見もの・読みもの日記

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いちばん好きな五月に/澁澤龍彦回顧展(神奈川近代文学館)

2008-05-08 23:18:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川近代文学館 特別展『生誕80年 澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロン』

http://www.kanabun.or.jp/

 文学者にかかわる展示で、目が醒めるほど面白い企画というのは、そうあるものではない。しかし、澁澤龍彦&神奈川近代文学館の組み合わせには期待していた。同館の”実力”は、2005年の特別展『三島由紀夫 ドラマティックヒストリー』で、実証済みである。

 連休中の1日、開館から30分も経っていなかったと思うが、館内には既に何人かの先客があった。皆、ほとんど無言で、食い入るように展示ケースを覗いていた。展示は、澁澤龍彦のライフヒストリーを追って進む。莫大な財産と文人的教養を受け継いだ澁澤家の系譜。次第に戦時色に染められていく少年時代。戦後、フランス文学との邂逅。編集者、翻訳、創作の仕事を通じて、交友が広がり、さまざまな「魔的なもの」たちが訪れる。

 この展覧会には、龍子夫人をはじめとするご親族や、親しい友人たちの絶大な支援があったものと思われる。そうでなければ、絶対に見ることのできない貴重な資料――旧制中学時代の教科書に挟まっていた東南アジア史に関するメモ(のちの『高丘親王航海記』の舞台と重なるところが奇縁)、東大時代の手帖、ぼろぼろに使い込んだ仏語辞典等々が展示されている。サド裁判の起訴状は興味深かったなあ。葉書、書簡も多数。澁澤から出口裕弘宛てのものがいちばん多かったと思う(五月は一年でいちばん好きな季節です、というフレーズを見つけたのも、出口宛ての葉書)。遠藤周作が、サドの評論を共著で出したいと持ちかけていたことは初めて知った。

 ちょっと面白かったのは『アサヒグラフ』1977年2月11号に写真付きで掲載されている”有名人の夕食拝見”的な記事。「午前三時の大晩餐会」と題して、澁澤夫妻が登場しているのだが、その食卓風景が、あまりにもフツーなのだ。どこかのサラリーマン家庭のような、普通のテーブル、普通の食器、普通の湯呑み。北鎌倉の澁澤邸といえば、東西の奇書に埋もれた赤絨毯の書斎、数々のオブジェと美術品で飾られた居間の写真しか見たことがなかったので、イメージとのギャップに驚いてしまった。

 考えてみると、高橋睦郎氏が書いているように、澁澤は異端でも偏執狂でもなく、「健康無比な好奇心の人」で、来る者を拒まず、善も、悪も、神も、魔も、屈託なく受け入れ、暖かくもてなすサロンの達人だった。あの魅力的な書斎と居間の演出も、彼一流の「もてなし」だったのではないか、とあらためて思った。

 澁澤の最後の作品は、言わずと知れた『高丘親王航海記』である。私は、この作品を著者の死と切り離して読むことができない。結末部分の原稿を眺めていると、それだけで、じわじわ泣けてきてしまう(当時の原稿は、全て龍子夫人の清書だという)。没後20年経った今でも、澁澤さんはすぐ身近にいらっしゃるような気がして、引き離される切なさと、親王が日本に向かって投げた光る珠から、また「みこのいのちがしぶとく芽ばえはじめますから」というオプティミスティックな希望に癒されて、涙があふれてくるのである。

 私は、澁澤さんの晩年の読者で、1987年、亡くなられた日のことはよく覚えている。会場には、1980年代生まれと思われる若者の姿も多かった。彼らは、親王=澁澤さんの投げた光る珠に導かれ、「みこのいのち」を受け継ぐ読者なのであろう。

 今日5月8日、澁澤さんの誕生日をひそかに祝して。
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