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遺骨返還の道筋示さず アイヌ民族研究指針案 研究対象の余地残す

2024-04-14 | アイヌ民族関連

金子文太郎 、武藤里美 会員限定記事

北海道新聞2024年4月14日 0:04(4月14日 0:25更新)

 13日に公表されたアイヌ民族に関する研究倫理指針の最終案では、過去の不適切な遺骨収集を「反省」したものの、謝罪や地域返還が進まない遺骨問題の抜本的な解決に向けた道筋は盛り込まれなかった。1868年(明治元年)より前の遺骨は研究対象となる余地も残り、民族関係者から「再び遺骨が粗末に扱われかねない」とした懸念の声があった。アイヌ民族側が内容を了承したとは言えない状況で、4団体は再考を迫られている。

アイヌ民族の遺骨利用せず 4団体が研究指針案

 「奪われた遺骨の返還や謝罪はないのに、研究させてくれというのは認められない」。倫理指針の最終案が公表された13日の札幌市内での集会で、日高管内浦河町のアイヌ民族八重樫志仁さん(61)は訴えた。

 最終案では、研究者による過去の遺骨や副葬品の収集過程などが「アイヌから見て適切とは言えない取り扱いが少なからず見られた」と認めた。その上で、「アイヌ民族に研究行為に対する強い不信感を抱かせる原因になったことを反省する」と明記した。

■謝罪盛り込まず

 一方、謝罪は盛り込まれず、今後出土する遺骨などの取り扱いも「将来的な返還を含め、アイヌ民族個人や地域団体の意向を確認し、尊重すべき」との記述にとどめ、具体的な返還手順は示さなかった。

 アイヌ民族の遺骨研究を巡っては、19世紀から欧州や旧帝大の研究者が収集を始めた。1880年代に収集を行った和人研究者の日記にはアイヌ民族に無断で墓地を暴いて集めていたとの記録もあり、盗掘も多いとみられる。

 1980年代からアイヌ民族の遺骨の返還運動が強まり、国が返還手続きの整備に乗り出した。ただ、記録の管理がずさんだったこともあって詳細不明の骨が多く、地域に返還されたのは一部にとどまるのが実情だ。

 日本人類学会、日本考古学協会、日本文化人類学会、北海道アイヌ協会の4団体が策定を進める倫理指針では、遺骨研究の道を開きたい学術界と、遺骨問題の再発を危惧するアイヌ民族との間で長年、水面下の攻防が続いてきた。特にアイヌ協会に属さず、国際基準の先住権整備を求める民族関係者は、今回の最終案に強く反発している。

■「文化財」に該当

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1000184/


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アイヌ民族の遺骨利用せず 4団体が研究指針案 明治以降に埋葬

2024-04-14 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年4月13日 21:00(4月14日 0:23更新)

 日本人類学会や北海道アイヌ協会など4団体は13日、アイヌ民族の権利に配慮しながら研究を進めるための倫理指針の最終案を公表した。胆振管内白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)の慰霊施設に保管されている遺骨や盗掘による遺骨は原則研究に利用しないと明記した。協会に属さないアイヌ民族側からは研究者と対話の場がなかったことなどについて反発の声が上がった。4団体は引き続き議論を進めるとしたが、倫理指針の具体的な策定時期については見通しを示さなかった。

遺骨返還の道筋示さず アイヌ民族研究指針案 研究対象の余地残す 

 アイヌ民族の研究を巡っては、19世紀以降に国内外の研究者が、アイヌ民族の同意を得ずに遺骨を持ち出すなど民族の宗教観や人権への配慮を欠いた研究を行い、アイヌ民族団体から遺骨返還を求める訴訟が相次いだ。

 政府のアイヌ政策推進会議の議論を受け、日本人類学会、日本考古学協会、北海道アイヌ協会は2015年から遺骨研究のあり方に関する協議を開始。19年には日本文化人類学会も加わり倫理指針の素案を公表し、パブリックコメント(意見公募)を行った。

