石井伸之の国立市議会議員日記 自由民主党会派所属

東京都国立市の若手?市議会議員(6期目)による日記です。国立市議会議員として国立市政の最新情報を伝えて行きます。

4月19日本日は青柳若葉会総会に出席しました

2014年04月19日 | Weblog
 こんにちは、青柳若葉会総務役員の石井伸之です。

 本日は、午後1時より国立市体育協会事業部において、5月5日に行うファミリーフェスティバルに向け、倉庫にある資材を2階に運び込みました。

 10人以上の事業部員が集まった関係で、一時間もかからずに資材の搬出は終わり、その後はシャボンドームの実験などを行い終了となりました。

 5月5日は親子でくにたち総合体育館に遊びに来て下さい

 私は、午前10時よりオープンニングセレモニーで司会を務めさせていただくことになっておりますので、緊張せずに平常心を保てるよう役目をこなしたいところです。

 午後7時からは、青柳若葉会総会という事から、青柳公会堂へ向かいました。

 青柳若葉会では、第六小学校青柳地区子供会と連携する形で、芋の苗植え、芋掘り、青柳祭り、どんど焼きと言った行事を行っております。

 末永く子供達に喜ばれる行事が実施できる様努力したいところです。

 昨日は、山形市議会における視察終了後、桜が満開の霞城公園を見学しました

 霞城公園は、最上氏が居城とする山形城があったことでも有名です。

 ただ、最上家は最上義光の没後、江戸幕府初期にお家騒動で取り潰しとなり、その際に霞城における書籍も消失しており、平面図はあっても立面図が無いことから復元できないと言われております。

 隣の伊達家仙台藩が幕末まで勇名を馳せましたが、最上家が取り潰しになった後は、幕府の譜代家臣が代わる代わる入っており、東北地方における有力外様大名の目付としての役目を担っていたそうです。

 霞城の由来を遠藤議員に教えていただいたところ、関ヶ原と同時刻に行われていた上杉景勝率いる上杉軍を最上軍と伊達軍が迎え撃った、慶長出羽合戦とも言われる長谷堂城の戦いにおいて、霞がかかったようにしてこの城が見えなかったことから、霞城という名が付いたと教えていただきました

 歴史が大好きな自分としては、戦国時代に関する話しに興味津々で、遠藤議員と最上家に関する話で盛り上がりました

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月18日本日は昨日の会津... | トップ | 4月20日本日は議会報告会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事