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柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

ゲルマラジオづくり

2005年10月16日 | アマチュア無線
 今日は、私の所属する「JARL新津クラブ」がホストクラブとなって研修会を行った。
場所は、新津支所市民会館の一室である。10時にはほぼ全員が集合。

 テーマは「ゲルマラジオの製作」ということで、小学生男女6人と付き添いのお父さん、お母さんが3人。それに大人男女2名の参加となった。
 あらかじめ用意されていた「ゲルマラジオ・キット」の8セットで講習会が始まった。

 講師は我がクラブのベテラン「Tさん」である。
いつもは高校生を相手の方であるが、今日ばかりは勝手が違ったようで、説明の図や言葉遣いも、いかにしてわかっていただけるかと、苦心の様子が伺えた。
 私たちクラブ員がほぼマンツーマンでアシスタントとして「今日の生徒さんたち」の指導・お手伝いにあたった。

 簡単なラジオの原理や製作手順などの説明も終わり、いよいよトロイダルコアにコイルを80回ほど巻きつける作業からはじまった。綿巻き銅線を巻きつけていくのだが、これが意外と難しかったようである。
結局、コイルを固定して、ポリバリコンなどのパーツをつけ終わると、お昼休みの時間となった。

 午後からは、いよいよ「半田付け」作業となった。
銅線の端に半田メッキをする作業で半田付けの練習をした。しかし、パーツ間を銅線で結んだりする作業では、半田ごてを持つ手もおぼつかなくてなかなかできないようである。この辺になると、我々アシスタントの出番ともなってしまった。

 あらかじめ、屋外から引き込んだ「エナメル線15mほどのアンテナ」を準備しておいた。次々と完成した「ゲルマラジオ」を持ってきては、アンテナ線につないでみている。ダイヤルを回す緊張した顔がほころびて歓声が上がる。

 しかし、どうしても聞こえてこない作品も出てきた。「T先生」がチェックをしてくださって全員のラジオがなんとか完成した。
でも、「一局しかきこえないよ。音が小さいね。」などと不満も出てきた。

 最後に、皆さんには、アンテナ用の「エナメル線」をおみやげに、また夜にもぜひ聞いてみることをを勧めたりして、今日の講習会は無事終了しました。

 私たちは、いつものミーティングとはずいぶん勝手が違って、いつになくくたびれました。でも、完成した喜びに「さっとほころびた笑顔」で報われた気がしました。そして私たち自身が、うんと若い頃に体験したことを「宝石のように大事に育ててきているラジオ少年」でもあるわけです。
彼らにも、そんなことを「そっと」期待したいのですが、どうなのでしょうか。

小さな夢かなう

2005年10月12日 | アマチュア無線
 ようやく全市全郡コンテストのログも「E-mail」での提出を終えた。

 何のことはない「ポストコンテストモード」を利用して「zLog」に入力したのである。局数も少ないのでたいした苦労もない。しかし、リアルタイム入力は今でも夢ではある。

 私は、歳のせいで「FT817」の液晶画面がよく見えないのにはほとほと難儀をしていた。それと、生来の新し物好きの心が動き出して、新発売される「IC7000」を手に入れようと考えた。

 まず、手持ちの「FT817,IC706mk2」と「同軸型、ワイヤー型」のアンテナチューナーを、それぞれ使いこなしていただけそうな方々に引き取っていただいた。
それらの機器の、これからも大切に利用いただけることを念じている。

 ところがである。資金が集まってみれば、「IC7000」を手に入れるには、かなりの不足であることがわかった。こんなことが事前に計算できないところが、いかにも私らしいのであろう。

 そこで、はたと思いついたのが「移動運用で1.9MHzに出てみたい」という小さな夢のことであった。
実は、固定機としてシャックに鎮座していた「FT847M」を移動用の無線機とすること。HF機はどうせ他に固定機があった。問題はUVであるが、物置から使っていなかったモービル機を引っ張り出してきた。これでよし。