 倫理指針の最終案では「研究対象とすべきでない資料」として、文化財保護法の「埋蔵文化財」に当たらない1868年(明治元年)以降に埋葬された遺骨や副葬品のほか、盗掘や関係者の同意を得ずに収集されたものなどを示した。

 国の調査で確認された国内12大学の遺骨やウポポイの慰霊施設に集約された遺骨も、関係者の同意を得ずに収集されたものも含まれるとされ、一部を除き「研究に用いるべきでない」とした。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1000154/


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島義勇没後150年、札幌で集い 北海道開拓の父、功績たたえる

2024-04-14 | アイヌ民族関連

竹田菜七 会員限定記事

北海道新聞2024年4月13日 20:55

島義勇の蝦夷地探検への思いについて講演する佐賀城本丸歴史館の藤井祐介さん

 明治時代に札幌の礎を築いた佐賀藩出身の開拓判官、島義勇(1822~74年)の没後150年の命日となる13日、札幌市内で功績をたたえる集いが開かれ、佐賀県立佐賀城本丸歴史館の学芸員が「島義勇が見た蝦夷地(えぞち)、そして日本」と題し、講演した。

 市民ら有志でつくる開拓判官島義勇顕彰会(札幌)の主催。道内外から約190人が参加し、山口祥義・佐賀県知事や坂井英隆・佐賀市長も出席した。

 講演では同歴史館の学芸員藤井祐介さんが登壇し、「島はアイヌ民族の人々に対してもいろいろなまなざしを向けていた」と説明。クマの魂を神々の世界へ送り返す、イオマンテと思われる儀式を見た島が「非常に古風で素晴らしい」と感想をつづったことを紹介し、「アイヌの人々に対し、共感の思いがあったことが分かる」と述べた。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1000150/


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ブラジル先住民に高濃度の水銀汚染 背景に金の違法採掘

2024-04-14 | 先住民族関連

毎日新聞2024/4/14 東京朝刊 有料記事862文字

破壊された森林を眺める、金の違法採掘者=ブラジル北部ロライマ州で2023年12月、ロイター

 南米ブラジルの政府系研究機関は、熱帯雨林アマゾンの奥地で暮らす先住民ヤノマミ族の人々の多くから高濃度の水銀が検出されたとの調査結果を明らかにした。背景には金の違法採掘の横行があると指摘し、健康被害が出ているとして改めて警鐘を鳴らした。

 ヤノマミ族の人口は2万7000人超で、ブラジル最大の先住民族といわれる。調査は北部ロライマ州の保護区にある九つの村を対象に2022年10月、保健省傘下の研究機関オズワルドクルス財団などが実施し、集計した結果を今月3日に公表した。

 調査では、子どもや高齢者を含む約300人から毛髪を採取し、水銀濃度を測定した。その結果、84%から世界保健機関(WHO)の安全基準を超える水銀が検出され、10・8%からはさらに高濃度の水銀が検出された。アマゾンに暮らす人々の主要なたんぱく源である魚のサンプルも水銀に汚染されていた。

 人々が被害を受けるのは、次のような流れだ。違法採掘者らは砂金を抽出する過程で水銀を使用する。川などに混入した水銀はバクテリアを介して有毒なメチル水銀に変わり、魚などに蓄積、それらを食べることで体内に取り込まれてしまう。

 ブラジルのアマゾンでは、違法な金の採掘が問題となってきた。拍車がかかったのが、右派のボルソナロ前大統領が就任した19年以降だ。政権は環境保護を軽視し、取り締まり機関の予算を削って監視体制を弱体化させた。

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【ニューヨーク中村聡也】

https://mainichi.jp/articles/20240414/ddm/007/030/031000c


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“幽霊湖”130年ぶりに復活、しかし再び消滅……幻の湖は今

2024-04-14 | 先住民族関連

トカナ2024.04.13 16:00 

130年間の空白を経て、テュラーレ湖(またはトゥーレアリ湖、テュレア湖)は昨年、一時的にサンホアキン渓谷から復活した。しかし、現在ではその「幻の湖」 は再び姿を消してしまっている。

