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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

幕末コレクションの迷宮/維新とフランス(東大総合研究博物館)

2009-04-18 00:05:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京大学総合研究博物館 日仏交流150周年記念特別展示『維新とフランス-日仏学術交流の黎明』(2009年3月28日~5月31日)

 「幕末から明治初期にかけての日仏交流の歩みを紹介する特別展示」という、茫洋とした概要だけ頭に入れて見に行ったので、何があるのか、よく分かっていなかった。

 行ってみたら、ミイラがある。古写真がある。生物標本がある。という具合だった。オシャレな空間を演出するためか、展示キャプションが非常に小さい。短い説明にいろんな固有名詞が出てくるので、幕末史の知識を呼び覚ますのに骨が折れて(東大生はこんな説明で平気なのか?)、はじめはひどくフラストレーションを感じた。けれども、だんだん慣れてくると、迷宮を彷徨うような面白さを感じるようになった。以下は、心覚えのために整理したかたちで書いておくが、先入観なしに行ってみるのも一興だと思う。

 展示品は、いずれもその由来や旧蔵・現蔵者を表す「○○コレクション」という名称が冠されている。それらは、大きく3つに分類できるようだ。

(1)東京大学が学内に有するコレクション。たとえば、
三宅コレクション…江戸期以来の医学一家である三宅家に伝わった歴史資料。医学系研究科・医学図書館から総合研究博物館に移管されたらしい。
田中コレクション…博物学・博覧会の振興に努めた田中芳男男爵の旧蔵文献資料。総合図書館蔵。

(2)フランスからの招来コレクション。博物館蔵と、関係者の個人蔵とが混じっている。
-デシャルム・コレクション(アンペリ博物館蔵)…明治政府の軍事顧問レオン・デシャルムの遺品。「ほとんど手つかず」で「驚くほど状態がいい」って書いてあったけど、要するに博物館で引き取ったものの、幕末日本のことなど分かる人がいなくて、整理できなかったんだろうなあ、と推測される。
-ビュラン・コレクション(個人蔵)。日本で初めてフランス語を教えたシャルル・ビュランの遺品。
-サヴァティエ・コレクション(個人蔵)。海軍医にして日本近代植物学の父、リュドヴィク・サヴァティエの遺品。
-サヴァティエ標本(パリ国立自然史博物館蔵)。リュドヴィク・サヴァティエが日本滞在中に採取した植物標本。
-徳川幕府パリ万博出品標本(パリ国立自然史博物館蔵)。これはびっくりだった。徳川幕府は1867年のパリ万博に参加するにあたり、美術工芸品だけでなく、さまざまな自然史標本も持ち込んだ。うち643点は、そのままパリ国立自然史博物館の所蔵に帰した。今回、同館の自然史標本コレクションを調査した結果、甲殻類と昆虫類の多数の標本を発見し、初の「里帰り」展示となったという。小さく区切られた木枠の中に、綿を詰めた丸いガラスケースが並び、カニや昆虫の標本が1種類ずつ入っている。ところどころの木枠に、和紙に漢字の付箋が貼ってある。文献資料と違って、いつ誰から入手したかは本質的な情報ではないから、探すの大変だったろうなあ、と思う。自然史資料が、同時に人文歴史資料でもあり得るという点が面白い。採取に当たったのは田中芳男である。

(3)クリスティアン・ポラック・コレクション。クリスティアン・ポラック氏はフランス人の日本研究者。同氏の個人コレクションには、
-シャノワーヌ・コレクション。徳川慶喜の側近だったシャルル・シャノワーヌ遺品。
-日仏交流関係資料一揃い(書簡、写真、書籍等)。などが含まれる。

このほか、誰だか分からないが、
-某日本人収集家コレクション。というのもあった。近代初期に翻訳されたフランス文学書多数。図書館の本と違って、無粋なラベルや蔵書印で汚されていなくてきれいである。

 展示カタログは立派すぎるので、博物館ニュース「Ouroboros. Vol.13/No.3」を貰って帰ろう。
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がんばれ、大阪/プリンセス・トヨトミ(万城目学)

