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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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特別な週末・葵祭2010〈斎王代列〉

2010-05-18 23:08:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
命婦(みょうぶ) 大きな風流傘に続き、最初に現れる女性たち。高位の女官、または高官の妻女。五位以上の女性を内命婦(うちのみょうぶ)、五位以上の官人の妻のことを外命婦(げのみょうぶ)という。小袿(こうちぎ)、単、打袴を着用。白丁のさしかける花傘には、それぞれ異なる飾りものが載っている。



童女(わらわめ) 行儀見習いのため宮中に奉仕する少女たち。垂髪、紗の袙(あこめ)、斎王と同じ袙扇を持ち、腰輿(およよ)の後に従う。彼女たちも大人に混じって、全行程およそ8キロを歩く。



騎女(むなのりおんな) 騎馬で参向する斎王付きの巫子(みかんこ)。袙(あこめ)の上に汗衫(かざみ)という腋を縫いつけていない独特の上衣をつける。袴の裾は足首で絞る。こんな従者がいるとはつゆ知らず、びっくりした。唐代の騎馬女俑みたいだ。



内侍(ないし) 命婦とよく似ているが、こちらは唐風に髪を上げている。上衣も丈が短め(腰でたくしあげている様子がない)ので、唐衣かと思われる。



采女(うねめ) 古代の神事服を着る。青海波の文様の表衣の上から小忌衣をつける。髪を上げ、斎王と同様、白い日蔭絲(ひかげのいと)を垂らす。



(5/18記)→近衛使代編(男性装束)

※参考:「装束の知識と着方」
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特別な週末・葵祭2010〈近衛使代列〉

2010-05-16 23:58:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
次回観覧のためのメモ。

乗尻(のりじり) 左方は赤闕腋(けってき)の袍に萌黄色の指貫、赤の裲襠(りょうとう)をはおり、銀造りの虎の尻鞘の太太刀。右方は葡萄(えび)色闕腋に紺の裲襠、金造りの豹の尻鞘の太太刀…とパンフレットに説明されているが、ちょっと実際と異なるように思う。左右×3人ずつ。



検非違使志(けびいしのさかん) 六位。巻纓冠・老懸(おいかけ)。縹色(※濃藍)闕腋、青朽葉色の半臂と裾、紅の単、赤大口に白無地表袴、黒鞘銀造りの野太刀、紺の平緒、靴の沓(かのくつ=正確な字は革偏に華、足首までのショートブーツみたい)。背中の狩胡簶(かりやなぐい)が、いかにも武官らしい。



検非違使尉(けびいしのじょう) 五位。巻纓冠だが老懸は付けない。朱紱(しゅふつ)色(※黄味がかった朱)の縫脇袍。沃懸地(いかけじ)銀造りの野太刀。弓矢は調度掛(ちょうどかけ)に持たせる。靴の沓(かのくつ)。馬の三懸(さんがい)は辻総、手綱とともに朱紱色。表腹帯は紺地金。武官も高官だと文官と見分けがつきにくい。



鉾持(ほこもち) 検非違使庁の役人。「放免」のことらしい。下賀茂神社で買ったパンフレットには「立烏帽子に摺染格子縞の水干」とあるので、左はそれと分かるが、右もそうか? 「よじれた長い木の柄に古風な鉾をつけ菖蒲革で包んだのを持っている」というのは、あまり当たっていないが…。網野善彦氏に「放免」の派手な衣裳を論じた文章があったことを思い出す。もうちょっと恰幅がよくてコワモテのお兄さんに演じてほしい。

 

山城使(やましろのつかい) 山城国介。五位文官。垂纓繁文の冠。緋色の縫脇袍、六尺の裾(※長い)。石帯に木地螺鈿の細太刀。馬の鞍と鐙は梨子地蒔絵、緋色の厚総、熊皮の泥障(あおり)、手綱は樗緂絹(あうちだんのぬの=白と紫青色のだんだら染め)、表腹帯は赤地錦。



内蔵寮史生(くらりょうのししょう) 賀茂両社に納める御幣物(ごへいもつ)を入れた櫃の後につき従う。七位文官。両社にひとりずつ参向する。垂纓冠、縹色の縫脇袍、二藍色の裾、大帷子、石帯。