湖の現存する2枚の写真のうちの1枚 画像は「Wikipedia」より

 かつてミシシッピ川の西部に存在したテュラーレ湖は、長さ160キロメートル、幅48キロメートルに及ぶ広大な水域を有しており、西部最大の湖であった。

 先住民族のタチヨクット族の人々からはパアシと呼ばれ、何世紀にもわたって伝統的な狩猟漁場としての役割を果たしてきた。しかし、事態は1850年から60年にかけてカリフォルニア州が一連の土地収奪を行い、この地域を私有地化した19世紀に劇的に変化した。

 湖は水はけが悪化して耕地になり、1890年代には完全に消滅した。その水は過去1世紀の間に何度か一時的に復活し、「幽霊湖」としての評判を得たが、テュラーレ湖は事実上消失したとみなされていた。

 2023年の春先、南カリフォルニアの気候の変化の影響で、テュラーレ湖は再び水を取り戻した。水はシエラ・ネバダ山脈から供給されているが、2023年の冬に何度か吹雪に見舞われ、サンホアキン渓谷に大量の水が流れ込んだ。

 その再生は祝福でもあり、呪いでもあった。増水で農地や財産が破壊された一方で、在来の野生生物が戻ってきたこともあり、タチヨクット族は先祖伝来の湖を取り戻したのだ。

「この時の報道のほとんどは、壊滅的な洪水と言っていました。人々の財産的な損失などを無視するわけではありませんが、復活という側面はあまり語られていませんでした」と元ポスドク研究員であるビビアン・アンダーヒルは声明で述べた。

「湖の復活は(タチヨクット族にとって)信じられないほどパワフルでスピリチュアルな体験でした。彼らは湖畔で儀式を行っていました。伝統的な狩猟や釣りの練習を再び行うことができたのです」とアンダーヒルは言う。

 2月上旬、アンダーヒルはこの湖が少なくとも2年間はここに残るだろうと予測したが、数週間でほとんど消えてしまった。

「もう湖はありません。濡れた地面はありますが…」と、キングス郡の管理者で農業従事者のダグ・バーブーンは語った。

 今はお別れだが、ノースイースタン大学の科学者たちは、この湖が将来また再生する可能性が高いと考えている。

「この地形は常に湖と湿地の1つであり、現在の灌漑農業はこの大きな地質学の歴史の中で100年の間のほんの一瞬に過ぎません」とアンダーヒル氏は説明する。

https://tocana.jp/2024/04/post_263543_entry.html


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伝説のタトゥーは点三つ、入れ墨師は世界最高齢 フィリピン先住民の村に外国人観光客殺到

2024-04-14 | 先住民族関連

共同通信24.04.13 08:07 / 2024.04.13 13:53 更新

フィリピン・ルソン島北部ブスカランで、観光客に入れ墨を施すワンオド・オッガイさん=2024年2月(共同)

 フィリピン先住民が暮らすルソン島の山岳地帯の寒村ブスカランに世界中から観光客が押し寄せている。自称107歳で「世界最高齢の入れ墨師」とされる女性ワンオド・オッガイさんに“伝説”のタトゥーを入れてもらうためだ。部族間の戦闘が禁じられた後、戦士に施されていたタトゥーが消えゆくのを防いだとして英雄視され、村人総出でビジネスが過熱している。(共同通信=佐々木健)

 「ワンオドの村へようこそ」との標識に従い、車で山を登っていくと谷の対岸に村が見えてきた。「ガイド」待合所で停車。指示通り、村人を千ペソ(約2700円)で雇った。村は車道が通じておらず、村人の先導で約20分かけて渓谷を下り、登り返した。

 ワンオドさんの自宅前には観光客が列をなしていた。高齢のため、以前のように複雑な文様は彫れない。観光客は300ペソを払って肌に三つの点を入れてもらい、100ペソを追加して一緒に記念撮影を楽しむ。

