○平成17年度 春季京都非公開文化財特別拝観(京都古文化保存協会)
連休の初め、恒例の「京都非公開文化財特別拝観」を見にいった。そうしたら、宣伝ポスターと実際の内容が一部ちがっていて、国宝「北野天神縁起絵巻」(承久本)が見られなかった、ということを5月3日の記事に書いておいた。Blogを書いたあとも、やっぱり納得できないので、同じ日に京都古文化保存協会にメールを書いた。
その返事が昨日、届いた。「当協会と天満宮の間で、展示神宝に関する刷り合わせの詰めができていなかったため」に起きたことで、「まさに青天の霹靂!」だったという(天神絵巻にひっかけてる?)。たいへん恐縮していただき、「ご自宅までお詫びにお伺いしたく存じます」とおっしゃっていただいたが、これは辞退申し上げた。
展示品の確認をせずに、宣伝ポスターの掲載図版を選んで印刷してしまったというのは、どう考えても大失態である(お役所に近いところだし、原議書とか作って、大勢がハンコ押してるんだろうなー)。まあ、しかしながら、私も類似する職場にいるので、なんとなく事情は推察できる。昨今、「文化」とか「学術」に対する締め付けは、きわめて厳しい。今回の件が重大な過失だと分かるような、文化財に理解のある職員は、大量の仕事を抱えていて、ひとつひとつの詳細確認まで、とても手がまわらないのではないかと思う。
一方、現場に派遣されているのは、経験の浅い職員やアルバイトだけで、マニュアルどおりの仕事しかできないのだろう。今回、私がいちばん残念に感じたのは、現場に多くの関係者(大学生のガイドさん)が常駐しながら、誰も不審の声をあげなかったらしいということだ。与えられた原稿を暗記して案内をすることしかできないのかなあ。担当でなくても、ちょっと空き時間に宝物館を見て自主的に勉強しておこうとか、ポスター掲載の展示品くらい確かめておこうと思う学生はいないのかなあ、と思うが、いまどきの大学生に期待するほうが無理か。
それと、無駄を省く努力は大切であるが、安さ優先で外部にたよってばかりいては、「文化」や「学術」の分かる人材は育たないのである。そこのところ、社会が、少し大目に見てくれないものかしら...
連休の初め、恒例の「京都非公開文化財特別拝観」を見にいった。そうしたら、宣伝ポスターと実際の内容が一部ちがっていて、国宝「北野天神縁起絵巻」(承久本)が見られなかった、ということを5月3日の記事に書いておいた。Blogを書いたあとも、やっぱり納得できないので、同じ日に京都古文化保存協会にメールを書いた。
その返事が昨日、届いた。「当協会と天満宮の間で、展示神宝に関する刷り合わせの詰めができていなかったため」に起きたことで、「まさに青天の霹靂!」だったという(天神絵巻にひっかけてる?)。たいへん恐縮していただき、「ご自宅までお詫びにお伺いしたく存じます」とおっしゃっていただいたが、これは辞退申し上げた。
展示品の確認をせずに、宣伝ポスターの掲載図版を選んで印刷してしまったというのは、どう考えても大失態である(お役所に近いところだし、原議書とか作って、大勢がハンコ押してるんだろうなー)。まあ、しかしながら、私も類似する職場にいるので、なんとなく事情は推察できる。昨今、「文化」とか「学術」に対する締め付けは、きわめて厳しい。今回の件が重大な過失だと分かるような、文化財に理解のある職員は、大量の仕事を抱えていて、ひとつひとつの詳細確認まで、とても手がまわらないのではないかと思う。
一方、現場に派遣されているのは、経験の浅い職員やアルバイトだけで、マニュアルどおりの仕事しかできないのだろう。今回、私がいちばん残念に感じたのは、現場に多くの関係者(大学生のガイドさん)が常駐しながら、誰も不審の声をあげなかったらしいということだ。与えられた原稿を暗記して案内をすることしかできないのかなあ。担当でなくても、ちょっと空き時間に宝物館を見て自主的に勉強しておこうとか、ポスター掲載の展示品くらい確かめておこうと思う学生はいないのかなあ、と思うが、いまどきの大学生に期待するほうが無理か。
それと、無駄を省く努力は大切であるが、安さ優先で外部にたよってばかりいては、「文化」や「学術」の分かる人材は育たないのである。そこのところ、社会が、少し大目に見てくれないものかしら...