2009-04-17 00:08:16 | 読んだもの(書籍)
○万城目学『プリンセス・トヨトミ』 文藝春秋 2009.3

 読んでしまいました、万城目学。第1作『鴨川ホルモー』は表紙だけ見て、レトロな青春モノかな?と思って素通りしていた(違う、ということは、最近、映画の宣伝を見て分かった)。第2作『鹿男あをによし』は、ドラマが面白すぎたもので、いまだに原作を読む気になれない。そして、第3作、とうとう読んでしまいました。

 以下、ネタバレ。物語は、会計検査院の調査官3人が大阪府に向かうところから始まる。鬼の調査官、松平元。ハーフの才媛、旭・ゲーンズブール。見た目は中学生の鳥居忠。年間5億円に及ぶ補助金の使途を求めて、行き着いたのは、謎の社団法人OJO。その実態は、400年にわたって受け継がれ、200万人の大阪人の男たちが構成する「大阪国」の存在だった。目的はただひとつ――太閤秀吉の末裔である"王女"を守ること。"王女"の身に何かあったときは立ち上がること。

 "王女"橋場茶子を守る特別な存在、「真田の男」として描かれるのは、お好み焼き屋の店主、真田幸一と、その息子(なのにセーラー服が着られるようになりたいと願っている)大輔。というわけで、この小説、登場人物には、戦国武将の名前が意識的に配されている(→詳細:宣和堂遺事)。もちろん、名前だけのお遊びもあるのだが、真田親子に関しては、どうしても『真田太平記』の真田幸村(信繁)・幸昌のイメージがかぶる。

 それにしても、日本の小説って、いつからこんなに面白くなったんだろう、と感心した。死を覚悟した父から息子へと、男たちの間で伝えられていく真実という設定に、思わず落涙してしまったし、最後の小さな、でも重要などんでん返しとして、女たちは、その見て見ぬフリをちゃんと伝えていく、というフォローもいい。このフォローによって、女になりたい大輔の存在も落ち着きどころを得て、ハッピーエンドが深まるように思う。

 「三島由紀夫を連想する」という松平元に、私はずっと頭の中で阿部寛をキャスティングしていた。松平元は、松平元康=徳川家康であるが、そういえば、松平元同様、家康も早くに父親を亡くした孤児だったんだなあ、とさっき、気づいた。

 コストカッターの大阪府知事の感想を聞いてみたい1冊でもある。

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行く春の漢籍/国宝文選集注と唐物玩味(金沢文庫)

2009-04-16 21:24:28 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立金沢文庫 企画展『国宝文選集注と唐物玩味』(2009年2月19日~4月12日)

 終わった企画だが書いておく。金沢文庫が所蔵する国宝『文選集注』と、唐物(からもの)即ち、中世文化人たちに愛された、中国伝来の絵画や陶磁器を紹介。会場の最初のコーナーは『文選集注』全19巻がずらずらと並んでいる。見渡す限り国宝なのだが、地味な光景だなあ~と苦笑。「三国名臣序賛」の注釈部分を開けて、孔明・周瑜・魯粛などの名前に注意を喚起しようとするなど、展示の苦労がしのばれる。

 続く「唐物」のコーナーでは、禅月様と呼ばれる奇怪な『十六羅漢像』を久しぶりに見た。それから青磁の花瓶、香炉など。北条氏の三つ鱗を描いた『過所船旗』は初めて見ると思ったら、京都大学文学部博物館からの出陳(複製)だった。この船は相模守殿(北条時宗)の御領地、若狭国多烏浦の船なので、津々浦々自由に通過させるように、と書かれている(→本物)。活発な海上交通のありさまがしのばれた。