 入れ墨は先住民の男性が戦士として認められるための儀礼だった。木のとげを使い木炭の墨を入れる技法は昔と同じだ。

 施術を受けた米国人マシュー・スグさん(31)は「米国で雑誌VOGUEの表紙を彼女の写真が飾り、先住民最後の入れ墨師だというので来たくなった。彼女のエネルギーはすごい」と興奮していた。

 村人は民泊で潤い、家の天井や柱には観光客が残した署名がびっしり。あちこちで住宅の新・改築が進む。土産物屋にはワンオドさんの肖像のTシャツが並んでいた。

 ツアーガイドのレム・リーさん(42)は「村は貧しかったが、観光客が来て変わった。私は2015年から村に通い始め、毎週末、12人乗りの車でマニラから客を連れてくる。もちろんビジネスは好調だ」と話した。

 ワンオドさんが公認する弟子は2人。一番弟子のグレイス・パリカスさん(27)は、タトゥーを教えてもらったのは9歳の時だと振り返った。ワンオドさんは村で唯一の入れ墨師になっていた。

 先住民伝統のタトゥーの評判が広がり、人口約800人の村に「週末には約千人の観光客が訪れるようになった。おかげで村人全員がタトゥーに関わっている」と語った。「村の入れ墨師は100人以上になった。彼らは独学で学んでいる」

 マルコス大統領は2月14日、軍ヘリコプターを派遣してマラカニアン宮殿にワンオドさんを招き、伝統保護に貢献した「国宝」として表彰した。

 アーティストとして名声を確立したワンオドさんにインタビューを申し込んだが、近親者から5千ペソを求められ断念した。

https://nordot.app/1151653708951028170?c=302675738515047521


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一大転換期、日本守る志 北海道の名付け親、松浦武四郎 松阪の記念館で企画展 松陰との交流も /三重

2024-04-14 | アイヌ民族関連

毎日新聞2024/4/14 地方版 有料記事1108文字

 松阪市出身の探検家で北海道の名付け親で知られる松浦武四郎(1818~88年)は幕末から明治維新にかけての激動の時代を生きた。鎖国から開国に動き出す日本の一大転換期に活躍した姿にスポットを当てた企画展「武四郎と尊王攘夷(じょうい)」が松阪市小野江町の松浦武四郎記念館で開かれている。【橋本明】

 展示されているのは重要文化財を中心にした28点。武四郎が描いた「樺太地図南部」(縦2・4メートル、横1・6メートル)は川や地形が細い線で丁寧に描かれ、地名がびっしり。中には「伊勢大神宮勧請」、「熱田大明神勧請」と記されており、武四郎はこの地を日本領土と主張するため、伊勢、熱田の両神宮の分社建設を構想。神官との交流が深く、幕府への上申書も残っているところから計画は歩み出していたという。

 ロシアの南下政策に脅威を感じた武四郎は蝦夷地(えぞち)に関心を持ち、28歳からの13年間に6度にわたって入った。地図は、アイヌの人々の協力を得て現地を探査した成果の集大成版だ。

 展示を通して、幕末の偉人らと交流した様子も伺える。筆頭は吉田松陰。江戸の武四郎宅を尋ねた松陰と夜明けまで海防論を交わし、一枚の布団で寝たという逸話があるほどの仲だったと言われる。

 「吉田松陰書簡」(1853年)は、松陰が武四郎を大阪の砲術家・坂本鼎斎(ていさい)に紹介するためで、「幕府の腰抜け武士がしきりに和議を訴え候こと」と、米国の「黒船」が浦賀に来航した際の幕府の対応を痛烈に批判した内容が書かれている。ただ、武四郎は大阪に向かったものの、坂本には会えず手紙が残った。

 尊王攘夷の水戸藩との交流も多かった。水戸藩主・徳川斉昭の和歌三首や、同藩の儒学者・藤田東湖が蝦夷地に向かう武四郎に贈った和歌「玉ほこの みちのくこえて 見まほしき 蝦夷が千島の雪のあけぼの」も展示されている。

・・・・・・

 14日午前10時から山本館長の関連講座がある。企画展は5月26日まで。一般360円。20日と21日(県民の日)は無料。月曜休館。ただし29日と5月6日は開館。5月7日は休館。

〔三重版〕

https://mainichi.jp/articles/20240414/ddl/k24/040/063000c


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【北海道の難読地名】道東にある「入境学」って何と読む?その由来は?