馬寮使(めりょうのつかい) 左右馬寮から献上する御馬(走馬)に従う。六位武官、左馬允(さまのじょう)。巻纓冠、縹色の闕腋纔着(さいじゃく)、藍色半臂、藍色大帷子。黒漆銀造りの野太刀に水豹の尻鞘。鷲羽の平胡簶(ひらやなぐい)を負い(これが目立つ)、紺地の靴の沓(かのくつ)。



舞人(まいびと) 近衛府五位の武官。牛車の後、勅使の前に6人が騎馬で従う。巻纓冠、老懸、緋色無地の闕腋、縹色の下襲(したがさね)、白平絹箔押摺袴(はくおしすりはかま)というのは、右脚がちらりと見えているように文様を摺ったもののことか。黒漆銀造りの剣(太刀に非ず)、糸鞋(しかい)を穿く(舞楽の舞人が履く、足にぴたっとしたズックみたいな白靴か)。馬は蒔絵鞍に緋の三懸、小総あり、切付は虎皮、泥障は熊皮、手綱は紺緂布(こんだんのぬの)。



陪従(べいじゅう) 近衛府五位の武官で雅楽を奏する。計7人。巻纓冠、濃い葡萄(えび)色の闕腋に蛮絵模様が入っている(胸と袖)。紫末濃(色づかいがグラデーションになっている)の指貫を穿き、剣を帯び、馬は黒漆巻絵の倭鞍、手綱は紺淡[緂カ]布。



近衛使代(このえつかいだい) 四位近衛中将。行列の最高位。束帯姿、黒色の闕腋。右腰に銀装の魚袋を下げる。金色飾太刀。馬は唐鞍で飾馬(かざりうま)ともいい、顔面をかぶらせ、輪鐙を用い、尾袋をつけて唐尾に結ぶ。とにかくこの馬が目立つ。近衛使代は、せめて壮年の男子に演じてほしい。光源氏を彷彿とさせてくれないと…。



??? 近衛使列(本列)のあとに、風流傘が続き、さらに女官を中心とした斎王代列が続く。この近衛使列と斎王代列の間に、一見して分かる特異な馬に乗った人物がいた。パンフレットには乗っていないが、上賀茂神社の神職の方ではなかったかと思う(間違ったらごめんなさい)。



参考:賀茂御祖神社「葵祭」パンフレット(1/17記)
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特別な週末・葵祭2010

2010-05-15 23:26:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
葵祭を見てきた。高校生のとき、古文の先生が「一度は見に行くといいですよ」と言っていたのを聞いてから、いったい何十年経っているだろう。毎年5月15日と決まっているので、土日にかかるとは限らず、なかなか行きにくかったのである。

朝、行列出発(10:30)の約1時間前に御所到着。すでに正面の建礼門周辺は十重二十重の人だかりだったが、人の少ない西南の角に陣取る。やがて、10時過ぎになると、西側の宜秋門から馬や人が出てくる。御所の南側に出てからが「本番」らしく、この角を曲がるまでは、なんとなく楽屋裏の雰囲気。行列の間合いを計りながら待機している。



歩きぶりも三々五々。



角を曲がるときちんとした隊列になる。およそ800メートルに及ぶという。



最後尾が出発したのは11時過ぎ。日程表によれば、11:15には出町橋に達しているはずなので、慌てて御所の北辺に当たる今出川通を西に進む。既に出町橋のあたりは人でいっぱい。河原町通を進んでくる行列の先頭が見える。先回りして、下賀茂神社の境内に迷い込んだものの、どこを行列が通るのか分からず、森の中(馬場道)をうろうろしていると、一段高い参道をしずしずと進んでいく行列が見え始めた。



やがて行列は鳥居の中に吸い込まれてしまったが、「社頭の儀」は有料観覧席でないと見ることができない。そこで、いったん境内の外に出て、出町柳で慌ただしい昼食。バスで上賀茂神社に先回りしようかとも思ったが、このあと13:15から始まる「走馬(そうめ)の儀」が気になって、再び下鴨神社に戻る。長い馬場を5頭の馬×3回、走らせる儀式。御所を出発する際は、白丁姿で馬を牽いていた人たちが、乗り手になる(彼らがほんとの主役なのね)。直線コースを走りながら、四方を鎮めるように、鞭を前後左右に大きくまわし、ほとんど後ろ向きになりながら、駆け抜けていく。終了後、褒美の絹が下され、騎手は馬上から鞭でその絹を受け取って肩に掛け、弓を引くようなポーズで礼を返す。絹の色は、上位から順に、緑・黄・赤・白・紫だったかな?



