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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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京都文化財特別公開(等伯の襖絵を中心に)

2010-05-04 21:52:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都古文化保存協会 平成22年度京都春季非公開文化財特別公開(2010年4月24日~5月9日)

 西国三十三所満願を達成した翌日は京都へ。京博の『長谷川等伯』展も気になるが、これは東博バージョンを見ているので、あえて割愛。むしろ展覧会には出なかった等伯作品を訪ねて歩くことにする。

・妙心寺隣華院:客殿の中心となる「室中」に長谷川等伯が描いた20面の山水図襖あり。「松林図」から10年後の作で、向かって左の隅に小さな松林が見られる。右側の4面は残念ながら京博に出品中。正面中央の2面は奥の本尊が見えるように開放されていたが、本当はそこにも襖がはまるらしい。部屋の広さは4間×4間(32畳くらい?)。開放的な空間で見渡す山水図は、展示ケースの「作品」をガラスににじり寄って眺めるのとは、ずいぶん趣きが違うと思った。

・大徳寺本坊:聚楽第遺構の唐門が見もの。客殿の各部屋の天井には、大分くたびれてはいたが、ガラス玉を編みあげた瑠璃天蓋が下がっていた。探幽筆の「猿引図」は「実は複製です」と小声で教えてもらった。

・大徳寺真珠庵:狭い入口を入るとき、いきなり原在中の鶴図の襖絵がむき出しで置いてあって驚く(江戸ものは軽んじられているなあ)。曾我蛇足の襖絵が多く残る。等伯の「商山四皓図」は、古代中国の4人の隠士を描いたもの。長方形の部屋で、対角線上に向き合う襖に2人ずつを描く構成だが、片面(2人分)は京博に出品中だった。

・大徳寺玉林院:安信、常信など狩野派の襖絵多し。

・南禅寺天授庵:「商山四晧図」「禅宗祖師図図」「松鶴図」など等伯晩年の名品を有し、ファンなら絶対に見逃せない寺院。ただし、現在は一部が京博出品中で歯抜け状態なのと、全て収蔵庫に移築されていて、描かれた当時の姿を想像しづらいのが難点。

・智積院:収蔵庫の等伯作品は何度も見に行っているのだが、京博出品中の「楓図」「松に秋草図」に代わって、未見の「十六羅漢図」屏風という作品が出ているというので見に行った。これ、大好きだ~! 全体に脱力感のただよう、ゆるい構成。弁当箱のような容器を提げ、高く足を上げて渓流を渡ろうとする異形の従者も、微妙にアイコンタクトする象と獅子も、みんな可愛い。「松林図」の気取った等伯より、こっちのほうが何十倍も好き。

 この日は6ヵ所を拝観。充実感はあったが、1ヵ所800円は安くない出費…文化財拝観の「大人買い」というところだ。何か割引料金を設けてくれないかなあ(5/6-7記)。
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西国三十三所とりあえず満願の旅

2010-05-03 21:48:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
 2008年秋に始まった「西国三十三所結縁ご開帳」も足掛け3年、今月末をもって終了する。私も、いよいよ満願成就に向けてラストスパートの巡礼旅に出かけた。

■西国番外 華頂山元慶寺(がんけいじ)(京都市山科区)

 5月2日朝、新幹線で京都入り。地下鉄・御陵駅から住宅地と畑が入り混じる細道をのんびり歩いていく。やがて突き当たった、車の流れの激しい通りが、実は三条通。そこから少し引っ込んだところに元慶寺がある。住職さんの丹精か、牡丹や藤が花盛り。花山法皇ゆかりの寺としては、築地塀に常夏(ナデシコ)を植えてほしいな、ぜひ。

■西国第六番 壺阪山南法華寺(壺阪寺)(奈良県高市郡)

 京都から一気に南下して、近鉄吉野線の壺阪駅からバスで山中に入る。広大な敷地には、いかにも「今出来」の堂宇と、巨大な石像群が立ち並び、ちょっと新興宗教のアジトっぽい雰囲気で、たじろぐ。しかし、本堂(八角円堂)に祀られたご本尊、十一面千手観音坐像は、大きく見開いた目が異相ではあるが(眼病平癒の信仰を集めている)、ほどよく古色がついていて、それほど違和感がない。堂内には、姿勢のいい薬師如来像(鎌倉時代)や、宋風のずんぐりした執金剛神像など、けっこう楽しめる仏像が多い。

 初日は2ヵ所拝観で終了。最後に奈良市内に寄り道し、春日大社の「砂ずりの藤」の開花状況を見に行く。が、ちょっと早すぎた様子。というか、木の下の立て札によれば、この数年、年々花房の長さが短くなっているようである。新大阪泊。

■西国第二十四番 紫雲山中山寺(兵庫県宝塚市)