 会場にはもうひとつ「漢籍」のコーナーが設けられていて、個人的には、これがいちばん興味深かった。宋版『南華真経注疏』(重文)は全10巻の「荘子」の注釈書だが、断簡3紙だけが金沢文庫に伝わる。実はこれが、静嘉堂文庫現蔵本の落丁部分に当たるというのを非常に面白いと思った。どんな事情があったのだろう…。宋版は字が大きくて、おおらかな美しさがあって(老眼にも読みやすくて)いいなあ。別のケースには、史記などを抜き書きした写本が並んでいる。誤字・脱字もあるが、「今では名も残らない僧侶たちの、漢籍を読んだ証(あかし)」というキャプションは、さりげなく優しい。円種(1244~?)という僧侶は多数の漢籍の加点(訓点を加えること)・校合者として名を残しているが、著作は一切残っていないという。「学僧としての研究成果を知ることのできないのは残念です」というひとことにも、時代を超えて文献資料が仲介する共感が、にじみ出ているように思った。

 久しぶりに称名寺の太鼓橋を渡って、葉桜の浄土庭園をひとまわり。行く春を惜しむ気分を味わって帰った。
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東アジアを動かした祝祭/日清戦争(佐谷眞木人)

2009-04-15 23:48:02 | 読んだもの(書籍)
○佐谷眞木人『日清戦争:「国民」の誕生』(講談社現代新書) 講談社 2009.3

 2007年5月から翌年3月にかけて、朝日新聞は国内外の研究者20人に「東アジア近現代史の十大出来事」を尋ねた。日本以外のアジアの研究者が日清戦争を重視するのに対して、日本人研究者の評価はおおむね低かったという。

 分かる、分かる。最近の日本人は、日露戦争への関心はとても高いが、日清戦争はさほどでもない。それは、日清戦争がどこか「後ろめたい」戦争であるからかもしれない。私自身も、これまで日清戦争については、主に中国史や朝鮮半島史の切り口から学んできた。もっと正直にいうと、中国製のTVドラマを見て、日清戦争の舞台が朝鮮半島であったこととを初めて知ったくらい、無知だった。

 本書は、同時代の日本人にとっての日清戦争を、新旧の多様なメディアから読み解く試みである。唱歌、軍歌、流行歌、錦絵、教科書など。今日では忘れられた、びっくりするようなものもある(歌舞伎の戦争狂言とか、佐々木信綱の長歌『支那征伐の歌』とか)。

 一方で日清戦争は、新たなメディア――新聞を育てた。従軍記者のリストには、へえ、この人も、という意外な名前が数多く見られる(浅井忠、黒田清輝、吉田東伍、三田村鳶魚など)。岡本綺堂によれば、従軍記者とは如何なるものか、よく理解されていなかったため、槍や仕込杖で武装した記者も多かったらしい。何しろ「近代と前近代の、まさに結節点にあった戦争」なのだから、軽々に笑ったり、非難してはいけないのだなあ、とあらためて思った。

 日増しに勝利が確実になる中で、日本を覆ったあけっぴろげの「戦勝気分」も興味深い。「戦後の平和教育」世代である著者は、手放しの戦争礼賛に対して「理解しにくい」という困惑をたびたび漏らしている(ただし、理解しにくいからと言って、切り捨てることはしない、という意味で)。この点については、ちょっと違和感も感じた。むしろ「悲惨で邪悪な戦争というイメージ」こそ、総力戦体制以降にもたらされた、非常に近代的な観念なのではないかと思う。では、日清戦争のような、明るい「祝祭」イメージが、過去の戦争にもあったかというと、よく分からない。これはこれで「近代と前近代の、まさに結節点」の日清戦争限りのものなのかもしれない。
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新出土資料は語る/諸子百家(湯浅邦弘)

2009-04-14 22:20:13 | 読んだもの(書籍)
○湯浅邦弘『諸子百家:儒家・墨家・道家・法家・兵家』(中公新書) 中央公論新社 2009.3

 近年、近代中国史の面白さにすっかりハマった感があるが、もともと私は古代哲学や古代文学から、中国びいきになったのである。本書の標題を見たときは、ほのかな懐かしさを感じて手に取った。本書は、副題のとおり、儒家(孔子、孟子)・墨家(墨子)・道家(老子・荘子)・法家(韓非子)・兵家(孫子)の思想を解説したもの。興味深いのは、近年の考古学的発見と研究の成果が、多数紹介されている点だ。

