”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2015年03月31日 08時41分00秒 | Weblog

3月31日(火) 晴

春らしい日が多くなりました。でもこの天気も明日からは下り坂のようです。せっかく田舎に行く予定ですが耐火煉瓦の一部を田舎に運ぶだけで終わりそうです。まぁ他にも予定はあるので退屈にはなりません。
ところで自分でもびっくりした出来事に少々手間取っています。実は日本園芸協会から平成26年度の庭園技能講座における最優秀成績賞と言う賞状をいただきました。多分受講生の大半がもらえる賞なのかもしれませんが、うれしい気持ちとまだ実践が充分できていない心苦しさのような複雑な感じです。昨年一応認定を受けたけど忘れた頃にこんなのが送られて来るともう一度復習してみようかなと言う気分にもなりました。



この賞状に恥じないよう、田舎に帰った時は実践を積んでいきます。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング15-3)四国城巡り No3

2015年03月29日 10時36分17秒 | 趣味

3月29日(日) 晴

四国名城めぐりの旅 最終回です。
今回は3年前にも訪れたことのある高知城と松山城を中心に湯築城、高松城、徳島城も含めて報告することにします。四国の城はほとんどが秀吉の四国征伐後に始まったと言えます。

高知城

戦国時代は長宗我部元親が桂浜近くに居城を構え土佐を支配していました。関ヶ原の戦いのあと戦功のあった山内一豊が掛川から移ってきて、高知城を築きました。天守閣は現存する12古天守のひとつです。この城は近江の石工集団「穴太衆」を召し抱えることによって出来上がりました。



高知に一泊しました。夜の街に繰り出しましたがホテルの夕食で飲み過ぎ食べ過ぎでアーケード街をブラブラ腹ごなし。
見つけた!日本三大がっかりの一つ。はりまや橋



更に歩いて高知城。夜景が綺麗だったけど写真はピンボケ。

まだ醒めぬ春の宴の高知城





続いて松山城

松山は鎌倉時代の守護河野氏が道後温泉近くの湯築城に拠点を構えていました。その後関ヶ原で戦功をたてた加藤嘉明が伊予に入り現在の松山城を築きました。その時湯築城の石垣等すべて持ち去ったため湯築城は何も残っていない城跡でした。


そして完成した松山城です。天守が回廊で屋敷と連結した城として日本三大連立式平山城の一つでです。もちろん天守は現存する12古天守の一つでもあります。



さて残る二つの城跡を簡単に紹介しましょう。
まず高松城、城跡ですが堀に海水を引き込んだ日本三大水城のひとつです。堀には鯛やボラが泳いでいました。写真は天守台から海水の堀を撮影しました。



最後に徳島城跡

徳島城も戦災ですべて消失し残っているのは石垣だけです。しかしこの石垣は緑色片岩と呼ばれる青石で出来ている日本でただ一つの石垣です。それともう一つ日本で唯一天守が本丸より低い所に建てられていました。もし現存していたらもっと有名になっていたかもしれません。写真は徳島城の青石垣です。



2泊3日で9つの城を巡るツアーはバスと山歩きオンリーの旅でしたが中々楽しいものでした。狭いバスの中で昼食を取りながら3日で四国を一周するなんて変な観光客も多くなったと言うか百名城巡りをする人が多くなったと言うことかもしれません。今回は37人のツアーでしたがみんな片手にスタンプ帳を持ちスタンプの待ち行列には参りました。ただ良かったことは集合時間さえ厳守すれば自由行動が出来たことです。二十数年前の仕事仲間のO氏と一緒だったことも自由行動の巾を広げてくれました。やはり旅は道連れがいた方が数倍楽しいものになるようです。
また長くなってしまいました。歴史の記述はずいぶん省いたつもりだったんですが・・・。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング15-2)四国城巡り No2