走馬の儀が終わると、行列はすぐに出発。私は、北大路橋で交通規制に捕まりかけるが、なんとかこれをかいくぐって、賀茂川堤へ。道路幅が狭いので、行列が間近に見られて嬉しい。行列のスピードは、いっこうに落ちない。みんな健脚だなあ。



行列には牛車が2台加わっている。斎王代と勅使のもの。ただし、斎王代は輿に、勅使は馬に乗るので、牛車には誰も乗っていない。行列を華やかにするために引き出されるもの。



…とは聞いていたのだが、牛車の御簾の陰に「一番搾り」の箱が。(すいません、あんまり可笑しかったので写真に撮ってしまった)



予定どおり、15:30頃、上賀茂神社に到着。ここは参道の左右に有料観覧席が広く取ってあるので、一般の見物客からは、あまり様子がよく見えない。勅使など重要な役どころを除いては、二の鳥居に到着すると、お役目終了らしい。烏帽子を取って(こらこら)煽いでいる若者が何人かいた。鳥居の内側で行われる儀式の終了を待つこと小1時間。再び執り行われる走馬の儀のため、勅使たちが砂利の参道(馬場)に面した馬場殿に着座する。



はじめに左右馬寮からの献上馬2頭が走り(勅使、山城使はこれで退席)、引き続き、賀茂の馬6頭が走る。一の鳥居から二の鳥居(社殿)に向けて、猛スピード。モタモタしているとカメラのシャッターが間に合わない。止まり切れずに社殿に突っ込むんじゃないかと思うような勢い。



全て終了したのが18:00くらい。結局、朝からひたすら行列を追いかけた1日だったが、全然飽きなかった(5/16記)。
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歳月の肌ざわり/隠れた仏たち(井上博道)

2010-05-12 23:45:31 | 読んだもの(書籍)
○井上博道写真、松本包夫解説、高岡一弥アートディレクション・編集『隠れた仏たち』 ピエ・ブックス 2010.3

 これはいい本。仏像好きなら間違いなく手元に置きたくなる1冊である。冒頭には司馬遼太郎氏の序文。撮影者と産経新聞大阪本社で一緒に仕事をした縁があるらしい。全部で45カ所の寺(全て関西圏)の仏像について、1~数点の白黒写真と、撮影者自ら、短いエッセイふうの解説を付けている。司馬遼太郎氏は、本書の写真の魅力を「独特の粘液的な膚質」「画面の密度」「仏像が闇の中からはっきりと動いてくる」などの言葉で語っており、確かにそんなふうに感じるところがあるのだが、それが撮影者の技術によるのか、仏像自体に宿る「魔(デーモン)」の力なのかは、私にはよく分からない。

 井上博道氏の写真は、つるつるの美仏よりも、歳月を重ね、朽ちかけた木肌に迫るときの方が冴えるような気がする。たとえば、奈良・金勝寺の薬師如来の無残にひび割れた顔貌に、なぜか私はみとれる。京都・福知山の威徳寺の幾十とも知れない破損仏群にも、兵庫・達身寺の、樹木の本性に立ち返ろうとするように木目の浮き上がった像群にも、息のつまるような、恐ろしい魅力がある。写真の存在感があんまり強烈なので、通勤電車の中で読むには、女性のヌード写真を広げるくらいの勇気が要る。

 文章はきわめて平易、つねに冷静である。「高い肉髻、大粒の螺髪、面長の顔に鋭い目、太い三道と怒り肩、すべて平安初期の特徴たらざるはないが、とくに眼をひくのは、抜き衣紋気味の衿の稜線の鋭さである」「腹部の裳の波行式折返りは珍しい形式であり、それも含めていわゆる貞観時代も遅いころのローカル作と思考される」という具合で、写真では伝えきれない像容を的確に描写してくれているのが嬉しい。ときに仏師や施主の人柄に思いを馳せてみるくらいで、余計な話題、奇をてらった描写が一切ないのも好ましい。

