見もの・読みもの日記

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未来の問題として/靖国問題

2005-05-30 23:24:16 | 読んだもの(書籍)
○高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)筑摩書房 2005.4

 テレビを見ていたら、中国の副首相が小泉首相との会談をキャンセルした問題について、出演者が「どうして何かあるたびに、過去の問題を持ち出してくるのでしょう」と憤懣やるかたない口調でコメントしていた。聞きながら、暗澹とした気持ちになった。中国政府の非礼は非礼として、たぶん「靖国」を「過去の問題」と捉えることに、そもそも認識の差があるのだと思う。

 本書が指摘するように、問題は「過去の靖国」ではなく、現役の首相による公式参拝という「現在の政治行為」であるという見方に私は同意する。いや、2001年10月の日韓首脳会談で、小泉首相が約束した「日本は、靖国神社参拝について、世界中の人々が負担なく参拝できる方案を検討する」という宿題は、未だ果たされていない。

 そもそも、近代国家は、「国民の動員を目的としない、純粋な追悼施設」を作ることができるのか? これは、日本人だけでなく、21世紀に生きる全ての人類が、未来に向かって背負った難問であると思う。

 アメリカのアーリントン墓地、フランスの無名戦士の墓、韓国の国立墓地・顕忠院など、それらは全て自国の戦死者の顕彰を目的としている。不戦の誓いに支えられたドイツの「ノイエ・ヴァッヘ」でさえ、沖縄の「平和の礎」でさえ、ひとたび気を許せばたちまち「靖国化」を免れないことを、著者は、あきれるほど愚直な態度で検証している。途は険しい。しかし「靖国」は、むしろ「未来の問題」として我々の前にあると思いたい。

 私はかねてから中国がA級戦犯の合祀にこだわるのが不思議だった。この態度は、日本の戦争責任を非常に狭い範囲に限定してしまうようで、残念に思っていた。これに対して著者は、中国の意図は、問題を「A級戦犯合祀」に絞り込むことで「靖国」そのものを不問に付し、「一種の政治決着」を図ろうとしているのではないかと指摘する。なるほどね。

 本書は、日本近代史の門外漢である著者が、靖国問題を「どのような筋道で考えていけばいいのかを論理的に明らかにする」目的で書いたものだ。広範な資料を明晰に整理した労作である。「国家の詐術」にだまされないよう、知性を研ぎ澄ますことの大切さを教えてくれる。しかしまた、知性や論理だけでは、この問題が深く根ざした「感情」に対して、何の答えにもなっていないという批判もあると思う。
コメント (2)
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