2015年03月28日 18時51分15秒 | 趣味

3月28日(土) 晴

3月24日から26日にかけて四国の百名城9ヶ所を巡ってきました。今回はその第2回目になります。
四国には藤堂高虎が築いたとされる城が3つもあります。宇和島城、大洲城、今治城です。そしてどれも日本百名城になっています。

自分は若い頃藤堂高虎と言う人物に対して元々浅井に仕えていた人物が信長、秀吉、家康と常に勝ち組に仕える腰巾着のような男と思っていたのですが、彼がどうして必要とされたのか歴史を紐解いていくことによりよくわかりました。彼が秀でた土木技術を持っていることを認めて過去にとらわれずに召抱えた人物が天下を取ったと言うことです。現代の企業にも当てはまることですが、すぐれた技術を持った人間を好き嫌いでなく使うことができる経営者がいる会社が発展すると言うことです。

余談が長くなってしまいました。さてここからが本題です。
藤堂高虎は築城の名手と言われ全国にたくさんの城を造りましたが、彼の築城の考え方が江戸時代の城造りの手本になっている訳です。
高虎はまず自然の地形を最大限活用して、守りを固める城造りをしました。その基本は石垣はより高く、堀はより長く、そして城門には虎口(こぐち)。ほとんどの城の城門は虎の口のように敵に食いつく場所として押し寄せた敵を門の前で防ぎ止める形(枡形)になっています。
高虎の設計した城はこれらの基本とその土地の地形を考えて造られている訳です。

宇和島城

宇和島城の周囲は堀と海に囲まれた自然の地形を活かした城でした。周囲を歩くと四角形に見えるけど実際は5角形であり四方から敵が攻めてきても残りの一辺から海に逃げられる設計になっていました。そして天守は山の山頂に造られています。高虎が関ヶ原の戦いで功績をあげ20万石加増されて今治に移り、そのあとに伊達政宗の長男秀宗が宇和島城に入り、明治まで伊達氏の支配下となりました。天守は伊達氏により修復されていますが現在まで残る12古天守の一つです。
山道を登り、山頂付近に高く積まれた石垣の上に天守があります。



次は大洲城、

大洲は鎌倉時代の守護伊予宇都宮氏の時代から続く古い城でしたが、藤堂高虎が入城し近世の城郭として整備されました。しかしながら明治に入り一度すべて取り壊されました。ただ当時の設計図等が残っていたため再度復元されて現在に至っています。



復元されたものですが、ここも高い石垣で囲まれています。


最後に今治城

ここも宇和島城から移ってきた藤堂高虎によって築かれたしろですが、こちらは海水を堀に引き入れた海城でした。従って石垣はあまり高く詰めなかったようですが、代わりに堀の巾を長くして守りを固めた城となっていました。そして城内には瀬戸内海から直接船で乗り入れることが出来たそうです。今治も日本三大水城の一つとなっています。



優雅な城ですよね。今治は藤堂高虎が伊勢・伊賀に移ったあとやってきた久松松平氏の居城として明治を迎えます。今治城も明治以降取り壊されてしまいますが、藤堂高虎の造った天守が丹波の亀山城に移築されたことから、亀山城を模して天守が再建されています。



非常に長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方ほんとうにありがとうございます。実は今回の四国名城めぐりで2番目に気に入った城が海の堀に囲まれたこの今治城でした。瀬戸内海から船で城に入って来るなんて格好良すぎて・・・。もし昔のまま残っていたら僕のヨットで立ち寄ってみたかったことでしょう。

次回は四国の名城、高知城と松山城を中心にお話したいと思います。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング15-1)四国城巡り No1

2015年03月27日 15時43分37秒 | 趣味

3月27日(金) 晴

久しぶりになりました。2泊3日で四国の百名城9つをすべて廻って来ました。歩数計は約5万歩です。石段ばかり登っていたので最後の丸亀城はさすがに足が痛くて階段を下りるのが大変でした。もう少し減量しないといけないようです。
9つの城を一度に紹介しても読んでいただけないでしょうから数日に分割して、かつ僕の気に入った城から順次紹介させていただきます。