 そして、集まった資金で「SG230」というチューナーを求めたのである。
今年も、粟島移動などで活躍してくれた「IC706mk2GMとAH4」のシステムから、新しい移動用のシステムとして「FT847MとSG230」と言うことになったのである。

 今までは、3.5から50MHzまでOKであった。今度は憧れの1.9から28MHzである。
50MHzはローカル局提供の「2エレHB9CV」で移動だ、などと納得させている。

 昨日は、お天気も良しであったが、出かけることができない状態。そこで我が家の庭先で急遽、新しいシステムの設営をしてみた。
 写真で見られるとおりが全てである。PGant100のポールと11mのワイヤー、ぺらぺらの銅板高周波アースなどからなる。

 それぞれに電源を供給して、CW用パドルで電波を出してみる。
さすがにまったくの初回であるから、SG230内のコンピュータも最適な「LとCの組み合わせを作り出すこと」に多少は時間がかかった。
さすがである。1.9から28MHzまでとにかくチューニングが取れた。
さっそく、7MHzでCW局を呼んで見る。コールバックあり。まあ良しだ!
 わずか11mのワイヤーで1.9MHzというのは実際には、いかがなものなのか。チューナがローディングコイルになっていてくれているのであろう。
飛ぶか、飛ばないか。これからの楽しみである。

 いずれにせよ、ひとつの思いが違った形であるにせよ、実現しそうである。
ただし、寒さに向かい、夕方や朝方、または夜、こんな時間帯の1.9MHzトップバンドの移動運用は、私には思いだけで終わりそうな気がしないではない。

小千谷の「へぎそば」

2005年10月09日 | アマチュア無線
 小千谷市の二文字のOMさんとは、毎年一緒に移動運用を楽しんできていた。
しかし、昨年の中越大地震以来、当然ながら途絶えていた。被害を受けたもののお元気であることはメールなどで確認していた。

 それでもメールのやり取りが続いていて、移動運用をしようと言うことで、お互いの都合を勘案していた。昨日の朝方電話が入り「お天気不良なれど、とにかく小千谷までどうぞ」ということになった。

 私にしてみれば、移動運用は無理としても、久しぶりのアイボールに心弾んだ。どうせ車の中には、いつも移動運用できるだけの機材は積んであるし、今日の雨模様では、移動運用はまあ無理だと思った。

 新津ICから乗り込んだ。非常に激しい雨の中ではあった。長岡を過ぎると関越道は地震による路面の凹凸修復のための工事で片側一車線走行であった。そして「小千谷IC」で降りて、OMの出迎えをいただいた。

 そのまま「そば処・角や」へ。
小千谷は「へぎそば」で有名。「へぎ」のなかに、できあがったばかりのおそばが、一口ずつ整然とならべられている。およそ3人前。「つゆ」に薬味を入れてすする。さすがさすがである。
二人でどんどんはかどること。おいしくて声も出ない。ようやく三分の一くらい残った状態で、改めて久々のご無沙汰と近況の報告であった。

 小千谷市の中心部にあるOMのお宅に案内される。
かなり広い敷地には3本のアンテナタワーなどが建っていて、あちこちにワイヤーや同軸ケーブルが張られている。うらやましい環境である。
 奥様もお待ちくださって恐縮する。実は奥様も「JLRS」のメンバーで活躍されている「おしどりハム」のご夫婦なのである。

 中越地震の際には、家屋そのものには大きな被害はなかったものの、室内のありとあらゆるものが飛んで惨憺たる様子であったとか。無線機ももちろんであったが、奇跡的に壊れなかったとか。ライフラインの復旧に時間がかかったようでした。

 お二人には、私の「柄目木庵」を紹介したり、今夜の全市全郡コンテストに備えて「zLog」のポストコンテスト・モードでの入力などについてアドバイスさせていただいた。

 ところで、お二人には大変な事業が予定されていたのである。
なんと、近くを流れる信濃川の堤防が、水害予防のために改修されることとなり敷地の大部分が、その工事により堤防となるのだとか。
広さと言い、電波の飛び具合などもよくて、ざんねんなことだとおっしゃっていました。