2024-04-14 | アイヌ民族関連

リビング札幌Web2024/4/13

北海道といえば、難読地名の宝庫!道民ならたいてい知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名がたくさんあります。

そんな地名を探して、クイズにします!

北海道の南東部にある「入境学」は何と読む?

釧路駅から車で東に約1時間。以前紹介した「厚岸」のそばに位置する「入境学」。何と読むか分かりますか? “にゅうきょうがく”ではないんですよ!

さて、正解は?

正解は・・・

「にこまない」でした!

その由来は?

語源はアイヌ語。「ニオケ・オマ・ナイ」の直訳が「木の桶のある沢」とのことで、昔桶が流れついたからという説。またアイヌ語の解釈から「流木の集まる川」という説もあるとか。

素敵な景色が堪能できる「セキネップ展望広場」

自然豊かなこの入境学には、セキネップ展望広場があります。断崖の海岸線が連なり、ロウソク岩、タコ岩など彫刻のような岩を臨めます。

出典:リビング札幌Web

© リビング札幌Web

■北海道釧路町観光ポータルサイト

https://www.welcome-kushirocho.jp/nature/

札幌や近郊のグルメ&お出かけ情報を見るなら「リビング札幌Web」!

https://mrs.living.jp/sapporo

https://www.msn.com/ja-jp/travel/news/北海道の難読地名-道東にある-入境学-って何と読む-その由来は/ar-BB1lxiio


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美少女イラストは女性に対する「危害」なのか? “性的な表現”やヘイトスピーチの規制が難しい理由

2024-04-14 | アイヌ民族関連

弁護士JPニュース4/13(土) 9:01

ネット上では「女性」に関する表現が問題となりがちだ。

今年1月、三重県を中心にバス事業を運営する三重交通が運転士の制服を着た若い男女のキャラクターを作成して名前を公募したところ、男性キャラに比べて女性キャラは腰を曲げたポーズをしておりボディーラインも強調しているとして、「性的な描き方をしている」と批判された。

2月には、東京藝術大学大学美術館で開催される予定の「大吉原展 江戸アメイヂング」展の公式サイトが更新され、「エンタメ大好き」 「イケてる人は吉原にいた」などコピーや展示内容が明らかになったことから、「人身売買の歴史をエンタメ化」「女性の人権が侵害されてきた歴史を軽視している」といった批判が巻き起こった。

これまでにも日本のインターネットでは、性的な創作物や表現を批判するフェミニストやフェミニズム支持者と、創作や表現の自由を擁護するオタク層とが、激しく対立し続けてきた。

2014年に「人工知能学会」の学会誌の表紙に採用されたイラストをめぐって議論が起こったことを振り返ると、対立は10年以上も続いている。

AV(エーブイ)人権倫理機構の代表理事を務め、「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判」(フェミ科研費裁判)に意見書を提出したこともある、「表現の自由」とフェミニズムの両方に詳しい武蔵野美術大学の志田陽子教授に話を聞いた。

“自由”について考える基本となる「危害原理」

――自由に関する議論では、「他者に対して危害を及ぼさない限り、あらゆる自由が認められるべきだ=他者に危害を及ぼす自由は認められない」とする「危害原理」が登場することが多くあります。

志田教授:危害原理はイギリスの哲学者J・S・ミルが提唱した考え方ですが、日本の法律にとっても非常に重要なものであり、法律に携わる人は大なり小なりこの原理を意識しながら思考します。

一方で、表現の自由という問題に関しては、そのまま「危害原理」を適用することはできません。危害原理と、人格権などのさまざまな権利の発展を組み合わせると、表現の自由がものすごく狭められる結果がもたらされてしまいます。そのため、表現の自由と他の権利がぶつかった場合には、双方を相対化して調整することになります。この調整のための理論が、裁判でさまざまに形成されてきましたし、学者にとっても「腕の見せ所」となります。