今回僕が一番印象に残っている城は最後に行った丸亀城でした。高い石垣の上にそびえる天守は国宝にしても良いと思う風貌です。天守閣は日本に現存する12古天守の一つです。



3段の高石垣にそびえる讃岐の要塞、丸亀城

この城は最初、高松城の生駒氏によって築かれた城ですが、一度廃城になったのち丸亀藩を立藩する時に、肥後から入封した山崎家治によって再建された城です。城の再建にあたっては江戸幕府が参勤交代を免除し、資金まで提供しました。なぜかと言うと当時瀬戸内海の島々にいたキリシタンの蜂起に備えるためだと云われています。山崎家は跡取りがなかったためその後京極高和が入り天守を構築しました。
石垣は一段が高いところで60mもあり、3段も積まれた石垣は壮観であります。



それに比べ天守閣は日本の城の中では最も小さかったようです。6万石の丸亀藩としては控えめに造らざるを得なかったのかもしれません。天守は小さくても瀬戸内海を一望に見渡せる景色の良さは讃岐の要塞と呼ぶにふさわしいものです。



と言うことで写真は小さくしておきます。
この城は登るのは大変ですが、天守閣はあまり見所はないような気がします。それよりも城下から見上げる姿が絵になる城です。

次回は藤堂高虎の設計した3つの城(今治城、大洲城、宇和島城)の話をしましょう。

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しんさんのよもやま話

2015年03月22日 20時07分00秒 | Weblog

3月22日(日) 晴

ずいぶん暖かくなりました。明日は茨城からの友人と久しぶりに会い、いっしょに四国の百名城9ヶ所を巡るツアーに行って来ます。四国は名古屋より暖かいでしょうから楽しくなりそう。桜も咲いているかもしれません。

・日本三大水城(海城)の高松城
・阿波の青石で築かれた石垣の徳島城
・山内一豊が築いた南海の名城 徳島城
・自然と共にある藤堂高虎設計の知略に満ちた宇和島城
・日本一の高さを誇る4層の復元天守からの眺めが期待の大洲城
・関ヶ原で戦功により加藤嘉明が築いた高石垣の名城伊予松山城
・南北朝時代の大きな堀と土塁の湯築城
・築城の名手藤堂高虎が築いた水城(海城)今治城(これも日本三大水城)
・高石垣に現存天守の丸亀城

以上四国の百名城9つをすべて回ってくる予定です。スタンプが9つも増えてしまうのでウキウキ。
すばらしいお城の写真を掲載したいところですが荷物は極力少なくしたいのでパソコンは持って行きません。もっとも本人以外誰も興味ないでしょうけど。と言うことでしばらくブログもお休みします。

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しんさんのよもやま話

2015年03月21日 21時55分34秒 | Weblog

3月21日(祝・土) 静岡は雨

7時間かけて御殿場から名古屋に戻ってきました。
途中電話がかかってきたので、運転しながら携帯を取ろうとして座席シートの間に落ちてしまった。新しい携帯は薄くてスリムだけど、薄すぎて不便なこともあることに初めて気がついた。結局路肩に車を停めて携帯を取り出すのに四苦八苦。要は何でも薄くて軽ければ良いという訳ではないと言う事。

ところで今日は朝から小雨模様。今回の田舎暮らしでやらなければならないことが残っていたので雨の中で作業してきました。トウモロコシを次に帰った頃に植え付けるため堆肥を撒いて畑を耕してきました。



更にキヌサヤが伸びても良いように網を立ててきました。昨年の10月初旬に蒔いた苗は成長しすぎて、すべて冬を越せずに枯れてしまったけど1ヶ月遅れで蒔いた方は10cmぐらいで無事冬を越したようです。やはり種を蒔く時期を間違えるとダメだと言うことを身をもって体験しました。



それから昨年秋に種を蒔いたルバーブが小さな葉を出してきました。秋には失敗したと思っていたけど春になって芽を出してくるとは。結局春植えになってしまったようだけどうまく育つのかな?



