”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ヨット編

2006年02月03日 23時37分15秒 | 趣味

2月3日(金)

今日は節分ですが、最近恒例となった恵方寿司食べましたか?今年は南南東を向いて食べるそうです。僕もやりましたがあの巻き寿司は大きいのであれだけでおなか一杯になってしまいますね。豆まきも一応やりましたが我が家では小さい袋に入ったままで”鬼は外福は内”とやって拾いやすくしてますが、昔のようなやり方もどんどん簡素化されていくものなのでしょうかね。それにしても旧暦で言う季節を表す言葉がどんどんなくなっていくことは日本人のアイデンティティがなくなっていくことでありさびしく思うのは僕だけでしょうか。立春・啓蟄・春分・節句などの言葉とともに日本人の情緒が消えていくような気がしてしかたありません。僕が古い人間なんでしょうかね。

前置きが長くなってしまいましたが、今日は気楽なヨットの話を入れてみました。先週、僕のヨットを始めたトリガーとなった堀江健一さんの話をしましたが、今週は僕が自分の船を持つ前の話をしましょう。もともと僕は学生時代にはA級ディンギーと言う2人乗りの1枚帆でおわんのような船に乗っていました。当時は本当のヨットレーサーは現在の船のようなキャビン付きで女の子を乗せて遊んでいる加山雄三スタイルじゃないと言った貧乏人の僻み根性で、ディンギーに固執していました。それは単なる強がりで心の中ではいつかは乗ってみたいと思っていました。ところが10年前に三重でジョナサンに乗せてもらう機会に恵まれ、大きな船の操船技術や荒海での豪快さはまさに海の男のロマンを感じさせてくれるものでした。それから静岡でのマルガリータと30フィートクラスのヨットの快適さを知ってしまい、もっと自由に乗れるマイヨットを持つところまで来てしまいました。現在の船を購入するまでには、半年ほど友人と売りに出ている中古ヨットを見て歩いてました。なかなか希望価格と船の質とマッチするものがなく半分あきらめかけていた時I氏の紹介をいただき、今はなきチタ製のチャンス29とめぐりあったのでした。
チタは日本のセーリングクルーザーの草分け的存在で、30年前ぐらいには憧れ的な存在でした。丹羽夫妻の書いた本もヨットのすばらしさを世に知らせてくれたのではないでしょうか。もっとも僕は本や雑誌や仲間の話で知っているだけで面識はないので、恐れ多くてこれ以上は書けませんが。ともかく平成14年秋”Leia”号として進水しました。写真は数少ない仲間だけでの進水式の模様です。一応シャンペンをかけてささやかなお祝いをしました。もっとも進水式は船名を入れたり航海灯を付けたりしたあとなので翌年の1月になってしまいました。今日はこの辺で

コメント
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