 しかし、幸い現在は新たな代替地も決まり、大工さんの施行を待つ状態とか。
お二人は、新しい地での「タワーやアンテナ、シャック」などの構想を練っておいでのようで、その夢を熱く語っていただきました。
「この人は、いくつになってもラヂオ少年なんですよ」なんておっしゃる奥様は、ニコニコとほんとにお幸せという感じでした。

 いつの日にか、新しいシャックを訪れることを楽しみに、夕方、小千谷市から再び車を走らせ新津へと向かったのでした。

QSLカード印刷

2005年10月07日 | アマチュア無線
 今日は、3ヶ月分のQSL(交信)カードを印刷した。
とは言うものの、夏場はQSO(交信)の数も毎年少ない。200枚程度の印刷ですんだ。

 Hamlog利用のカード印刷で、ささやかであるが月ごとに写真を入れ替えている。
他の方のカードなどを参考にしながら、自分なりに編集してせっかくのカードが役立つように、見やすいように気配りしているつもりである。
ただ、印刷インクをケチって写真が小さいのは、ちょっともうしわけないと思っている。
 中には,惚れ惚れするような写真や文言を添えてくださっているカードをいただくことがある。そんなカードが目標なのだが、とても及ばない。
また、そっと年齢を書き込まれて健在ぶりをお知らせしてくださる大OM方もおいでであるが、「希望の星」だといつも感服してしまう。

 時には、必要な要件・データの記載がなかったり、はなはだしいものには自分のコールサインがぬけていたりするものもある。まあ、そんなこともあるでしょう程度にしているが。

 これから、¥500の「エクスパック」で、島根のビューロー宛てに発送して来ます。
   FB DX ! and FB Hamlife !

悪戦苦闘のログ入力

2005年10月06日 | アマチュア無線
 カードビューローからのカードの処理を2回分貯めてしまっていた。

 7月に到着分はアメリカ行きの準備で忙しくて処理していなかった。
今回の9月到着分と一緒に、せっせせっせと数日前からHamlogに入力していた。
ようやく終了できた。
その間はQSOをすることより、処理の方を優先しないと終わらない。

 一枚一枚にはそれぞれに懐かしいもの、ありがたいものとさまざまである。
数ヶ月前、場合によっては数年前の成果がようやく実るわけである。
KCJ(全国電信同好会)のレポートも提出できた。
改めて「AJAPA5」もインストールした。

 この後は、7,8,9月分のQSLカードの印刷が待っている。
これも毎月印刷していたのに、ためてしまった。
何が何でも週末の「全市全軍コンテスト」前には、すっきりと終わっておきたい。
そして、久しぶりに「呼び専門」ではあるがコンテストを楽しみたい。
しかし、日曜日9日の午後には、どうもコンサートが予定されているようだ。
女房殿には勝てませんからね。

戦いの後(ARDF)

2005年09月21日 | アマチュア無線
 今日は「Reg.3 ARDF大会」の競技(3.5MHz)がいよいよ始まる。

 私はゴール地点の担当である。
朝7時前に家を出た。本部のある阿賀野市の旅館には、すでにTX班のスタッフが勢ぞろいして出発するところであった。
私たちゴール班も、本部を出発してスタート地点に寄ってからゴール地点に到着。
いやはや、選手などにならなくてよかった。車で走ってもかなりの距離である。
非常にハードな競技だといつも思う。

 ビーコンの設営、ゴール地点の導入路づくり、ゴールの横断幕、テント張り、テーブル・イスの準備、コンピュータと選手の到着時刻を正確に計測する「SI」のセットなど、かなりの仕事がある。班長さんの指示でてきぱきと作業を進めた。

 9時を過ぎる頃には、各TXからのID電波が聞こえ出した。準備OKだ。
9時35分には「スタートしました」という知らせが流れる。正確な時間間隔で次々とグループでスタートする。
私の担当は、データ取得の不具合の場合のバックアップである。いざと言う場合に備えたもので、手書きでゼッケン番号とタイムを記録することである。
普通はSIシステムにより自動的に選手のデータが読み込まれるのである。