 全て、2~3ページの文章が先にあり、その次に写真があるので、はじめは文を読みながら、どんな仏像かを想像していたが、数行読み始めると我慢ができなくなって「答え」を覗いてばかりいた。「答え」は文章から受ける印象と一致することもあれば、全く一致しないこともあって、面白かった。

 なお、本書は1981年に学生社から刊行された同名の書籍に、新稿を加え、再編集したものだという。ピエ・ブックスのサイトに「持ち運びやすいサイズで復刊しました」とあるから、原本は大型本だったのかな。Good Jobだと思う。次から次へ新刊を出すばかりが出版社の役割ではない。

 新稿というのは、巻末の井上博道氏の一文で、30年前に撮影した福知山の威徳寺を再訪した顛末が書かれていた。お堂の管理をしている区長さんを訊ねてみると、たしかにお堂の鍵は持っているが「今は福知山市文化財保護課の許可がないと絶対に開けることができず」本当に申し訳ない、と言われて、拝観を断念したという。文化財の保存のためには、管理が徹底するのはいいことだが、何だかせちがらくて、悲しい気もした。

写真家・井上博道(はくどう)プロフィール
東大寺前でクラフト雑貨&カフェもやってるんですね。
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女子的ひとり歩き/大阪のぞき(木村衣有子)

2010-05-11 21:57:20 | 読んだもの(書籍)
○木村衣有子『大阪のぞき』 京阪神エルマガジン社 2010.4

 新宿の某書店で「ありそうでなかった、女子向け大阪案内」というポップにつられて買ってしまった。京阪神エルマガジン社の雑誌「Meets Regional(ミーツ)」に始まり、ウェブ版「大阪のぞき」に連載されていた記事を加筆修正したものだ。観光地、喫茶店、飲食店など、大きな写真(人は写さないところがミソ)に短いエッセイがついている。

 私は、京都・奈良なら地図なしでも歩けるが、大阪はほとんど知らない。この連休、西国巡礼の総仕上げで初めて大阪に連泊し、西へ東へ動き回ったが、携帯の乗り換え情報どおりに目的地に直行することしかできなかった。けれども、ときどき出会う「東京にはない風景」が新鮮で楽しかった。たとえば、喫茶店(チェーン店でない)で、おじさんがひとりで甘いもの(あんみつとかワッフル)を食べている姿とか…。本書の著者も「東女」(栃木県生まれ、現・東京暮らし)なので、大阪人とは別の視点で見た大阪の風景、というところが、私の好みに合ったのかもしれない。

 この間の旅行で、ニアミスしていた物件もある。万博記念公園の太陽の塔(モノレールから見た)。中之島の難波橋(渡ったはずだが…ライオンいたっけな)。阪神スナックパーク(梅田)のいかやき。次の機会には、少し足を延ばしても、見に(食べに)行きたいと思ったもの。まず、本家小嶋の芥子餅。実は、中村不折の原画による包み紙の写真(利休像)が気に入って、本書を買ってしまったのである。ニッキの餅も美味しいとか。それから、黒船のカステラ。これは東京でも買えそうだ。秋鹿酒造のワンカップ(通称・バンビカップ)を買うのは、ちょっと勇気がいるが、このカップは欲しい! 喫茶店なら丸福珈琲店

 そうだ、日本工芸館もサントリーミュージアム天保山も行ってみなくちゃ。でも、その前にヴォーリズ建築の大丸心斎橋店へ。「コテコテ」だけが大阪ではなくて、この街は、のんびり、品よくレトロモダンな表情も持っている。
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答えはないが、希望はある/〈私〉時代のデモクラシー(宇野重規)

2010-05-10 21:51:10 | 読んだもの(書籍)
○宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書) 岩波書店 2010.4