 2日目(5月3日)は、満願を期して、大阪(梅田)を起点にまず西へ。阪急中山駅を下りると、ほぼ目の前が中山寺。傾斜地にはりついた境内には、参拝者に配慮してエスカレターが設置されている。ご本尊の十一面観音は、腰から上はしっかり見える状態で公開されていたが、如何せん、距離が遠い。「優美」と評されるが、近眼の目には、威厳にあふれる古風な御像に思われた。両脇侍も同時代かな? 右手のお厨子には、水瓶をもった観音像。左手には色彩の剥落が激しいが愛染明王がいらっしゃった。

 羅漢堂という別のお堂には、多数の小さな彩色の羅漢像が並ぶ。中央には、大きな宝冠を頂いた宋風の(楊貴妃観音ふうの)観音坐像。現代的な建築意匠(天井に梵字)もよかった。信徒会館では春季宝物展が開かれていたが、10時からというので、未練を残しつつ諦める。もうひとつ、レストラン「梵天」(ゆとりの108席w)の「蓮ご飯」にも後ろ髪を引かれた。

■西国二十二番 補陀洛山総持寺(大阪府茨木市)

 次は、起点の大阪を通り越して東へ向かう。阪急京都線の住宅街の中にあるお寺。ここもあまり期待していなかったのだが、山門の立派な仁王像に感心する。拝観では、お厨子の前まで進んで、小さなご本尊を間近に拝むことができた。下半身がかなり傷んでいるなあと思ったら、諸堂が信長に焼かれたとき(茨木の合戦)、猛火の中で上半身だけは焼けなかったという「火伏せ観音」の伝説を持つそうだ。勇壮な伝説に反して、古拙でかわいらしいお姿である。

 [5/6補足]ご本尊の脇侍が珍しかったので、お寺の方にお聞きしたら、頭上に龍を載せた男性像が善女龍王で、女性的な美形像が雨宝童子だと教えてくれた。「長谷寺式と言うのですよ」とのこと。ただし、大和の長谷寺の両脇侍は、善女龍王でなく難陀龍王(別名なのだそうだ)と雨宝童子と呼ばれている。

■西国二十三番 応頂山勝尾寺(大阪府箕面市)

 続いて、モノレールで大阪市の外周をまわり、北千里からバスでさらに北上、箕面山中の勝尾寺へ。朱塗りの山門をくぐると、涼しげな池に新緑が映えている。ここが私の満願の札所となる。残念なのは、ほかの32ヵ所は全てご本尊のご開帳日にあわせて拝観したのだが、勝尾寺だけはそれが叶わなかったこと。この日も本堂の四方の扉はぴたりと閉ざされ、中ではご祈祷が行われている雰囲気だった。

 とりあえず、50歳の誕生日を目前にして、満願達成。今後とも精進しますので、仏友の皆さん、お導きを(5/5記)。
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専門職という生き方/天地明察(冲方丁)

2010-05-02 23:55:46 | 読んだもの(書籍)
○冲方丁『天地明察』 角川書店 2009.12

 2010年本屋大賞受賞作。ニュースを聞いたときは、え?と耳を疑った。私はあまり小説を読まないほうだが、今、何が売れているかくらいは把握しているつもりだった。ところが、全くノーチェックだった作品が大賞に決まり、その内容が、天文学者・渋川春海を主人公にした時代小説だという。シブい。シブすぎる。一体どうして、そんな設定から、全国の書店員を魅惑する作品が生まれたのか? 読み始めて、謎はすぐに解けた(ような気がした)。

 物語の始まり、渋川春海(別名、二世安井算哲)は、22歳の「まだ何者でもない」青年として現れる。囲碁の家元・安井家に生まれ、御城碁(将軍御前での対局)にも出仕を果たしているが、形式化した上覧碁に飽き、算術や暦術に、ふらふらと定まらない関心を寄せている。気のやさしい春海は、正面切って不満を述べたり、他人に鬱屈をぶつけたりはしない。しかし、胸の底には「退屈でない勝負」への渇望を抱えている。このモラトリアムぶりが、なんとも、いまどきの若者っぽいのである。

 あるとき春海は、渋谷の金王八幡社に捧げられた算額絵馬を媒介に、関孝和という人物を知り、算術勝負を挑むが、答えのない「病題」を出題してしまい、大失敗をする。しかし、天運は彼を見捨てない。老中酒井忠清の命によって、全国を巡る北極(星)出地の観測隊に加えられた春海は、建部昌明、伊藤重孝という二人の老人に出会い、測地・天文の学の奥深さと楽しさを教えられることになる。