 私が中国の古代哲学に興味を持った頃、それはもちろん1970年代以降の話だが、当時、気軽に手に取れた本は、吉川幸次郎とか金谷治とか「大家」の校註で、20世紀の初め、敦煌で発見された古写本の衝撃が「最新」の話題だった。

 ところが、1970年代以降、中国では「まとまった古代文献がほぼ完全な姿」で出土するという発見が相つぐ。代表的なものは、1972年、山東省臨沂県で発見された「銀雀山漢墓竹簡」。『孫子兵法』『孫臏兵法』『六韜』などの古代兵書がまとまって発見された。読みながら、あ、この竹簡博物館へは行ったぞ、と思い出した。山東省ツアーは、2002年くらいだったかなあ…。さらに1973年、湖北省の長沙馬王堆漢墓からは前漢時代の『老子』の写本2種が、1975年、湖北省の雲夢県睡虎池秦墓からは秦帝国の法治の実態を示す文書が見つかり、90年代に発見された郭店楚簡・上博楚簡には、戦国時代の「知られざる思想文献」が大量に含まれていたという。紀元前の思想研究が、まだこんなふうにダイナミックに動揺する余地を残しているのだから、すごいものだ。

 「新出土資料」から分かったことは、たとえば孟子の再評価である。「亜聖」孟子は「先聖」孔子に直結する思想家ではなく、多くの刺激的な思想に触れながら、彼の思想体系を形成したと考えられる。また『老子』が魏晋以降の偽作とする説も完全に否定されたし、諸子百家の時代には、『老子』『荘子』以外にも豊かな道家系の思想が生み出されていたことも分かってきた。

 原テキストを面白いと思ったのは、初めてその一端に触れた『墨子』と『孫子』である(語孟・老荘はむかし全文を読んだ)。ただし、著者も言うように『墨子』の文章は、恐ろしくくどい。これじゃあ、どんなに内容が独創的でも、失われなかったのが奇跡みたいなものだ。対照的に、『孫子』は美文だな~。『韓非子』も乾いた散文の名篇だが、『孫子』は流麗な詩文に近い。「戦わずして勝つ」を最善とする『孫子』であるが、しめくくりに置かれているのは「火攻篇」であり、火攻めという特殊技術が重視されていたことが分かる。そして「火を発するに時有り、火を起こすに日有り」という文言で、火攻めにおける自然条件の重要性を説いている。本書を読んだあとで、映画『レッドクリフ Part2』を見ると、孫子もびっくりだろうなあ、と苦笑させられるが。
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新しい演義の誕生/映画・レッドクリフ PartII

2009-04-13 23:25:02 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ジョン・ウー(呉宇森)監督・脚本『レッドクリフ PartII-未来への最終決戦-

 Part1は、(私にとって)予想外の人気だったので、少し観客が減るまで待とう、と思って出遅れてしまった。Part2は、どうせ見に行くんだから、と思って、公開2日目にさっさと見てきた。

 Part1よりは、ストーリーに動きがあって面白いと思う。原典の持つ面白さ(孔明が3日で10万本の矢を得るとか)をよくぞ映像化したなあ、という部分と、創作部分(男装して敵陣に乗り込む孫尚香とか)の面白さがあいまって、どちらもいい。Par1ではあまり印象に残らなかった曹操も、名優・張豊毅を起用した意味がようやく明らかになった。「月明らかに星稀に/烏鵲(うじゃく)南へ飛ぶ」と『短歌行』を吟ずる場面はぞくぞくした。「樹を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)/何れの枝にか依る可き」という詩句が、己の敗北を予見するように不吉だ、という説を、むかし漢文の授業で(?)習ったような気がする。

 あと、周瑜が妻の朗誦する「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」(孫子)にあわせて剣舞を披露する場面があって、おお~原文の風林火山だ、と嬉しくなってしまった。原文はこのあと「難知如陰、動如雷霆(知りがたきこと陰の如く/動くこと雷霆(らいてい)の如し)」と続き、これが孫権・劉備軍の攻撃の比喩になっている。この文学性がいいのだよ、中国の戦いは。

