柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

水上バスに乗って3

2012年07月13日 | 日々これ好日
ご存じのように信濃川は,遠く「長野県甲武信ヶ岳」に生まれた一滴の水が、やがて「千曲川」の流れとなり
新潟県津南町に入り「信濃川」となります。

 大きな越後平野は信濃川によって、長野の山や高地から運ばれた堆積物によってつくられたとも言えるでしょう。
何しろ日本最長・最大水量の河川「信濃川」なのです。
それまで、たびたび引き起こされる水害に悩まされていましたが、 大正11年「大河津分水路」ができて、
越後平野は豊かな穀倉地帯へと変わっていきました。さらに新潟市の市街地を水害から守る「関屋分水路」もできました。

 今年は、第2回目になりますが,新潟市では「水と土の芸術祭2012」が、この7月14日から12月24日まで、
いくつかのプロジェクト毎に行われます。
写真は、その参加作品の一つで台湾のアーチストによるものです。「信濃川やすらぎ堤」に市民の協力でできあがりました。


 「万代橋」の下をくぐりますが、初代の万代橋は木の橋でした。当時は信濃川の川幅は2倍以上もあったそうです。
私が下宿した、その家のおばあちゃんの話では、「沼垂から新潟島にお嫁に来たときは、長い長い万代橋を渡りながら、
涙にくれて、沼垂も見えなくなり、また涙なみだ」だったそうです。


 「万代橋」の美しさは自慢できるものでしょう。
その万代橋をくぐると目の前に「柳都大橋(りゅうとおおはし)です。万代橋のアーチとは違うけど、
緩やかなアーチの持つ美しさは言いようのないものだと思っています。
昔、新潟の街は縦横に壕が張り巡らされていて、その岸辺に「柳の木」が植えられていたのです。
「水の都、柳都(りゅうと)」などとも言われていたことから、橋へのネーミングとなったようです。


 「柳都大橋」を通過すると、そこはもう河口にほど近く「新潟西港」の一部と言っていいでしょう。
多くのヨットやプレジャボートなどが係留されています。
また、つい最近、上棟式が終わったばかりのビルディング「メデアセンター」が見えます。






 右岸にはランドマーク「朱鷺メッセ」がせまります。
これは船をイメージした「新潟コンベンションセンター」と「万代島ビル」からなり、国際会議など多面的に活用されています。
実はこの「のっぽビル」の最上階は、展望台でもあります。すばらしい眺望が見れます。
そして上層階は「ホテルニッコー」となっていて、私たち夫婦も、一度宿泊したこともありました。




 なんだか観光案内のようになってしまいましたね。

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