それにしても7時間の運転は疲れました。長距離トラックはほとんどいないのに浜松を過ぎたあたりから乗用車で渋滞ばかりとは・・・。今日は名古屋は晴、しかもお彼岸で祝日。行楽の車がこんなに多い日に一般道だけで御殿場から名古屋まで来ること自体考えが浅かった。実は土曜日でトラックが少ないことと雨で行楽の車も少ないだろうと思ったところに誤算があった訳。

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しんさんのよもやま話(田舎編15-11)

2015年03月20日 21時35分03秒 | Weblog

3月20日(金) 曇

田舎に来るといつも慌ただしい一日になってしまう。とにかく何かやっていると次から次へとやらなければならないことが沸いてきてしまうのだから困る。
本来の予定は母のショートステイ先への支払いと墓参りと友人とのランチだったが、田舎の家に入り、裏の畑を見ると問題ばかり見つかって急に忙しく走り回ることになる。
今日も朝食を作り食べたあと片づけをし、ゴミ出しをしたあと、TVでマッサン見る。ここまではいつもの日課である。その後作業着に着替えて、家の裏に雑然と置かれているダンボールやペットボトルを片付け、次のゴミ出しに間に合うよう整理する。更に昨年から毎回やっている伐採した庭木の片付けをし、昼前に一度切り上げ、着替えをして友人とのランチに向かう。今回は高校時代の友人2人とノンアルコールビールと特製ランチで近況を聞きながら1時間半。2人の友人は仕事に戻り、僕は田舎の家の買い物いろいろ。まず炊飯器が壊れているのでケーズ電機に、それから農協でお茶の肥料20Kg、ホームセンタで畑の肥料を40kg購入、更に花やで墓参り用に花束、スーパーで食料を購入する。
家に戻るとお寺さんへのお布施を準備して墓参りに行く。住職に明日の護持会は欠席させてもらう連絡と依頼してあった塔婆を明日墓に置いていただくことにして、戻って朝の作業の続きを。とりあえず畑の隅に放置された伐採した庭木はなんとかすべて片付け終わった。
結局石窯の基礎台の修復、キヌサヤの棚作り、とうもろこし畑の畝作りはできなかった。明日の朝、キヌサヤの棚作りとトウモロコシ畑に肥料を入れて耕すところまでやって、今回は此処までにしようと思う。石窯の方は耐火煉瓦を運び入れるまでにどうするか考えることにする。

明日は畑の作業をしたあと母の介護施設に立ち寄り、名古屋に戻ることにしよう。お寺の護持会を欠席にしたけどまったく田舎のしきたりがわからず参加することになってしまったけど、役付きの人以外行かなくても良いようなのでそう言ってほしいものだ。この年になってこれからも田舎では大変なことになりそう。まぁ徐々に慣れてくるのかな。

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しんさんのよもやま話…ゴルフ編(15-03)

2015年03月18日 20時11分19秒 | 趣味

3月18日(水) 晴

昨日楽しくお酒を飲み過ぎて、今朝は眠い目をこすりながらゴルフ場に。
今日は日本ラインゴルフ倶楽部の桜コンペに参加。暖かくて絶好のゴルフ日和でした。今年は回数は少ないけどいつも好天でラッキーです。しかも前日少し飲み過ぎで体調はいまいちでしたが、変な力が入らず意外とショットが安定してまぁまぁのゴルフでした。
ハーフコンペとなった前半は大きく乱れることもなく、ミスショットはあるものの取り返そうと力むこともなくラウンドできました。と言うかちょっとお疲れモードのためアドレナリンが出ることもなく淡々とゴルフをした結果が大叩きとならなかったようです。
とにかくパー1つ、ボギー1つでしたがダブルボギーが6つ、トリプルボギーが1つと安定したスコアでハーフは52でした。パット数も17まずまず。コンペでは129人中の38位と一応上位に食い込むことができました。ただし賞品は当たらずちょっと残念。

