昨年の今頃は、ワシントンDCやニューヨークの旅の最中であった。
特にニューヨークのマジソン駅に降り立ったときの、異様なほどの熱さは今でも記憶に鮮やかである。
走り回る「イエローキャブ」と人、人、これぞ「ニューヨーク」だと思ったものでした。
今年は、幸いお墓参りに出かけることができた。
13日、長男家族とともに午前中に車(プラド)に乗って長岡市(旧三島郡和島)にある「隆泉寺」に向かった。
いつものことながら「良寛さまの乞食行姿の立像」を見ると、ほっと和む。
我が家のお墓は、父が亡くなってから私が建てたものである。
すでに亡くなっていた母や父のご先祖の「分骨」という形で、本家のお墓から独立させたのであった。
ご住職のお勧めもあり、跪いて拝むという基本姿勢から考えたお墓であった。
しかし、その後に周りに建てられた多くの豪壮なお墓からみると、ちょっと見劣りがするようでもある。しかし、分相応なお墓であると自負している。
家族総出でお墓を磨き上げ、ローソク、線香をたて、お花を供えると、それはすがすがしい気持ちとなってきた。
この「隆泉寺」には、ご存じのように「良寛さま」や晩年の良寛さまのお世話をされた木村家のお墓がある。
良寛さまのお墓は、なんともはや堂々としたものである。その右手のお墓が木村家のお墓である。
そして良寛さまのお墓づくりにも関わられた「良寛さまの弟・由之」のお墓が左手にある。
帰り道は三条市経由で帰ろうと言うことになった。
三条市は世界的な「アウトドアー用品の有名ブランド」がある町である。
いくつかの用品を買って帰ろうと言うこととなった。
実は、それ以上に私たちの出身地であり、故郷でもあるのでした。
上の写真は、三条市にある「日蓮宗総本山・本成寺」である。
さすがにその風格はすごい。久しぶりに本堂に上がり畳の感触を楽しんだ。
実は、私が大学進学を志して勉強した夏の時期に、しばしばここを訪れて回廊や本堂の畳に寝っ転がり、うとうとしたことなどもあったのである。
クーラーなど無いご時勢にあって、さわやかな涼風と充実のひとときをもつことができたのであった。
さらに、本堂裏手には鬱蒼とした杉林があり墓場があった。私がまだ小学生の頃、祖母につれられて、ときどき「すぎっぱ(杉の枯れ葉)」を集めに行ったものである。祖母の「馬かご」が一杯になると帰ってきた。
当時、それはお風呂などの「かまど」で火をおこすときに欠かせないものなのであった。
いつの間にか、さまざまな思いがタイムスリップしたかのように次々と浮かんできた。
これも、お墓参りの余得であろうか。
特にニューヨークのマジソン駅に降り立ったときの、異様なほどの熱さは今でも記憶に鮮やかである。
走り回る「イエローキャブ」と人、人、これぞ「ニューヨーク」だと思ったものでした。
今年は、幸いお墓参りに出かけることができた。
13日、長男家族とともに午前中に車(プラド)に乗って長岡市(旧三島郡和島)にある「隆泉寺」に向かった。
いつものことながら「良寛さまの乞食行姿の立像」を見ると、ほっと和む。
我が家のお墓は、父が亡くなってから私が建てたものである。
すでに亡くなっていた母や父のご先祖の「分骨」という形で、本家のお墓から独立させたのであった。
ご住職のお勧めもあり、跪いて拝むという基本姿勢から考えたお墓であった。
しかし、その後に周りに建てられた多くの豪壮なお墓からみると、ちょっと見劣りがするようでもある。しかし、分相応なお墓であると自負している。
家族総出でお墓を磨き上げ、ローソク、線香をたて、お花を供えると、それはすがすがしい気持ちとなってきた。
この「隆泉寺」には、ご存じのように「良寛さま」や晩年の良寛さまのお世話をされた木村家のお墓がある。
良寛さまのお墓は、なんともはや堂々としたものである。その右手のお墓が木村家のお墓である。
そして良寛さまのお墓づくりにも関わられた「良寛さまの弟・由之」のお墓が左手にある。
帰り道は三条市経由で帰ろうと言うことになった。
三条市は世界的な「アウトドアー用品の有名ブランド」がある町である。
いくつかの用品を買って帰ろうと言うこととなった。
実は、それ以上に私たちの出身地であり、故郷でもあるのでした。
上の写真は、三条市にある「日蓮宗総本山・本成寺」である。
さすがにその風格はすごい。久しぶりに本堂に上がり畳の感触を楽しんだ。
実は、私が大学進学を志して勉強した夏の時期に、しばしばここを訪れて回廊や本堂の畳に寝っ転がり、うとうとしたことなどもあったのである。
クーラーなど無いご時勢にあって、さわやかな涼風と充実のひとときをもつことができたのであった。
さらに、本堂裏手には鬱蒼とした杉林があり墓場があった。私がまだ小学生の頃、祖母につれられて、ときどき「すぎっぱ(杉の枯れ葉)」を集めに行ったものである。祖母の「馬かご」が一杯になると帰ってきた。
当時、それはお風呂などの「かまど」で火をおこすときに欠かせないものなのであった。
いつの間にか、さまざまな思いがタイムスリップしたかのように次々と浮かんできた。
これも、お墓参りの余得であろうか。
私も13日に午前中は我が家族だけで義父方、義母方、また夕方には我が家族、実家、兄家族総出で父方、母方の墓前へ出かけてまいりました。
墓前で手を合わせますと、何とも心地よい緊張感、参った後は、清々しい気分になりますね。
毎年の行事ながら、それがとても貴重なことですよね。今春の彼岸前に、昨夏に亡くなった母方の祖母が夢に出てきて、「家族のために、しっかりしなさい!」と言われたときには、すごく驚いた思い出があります。祖母が亡くなっていこう、昨秋の彼岸以来墓前へ行っていなかったので、私の顔が見たかったのだろうと思いました。兄弟三人の末っ子で、祖母から見たら一番手の掛かった私でした。また私が結婚したときや、息子が生まれたときも、大変喜んでくれました。私も祖母に対する思いは人一倍強かったものです。
今後は最低月に一度でも、お参りに出かけたいと思いますし、祖母にいつも守ってもらっているという、感謝の気持ちを忘れずにしたいと思います。
遠田さんの書き込みには、いつも心温まるものがありますね。
時には、ご先祖さまを偲び感謝することは、とてもすてきなことだと思っています。
さて、今日から小布施一泊、「草津白根山ウォーキング」、北軽井沢一泊の私たちの夏休みです。台風がちょっと心配です。
孫たちが北海道の旅に出かけたのです。
こちらこそいつもお世話になっています。
ご先祖様あっての私ですからね。感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
本日から小布施へお出かけとのこと。ぜひお怪我無く、お戻りになりますことをお祈りします。
またお邪魔いたします。