この日も快晴となりました。まずは近鉄奈良駅から「大和西大寺」へ、そこで乗り換えて「西ノ京」で降ります。
歩いてすぐに「薬師寺」となります。そこは裏門みたいなものですから、表の「中門」にまわって境内に入りました。
私にとっては、とても思い出深い「薬師寺」です。およそ半世紀前のことでした。
この寺の「薬師三尊像」は「薬師如来」を中心に「日光菩薩、月光菩薩」の三体からなります。
当時、若い僧侶であった「高田好胤」さんの説明もあり、三尊像の健康的な魅力に惹かれていました。
中門の外から、「東塔、西塔」の上部が見えました。その昔、実は「西塔」は無かったのです。
さっそく目に飛び込んできたのは「東塔」でした。外人美術評論家の「フェノロサ」をして「凍れる音楽」だと表現させた塔です。
「金堂」の後ろに見えるのは「大講堂」です。
どきどきしながら50数年ぶりの再会「薬師三尊像」でした。ふくよかな「日光菩薩、月光菩薩」にメロメロでした。
どこの寺でも、さすがに「仏像など」の撮影は厳禁です。「撮りたい!」、でもかなわぬことですものね。
「西塔」の再建はじめ、金堂、中門、回廊、大講堂などの修復は、最近ようやく終わったばかりのようでした。
たしかに、50数年前のたたずまいとは、かなり違うかな、という印象でした。
これは「西塔」です。奥に「東塔」も見えています。
「大講堂」です。薬師寺はもっとも典型的な伽藍配置となっているようです。
薬師寺の「白鳳伽藍」から「玄奘三蔵院伽藍」に移りますと、「玄奘塔」、その後ろに「大唐西域壁画殿」がありました。
この寺は法相宗の寺であり、始祖・玄奘三蔵と言うことでした。
また壁画殿には「平山郁夫画伯」の30年に及ぶ「三蔵法師求法」の精神を描いた大壁画があり、圧巻でした。
このあと、数百メートル歩けば「唐招提寺」です。てくてくと歩き出しました。奈良散策は基本的には歩いてこそです。
歩いてすぐに「薬師寺」となります。そこは裏門みたいなものですから、表の「中門」にまわって境内に入りました。
私にとっては、とても思い出深い「薬師寺」です。およそ半世紀前のことでした。
この寺の「薬師三尊像」は「薬師如来」を中心に「日光菩薩、月光菩薩」の三体からなります。
当時、若い僧侶であった「高田好胤」さんの説明もあり、三尊像の健康的な魅力に惹かれていました。
中門の外から、「東塔、西塔」の上部が見えました。その昔、実は「西塔」は無かったのです。
さっそく目に飛び込んできたのは「東塔」でした。外人美術評論家の「フェノロサ」をして「凍れる音楽」だと表現させた塔です。
「金堂」の後ろに見えるのは「大講堂」です。
どきどきしながら50数年ぶりの再会「薬師三尊像」でした。ふくよかな「日光菩薩、月光菩薩」にメロメロでした。
どこの寺でも、さすがに「仏像など」の撮影は厳禁です。「撮りたい!」、でもかなわぬことですものね。
「西塔」の再建はじめ、金堂、中門、回廊、大講堂などの修復は、最近ようやく終わったばかりのようでした。
たしかに、50数年前のたたずまいとは、かなり違うかな、という印象でした。
これは「西塔」です。奥に「東塔」も見えています。
「大講堂」です。薬師寺はもっとも典型的な伽藍配置となっているようです。
薬師寺の「白鳳伽藍」から「玄奘三蔵院伽藍」に移りますと、「玄奘塔」、その後ろに「大唐西域壁画殿」がありました。
この寺は法相宗の寺であり、始祖・玄奘三蔵と言うことでした。
また壁画殿には「平山郁夫画伯」の30年に及ぶ「三蔵法師求法」の精神を描いた大壁画があり、圧巻でした。
このあと、数百メートル歩けば「唐招提寺」です。てくてくと歩き出しました。奈良散策は基本的には歩いてこそです。
高田好胤師の代になってからすっかり変わりましたね。
私も写経をさせていただき、僅かですが修復費用を送ったことでした。
その後にも訪問して院内の整備がなされていましたね!
すっかり変わったことでしょうから、近々に行ってきたいものです(^o^)
やはり継続して補修・修復の工事を心がけたからこそ保存が出来たのでは、そのように思いました。保存と言うことは大変なことなんだと思いました。
昔の薬師寺を知る身には、なんとなく違和感がありましたが、後世に残すためと思っています。
どうぞ、機会がありましたら、ぜひ再訪なさってみてくださいね。