たとえば「受忍限度」という考え方があります。「その表現によって不愉快になった」「差別的な言論によって傷ついた」という訴えは、それぞれが真剣な訴えであると思いますが、表現者に差し止めや損害賠償などの法的責任を負わせるほどの問題かどうかはケースバイケースで、表現の悪質さと、「耐え難い」と考えている人が実際にどの程度の被害を受けているかで判断します。

表現が不法行為とされて制限されるのは、それに相当するだけの実害性が認められる場合に限られます。心理的被害がゼロとは言えないが「受忍限度」の範囲内、と言える場合には、表現者に法的責任までは負わせない。こういった判断していくことで、表現の自由を守るために「危害原理」を修正しています。

ある表現が人格権の侵害に当たるかどうかを判断するとき、このように受忍限度を超えない限りは法的責任に問わないという考え方が取られていますが、ただ、法の外側で、対話と知恵による解決がはかられることもあります。表現者が苦情を参考にして表現を修正したり、出し方を工夫したりするような場合です。

「性的な表現」は女性に対する「危害」なのか?

――どのような事柄を「危害」と見なすか、には議論の余地があると思います。たとえば美少女イラストや水着のグラビア・広告などの性的な表現について「性的な表現を目にした女性は尊厳が傷つけられたり抑圧を感じたりすることで危害を被る」と主張されることがあります。

志田教授:アメリカの法学者キャサリン・マッキノンは、性的な表現は「若い女性とはこのようなもの[男性に媚びる、男性にとって都合のいい存在]として存在すれば褒められる」「若い女性はこのように生きるべきだ」という「メッセージ」を社会に共有させることで、女性が本来持っている可能性を奪う、と論じました。日本で「わいせつ」として規制されているタイプの性表現は、ここでは規制すべき関心事ではなく、規制すべき本当の問題はこうした差別構造を固定してしまう作用を持つ表現だ、と。

本来なら、女性も社会や経済・政治の世界で自分の能力を発揮して活躍することができたかもしれない。しかし、公共空間に性的な表現が存在することで女性が萎縮させられて能力を発揮できない社会が続いてしまう、というのがマッキノンの議論です。

アメリカでは、すくなくとも法律の世界では、マッキノンの議論に基づいた規制法は憲法違反と判断され、採用されませんでした。しかし、カナダの法律では、ある程度は考慮されています。イギリスでもこの発想が法律に反映されているように思います。

ある女性にとって、グラビアやイラストなどの性的な表現が、自分の社会進出を妨害する心理的な障壁になってしまっている、という可能性は十分に考えられます。そのような訴えを「好みの問題だ」 「“お気持ち”に過ぎない」と軽んじるべきではありません。

「性的な表現が不快である」と主張している人の感じている「不快さ」が社会のマジョリティには理解されづらい、という側面もあります。訴えを深刻ではないかのように茶化したり戯画化したりする人も多いですが、そのような行為は問題を見誤っていると思います。

訴えがあったら、まずは「本人にとっては真剣な訴えだ」と認めて、真剣に受け止めるべきです。「感情の問題だから法的判断にはなじまない」と切り捨てる、というのも間違っています。法的に取り上げるべき問題提起が含まれている、と考えるべきでしょう。

その一方で、表現の自由との適切なバランスをとるために、「受忍限度」を超える被害があると言えるかどうかを考える必要も出てきます。

ミクロな問題とマクロな制度との“ズレ”

志田教授:ここには、個人が受けた被害を救済する必要があるというミクロな問題と、言論空間を健全に保つために表現の自由を守る必要があるというマクロな問題との「ズレ」が存在します。

