名古屋季節だより

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そして尾張名古屋からの季節だより

40 降る雨に梅雨を思う

2013-06-12 14:47:44 | 日記
季節の移り変わりを都会で知るには、意識して気付かなければならないこともある。
都会であればこそ、季節がことさら人の手によって演出されることもある。

木々の葉が緑の色を変えて行くことも、
その緑の移ろいに気づかなければ木は木でしかない。
街では、これまでになかった園芸種の花々がフラワーショップに溢れている。
自然な自然に出会うことも、難しい時世となっている。
雨降る梅雨の日々、雨に煙る空気を通して見る色は、モンスーン気候帯の地域特有なもの。
そのことを知ったのは、日本を離れて各地の空気に触れた時。

各地に出向くと、そのままの姿が昔から変わらず続いていることに出会う。
そのことに驚きすら感じる。
聖書の、野の花、空の鳥とは、その姿をいうのであろうか。

学校は、教学と経営とから成り立っているという、
教員と事務職員とから学校が成り立っているように。
しかし、実際は、ここからここまが、とその二つに線を引き切れるものでない。
その二つは、大学よりも高校、高校よりも中学校、さらには小学校では、
より渾然としている。
なぜなら、大学よりも小学校の方が、学校がより生活の場あるからかもしれない。
大学も小学校も、それぞれがそれぞれの役割を引き受けて一つの流れを作っている。
真理の言葉だけが走っても、現実への対処療法だけが進んでも、何所かがおかしくなる。
そのような時、
相手の声に耳を傾けると、言葉の奥に潜む大切な思いに触れることができる、
すると同じことを願っていたことに気づく、
出会いの余地が、まだなお残されていることを感じる。

雨に濡れたかのようなセイヨウタマシダ一鉢が、机の横に置かれている。
冬には、乾燥して干からびてしまうが、
春になると俄然生命力の強さを見せ、
どこででも元気になり繁茂する。
朝夕に水を吹きかけると、きらきら輝きをますから不思議である。


   




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