見もの・読みもの日記

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答えはないが、希望はある/〈私〉時代のデモクラシー(宇野重規)

2010-05-10 21:51:10 | 読んだもの(書籍)
○宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書) 岩波書店 2010.4

 著者が「あとがき」で「それにしても、我ながら不思議な本ができあがりました」と述べているのを読んで、笑ってしまった。ほんとに。表題を見たときは、てっきりガチガチの現代政治論だと思った。ところが、なかなかそうならない。

 冒頭から三分の一くらいまでは、むしろ社会学的な考察である。キーワードは新しい個人主義と、平等意識の変容。現代における平等は「みんな同じ」では駄目で、誰もが「オンリーワン」として認められたいと願っている。しかし「誰もがオンリーワン」であることは、逆に、自分が「大勢の中のひとり」に過ぎないという独特の無力感を生み出している。要約してしまえばそういうことだが、かつて不平等感の緩和に寄与していた「代理としての子ども」という発想とか、現代人を取り囲む「オーディット(説明責任)文化=商品としての自己を、つねに点検・評価にさらし、その価値を他者に説明する義務があると考える傾向」とか、短期的適応だけが重視される「ノー・ロングターム」社会、長い時間をかけて陶冶すべき「人格」の喪失、予測可能な未来だけを想定する「前のめりの姿勢」など、多様な論者を参照し、周到な考察が展開されている。

 「オンリーワン」主義の台頭の結果、不平等を始めとする社会問題は、あたかもパーソナルな問題として現れることになり、「民意」を想定することが困難になり、政治の機能不全が進行している。ここで面白かったのは、「ネイション」に報われないと感じている人々が、「憂慮する(不当に厚遇されている人々を監視し、弾劾する)」ことを通じて「ネイション」に結びつこうとしているとの指摘。それから、グローバル社会において国家は国民を必要とせず、自国が魅力的な投資先であることをアピールする「美観の管理人」になる、というのも、当たり過ぎていて感心してしまった。誰かさんの『美しい国』って、そういうことか。

 信仰や伝統を失った現代人に「位置と役割を与えてくれるもの」は、社会しかない。われわれは、社会に認められる(リスペクトされる)ことによってのみ、生きる意味を見出し、社会(他者)を大切に扱うことができる。だから、われわれは、社会を護る国家を作っていかなければならない。だが、どうやって? ここまで、全面的に同意しながら読んできた私は、最後に著者が用意した答えが、権力の不在に耐え、異質なものと不断の議論を続け、自己批判能力を高めていくべきだという、取ってつけたような結論だったので、コントのようにがっくりきてしまった。しかし、ここで怒り出す読者は、何でも答えが手に入ると考えたがる、その悪癖を反省する必要がある。本当は、読書において結論なんてどうでもよくて、結論に至るまでを、著者と一緒に考える体験が大切なのだと思う。

 社会が人々に与えてくれるもの。著者はこれをさまざまに言い換えていて、そのひとつに、オーストラリアの人類学者ガッサン・ハージを引いて、社会とは希望を分配するメカニズムである旨を語っている。私はこれを読んで、東大の社会科学研究所が主宰する「希望学プロジェクト」を即座に思い出した(あとで著者紹介を読んで、著者が同研究所のメンバーであると知った)。ずっと、胡散臭いプロジェクト名だと思っていたが、何を目指しているのか、少し分かったような気がした。

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