 いよいよ緊張が増してきた。2時間前後から選手がゴールするようになった。
多くの応援者から、歓声や拍手、檄の声が飛んだりしている。
2時間あまりも道もない山野を駆け巡って、電波の発信源を幾つも探してゴールするのである。それでも勢いよく飛び込んでくる選手、また、よろよろと歩いてゴールするものとさまざまである。

 オーストラリア、中国、カザフスタン、韓国、モンゴル、ロシア、タイ、USA、日本と飛び込んでくる選手の国籍はいろいろである。国際大会ならではの光景である。中でも、若い人を中心にした「カザフスタン」の選手の元気がよかったように思われた。午後も3時を過ぎるとタイムオーバーで失格になる選手も出てきていた。

 競技も終わり、各国の選手は思い思いに昼食をとりながら休息をしていた。
私には、どの国の選手にも親しみを覚えたが、特に「CQ WW」などのコンテストでサービスいただくアジアの西の端「ウズベキスタン」の人たちに声をかけたかった。そしてついに一緒に写真を撮らせていただいたのである。

 各国の選手の皆さんには、23日(144MHz)での競技が残っている。健闘してほしい。
それに明日は休息日で、「日本を楽しむ一日」となっている。大学生など多くのボランティアがお供することになっている。多くのスタッフやボランティアに支えられたこの大会が盛会に無事終了できることを心から念じています。 
 
 残念ながら、私のボランティアでの参加は今日で終わりである。
私は、前々からの孫との約束で、週末の連休は「孫と過ごす」予定となっていました。申し訳ない。

Reg.3ARDF大会始まる

2005年09月19日 | アマチュア無線
 この春先から地元スタッフを中心に準備されてきた「Reg.3ARDF」大会がいよいよ始まる。

 今日は阿賀野市において、役員、ボランティアが集合して、最後の顔合わせとミーティングが行われた。
 私もゴール地点での要員として参加することになった。

 日本で初めての国際的な大会ということで、関係されているスタッフの方々のご苦労は並大抵ではなかったであろう。頭の下がる思いである。
大会が無事に盛大に終了することを願っている。

 午後からは、諸外国からの選手団を迎えて、その受付なども始まった。
また、全国各地からのボランティアの人たちも集まってきている。
平行して、記念局「8N03ARDF」を本部(阿賀野市)に設置して、そのアンテナ設営が行われて、少しお手伝いした。設営はさすがに手馴れたOM諸子により、あっという間に組みあがった。

 明日20日は、144,3.5MHzでの練習会があり、夕方に開会式となる。
21日は、いよいよ3.5MHzでの競技大会となる。
22日は、休息日ということで、選手の皆さんは観光やショッピングを楽しむことでしょう。
23日は、144MHzでの競技大会と表彰式が予定されている。

 主だったスタッフの皆さんは大会終了まで連日泊り込みで業務に専念される。
ほんとにご苦労様である。
競技もさることながら、諸外国の選手とのコミュニケーションを大いに楽しみ、国際親善にも役立ちたいものである。

港町酒田でのアイボール

2005年08月30日 | アマチュア無線
 ちょっと涼しさも感じるこのごろですね。

 先週の週末は、以前から出席を楽しみにしていた「KCJ 7エリアミーティング」に行ってきました。
 やはり7エリアOM各局とのアイボールが何よりも楽しみでした。それに某OMのアンテナファームを一度この目で見ておきたかった。

 土曜日、午前10時近くに出発。中条町(9/1より胎内市)まで高速道利用。
後は7号線をゆったりと走り山形県へ。鼠ヶ関で「ホタテ」を食べて、「道の駅・温海」で昼食。そして7号線から112号線の海岸よりの道を選ぶ。「湯の浜温泉」街を通過して酒田市に入る。
 時間に余裕があるので、酒田港に寄る。とても美しい港である。飛島航路もあり、そのビルのレストランで「いかすみソフトクリーム」をいただく。なんともいえない味わいでおいしい。お勧めである。