ミクロのレベルでは、表現によってつらい思いをした人の訴えを、真剣に聞くべきです。しかし、個々の問題はケースバイケースで、被害性、表現の害悪性の深刻なものとそうでもないものとがあります。だから裁判でケースバイケースの解決を図るわけです。このとき、被害者がいちいち訴えなくてもすむように、法律で先回りをして表現規制をするというマクロなレベルでの解決をしようとすると、落としどころを見つけるのは困難になります。すべてのケースをもっとも深刻なケースに合わせて規制しようとすれば、表現の自由が制約され過ぎてしまいます。差別表現の問題について考えるときには、このジレンマがどうしても存在する。

こうした問題について参考になるのが「アイヌ肖像権裁判」です。アイヌの人々が「自分たちの生活の様子や民俗文化について紹介してもらえる」と思って民俗学者の調査に協力して写真の撮影を許可したところ、実際にできあがった本は昔通りのステレオタイプを強調する差別的な内容であり、アイヌの人々は屈辱を感じて、裁判を起こしました。

裁判の結果、民俗学者は出版を取り下げて、アイヌの人々と和解した。これは批判が出ることで表現者が問題に気づき、対応をとった、つまり「言えばわかる」という事例でした。

もしも表現の自由を問答無用で禁止したら、差別をした側も自分の言葉のどこが差別的でどのように人を傷つけたか、ということを考える機会がないまま、心にわだかまりを残すことになるでしょう。

表現の自由を守ることで、差別表現で傷ついた人が「私は傷ついた」と言う自由も守られることになります。言われた側はその言葉を受け止めて再考する。言論の自由市場がまともに機能するというのは、そういうことだと考えます。

「ヘイトスピーチ」規制の考え方

――ヘイトスピーチの問題についてはどう考えるべきでしょうか。

志田教授:ヘイトスピーチの場合には、そもそも相手を傷つけることが目的になっている。「言えばわかる」どころか、被害者が傷ついたと言ったらますます攻撃が激しくなることもあるわけです。

日本のヘイトスピーチ解消法は、かなり狭い範囲に問題場面を絞った対症療法的なもので、ヘイトスピーチの本質にアプローチできていないのでは、という疑問はあります。日本に適法に居住している外国人に向けて「出ていけ」と言うことだけがヘイトスピーチなのではなく、もっと広く、社会的に不利な立場にいるマイノリティを言葉で攻撃していたたまれなくさせること、単純に言えば「いじめ」がヘイトスピーチです。

法律でも、「相手を傷つける」ことを目的とする言説をヘイトスピーチと定義することで先に紹介した「アイヌ肖像権裁判」のような「差別的な表現」と分けて、後者は規制しないが前者は規制もやむなし、という線引きをすべきだと思います。

性的なイラストなどについては、ほとんどがアイヌ肖像権裁判と同じように「言えばわかる」ケースだと考えます。そういったイラストは女性を傷つけることを目的にしているのではなく、むしろイラストを見た人を喜ばせることを目的にしていますよね。このような場合には言論の自由市場のなかで、対話によって修正することができます。

しかし、性的な表現が「相手を傷つける」という目的で使われることもあります。私の知り合いの若い女性の政治運動家は、性的な画像にその人の顔を貼り付けるというコラージュ画像を作られて、ネットに拡散されました。

このような嫌がらせ目的の性的コラージュ画像が拡散されたりすると、やられた人は、ネット上で言論活動をしにくい心理状態に置かれます。ヘイトスピーチと同じような沈黙強制の作用のある表現です。こういった表現については、対話で修正することも難しいでしょう。こうしたタイプのものは、法律による規制が必要だと思います。

ひとくちに「女性を性的に描いた」表現としても、その悪質性はどの程度であるかどうかを見ながら、まずはケースバイケースで対応できるか考え、それが無理なら法規制が必要だという議論に進むわけです。

――ヘイトスピーチかそうでないかを判断するうえでは、表現を発する側の「動機」や「意図」が重視されるのでしょうか。

志田教授:個人の表現を法によって規制する、というのは非常に強い手段です。こういった手段を用いる際には、表現者の意図も判断要素に入れるべきだと考えます。

一方で、企業におけるハラスメント問題などにおいては、加害の意図がなかったとしても問題にすべき場合があります。企業には職場環境を良好に保つ「責任」があるため、加害者側に悪気がなくても被害者がハラスメントを受けたと感じたなら適切に対応すべきです。

