見もの・読みもの日記

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ヌード≠裸体/刺青とヌードの美術史(宮下規久朗)

2008-05-29 23:52:14 | 読んだもの(書籍)
○宮下規久朗『刺青とヌードの美術史:江戸から近代へ』(NHKブックス) 日本放送出版協会 2008.4

 近代日本における裸体芸術の成立を、その前史である幕末の裸体表現との比較を踏まえて考察した1冊。西洋では、中世以降、ありのままの裸体(ネイキッド)に対する強いタブーが存在する一方、ヌード(芸術として見られることを意識し、理想化された人体)は、美の規範と考えられてきた。逆に日本は習俗としての裸があふれており、あえて裸体を鑑賞するという発想は希薄だった。

 とはいいながら、江戸以前の日本美術に裸体表現が全くなかったわけではない。1つ目は仏像・神像。2つ目は風俗としての裸体。久隅守景の『夕顔棚納涼図』に描かれた半裸で涼む親子三人の情景を、米沢嘉圃氏は「日本のヌードの最高傑作」と評したという。なるほど。そうかもしれない。3つ目は浮世絵。ただし、日本人の美意識は、女性のプロポーションよりも、肌の白さや肌理など触覚的な美を重視した。春画では、贅沢な衣服や髪型の方が重要だった。近代以前、暗い家屋の中では「官能は今よりもずっと触覚によって刺激された」という指摘は興味深い。谷崎の『陰影礼讃』にも、日本女性の肉体のおぼつかなさに言及した部分があるのだそうだ。むかし読んだのに覚えていない。

 4つ目は死体や解剖図。丸山応挙の『人物正写図巻』(天理図書館蔵)は、老若男女の裸体をほぼ等身大で精緻に描き、手足や性器など身体パーツの拡大図も年齢別に並んでいるという。一切の理想化を排した、冷徹なリアリズムには、西洋のヌードとは異なるすごさがある。この画巻、私は奈良県立美術館の『応挙と蘆雪』展で見たはずだ。でも、こんな危ない場面ではなかったな(→ほぼ日新聞)。

 応挙のリアリズムの系譜を引くのが、幕末から明治に見世物として人気を博した生(いき)人形である。生人形! 2006年に熊本市現代美術館で行われた『生人形と江戸の欲望』展、見たかったんだけど、見のがしたのだ。その後、東博で何体か見たけれど、また大々的な展覧会はないかなあ。挿し絵の図版を食い入るように眺めてしまった。

 やがて西洋のヌードが入り込むと、明治初期の洋画や石版画、横浜写真には、折衷的で奇妙な裸体表現が登場する。黒田清輝の八面六臂の活躍とともに、次第に西洋的なヌードが広まり、定着する。しかし、黒田は明治33年(1900)の『智感情』を最後に、以後は着衣の人物しか描かなくなってしまったそうだ。不思議だなあ。大正期以降は、萬鉄五郎や小出楢重による「日本女性のヌード」の追求が行われた。このあたり、私の知らない作品が百花繚乱で、小さな白黒図版を見ているだけでも楽しい。

 蛇足だが、中村不折の男性ヌード群像『建国剏業』(1907年)は、日本神話に取材したものだが、恐れ多くも皇祖皇宗を「蛮族の如く」描いたことで、皇室の尊厳を冒涜したという非難を浴びたという。不折の発想も周囲の反応も、面白すぎ(→画像あり:森下泰輔『国GHQ皇』より)。

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