 どうしても一緒にドライブしたいと言う女房を7号線沿いのホテルに送り届け、ちょっと先の健康ランド「ゆうゆう館」に落ち着く。
 今日は6名の参加と言うことで、やがてみなさんお風呂もすみ、勢ぞろい。
すでに10回20回とQSO頂ながら、今回が初アイボールQSOとなる方もおいでになった。

 夕食をはさみ、夜中の1時過ぎまで延々8時間くらいも、ラグチューが続いた。
6人と言う人数が手ごろであったようだ。話題があちらとこちらではなく、次々と関連しながら出てくる話題をみんなで楽しめた。コンテスト、ログソフト、アンテナ、移動運用、JARL問題などと共通な問題は、皆さんの体験や実践に裏付けられたものだけに、とても有益なものであった。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kcj/j_index.htm
 
 翌朝、日曜日には私が一足先に女房をホテルに迎えに行き、その後すぐに皆さんと430MHzで連絡を取り、案内をいただきながら、ちょっと山手の「カントリークラブ酒田」に隣接する地に向かった。
 
 今日の目玉は、このたびの幹事役のOMさんのシャックとアンテナ見学である。
以前はスキー場であったという場所の一角に2階建てのログハウスが突如現れた。山手の方を見上げてびっくり仰天、山側とその稜線と思しきところなどに10本近くのタワーやパンザマストが建っていた。なんと遠いところでは同軸ケーブルは400mにもなっているとか。
いやはや、話には伺っていたが、このような局長さんが現実においでになることにびっくりである。毎度コンテストなどでは強いシグナル」でサービスいただけるわけである。

 ログハウス内は、そのデスクにHF,VUのエキサイターと多くのアンテナコントローラが目を引いた。隣室にはどーんとリニアが何台かあった。薪ストーブからお風呂と至れり尽くせりである。2階部分は寝室であろうか。

 興奮冷めやらぬ私であったが、駐車場では各局のモービル局の紹介が始まった。
私は何度もの海外運用も体験されているOMさんから、ローバンド特に1.8MHzの「PG100ポール」による垂直アンテナについて教わった。
 それは、しかるべき長さのワイヤーをスパイラル巻きにして、その先端部分に「トロイダルコアーに巻き込んだ延長コイル」を「ギボシ端子」で取り付けポール先端にコアーの穴を差し込んだものである。電流の少ない部分のトップローデングとなり、後はチューナーにお任せとのこと。
これなら、しなやかな「PG100」でも垂直な状態を保てるわけである。
単にCWがうまいと言うだけでなく、いろいろと実践実験されているOMには、いよいよ尊敬の念を感じてしまった。

 また、次回の再会を約して、お先に失礼した私である。
参加各局には、その帰途においても所々で運用されながらお帰りになったとか。
どうも、この辺からして私とは違っているようである。私の何倍も無線が好きなんだなあ、とつくづく思っている。

ハムフェアー(KCJ)

2005年08月23日 | アマチュア無線
 私はKCJ(全国電信同好会)のメンバーです。
 
 なかなか敷居が高くて電信の世界に踏み込めなかった私ですが、思い切ってKCJに仲間入りすることで、自らをプッシュしたのです。
でも、それは退職3年目のことでした。ずいぶん晩生ということになりますね。
でも、今では電信の世界(和文はすっかり忘れています)の魅力に取り付かれています。

 そのKCJが長い歴史を持つにもかかわらず、ハムフェアーに出展するのは今年が初めてでした。
個人的には、毎年必ずハムフェアーには来ていました。
 しかし、今年はKCJのブースを基地にして、疲れるとブースでのアイボールを楽しみ、再びいろんなブース回りを存分にできました。
 
 KCJでは、会員同士のアイボールがポイントになります。再会、再再会の方も多かったのですが、何人かのファーストアイボールもあり喜んでいます。
 それにしても、次々と訪れてくださった方々の中で、何度も何度も移動運用などでサービスいただいている方のコールサインを発見して、それは感激モノでした。想像していた方とはぜんぜんイメージが違っていたり、ほんとに楽しいものでした。

