見もの・読みもの日記

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座談会・出版文化と納本制度について考える(国会図書館)

2008-05-24 23:44:50 | 行ったもの2(講演・公演)
○国会図書館 座談会『出版文化と納本制度について考える』

http://www.ndl.go.jp/jp/service/event/nouhon60.html

 国会図書館の開館60周年と、納本制度による資料収集も60周年を記念して行われた公開座談会。パネリストは、佐野眞一氏(ノンフィクション作家)、菊池明郎氏(株式会社筑摩書房代表取締役社長)、田屋裕之(国立国会図書館収集書誌部長)。

 座談会は、”国会図書館が納本制度によって資料を収集していることを、皆さん、ご存知ですか?”というスタンスで始まった。うーん、分かってないな、国会図書館。このイベントは、納本制度について周知と理解を図ることが目的のひとつであるにちがいない。しかし、そもそも、こんな座談会を聞きにくるのは、関連業界の人間が大半だと思う。にもかかわらず、司会者は、”納本制度をよく知らない一般人”の立場から、パネリストの知見を分かりやすく引き出すことに努めていた。その結果は、私のような”すれっからし”の聴衆には、フラストレーションの残る座談会であった。

 刺激的な話題の糸口は、いくつかあった。菊池明郎氏によれば、近年、出版物の総売上高は大きく減少している。にもかかわらず、出版点数は年々増加して、今や8万点。新刊を取次に渡せば、一時的な入金があるので、出版社は、次々新刊を出さざるを得ない。しかし、新刊の返品率は5割近く、結局、負のスパイラルに落ちていく。一方、ドイツでは、図書館が国民の「読書教育」に積極的な役割を果たしている。フランクフルトの図書館では、子どもたちに10ユーロを渡して、図書館に置く本を買ってこさせる試みをしており、その棚の本は非常に人気があるとか。これは面白い! ドイツの出版売上高が、少しずつだが伸びているのは、図書館の努力の賜物なのではないか、という。佐野眞一氏も、日本の青少年が、図書館の使い方に関する教育をきちんと受けていない結果、インターネットの情報を平気で剽窃するような大学生が生まれていることを憂慮していた。

 菊池氏、佐野氏に比べると、国立国会図書館の田屋裕之氏の発言に、私はたびたび”官僚臭”を感じてしまった。納本制度は出版物を文化財として守るものです→しかし、現実には100%納本されているわけではありません→国会図書館に納本しないと、せっかくの文化財が後世に伝わりませんよ、というのは正論である。でも、国会図書館に納本されない出版物は、後世に伝わらないものなの? そんなに国会図書館は特権的なもの? 日本の納本制度は、始まってたかだか60年。本が後世に「伝わる」「伝わらない」なんて、100年から200年経って初めて口にできる言葉である。制度の評価は、まだこれからの話だろう。

 もちろん、客観的な評価とは別に、信念はあっていい。でも「制度があるのだから、利用していただければと思う次第です」という田屋氏の言いぶりでは、信念があるんだかないんだか、サッパリ分からなかった、一方、これだけ網羅的に資料を集めていけば、収蔵スペースが足りなくなりますよね?という質問には、10年くらいは大丈夫、と前置きし、「そのあとは皆様の理解を求めながら、考えていかなければ」と、優等生の回答。口先だけで勇ましいことをいうのがいいとは思わないが、あー国会図書館って、金持ちケンカせず、だなあ。厳しい予算と使命感の板ばさみで苦労をしている図書館員が聞いたら、憤慨も忘れて呆然としそうだ。

 今日の座談会では、実作者の佐野氏と出版社の菊池氏から、図書館への期待が繰り返し述べられたことが印象的だった。前述の利用者教育もそうであるし、図書館の資料購入費の減少が、個人全集など良心的な出版物のマーケットを狭めてしまい、出版社の経営を不安定にしているという指摘もあった。

 最近の図書館員は、絶えず「利用者(サービス)」の視点で、自分の仕事を省みることを要求されている。それは確かに重要なことだが、「利用者」の便宜に偏り過ぎて、「著作者」の存在基盤を掘り崩すことになっては元も子もない。バランスのとれた出版文化を守り育てることも、図書館の使命であると感じた。
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