 ツッコミどころはいろいろあって、趙薇(ヴィッキー・チャオ)の尚香が蹴鞠の試合で孫淑材を助けるのは『少林サッカー』か!と笑えたし、中村獅童の甘興がほとんどまともな中国語を喋っていなくて、上官に「没問題!」と答えるのも(あり得んw)色モノ扱いで笑えた。でも中村獅童の顔つきは、見れば見るほど兵馬俑にそっくりである。

 難点は、火薬の使いすぎ。水上の勝敗が決したあとも爆発炎上シーンが延々と続き、ちょっとダレる。私は、曹操が戦場放棄して、身ひとつで敗走するところを描いてほしかったと思う。あんな、孫権らに「去れ」なんて情けをかけられるのではなくて。誰かが書いていたと思うが、曹操は負けっぷりが身上である。負けるときはボロボロに負け、また体勢を立て直して這い上がってくるのだ。

 中国語のサイトをいろいろ覗いていたら、《赤壁》乃《三国演義》之“演義”―「映画『赤壁(レッドクリフ)』は、すなわち『三国演義』の”演義”である」という批評があって、ニヤリとしてしまった。私も全く同じことを思ったのだ。われわれが「原典」だと思ってる「三国志」は、正史をもとに、芝居やら講談やら、さまざまなエンターテイメントの要請によって作り直された娯楽作品(演義)である。それなら、21世紀の今日、新しい好みと新しい技術にあわせて、新しい「演義」がつくられても、何ら不思議ではない。古典は何度でも生き返るのである。

 実はこのあと、見たい中国映画の公開が目白押しに並んでいる。喜んでいいんだか、何だか。
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阿修羅と八部衆を撮る/金井杜道展(ギャラリーこちゅうきょ)

2009-04-12 23:06:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
ギャラリーこちゅうきょ 『金井杜道展-仏像の現在「興福寺 阿修羅と八部衆」メディアとしての仏像・写真』(2009年4月1日~4月11日)

 3月の「秘仏の旅」で予告した写真家・金井杜道氏の展覧会。興福寺国宝館で見たカラーの全身像がすごくよかったので、心躍らせて見に行った。だから、展示されているのがモノクロばかりで、しかも胸から上のアップが多いことに、はじめ、ちょっと違和感を感じた。しかし、見ていくうちに、どんどん引き込まれた。

 特に十大弟子像がよかった。八部衆に比べて表情に乏しいように感じていたのに、写真では、別物かと思うほど、生き生きと豊かな表情にあふれていた。富楼那像には、老境の静かな幸福を表すように、開きかけた花のような笑みが広がっている。瞑目する羅睺羅像の目には、長い睫毛が描かれているのを発見した。

 阿修羅像は、東京国立博物館の展示と同様、あまり陰影を強くしない照明を使っているようで、やわらかな雰囲気である。顔面に走る長いひび割れとか、顔料の剥落とか、「物体」としての現況がはっきり捉えられているにもかかわらず、同時に仏像の「内面」みたいなものが印画紙に焼き付けられているのが不思議だった。

 東博の展示図録は、ちょっと高すぎて手が出なかったのだが、これらの写真が収められているかと思うと、買っておいてもいいもしれない。ちなみに金井杜道さんは、『王朝の仏画と儀礼』(至文堂、2000年)のお仕事もなさっている。私は、もとになった京博の展示図録(1998年)しか持っていないが、今日なお評価の高い図録と聞いている。
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天下泰平の切れ者/旗本御家人(国立公文書館)

2009-04-11 00:05:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立公文書館 平成21年度春の特別展『旗本御家人-江戸を彩った異才たち-』(2009年4月4日~4月23日)