 このたびのKCJ出展には、利用させていただいた だけで、準備や後始末など何もお手伝いできなくて申し訳なく思っています。
しかし、来年以降も事情が許すなら、このような企画はぜひ続行してほしいものだと思っています。できれば何らかのお手伝いをしたいと思っています。

 今年のハムフェアーは殊のほか楽しかったのは、KCJの出展があったからだと思います。
写真の中で一人だけヘボOPがいます。他の方はすばらしい方々です。あえてコールは。ごめんなさい。

ハムフェアー(Keying)

2005年08月23日 | アマチュア無線
 ハムフェアー会場で、とても印象に残ったものがありました。

 「A1 クラブ」のブースでした。
 写真でもお分かりいただけると思いますが、キー端子からケーブルで2個の押しボタンが接続されています。
その押しボタンを左右の手に持って交互に操作して長短を打ち出します。
 デモンストレーションをされていた方が、とても器用に体を左右に振りながら、リズミカルに操作さされていました。とてもお上手で、かっこよかったのです。
 飛び入りの方が挑戦されましたが、結構うまく打てていたようでした。

 私がいつも指先だけちょこちょこと動かしているパドル操作の様子は、女房から見れば異常なことのようです。私の運動不足・脂肪肝の原因だと思っているようです。
 しからば、私がサンバのリズムにでも合わせて、体を振り振り腕を上げたり下げたりしながらKeyingしていたら、女房殿にはどのように見えるのでしょうか。
この歳て私が踊りだした様子を想像すると、どうも醜悪そのもののように思われます。しかし、脂肪肝が直るようなら挑戦の価値ありですね。

 ハムには遊び心が無くてはね! 


ハムフェアーに行ってきました。

2005年08月23日 | アマチュア無線
 ちょっとタイミングがずれてしまいましたが、やはりBLOGには残しておきたいと思いました。

 数日前の帰国に伴う時差ぼけが必ずしも完全回復とは言いがたい状態でしたが、21日(日)、張り切って朝6時過ぎの新幹線で東京へ。
車窓から見える越後平野一面は、太陽エネルギーで満充電に近い様子です。まもなくおいしい「こしひかり」がいただけることでしょう。

 東京駅から山手線、新橋駅へ。この車両はもちろん越後の新津生まれなのですが、皆さんご存知でしたでしょうか。
 新橋駅からは、奮発して「ゆりかもめ」で、お台場あたりを空中遊泳して、国際展示場へ。
 例により、3エリアのOMさんが「風力発電機」を背中に背負って出迎えてくれました。

 会場は、3ブロックに別れていて、とても見やすくなっています。
2つのクラブ関連ブロック、1つのJARL,JAIA,業者関連のブロックです。
 
 まずはクラブブースの見学。
私はAC200Vラインにはフィルターを入れていましたが、今回は100Vライン用のフィルターが目当てでした。それに、50MHz対応のコモンモードフィルターもほしいと思っていました。
二つともあわせて購入できました。もちろん」値下げ交渉の結果の購入決断でした。こんなところがハムフェアーの楽しさでもありますね。
 ほかに、PG100アンテナポールを格納できる運搬用のケースがあり,欲しかったのですが、これは閉店ぎりぎりのときに売れ残りということで格安にgetしました。

 お昼前後にはくたびれ果てて、いつもお邪魔する「SEA NET」で一休み、「KCJ」のブースで一休みも、ふた休みもしました。
元気回復、業者ブロックに向かいました。

 一度触れてみたい機種(トランシーバ)があるので、迷わず直行。
 まるで戦車かダンプカーといったところの「FTなんとか」。ダイヤルの感触はすばらしい。7MHzCWでKCJコンテスト参加中のおなじみさんのコールがたくさん聞こえてきた。
 一方、先駆者としてのゆとりか、気品漂う高級セダンの風格の「ICなんとか」。甲乙つけがたい。かくもFBな製品を作れるメーカーの存在がうれしい。
 実は、多くのHAM仲間の関心事は圧倒的に「IC-7***」にあったようです。
かく言う私も、IC-706mk2、FT-817をすでに売り払って、密かにGetしようとたくらんでいるところですHI.実際にはかなりの資金不足で頭を悩ませています。

 どんどん、皆さんが引き上げ始めました。
私も、会場から今度はバスで東京駅八重洲口に到着、いつもここまで来るとなぜかほっとします。
 弁当を買い込んで、新潟行きの新幹線に乗りました。
すばらしい一日だったなあ、と満足しました。

夢のライセンス!

