WIRED2023.08.29
さまざまな社会がもつ価値観の差を画一化しない、真に多元的な社会を担保するにはどのようなガバナンスが求められるのだろうか? 「プルリバース(多元社会)」をテーマに、G7デジタル・技術大臣会合の関連イベントとして開催された「Agile Governance Summit」でそのヒントを探った。
技術が急速に発達し、社会が目まぐるしい速さで変容するなか、規制やガバナンスにも進化が求められている。その議論で近年よく聞かれるのが「アジャイルガバナンス」という言葉だ。
「わたしたちは『マルチステークホルダーによる、分散的でアジャイル(機動的)なガバナンス』のことをアジャイルガバナンスと呼んでいます」
そう語るのは、世界経済フォーラム(WEF)/第四次産業革命日本センターのアジャイルガバナンスプロジェクトスペシャリストである隅屋輝佳だ。政府主導の従来のガバナンスを超え、市民や企業が参加し、各現場が自律分散的かつ柔軟にガバナンスをしていくアジャイルガバナンスを、WEFはデジタル時代の新たなガバナンスモデルとして研究してきた。
その議論を深めるためのサミット「Agile Governance Summit」が、4月のG7デジタル・技術大臣会合の関連イベントとしてWEFの主催で開催された。キーワードは「プルリバース(多元社会)」だ。
先住民たちの蜂起から始まった議論
人類学者のアルトゥーロ・エスコバルが広めた「プルリバース」は、人間と自然、そして人工物を含むあらゆるものが相互に影響を与え合う、多様性を包摂した世界観を指す概念だ。世界はひとつの絶対的な価値基準に基づいた単一社会からなるわけではなく、複数の価値基準や社会が独立して集まっているものであることを表現している(なお、ひとつの場や社会に多様な人がいることを表す多様性は、そうした社会が独立して複数あることまでは必ずしも表しておらず、多元性やプルリバースとは異なるレイヤーの概念であることに注意したい)。
プルリバースをサミットのテーマにした理由について、隅屋はサミットの冒頭でこう語った。
「これまでのわたしたちの世界にはそうした複雑性を許容できるガバナンスや、それを支える技術がありませんでした。しかし、サイバーとフィジカルが混じり合う『CPS(Cyber-Physical Systems)社会』におけるガバナンスは、わたしたちの複雑な社会を複雑なままに扱うことができるのではないかと思ったんです」
では、そもそもプルリバースはどのような文脈から生まれた概念なのだろうか? イタリアのザンクトガレン大学の准教授で、プルリバースについて研究するフェデリコ・ルイセッティはひとつめのセッションのなかで、「プルリバースを語るうえで、1994年のサパティスタの蜂起は外せない」と語っている。
サパティスタとは、メキシコのチアパス州で結成された先住民主体の組織だ。広大な原生林を擁し、マヤ文明が栄えた土地でもあるチアパスは、スペインによる征服を受けて以来500年以上にわたって強制労働とプランテーションによる生態系破壊の犠牲となった。
「宗主国は、大西洋奴隷貿易という人類史上最大かつ最も残酷な人の強制移動と搾取の上に富を築いてきました。これによる集中的な資源開発に依存する持続不可能な生活モデルが広まり、それが現在の気候変動や環境の破壊にも大きく寄与しています」と、ルイセッティは語る。こうした背景のもと、先住民が自らの価値観や経済、文化に従って、平和的に共存する権利を主張したのがサパティスタの蜂起だった。世界のなかで同じ生活や技術を求めるような普遍的な原則から脱却することで、共存が達成できるとサパティスタたちは考えたのだ。
「サパティスタが掲げた政治的ユートピアに触発され、プルリバースという言葉は90年代半ばにラテンアメリカの脱植民地主義者の間で流行し始め、やがて共同生活のパラダイムへと発展しました」
一極集中への批判
プルリバースの概念が現代の問題に対する単一の解決策を提示するものではないと前置きしたうえで、ルイセッティはこう説明する。「プルリバースは、グローバルガバナンスに対する画一的なアプローチに疑問を投げかけるものです。既成概念に挑戦し、優先順位を見直し、社会テクノロジー環境にこれまでと違う見方を提案しようというものです。その原則は、一極集中への批判にあります」
こうした一極集中は、CPS社会でも発生しうる。 ひと握りの企業や国家が主導する広範なデジタル化は、社会の不平等や天然資源の搾取を加速し、強化し、自動化させるからだ。
「学者たちはこれを『モノ・テクノロジー主義』と呼んでいます」と、ルイセッティは語る。「テクノロジーは本来、普遍的で均質なものではありません。複数の文脈とステークホルダーの上に成り立っているのです」
そうしたモノ・テクノロジーから脱却し、真に多元的な世界をつくるために、わたしたちは生態系に学ぶ必要があるとルイセッティは呼びかける。「CPSは自然の複雑性や多様性から学び、自然を尊重することが求められます。モノテクノロジーは、人類や生物の惑星規模の多様性を単純化する権利はもたないのです」
後半のディスカッションでは、一極集中から脱却する具体的な方法についても議論された。このセッションのもうひとりの登壇者であり、ガバナンスDXの新たな原則「ガバナンス・プリンシプル」の策定に尽力した京都大学法学研究科教授の稲谷龍彦は、近江商人の経営哲学である「三方よし」の考え方を例に挙げてこう語った。
「『三方よし』は、買い手と売り手、世間の3つによい影響がなければ、商売が持続しないという考え方です。そうした考え方を理解してもらい、その理解に従って商売をしていく人たちが本当に報われるような仕組みづくりが必要になります。それによって、分散型でマルチステークホルダーなアプローチが回っていくのではないでしょうか」