 この季節、私には、お気に入りの都心お花見+博物館・美術館コースがいくつかあって、ひとつは千鳥ヶ淵→山種美術館、もうひとつは皇居お堀端→国立公文書館・春の特別展である。今年のテーマは「旗本御家人」。将軍の直属の家臣で、御目見以上を旗本、御目見以下を御家人と呼ぶそうだ。その中には「旺盛な知識欲と精力的な活動」「学問・芸術の世界で輝いた異才たちの姿」もあるけれど、泰平の世、いまどきの公務員を思わせて苦笑を誘われる、小役人の生態も見られる。

 美術史ファンにおすすめは、弘化2年(1845)に再建された江戸城本丸御殿襖絵の下絵。京都を描いた名所絵と、中国の故事を描いた「帝鑑の間」の資料が出ていた。あれっ確か「松の廊下」の下絵は、東京国立博物館が持っていたはずなのに。どうして所蔵が分かれているんだろう…。本丸御殿の「起絵図」(紙製の立体模型)も面白かった。『崎陽諸図』は長崎の諸施設の図面集。「立山御役所」の図が開いていたが、「唐人屋敷」や「和蘭陀屋敷(出島)」が見たかった。

 大野広城の『泰平年表』は、天文8年以来の各種事件・奇聞を載せた年代記だという。先だって、氏家幹人氏の『殿様と鼠小僧』で読んだ「石塔磨き」(墓石磨き)のことが載っていて興味深かった。大好きな奇談集『耳嚢』が展示されていたのも嬉しかった。写本だったけど、著者・根岸鎮衛自筆ではないよね? このほか、旗本御家人の有名どころとしては、長谷川平蔵、遠山景元(金四郎)、大久保彦左衛門、大田南畝などが登場する。

 いま私は、展示図録(無料)を見ながら書いているのだが、会場の最後にあった幕末の幕臣の似せ絵集(全身像)が分からない。あれは参考展示だったのかしら。大きな紙を折りたたんであった。巧い絵だったなー。

 幕臣の住まいを記した『諸向地面取調書』で、さりげなく「御書物奉行」「御書物同心」の箇所を展示しているのは、公文書館職員から「先輩たち」への敬慕の念だろうか。別の資料で、「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)=将軍に尿筒を差し出す役」はいつから始まったか、という問い合わせを受け、塙保己一の和学講談所が、起源沿革を調べて回答しているのも、近代図書館のレファレンスサービスみたいだ、と感心してしまった。

 展示資料とは別に、旗本御家人の変なエピソードを文献から選んで紹介したパネルも面白かった。なかなか家に帰らない、迷惑な上司の話とか、何も尾できない小心者の小役人とか。おすすめ本として挙げられていたのが、私も好きな野口武彦さんの『幕末の毒舌家』(中央公論新社、2005)。おお、これは読んでいないぞ。さっそく読んでみよう。
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よみがえる国芳の色/錦絵はいかにつくられたか(歴博)

2009-04-10 00:10:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『錦絵はいかにつくられたか』(2009年2月24日~5月6日)

 江戸のメディア・出版文化を考える上で外せない「錦絵」の企画展。「錦絵の鑑賞に重きをおく美術展ではなく、"流通"と"世相"さらに"技術"に焦点を当てて」考えるというテーマ設定が、歴博らしくていい。

 冒頭では、三代歌川豊国の『今様見立士農工商 商人』に描かれた絵双紙屋の店先に並べられた錦絵を、これは役者絵、これは名所絵、という具合に分類・分析し、さらに、よく似た実在の作品を提示している。錦絵に残された情報量って馬鹿にならない、と木下直之先生もおっしゃっていたっけ。『藤岡屋日記』など、江戸の日記・随筆に見る、錦絵出版の記事も面白かった。よく売れたものもあれば、作り手がねらったほどには売れなかったものもあるんだなあ。

 いちばん興味深かったのは、同館が昨年度入手したという、大量の版木である(→北日本新聞:2009年02月24日)。錦絵の版木は消耗品として使い捨てられるため、こんなふうに残ることは珍しいそうだ。私の大好きな国芳の版木が大半を占めているのも嬉しい。そして、驚くべきは、版木に残った絵具の化学成分を分析し、刷り上った当時の色彩を再現したデジタル画像。どんなに「保存良好」といわれる錦絵でも見たことのない美しさに、言葉を失う。しかも作者が国芳ってところが…。あらゆる技法を試し、錦絵の可能性を探った国芳が、この技術を知ったら、大いに喜んだろう。

