見もの・読みもの日記

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東アジアを動かした祝祭/日清戦争(佐谷眞木人)

2009-04-15 23:48:02 | 読んだもの(書籍)
○佐谷眞木人『日清戦争:「国民」の誕生』(講談社現代新書) 講談社 2009.3

 2007年5月から翌年3月にかけて、朝日新聞は国内外の研究者20人に「東アジア近現代史の十大出来事」を尋ねた。日本以外のアジアの研究者が日清戦争を重視するのに対して、日本人研究者の評価はおおむね低かったという。

 分かる、分かる。最近の日本人は、日露戦争への関心はとても高いが、日清戦争はさほどでもない。それは、日清戦争がどこか「後ろめたい」戦争であるからかもしれない。私自身も、これまで日清戦争については、主に中国史や朝鮮半島史の切り口から学んできた。もっと正直にいうと、中国製のTVドラマを見て、日清戦争の舞台が朝鮮半島であったこととを初めて知ったくらい、無知だった。

 本書は、同時代の日本人にとっての日清戦争を、新旧の多様なメディアから読み解く試みである。唱歌、軍歌、流行歌、錦絵、教科書など。今日では忘れられた、びっくりするようなものもある(歌舞伎の戦争狂言とか、佐々木信綱の長歌『支那征伐の歌』とか)。

 一方で日清戦争は、新たなメディア――新聞を育てた。従軍記者のリストには、へえ、この人も、という意外な名前が数多く見られる(浅井忠、黒田清輝、吉田東伍、三田村鳶魚など)。岡本綺堂によれば、従軍記者とは如何なるものか、よく理解されていなかったため、槍や仕込杖で武装した記者も多かったらしい。何しろ「近代と前近代の、まさに結節点にあった戦争」なのだから、軽々に笑ったり、非難してはいけないのだなあ、とあらためて思った。

 日増しに勝利が確実になる中で、日本を覆ったあけっぴろげの「戦勝気分」も興味深い。「戦後の平和教育」世代である著者は、手放しの戦争礼賛に対して「理解しにくい」という困惑をたびたび漏らしている(ただし、理解しにくいからと言って、切り捨てることはしない、という意味で)。この点については、ちょっと違和感も感じた。むしろ「悲惨で邪悪な戦争というイメージ」こそ、総力戦体制以降にもたらされた、非常に近代的な観念なのではないかと思う。では、日清戦争のような、明るい「祝祭」イメージが、過去の戦争にもあったかというと、よく分からない。これはこれで「近代と前近代の、まさに結節点」の日清戦争限りのものなのかもしれない。
コメント
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