「ステレオタイプ」が女性に及ぼす影響

――個々の表現の悪質性は低く、一般には受忍限度の範囲内と言えるものであっても、街中や公共の場で何度もそういった表現を目にすることで、個々人に被害や抑圧の経験が「累積」していく、ということが問題視される場合もあります。

志田教授:基本的に、法律とは人々の「内面」には踏み込まず、社会の外面に現れた事柄を判断の対象にするものです。

一方で、表現が人々に与える心理的な影響や、表現規制が人々に与える萎縮効果といった問題を考えるなら、内面への作用を無視することはできません。表現の影響が蓄積されることで、萎縮的な人格にさせられる、という場合もあるでしょう。

私も経験がありますが、女性は家庭的にふるまったら褒められる一方で、政治的な発言をすると「女性として好ましくない」と言われやすい文化的環境がありました。10年くらい前までは「そんなこと言っているから結婚できないんだ」「そういう話題で男に勝ってしまうと孤独死コースが待っているよ、女の孤独死はみじめだよ」とからかわれることも多かったですね。

個々の発言は雑談のなかで出てきたものであり、悪意がないとしても、色んな人に色んな場面でそういったことを言われ続けることで、私のなかに「積もっていく」という感覚は確かにありました。

幸いにして、私は憲法研究者という職業を手に入れ、「ここでひるんでいては仕事にならない」という強い意志を持つことができています。しかし、研究者になっていなかったら、こうした雑談の「蓄積」が内面化されることで私の人格も影響を受け、女性というもののステレオタイプ、いわば「型」に、自らはまっていったかもしれません。

ですから、マッキノンが言うような、男性社会にとって都合のいい、魅力的な「女性」の表象が個々の女性の内面にも社会にも影響をもたらす、という作用は確かにあると思います。

しかし、法律によってそのような表現を規制することは難しいでしょう。

「何が魅力的であるか」という表現は表現者の自由に任せるべきですが、一方で、そのような表現が積み重なると同調圧力や圧迫として作用する。……こういった問題は、一つには、規制よりも「モア・スピーチ」、つまり「それは違う」という対抗言論によって解毒していくものだと思います。もしも、ある人が「それは違う」と言えない状況に追い詰められ、実質的に「表現の自由」を奪われているとしたら、「表現の自由」を回復するために法の力を使う必要もあるでしょう。

次に、「表現が発表されている場が公共空間であるか否か」によって判断すべきだと思います。公共空間にある表現は、政府や自治体がその表現を公的なものとして認めている、ということになります。したがって、女性やマイノリティへのステレオタイプを助長させるような表現や不適切な性的表現は、すくなくとも公共空間に採用することは望ましくない、という形で制約をかけていくことになるでしょう。企業内の仕事空間も同じです。企業内の仕事空間で、働く人をいたたまれなくさせるような性的なポスターが貼られている、といったことを「環境型ハラスメント」と言いますが、企業経営者は、そうした環境型ハラスメントをなくしていくハラスメント防止対策責任を負っています。

一方で、芸術表現として美術館などしかるべき空間に置かれている作品の場合は、観る人がそれをわかって観に来るわけですから、そこを同じ基準で制約すべきではない。この思考の仕分けが必要です。

志田陽子

武蔵野美術大学教授。博士(法学)。憲法理論研究会運営委員長(2022-2024)、全国憲法研究会運営委員、日本科学者会議共同代表、日本女性法律家協会・憲法問題研究会座長。芸術・文化政策に関連する憲法問題の理論研究を続けながら、表現の自由と多文化社会の課題に取り組んでいる。著書に『表現者のための憲法入門 第2版』(武蔵野美術大学出版局、2024年)、『「表現の自由」の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために』(大月書店、2018年)など。

弁護士JP編集部

https://news.yahoo.co.jp/articles/81c4fa78e66da6ac00a9beb4ce7c5555253427f8?page=1


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