2005年08月06日 | アマチュア無線
 スペースシャトル「ディスカバリー」が任務と修理を終えて地球への帰還が可能となったとか。よかった。安全にランディングできることを願っている。
 写真は孫の手作りのシャトルである。ペットボトルが見事変身したのにはびっくりするやら、うれしかったりだった。


 ところで、ある広報誌を読んでいたら「七十三歳でもできる」と題した文章に出会った。北海道の方のようである。
「昨年八月、73歳で念願の’第一級アマチュア無線技士’の国家試験に合格し、晴れて免許状を手中に収めることができた」とある。更に「70歳で三アマ、71歳で二アマ、73歳で念願の一アマにたどりついた」とある。頭の下がる思いである。
 この間、何度も挫折しそうになり奥様のサポートに感謝されたり、これからは国際人としてのマナーを守り各国との通信や災害時の支援、青少年や高齢者のためのアマチュア無線教室の開設などと、さらなる夢を語られている。
まさに青春真っ只中のようである。脱帽!

 以前にも紹介したかもしれないが、私の存じ上げている「おしどりハム」のご夫婦のシャックにお邪魔したことがある。お二人は、もともとは「山登り」を通じて結ばれたようである。子供さんたちもそれぞれ優秀で大きくなって、最近はお二人で無線と山を楽しまれている。まだお若くて現役のお二人ではあります。
そのお二人の共用RIGと共に2個の額縁が飾られていた。それぞれその中には「4アマから1アマ」までの4枚のライセンスがきちんと入って飾られていたのである。なんともすばらしいものを拝見したものだと思った。

 かく言う私も、長い間のQRTから目覚めて、「1アマ」にたどりついたのは
50歳のときであった。和文で失敗して2度目での合格であった。しかし、CWをはじめたのは退職して更に数年後である。私の車はナンバーが「59-73」である。今なら是非にも「 5-99」としたであろうに。
大学ノート10冊にびっしり書き込んだ和文受信練習。しかし、そのスキルも使わなかったので、いまではまったく無となっている。
「QSL UR599 TU」から一歩抜け出さねばと思う昨今ではある。

暑さにへたばって!

2005年07月31日 | アマチュア無線
 この前の台風一過のあと、猛暑が続いていささかへばり気味です。
加えて、豆台風とも言うべき孫の襲来で、老骨に鞭打って、孫にとっての何か思い出になればと、日々あちこちと連れて行ったりこれサービスに努めていました。

 夜な夜な花火を上げたりして、汚れ放題の我が家の庭を、今朝は5時起きをして手入れをしました。
 5本ある松の木の「剪定」と言うにはおそまつですが、伸びすぎて樹形を崩しそうな新しい枝を切りました。庭を竹ほうきで掃いたのですが、このころになると気温もうなぎのぼり、さっさと家に引っ込みました。無理することないのですよね。

 そういえば、先日、QSLカードがビューローから届きました。
200枚程度でしょうか。いつも宅急便でいただいています。
今回は、記念局のカードが30枚ほどでした。「8J1ODA]や「8J2CNT」などはバンド、移動地、などが違うたびにQSOさせていただいていました。

 私は、海外の局とQSOしてもJARLビュローを利用するだけで、SASEでQSLカードを請求したことはないのです。これが私流の楽しみ方になっています。
せっせとビューローで出していると、それでも数年後にQSLカードが送られてくることがあります。今回は2003年でのQSOに対するQSLカードがロシアから多く届きました。
それと、お隣韓国からは2004年のQSOに対してたくさんのQSLが来ました。特に記念運用「6K0,6M0,HL0,」などの特別運用カードが届きました。
 カードをいただいたからいうのではありませんが、ロシアにはアマチュア無線の古くからの伝統があります。韓国はいまやIT技術の先進国です。やはりビューロー経由でカードが届くと言うのは、その国の文明度を示しているのではないかな、と勝手に思っています。