 著者が「あとがき」で「それにしても、我ながら不思議な本ができあがりました」と述べているのを読んで、笑ってしまった。ほんとに。表題を見たときは、てっきりガチガチの現代政治論だと思った。ところが、なかなかそうならない。

 冒頭から三分の一くらいまでは、むしろ社会学的な考察である。キーワードは新しい個人主義と、平等意識の変容。現代における平等は「みんな同じ」では駄目で、誰もが「オンリーワン」として認められたいと願っている。しかし「誰もがオンリーワン」であることは、逆に、自分が「大勢の中のひとり」に過ぎないという独特の無力感を生み出している。要約してしまえばそういうことだが、かつて不平等感の緩和に寄与していた「代理としての子ども」という発想とか、現代人を取り囲む「オーディット(説明責任)文化=商品としての自己を、つねに点検・評価にさらし、その価値を他者に説明する義務があると考える傾向」とか、短期的適応だけが重視される「ノー・ロングターム」社会、長い時間をかけて陶冶すべき「人格」の喪失、予測可能な未来だけを想定する「前のめりの姿勢」など、多様な論者を参照し、周到な考察が展開されている。

 「オンリーワン」主義の台頭の結果、不平等を始めとする社会問題は、あたかもパーソナルな問題として現れることになり、「民意」を想定することが困難になり、政治の機能不全が進行している。ここで面白かったのは、「ネイション」に報われないと感じている人々が、「憂慮する(不当に厚遇されている人々を監視し、弾劾する)」ことを通じて「ネイション」に結びつこうとしているとの指摘。それから、グローバル社会において国家は国民を必要とせず、自国が魅力的な投資先であることをアピールする「美観の管理人」になる、というのも、当たり過ぎていて感心してしまった。誰かさんの『美しい国』って、そういうことか。

 信仰や伝統を失った現代人に「位置と役割を与えてくれるもの」は、社会しかない。われわれは、社会に認められる(リスペクトされる)ことによってのみ、生きる意味を見出し、社会(他者)を大切に扱うことができる。だから、われわれは、社会を護る国家を作っていかなければならない。だが、どうやって? ここまで、全面的に同意しながら読んできた私は、最後に著者が用意した答えが、権力の不在に耐え、異質なものと不断の議論を続け、自己批判能力を高めていくべきだという、取ってつけたような結論だったので、コントのようにがっくりきてしまった。しかし、ここで怒り出す読者は、何でも答えが手に入ると考えたがる、その悪癖を反省する必要がある。本当は、読書において結論なんてどうでもよくて、結論に至るまでを、著者と一緒に考える体験が大切なのだと思う。

 社会が人々に与えてくれるもの。著者はこれをさまざまに言い換えていて、そのひとつに、オーストラリアの人類学者ガッサン・ハージを引いて、社会とは希望を分配するメカニズムである旨を語っている。私はこれを読んで、東大の社会科学研究所が主宰する「希望学プロジェクト」を即座に思い出した(あとで著者紹介を読んで、著者が同研究所のメンバーであると知った)。ずっと、胡散臭いプロジェクト名だと思っていたが、何を目指しているのか、少し分かったような気がした。
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古代人の快適生活/ポンペイ展(横浜美術館)

2010-05-09 16:33:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
横浜美術館 『ポンペイ展:世界遺産 古代ローマ文明の奇跡』(2010年3月20日~6月13日)

 ゴールデンウィーク最後の日曜日。連休中は、ずっと日本美術を追いかけていたので、最後に気分を変えて、西欧文明の源流に接してみることにした。

 イタリア南部のヴェスヴィオ山が噴火したのは西暦79年のこと。およそ1万2千人が暮らしていたというポンペイの町は、一昼夜にして火山灰の下に埋没した。思えば、阪神淡路大震災以上の大惨事だったわけだが、私が「ポンペイ」と聞いて、最初に思い浮ぶのは、「永遠の春」のような、優雅で洗練された壁画やタイル画の数々である。

 その先入観を裏切って、会場の冒頭でどきりとさせられるのは『噴火犠牲者の型取り』。2002年に発見された人骨を掘り出した跡に樹脂を流し込んで型取りしたものだという。うつぶせにされた背中、折り曲げた脚などが、犠牲者の苦痛を感じさせて、ちょっと粛然とする。しかし、それも暫時のこと。芸術性の高い彫刻やフレスコ画を見ていると、古代都市の華やかな日常生活の情景が広がり、悲劇のことは、あっという間に忘れてしまう。