 この二人の造型がいい。今の若者が出会いを求めている師匠は、正にこういう人たちなんじゃないかと思う。社会の標準的な評価軸(地位とか収入とか)からは外れたところで、しかし、自分の好きなことに真剣に打ち込み、年齢を度外視して精進を続けている。春海もまた、彼らの生き方に従っていくわけだが、「専門職」という生き方が忘れられて、のっぺりした「キャリア」「リーダー」ばかりが語られる時代だからこそ、本作が新鮮な感動を呼ぶのではないかと思った。あと、この二人が春海の「大失敗」を慈しむ姿勢にもほっとする。

 ただし、その青年期は、職業選択に悩む普通の若者として、読者の共感を呼ぶ描き方をされている春海だが、本当は、とんでもない大天才なのである。その成し遂げたことのすごさは、本作を最後まで読むと理解できる。何と言っても、地球の公転軌道が楕円であり、しかも近日点が移動することを発見する下りは白眉である。他人から聞いたり、本から学ぶ学問ではなくて、数理を究め、計算し尽くすことによって、たった一人で、誰も見たことのない「真理」に達するって、どんな気持ちなんだろう。文系の人間には、生涯分からない感覚だろうなあ…。

 保科正之、水戸光国、山崎闇斎など、登場人物はいずれも魅力的。読後感のさわやかさは、悪人が出てこないせいもあるかもしれない。それから、こんな小説を見出す日本の書店員の眼力にも拍手。
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まだまだ名宝あり/細川家の至宝(東京国立博物館)

2010-05-01 18:11:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-』(2010年4月20日~6月6日)

 旧肥後熊本藩主・細川家の文化財を伝える永青文庫は、私の好きな美術館のひとつだ。神田川沿いから、急な胸突坂を上がった途中にある。『タモリのTOKYO坂道美学入門』によれば、「タモリ倶楽部」のロケで、この坂道を歩きながら「ここ軽井沢は…」という嘘レポートをしたことがあるそうだ。確かに都心のエアポケットに迷い込んだような坂道である。

 永青文庫には何度も通っているので、「至宝」と言っても驚かないぞ、という気持ちで見に行った。しかし、その自信は、第1室で、あっという間に崩れた。甲冑、陣羽織、大馬印、幟、火縄銃など。勇壮、大胆、ときには繊細なデザインに目が釘付けになる。細川家って戦国武将だったんだ、ということを、いまさらのように再認識。明智光秀、織田信長、徳川家康など戦国のビッグネームの書状も、ずらずらと並んでいる。

 豊前小倉、ついで肥後熊本の藩主となってからの細川家には、やや親しみを覚える。今年の冬の展示『細川サイエンス』で覚えた細川重賢(しげかた)の名前にも再会。しかし、重賢が藩政改革のために設けた役所「機密の間」の記録『機密間日記』は初見。全く読めなかったけれど、きっとすごい内容なのだろうと勝手に思った。66冊が現存。このほか、藩校「時習館」の事務記録や学規など、古文書好きには垂涎の展示だった。これらは、現在、熊本大学附属図書館に寄託されているそうで、東京では、なかなか見る機会のなさそうな資料である。

 今回あらたに名前を覚えた藩主に、細川斉茲(ほそかわなりしげ、1787-1810、熊本藩第8代藩主)がいる。中国絵画の収集につとめるなど「絵画史上注目の藩主」なのだそうだ(Wikiにその記述なし)。斉茲が矢野良勝・衛藤良行に作らせた『領内名勝図巻』は、地政学的興味に発した調査報告で、いわゆる「美術史」には位置を与えられないのかもしれないが、「真」に迫ろうとする画技が魅力的である。全15巻のうち14巻が伝わり、全長は400メートルに及ぶそうだ。杉谷行直の『富士登山図巻』も同様に、伝統や流派にとらわれない新しい絵画の誕生を感じさせる。

 このほか、茶道具、能面、白隠と仙涯の書画、刀剣、近代絵画(日本および泰西→安井曽太郎の『承徳の喇嘛廟』を見ることができた!)、仏像(中国、インド)、三彩磁器と、実にバラエティ豊か。細川護立コレクション中、至上の一品というべき『金銀錯狩猟文鏡(きんぎんさくしゅりょうもんきょう) 』も、もちろん出品されている。眼福、眼福。

 しかし、展示図録に掲載されていた中国絵画は、残念ながら東京会場では割愛されたもよう。重要文化財[5/3訂正]『長谷雄草紙』が出ないのは仕方ないとして、渋川春海作の天球儀をまた見たかった(←『天地明察』本屋大賞記念に)とか、白隠と一緒に東嶺円慈、遂翁元盧も出してほしかったとか、中国家具の『乾隆御座』を最近見てないなあ、とか…いろいろ、切りのない注文をつけたくなってしまう。まあ、根気よく目白に通うことにしよう。

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