 さて、7月も最後の日です。
豆台風の孫も今日、埼玉に帰ります。少しはRigの前に座れる日がまた来てくれそうです。そのためにも「暑さにへばって」もおれないですね。

JARL新潟県支部大会

2005年07月25日 | アマチュア無線
 地元新津クラブの方々と車に分乗して、西蒲原吉田町を目指した。
途中、むくげの花が咲き乱れる並木道を通り、会場の「吉田町産業会館」に到着。
すでに、何本ものホイップアンテナなどでドレスアップした車が並んでいた。これらの車を一台一台拝見するのも楽しみの一つである。こだわりナンバー「73-88」や「5-99」なんてのもある。

 開会前の「ジャンク市」を何度も何度も見て回る。顔なじみのOMに次々とお会いして言葉を交わす。
サイモン(7J7ACT/)さんが三沢から来て、ブースをもらってQSO相手を求めていた。彼はすでに昨日は、多宝山からのQRVでかなりの局数を稼げたようである。こだわりの144MHzFMでの10,000局達成も目の前のようである。

 午前中の支部報告など、型どおりに進み、記念撮影の後、お昼ご飯となる。
午後は、まず「8N03ARDF」記念局の開局式のテープカット。
いずれ9月には、私どもも(新津クラブ)運用予定である。たのしみだ。

 その後、シンポジウム「災害時におけるアマチュア無線活動」があった。
パネラーは過去において、または昨年の中越地震で実際に被災された体験を持つ方3人、それに「FMゆきぐに」の放送局長であった。コーディネーターは支部長。
 まず、それぞれの被災体験を通じて、被災して身を守るだけで精一杯であったという体験、被災地に入れないもどかしさ、事前準備した救急袋を余震と崩壊の危険のために持ち出せない体験などさまざまであった。
 ごくごく身近な状況をアマチュア無線で発信してほしい、それらをまとめたり、広域への発信は専門局にまかせてはどうか、などと実に有益な体験談と提言が続いた。
いずれにせよ、身近にハンディー機は必需品だと改めて気づかされた。

 最後は、お楽しみ「抽選会」、幸い私は携帯のハンズフリーのセットを当てた。皆さんにはそれぞれ何がしかのお土産が渡ったようである。

 来年は、「柏崎市」での開催となる。これもまた待ち遠しく楽しみである。
「貞心尼」ゆかりの地でもある。いずれじっくり訪れてみたいと思っている。

 一年一年、お互いに歳を重ねながら、元気に会えて「やあ、やあ」。これがたまらない。

むくげの花

2005年07月23日 | アマチュア無線
 どうやら、ようやくにして今年は梅雨明けをむかえたのではないだろうか。
ものすごく強い日差しで、帽子をかぶっていないと頭のてっぺんがひりひりするようだ。

 我が家の「むくげの木」が毎日毎日、薄紫の花を数多く咲かせている。
ほんの4,5年前に小さな木をいただいて、我が家の庭に植えてみた。ずかずかと大きくなった。
そして毎年、これでもか、これでもかと言うほどに花をたくさん咲かせている。

 聞くところによれば、この「むくげの花」は韓国の国花だそうである。
そういわれてみると、如何にも韓国の花というイメージにぴったりのような気がする。

 韓国の人たちとの通信(QSO)では、ずっと以前は「日本語がお上手ですね」というのは禁句であった。しかし、我が国は古来から多くを朝鮮から学んできたのである。
最近はややもすると「ぎくしゃく」しがちな状態ではある。

 私の海外との通信(QSO)では、もちろん韓国のHAMのみなさんとの通信が一番数が多いのである。
北陸地域(9エリア)や四国(5エリア)の方との通信より、その回数はずっと多い。
これからもその機会を大切にしたいものだと思っている。