○神奈川県立金沢文庫 企画展『国宝文選集注と唐物玩味』(2009年2月19日~4月12日)
終わった企画だが書いておく。金沢文庫が所蔵する国宝『文選集注』と、唐物(からもの)即ち、中世文化人たちに愛された、中国伝来の絵画や陶磁器を紹介。会場の最初のコーナーは『文選集注』全19巻がずらずらと並んでいる。見渡す限り国宝なのだが、地味な光景だなあ~と苦笑。「三国名臣序賛」の注釈部分を開けて、孔明・周瑜・魯粛などの名前に注意を喚起しようとするなど、展示の苦労がしのばれる。
続く「唐物」のコーナーでは、禅月様と呼ばれる奇怪な『十六羅漢像』を久しぶりに見た。それから青磁の花瓶、香炉など。北条氏の三つ鱗を描いた『過所船旗』は初めて見ると思ったら、京都大学文学部博物館からの出陳(複製)だった。この船は相模守殿(北条時宗)の御領地、若狭国多烏浦の船なので、津々浦々自由に通過させるように、と書かれている(→本物)。活発な海上交通のありさまがしのばれた。
会場にはもうひとつ「漢籍」のコーナーが設けられていて、個人的には、これがいちばん興味深かった。宋版『南華真経注疏』(重文)は全10巻の「荘子」の注釈書だが、断簡3紙だけが金沢文庫に伝わる。実はこれが、静嘉堂文庫現蔵本の落丁部分に当たるというのを非常に面白いと思った。どんな事情があったのだろう…。宋版は字が大きくて、おおらかな美しさがあって(老眼にも読みやすくて)いいなあ。別のケースには、史記などを抜き書きした写本が並んでいる。誤字・脱字もあるが、「今では名も残らない僧侶たちの、漢籍を読んだ証(あかし)」というキャプションは、さりげなく優しい。円種(1244~?)という僧侶は多数の漢籍の加点(訓点を加えること)・校合者として名を残しているが、著作は一切残っていないという。「学僧としての研究成果を知ることのできないのは残念です」というひとことにも、時代を超えて文献資料が仲介する共感が、にじみ出ているように思った。
久しぶりに称名寺の太鼓橋を渡って、葉桜の浄土庭園をひとまわり。行く春を惜しむ気分を味わって帰った。
終わった企画だが書いておく。金沢文庫が所蔵する国宝『文選集注』と、唐物(からもの)即ち、中世文化人たちに愛された、中国伝来の絵画や陶磁器を紹介。会場の最初のコーナーは『文選集注』全19巻がずらずらと並んでいる。見渡す限り国宝なのだが、地味な光景だなあ~と苦笑。「三国名臣序賛」の注釈部分を開けて、孔明・周瑜・魯粛などの名前に注意を喚起しようとするなど、展示の苦労がしのばれる。
続く「唐物」のコーナーでは、禅月様と呼ばれる奇怪な『十六羅漢像』を久しぶりに見た。それから青磁の花瓶、香炉など。北条氏の三つ鱗を描いた『過所船旗』は初めて見ると思ったら、京都大学文学部博物館からの出陳(複製)だった。この船は相模守殿(北条時宗)の御領地、若狭国多烏浦の船なので、津々浦々自由に通過させるように、と書かれている(→本物)。活発な海上交通のありさまがしのばれた。
会場にはもうひとつ「漢籍」のコーナーが設けられていて、個人的には、これがいちばん興味深かった。宋版『南華真経注疏』(重文)は全10巻の「荘子」の注釈書だが、断簡3紙だけが金沢文庫に伝わる。実はこれが、静嘉堂文庫現蔵本の落丁部分に当たるというのを非常に面白いと思った。どんな事情があったのだろう…。宋版は字が大きくて、おおらかな美しさがあって(老眼にも読みやすくて)いいなあ。別のケースには、史記などを抜き書きした写本が並んでいる。誤字・脱字もあるが、「今では名も残らない僧侶たちの、漢籍を読んだ証(あかし)」というキャプションは、さりげなく優しい。円種(1244~?)という僧侶は多数の漢籍の加点(訓点を加えること)・校合者として名を残しているが、著作は一切残っていないという。「学僧としての研究成果を知ることのできないのは残念です」というひとことにも、時代を超えて文献資料が仲介する共感が、にじみ出ているように思った。
久しぶりに称名寺の太鼓橋を渡って、葉桜の浄土庭園をひとまわり。行く春を惜しむ気分を味わって帰った。