 私は、ポンペイといえば優美=軟弱貴族のイメージしかなかったので、剣闘士の兜や脛当のゴツい美しさには目を見張った。年の初めに吉祥を願って剣闘士の小像をやりとりしたというのも面白い風習である。こういう尚武の気風は、儒教文化圏にはないねえ。

 また、邸宅にはララリウムという祭壇があって、本来は家の守り神ラルを祀るものだったが、他にもユピテル、ミネルヴァなど、さまざまな神の小像(10~20センチくらい)が飾られた。日本みたいな多神教風土だったんだなあ、と思う。

 何にもまして驚いたのは、高温浴室のセット。大理石の浴槽はともかく、青銅器製の筒状の風呂釜から、蛇口のついた給水管が何本も伸びている。すごい! 昭和の風呂釜と変わらないんじゃないか…いや、床暖房機能も加味されていたりして、もっと高度かもしれない。ほかにも、燭台が伸縮式だったり、盤を乗せる三脚が折りたたみ式だったり、単なる優美な貴族趣味ではなくて、「生活の快適」を求める工夫がそこここに感じられ、実学重視のローマ文明をちょっと見直した。もっとも、ヤマネ(食用)の飼育壺には笑った。食べるんかい!

 なお、本展は、ナポリ国立考古学博物館の協力に加えて、「京都の古代学研究所(当時)によるポンペイ発掘調査」の成果(上述の犠牲者型取りなど)が併せて紹介されている。「古代学研究所」というのは、(財)古代学協会が運営(設置)していたものらしい。同協会のホームページに簡単な紹介(研究活動)があるが、「昨今の厳しい社会情勢の荒波」にもまれて苦悩している様子も見受けられる。本展の収入が、研究継続の足しになるといいのだけど…。
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国宝燕子花図屏風(根津美術館)+絵画の美(五島美術館)ほか

2010-05-08 19:17:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
※連休前に行った展覧会から、記憶をたどりつつ。

根津美術館 新創記念特別展 第5部『国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開』(2010年4月24日~5月23日)

 数ある根津美術館の優品の中でも、多分いちばん人気が高いのはこれだと思う(直感で)。個人的にはそれほど好みでないが、ほかの作品に期待して見に行った。展示室1は、金地に繊細な草花を描いた、琳派らしい屏風から始まり、奥に進むと、真打ち『燕子花図屏風』の登場。うーん、きれいだ。暗い室内に浮かび上がる展示窓の幅と高さが、舞台装置としてぴったり。もしや新しい根津美術館って、この『燕子花図屏風』をいちばん美しく見せるために設計されたんじゃない?と思った。

 でも私の好みは、大胆な空間構成の『桜下蹴鞠図屏風』。右隻は、直立する4本の桜木がリズミカルな躍動感を作り出す。左隻は、斜めの塀が画面を分断し、左端の大部分を池の青色が占める。完全な左右非対称のようで、不思議な安定感がある。着物の柄みたいだ。解説によれば、宗達工房の制作。光琳は『白楽天図屏風』が好きだな。

 仁清の『色絵山寺図茶壷』は初見だろうか。『吉野山図茶壺』や『芥子文茶壺』に比べると、やや小ぶり。金色で表現されているのは霞なのかもしれないが、ちょうど照明が当たって、燃え立つ夕映えのように見えた。

五島美術館 開館50周年記念名品展I『絵画の美-絵巻・水墨画・琳派』(2010年4月3日~5月9日)

 「絵巻・水墨画・琳派」とは、ずいぶん欲張った展示だが、私がいちばん惹かれたのは歌仙絵だった。最も古い13世紀の作、上畳本「紀貫之像」と佐竹本「清原元輔像」は、理想化された歌仙像で、あまり面白くない(貫之、こんなに威風堂々としているか?)。よかったのは後鳥羽院本三十六歌仙絵の「平兼盛像」と「平仲文像」。