所有とガバナンスを分散化させる
そうした分散型システムを探究している団体のひとつが、経済学者のグレン・ワイルが設立したRadicalxChangeだ。同団体はブロックチェーンや人工知能(AI)を活用し、次世代の社会制度の在り方を提唱してきた。
例えば、RadicalxChangeが考案した「二次の投票(クアドラティック・ボーティング:QV)」は、問題に最も関係のある人が意思決定において最大の決定権をもつ投票の仕組みだ。数がモノを言う多数決とは異なるこの意思決定の仕組みは、多元的な社会の在り方のヒントになるかもしれない。
ふたつめのセッションでは、「所有権」をテーマに、RadicalxChangeのプレジデントであるマット・プルーウィットと弁護士の水野祐が対談した。
所有権は、対象物に対する権力を保証するものであると同時に、責任を負わせるものでもある。「例えば建物を所有するということは、逆に言うと、建物のメンテナンスをしなくてはならないということですよね」と、プルーウィットは語る。しかし、権力は最大化したいが責任は最小化したいという意思が常にはたらくことに問題があると彼は指摘する。
この権力と責任の不一致を最小限にするためにRadicalxChangeが提唱するのが、「部分的共有所有権(Partial Common Ownership:PCO)」という考え方だ。これは、所有権を「期間限定で所有する権利」と、それ以外の「残留所有権(Residual Rights)」に分け、後者をコミュニティに付与する方法である。
芸術作品を例に考えてみよう。まず「期間限定で所有する権利」は1年という期限付きで所有、使用、展示する権利が与えられる。一方、「残留所有権」をもつコミュニティは、この芸術作品の展示方法や管理についてルールを設定できる仕組みだ。所有の期限が過ぎると作品は強制的にオークションにかけられ、落札価格の一部がコミュニティに還元される。こうすることで、ひとりが永久的にすべてを決定する、つまり永遠にガバナンスする権利をもつことを防ごうというのだ。
この仕組みは、資本主義を前提としたものなのだろうか? そう水野が質問すると、プルーウィットは「所有権がもつ市場インセンティブとガバナンス機能というふたつの側面を切り分けて考えるものです」と答えた。
「PCOにおいて、市場のインセンティブは高くなっています。一方、残留所有権をもつ人たちは市場のインセンティブに影響されずに所有に対して自由なルールを設けられるので、資産を柔軟に使えるようになるのです」
テクノロジーへの恐れと分断
一方、最後のセッションでは、テクノロジーと民主主義の現在の関係について危惧する声もあがった。
CPS社会における民主主義を議論するこのセッションに登壇したのは、対話を通じた民主主義のあり方の開発にかかわっているDanish Design Centre(DDC)クリスチャン・ベイソン、テクノロジーを通じた包括的な社会の実現を語った『The Equality Machine』の著者であるオーリー・ローベル、そして慶應義塾大学法科大学院教授の山本龍彦だ。
このなかでローベルは、「恐れ」が民主主義的なテクノロジーのありかたに水を差していると指摘した。「民主主義や参加型の政治を考えるとき、わたしたちには共通の言語と理解が必要です。しかし、いまはテクノロジーへの恐れが先行して、民主主義的な参加プロセスが損なわれています」
こうした恐れによる拒絶を超え、テクノロジーに対する議論に人々が参加するためには、まず啓蒙や教育が必要だとローベルは語る。「自分たちがしていることについて、合理的に会話する準備をしなくてはなりません」
ベイソンもまた、自身の子ども時代にPCを教育に利用するかしないかについて大きく意見が割れていたことに触れこう語った。「いつの時代もテクノロジーに対する恐れはあると思います。ただし、テクノロジーをどう使うかという意思決定をマシンにまかせてはなりません。その中心には、常に人間を含むすべての生き物がいるべきなのです」
また参加者からの質疑応答では、議論を尽くすことが民主主義の重要な要素であるという前提のもと、AIがそうした議論をファシリテーションすることでよりよい意思決定につながる可能性はあるかという質問も出た。これに対してローベルは、ロボットが老人や子どもたちのコミュニケーションや理解を助けている事例を挙げ、次のように語っている。
「いまわたしたちが直面している民主主義の問題は、グループ同士が対立してしまってお互いに話すらしない分断の状態にあると思っています。そこにロボットやAIが入ることで、人が理解しやすい情報の提供方法だったり、コミュニケーションの方法が生まれるかもしれません」
いかに議論を「ひらく」か
プルリバースをテーマに、G7デジタル・技術大臣会合の関連イベントとして招待制で開催された今回のサミット。ふたつめのセッションに登壇した弁護士の水野は、ディスカッションの最後でこう指摘している。
「WEFやG7で所有権制度の問い直しをすること自体が、非常に欺瞞的であり、先進諸国の搾取的であり、大いなる矛盾を抱えていると思います。一方、所有権をアップデートすることで、ガバナンスや民主主義の未来が大きく変わる可能性もあるということに気づくきっかけをもらいました」
サミットで多く語られたのは、プルリバースを前提に「いかにガバナンスをひらくか」という議論だった。それを実践するには、まずサミットの輪の外にも今回の議論を広めていくことが不可欠だろう。
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