見もの・読みもの日記

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若冲、それとも蕭白/山水に遊ぶ(府中市美術館)

2009-04-29 21:53:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
府中市美術館 企画展『山水に遊ぶ-江戸絵画の風景250年』(2009年3月20日~5月10日)

 日曜日(4/26)に行ったら、小学校低学年くらいの女の子を連れたお父さんが「あ、若冲の展示は終わっちゃったんですか」と受付で残念そうにしていた。若冲を見せたかったのかー。いいお父さんだなあ、と妙に感心。

 本展は、江戸時代のさまざまな画家が描いた風景の絵を紹介する企画だが、呼びものは、伊藤若冲の『石灯籠図屏風』(前期展示)と曾我蕭白『月夜山水図屏風』(後期展示)であるらしい。どちらも関西方面の美術館では、地味に常設展に出ていたりするが、東都にお目見えは珍しい。さて、前期と後期、若冲と蕭白のどちらを選ぶか。私は、画家としては若冲びいきだが、この2作品に限って言えば、断然後者である。

 というわけで、日曜日。会場に入ると「山水に暮らす」と題して、農耕図や漁舟図、庭園図などが並んでいる。あ、なるほど。この展覧会では「山水」という概念をずいぶん広く取っているんだな、ということに気づく。小泉斐の『富岳写真』(弘化3年=1846刊)は、富士山頂の地形の科学的・実証的な踏査記録である。これを、岸駒や探幽の審美的な富岳図の横において眺めるのは、なかなか面白い。司馬江漢、小田野直武らの洋風山水画も多数。「手前の景物を大きく、遠いものを小さく描く」というのが、洋風画のセオリー(今日では当たり前だが、伝統的な山水画はこれと逆)なんだな、ということが分かった。

 さて、「奇のかたち」のセクションで、お目当ての『月夜山水図屏風』に対面。あ~うれしい。2008年3月、琵琶湖文化館の『収蔵品特別公開』以来だが、何度見ても、鳥肌が立つほどいい。右隻に施された淡彩、とりわけ月下の白梅は蒔絵のようだし、左隻の墨の濃淡の変幻自在な使い分けは、夢幻能を見るようだ。一応、右隻は西湖、左隻は径山寺(きんざんじ)の風景と目されていることをメモしておこう。後期には、さらに蕭白が1点。『比叡山図』は、ゴツゴツともぬめぬめともつかない、蝦蟇の怪物みたいな山肌が地中から湧き上ってくるようで、面白かった(展示リストを見たら、おーこれも琵琶湖文化館の所蔵品ではないか、拍手々々)。初めて知る画家、墨江武禅の『月下山水図』は、アイシングしたケーキを思わせるモノクロームの月光の表現が印象的(展示リストには「前期」とあるが、なぜか後期の会場にあり)。

 蕭白の『月夜山水図屏風』の隣りには、一見野暮な彩色の山水画屏風が並んでいた。なんでこんなのを並べるかなあ、蕭白の名品が台無しじゃん、と思って、眺めるうち、あれ?と思った。実は、この倉屠龍の『山水図屏風』は、蕭白の『月夜山水図屏風』と「ほぼ同じ図様」なのである。図録の解説には「蕭白の傑作をもとに屠龍がこれを描いたとみるのが自然と思われるが(中略)断定は避けておきたい」とある。ただし、全く同一ではないので、よ~く比べて見ると、いろいろな差異を発見できる。山の重なりかたとか、あずまやの柱の太さとか、ロバの数とか…間違い探し(!)のようで楽しい。なお、右隻(前期展示)には、江戸時代の絵画には珍しく虹が描かれているそうだ(これも蕭白筆にはない景物)。

 最後に、蘆雪の人の好さが表れたような『赤壁図』『蓬莱山図』も見られて、満足して外に出た。ロビーのソファに置かれていた展示図録の見本を開いて、愕然。目に入ったのは、若冲の『石峰寺図』。石峰寺の五百羅漢の構想図らしいが、江戸時代の絵画だとは絶対に信じられない。あまりにもマンガちっく。ほかにも前期だけの名品がいろいろあったのねえ、とため息をつく。まあ見逃したものは、仕方ない。せめて図録を買って帰ろう。
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