 前者は、沈倫を嘆く歌の多い兼盛にふさわしく、肩を丸めてうつむき加減。後者は、完全に尻をこちらに向けて横顔を見せ、つんとした鼻筋が、やや癇の強そうな美形である(※これ、五島美術館のサイトで画像を確認すると、確かに「平仲文像」と原本に書かれているが、一般に「三十六歌仙」に入るのは藤原仲文らしいのだが…好きな作品なので、疑問を呈しておく)。

 源氏物語絵巻「鈴虫一」「鈴虫二」は、加藤純子氏による復元模写と比較できるのが面白かった。この場面では、男性貴族の装束は黒ではなくて、むしろ青なのね。ちょっと意外。

東京国立博物館 特集陳列『平成22年度新指定国宝・重要文化財』(2010年4月27日~2010年5月9日)

 『細川家の至宝』を見に行ったついでに、そうだ、これも見なければ、と思って寄った。展示室に入って最初に目に飛び込んできたのは、浅黄色の空にピンク色の山容がそびえ立つ『浅間山図』。おお、亜欧堂田善の!と嬉しくなる。

 いちばん面白かったのは『伊能忠敬関係資料』(重要文化財→国宝へ)。大きな地図2枚が目を引くが、「自深川黒江町至浅草司天台実測図」は、自宅から職場までを測量し、横長に綴じた方眼紙に記録したもの。「測量日記」はB6版くらいの小さなノートで板心に「楽天楼」とある。「ラランデ暦書管見」は高橋至時が抄訳したものだというが、誰の字なんだろう?

 文書だけでなく、測量器具も一括指定を受けていて、ちょうど読んでいた『天地明察』にも出てきた「彎窠羅鍼(わんからしん)」(杖先に装着する方位磁石)や、作図に使用するらしい、小さな星形のハンコには嬉しくなった。

 このほか、日明貿易の資料、八瀬童子関係資料など、今回は歴史資料が多い。大正時代の映画フィルム「史劇楠公訣別」は、ドラマとともに製作の様子が記録されている珍しいものだった。
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西国札所満願の旅:補遺いろいろ

2010-05-07 21:43:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立東洋陶磁美術館 企画展『高麗時代の水注』(2010年4月10日~7月25日)

 2日目、勝尾寺で満願のあと、少し時間があったので寄った。「高麗時代の水注(水差し)」だけで30点、企画展示ができてしまうというコレクションの厚みがすごい。しかも優品揃い。「水注」って「水滴」のような小品を想像していたら、500~1000ミリリットルは入るだろうか、いずれも大ぶり。小玉スイカのように丸々として、でも注ぎ口は思い切って細いところが、貴族的な「美学」を感じさせた。

■六道珍皇寺 春の特別寺宝展『地獄絵に見る道教の神々』(2010年4月29日~5月9日)

 3日目、智積院のあと、駄目もとで行ってみたら、やっぱり駄目で門が閉まっていた。翌日、奈良博から京都に戻って再チャレンジ。昨年、『道教の美術』で珍皇寺が道教に関する絵画を持っていることを知り、印象深かったので、どうしてもまた見たかったのである。「小野篁」のご朱印をいただきながら「どうしてお持ちなんですか?」と聞いてみたら「檀家さんなどから集まってくるんですよ」とおっしゃっていた。このお寺、好きなんだけど、シルバーガイドさんの話が長いんだよなあ…。

■京都春季非公開文化財特別公開:大統院

 建仁寺の塔頭。京焼初の磁器焼成に成功した奥田頴川(えいせん)の「赤絵十二支四神鏡文皿」が(唯一の)見どころ。ちょっと寂しかった。

↓最後に、近鉄京都駅構内のカフェ「チャオ・プレッソ」で見つけた「せんとくんアイスカフェラテ」。近鉄奈良駅にもあり。

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吉備大臣の帰還/大遣唐使展(奈良国立博物館)

2010-05-05 21:04:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 平城遷都1300年記念『大遣唐使展』(2010年4月3日~6月20日)

