入唐絵巻』『彦火火出見尊絵巻』(もう一作品挙げていたか?)が、若狭国松永庄新八幡宮に伝えられたという文献記事(看聞御記・1441年4月26日)が残っているが、この「新八幡宮」がどこにあったかは定かでない、という話も出た。これだけの美仏に絵巻が揃っていたら、私にはパラダイスだわー。別のところで、窓の外の斜面は三昧(埋葬地)で、別のところに墓石を立てる。小浜の習俗は両墓制です、という解説もあった。
↓若狭姫神社の山門(?)の随身像。
■竜前区薬師堂
昨年は、開ける・開けないで揉めたお堂だったが、今回はスムーズに拝観できた。※昨年のレポート。
■神宮寺
東大寺二月堂への「お水送り」が行われる寺。本堂に入ると、正面の左端は十一面千手観音で多聞天と不動明王を脇侍とする。その右(中央)は、ゆったりと大きな薬師如来坐像。日光、月光、十二神将を従える。その右は板壁で、二柱×三枚の神号掛軸を掛ける。中央から左端へ「白石鵜之瀬明神/手向山八幡大神」「和加佐比女大神/和加佐比古大神」「志羅山比女明神/那伽王比古明神」(※ありがたいことに、ちゃんと図に起こしてくれているサイトがあった)。その右には、かつて本尊の御前立ちだったらしい薬師如来。
本堂での説明は、神宮寺の和尚さんがしてくれた。ちょっとイケてる和尚。
館長とは幼なじみだそうで、「説明?俺がするの?」みたいな、気の置けないやりとりが可笑しかった。この春、東博の大神社展に男神像・女神像を出陳するにあたっては、和尚からいろいろ相談を受けたそうである。
■明通寺
昨年に続く再訪だが、今年は国宝三重塔の初層内部を公開。アクリル板を設置して、扉を開放しても雨風を防げるようにしたということだが、反射して内部が見にくいのは残念。ま、仕方ないか。夜のライトアップの準備が着々と進んでいた。塔へ続く長い石段には、般若心経の一文字一文字を記したロウソクが立てられていた。
ここの説明は、たぶん去年と同じ若住職。さっきの神宮寺さんには檀家がないという話だったが、ここはわずか7軒だと館長がおっしゃっていた。大変だなー。前回は気づかなかったが、参道のまわりの木々は、檜皮(ひわだ)を剥がれたところだという。葺き替えも自前なのだ。
他にもいろいろ書きとめておきたい、心に残る話がたくさんあったのだが、このくらいにしておく。「よければ、また来年もおいでください。あの和歌山県博の観仏三昧見ていてください」とおっしゃっていた。
そして、今年は小浜で1泊。居酒屋の夕食も美味しかった。