見もの・読みもの日記

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幕藩体制の始まり/関ヶ原合戦(笠谷和比古)

2008-05-01 23:52:00 | 読んだもの(書籍)
○笠谷和比古『関ヶ原合戦:家康の戦略と幕藩体制』(講談社学術文庫) 講談社 2008.1

 『関ヶ原合戦』(講談社選書メチエ、1994)の再刊。関ヶ原合戦(慶長5年9月15日=西暦1600年10月21日)において、家康の率いた東軍からは、徳川主力軍が欠落していた。これは、徳川秀忠の軍が、信州上田城の真田昌幸を攻めあぐみ、合戦当日に間に合わなかったことによる(『真田太平記』の世界だ!)。この結果、東軍勝利における豊臣系武将の比重がきわめて大きくなり、戦後の論功行賞にも影響を及ぼした。このことは、徳川幕藩体制にも深い刻印を施すことになる。

 慶長8年(1603)、家康は征夷大将軍に就任した。しかし、豊臣秀頼が一大名に転落したというのは誤りで、豊臣家はやはり「別格」の位置を保っていた。むしろ、秀吉が遺した関白型公儀と家康を中心とする将軍型公儀の、二重体制が成立したと見るべきである。家康は、秀頼と千姫の婚姻によって、この二重公儀体制の融合一体化をもくろんでいたのではないか。それならば、なぜ大阪の陣が生じたか。家康の「豹変」は「不可解な謎」として残しておきたい。

 本書は、関ヶ原合戦の意義について根本的な認識の変更を迫ったものだというが、私は、近年、ようやく戦国大名の名前を覚え始めたくらいなので、著者の自己評価が当たっているのかどうかは判断できない。だが、関白型公儀と将軍型公儀が並存する二重体制という説は、面白いと思った。多元的あるいは分権的な政治体制というのは、日本文化のお家芸(ただし最近までの)みたいなものかもしれない。

 この関ヶ原合戦の前後、戦国大名たちは、きわめて政治的な動きをしている。もはや武芸一辺倒の時代ではないのだなあ。その結果、後世に高評価を残した人物もいれば、その逆もいる。感慨深い。
コメント
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