 連休最終日は、迷った末に奈良へ。3日前(5/2)の夕方、ちらっと奈良市内に寄ったとき、あまりの人出に辟易して、ずいぶん迷ったのである。しかし、覚悟を決めて早起きし、9時より前に奈良博に到着した。『大遣唐使展』は本館で行われてる由を聞いていたので、本館に並ぶのかと思ったら、行列はいつもの東新館にできていて、ちょっと慌てた。入場券を持っている人と持ってない人は別に並ぶので、私は前者の4人目を確保。9時半の開館までに並んでいたのは、あわせて100人くらいだったろうか。例年の正倉院展に比べれば、ものの数ではない。よかった。

 この展示で、私の「見たいもの」はただひとつだったので、入館するとすぐ、2階ロビーの会場図で『吉備大臣入唐絵巻』の所在を確認。すると、予想に反して東新館の第1会場に展示されている。慌てて、第1会場を出口の側から逆まわりして、絵巻の展示ケースに張り付く。ああ、とうとう! 10年来?20年来の念願がかなった瞬間である。元来、1巻本で伝来したこの絵巻は、4巻本に改装されており、今回は第1巻と第4巻が「里帰り」している。

 第1巻は、まさに唐の港に到着した遣唐使船を、緊迫した雰囲気で待ち受ける唐人たちの場面。船上の吉備真備の姿は、画面の損傷でほとんど見えない、と思っていたが、現物を見ると、なんとか顔立ち(表情)が分かる気がする。唐の宮廷に急を告げに走る官人たちの装束が美しく、2匹の馬の鞍が虎皮(縞模様)と豹皮(斑模様)であるなんて、細かいことにも気づいてしまう。

 第4巻は物語の最終局面で、高楼に続いて、囲碁をうつ真備。これは表情がはっきり見える。きらびやかな装束の唐人たちの間にあって、黒装束の真備は逆目立ちする。続いて、その黒い束帯を脱がされ、しどけない下着姿で悠然とたたずむ真備と、地面の排泄物を覗き込む唐の官人たちのユーモラスな場面。下剤が入っていたのであろう、細首の水瓶と耳(花弁みたいな膨らみ)付きの酒器が、さりげなく唐ふう。あ~いいなあ。開館から10分くらいは絵巻をひとり占めだったが、次第に周囲に人が増えてきたので、名残り惜しい展示ケースを離れ、あらためて冒頭から展示を見ていくことにする。

 冒頭には、中国で見つかった和同開珎1枚と、法隆寺献納宝物の香木でソグド文字の焼印、パフラヴィー文字の刻印があるものを展示。これらは東西交流の確固たる証拠であるわけで、少し想像力を働かせれば、ため息の出る逸品である。しかし、見た目が地味なので、観客はあまり滞留せず、次の観音菩薩像2体の対比展示に流れる。続いて、井真成墓誌も、中国から久しぶりの里帰り。なるほど、冒頭から「目玉」展示品が目白押しで、これは『吉備大臣入唐絵巻』まで、なかなか人が流れてこないはずである。

 こんなものまで持って来たか!と興奮したのは、陝西省考古研究院所蔵の『仕女図』と『仕女調鳥図』。もとは墳墓の壁画。奈良博の『刺繍釈迦如来説法図』は、これだけ奈良に通っているのに初見かもしれない。正倉院の時代を、正倉院宝物でなく、類似の工芸品(白鶴美術館って、いいもの持っているんだなー)で見せる構成も面白かった。

 もともと古代史好きなので、時代を細かく区切った解説プレートを、じっくり読み込んでしまう。人名も地名も、ひたすらに慕わしい。白村江(はくすきのえ)、行ったなあ。ほかにも「南詔」や「渤海」の文字を見ると、雲南省の南詔徳化碑、黒龍江省の上京龍泉府址など、一度きりの旅の記憶がよみがえる。

 『大遣唐使展』と言いながら、日本-中国の二国間関係だけではなくて、朝鮮半島の果たした大きな役割はもちろん、大唐帝国の周縁国家にも広く目配りがされていて楽しかった。そのへんが「大」遣唐使展なのかもしれない。もしかすると。

↓レストランの期間限定メニュー「真備炒飯セット」。
濃いめの味付けが美味。定番メニューに加えてほしい。


公式サイト(こういうのは凝らなくていいのに…)(5/7記)
コメント (4)
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