 以上。小規模な企画展示なので、これだけを目当てに東京から行くと不満が残ると思う。私は、久しぶりに常設展示を見てまわった。歴博って、こっそり(?)常設展示に国宝の『宋版史記』とか駿河版(古活字版)の『群書治要』、嵯峨本(木活字版)の『源氏物語』とかを展示しているのね。知らなかった。

 第3展示室「近世」が、最新の研究成果を取り入れて、2008年3月にリニューアルされたという話は、ロナルド・トビさんの『「鎖国」という外交』で読んだが、ようやくその成果を実見することができた。うーん、でも「国際社会のなかの近世日本」は期待ほどではなかったかな。先日、長崎歴史文化博物館を見ちゃったので。むしろ、洛中洛外図屏風(歴博甲本)をもとに、京の町を立体に起こしたパノラマが楽しかった。

 夏の企画展示は、東アジアの建築がテーマだそうで、これも楽しみである。
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譜代大名の反乱/落下傘学長奮闘記(黒木登志夫)

2009-04-09 00:20:02 | 読んだもの(書籍)
○黒木登志夫『落下傘学長奮闘記:大学法人化の現場から』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2009.3

 著者は、もと東京大学医科学研究所教授。基礎医学の門外漢には『科学者のための英文手紙の書き方』(1984年刊)の著者と聞いて、かすかに思い当たる名前である。40年間、「がんの基礎研究だけをやってきた」「大学の管理運営や教育など、研究者がやるものではないと」思っていた(正直者w)著者が、ひょんなことから、2001~2008年、岐阜大学の学長をつとめることになる。このあまりにも意外な人事を、著者は自ら、映画『史上最大の作戦』の落下傘部隊になぞらえて語る。

 いや~オモシロイ。学長就任直後の2001年6月、国大協総会の「学長会議」で、後に「遠山プラン」と呼ばれる大学改革方針が文科省から示された。「今になって考えると」これは、小泉内閣の構造改革から国立大学を守るために文科省が仕掛けた「攻撃的防衛」あるいは「防衛的攻撃」であった、と著者は分析している。しかし、当座のショックと混乱は大きかった。全国の国立大学の混乱ぶりと、混乱に見せかけた老獪なかけひき(!)は、戦国時代か封建時代さながらの面白さがある。いや、著者自身、この会議を「全国の大名を江戸城に集めて行われる譜代大名の会議のようなもの」に見立てている。

 2004年4月、全ての国立大学が国立大学法人となった。と言っても、国立大学と無縁の人々には、何が起きたか全く分からないだろう。私は、当時、国立大学の末端の一職員だったが、本書を読んで初めて、自分の身に起きたことの意味が、あ~そういうことだったのか、と分かったように思った。

 その後も「改革」は加速し、地方大学の財政的な危機は深まる。ショックだったのは、「経営改善係数」を押し付けられた附属病院の赤字が、大学の経営基盤を食いつぶす事態になっていること。また、大学間格差が広がり、「東大一人勝ち」の形勢は日に日に強まっているということ。国大協のロゴマーク()の右側の高い台形が黒字経営の旧帝大、左側の低い台形が赤字のその他の大学を表すのではないか、という皮肉には爆笑した。本書は、日本の高等教育の危機を真剣に憂慮しつつも、不慣れな学長としてこの事態に立ち会うことになった自分の不運(?)を、どこか突き放した視点で眺めており、つねに辛口の乾いたユーモアが漂っている。

 財務省、文部科学省、事務局、学内部局、国大協、職員組合、そうしたものが、時には敵となり、時には味方ともなる摩訶不思議な世界。「事務局」(とりわけ、移動官職)というものが、学長の目にどう映っているかというのは、個人的に非常に参考になった。大学人には絶対に面白い、大学人でなくても、たぶん面白い1冊だと思う。
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