後半は3パットが3ホールも出てしまいちょっと乱れましたがなんとかダブルボギーペースの54でまとめることができました。パー1つ、ボギー2つ、ダブルボギー4つまでは良かったけど2つのホールで+4の大叩きをしてしまった。15ホール目ぐらいから疲れか軸がブレだしたのが原因だと気づき、最終のロングホールでは修正できてパーで上がることができたので満足できる内容でした。

最近、太極拳をするようになってから股関節に体重を乗せることができるようになり、飛距離も今までより飛ぶようになった気がします。そして方向も安定してきたのでOBも無くなり、今年は期待できる結果になりそうな予感がしています。あとはアプローチの加減が大きかったり小さかったりですが、これは回数を重ねるうちに修正できるので今はこれで良しです。今回は106でしたが、もう少し回数を重ねれば100前後にはなりそうな気がします。もっともこれからしばらくゴルフの予定はないのでどうなることかわかりませんが楽しみです。

さて明日からは静岡の田舎です。彼岸の墓参りを兼ねていろいろ田舎の雑用を片付けてきます。

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しんさんのよもやま話…ヨット編(15-04)

2015年03月15日 19時17分33秒 | 趣味

3月15日(日) 晴のち曇一時雨

昨日に続き、今日もヨットの整備。
今回はS氏が都合で抜け、Y氏が加わり、相変わらずの4人体制になるところでしたが、急遽K女史も参加してくれることになりました。
FRPのパテを塗った所の塗装と船台をずらしてのサンディングと塗装がメインの作業となりましたが、今年初参加のY氏とK女史が奮闘してくれました。女性が一人入っただけでM氏もH氏も張り切ってやってくれたので楽をさせてもらいました。
写真は船底で奮闘中のK女史。と言っても全身武装状態で誰だか・・・?



本日をもって無事整備作業が完了しました。予定より一週間早く終了したので、あとはマリーナでエンジンの整備をしていただき、今月末には船に乗れる状態になります。一応完成したので僕抜きのみんなで。



今年は少ないメンバーで黙々と整備をしてきて、思ったよりスピーディに整備が完了しました。
フル出場のMさん、準フル出場のSさん、Hさん、そして一日でしたが奮闘してくれたYさん父子とKさんお疲れ様でした。メンバーで唯一欠席のTさんは農協で頑張っているようですからまぁ良いですよ。

これで来週の整備&潮干狩りはとりあえず中止することになったが、参加したい人がいなくなったので丁度良かったかもしれません。最近あまり採れないし、しかも入場料は値上がりなので漁港の市場で買った方が良いと言うことでしょう。

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しんさんのよもやま話…ヨット編(15-03)

2015年03月14日 20時03分47秒 | 趣味

3月14日(土) 曇一時雨のち晴

先週に続きヨットの船底塗装でした。賑やかだった整備も最近はメンバーと黙々と作業をする日ばかりになってしまいました。まぁそれが時の流れと言うことでしょうけど。

今日もS氏、M氏、M氏と自分の4人だけの作業でした。もっとも十数年前と比べれば高圧洗浄機やサンダーのような機器の利用によりすべて手作業だった頃に比べれば楽になりました。ただ今回の塗装だけは依然として刷毛でペイントを塗る手作業です。

午前は雨が降ったりであまり作業が進みませんでしたが、昼過ぎから晴れ間も見え何とか船底塗装ができました。働き者のメンバーのおかげで船底のパテ塗りとそれ以外の船底の塗装作業をすることができました。夕方までかかってしまったが一応2度塗りまでできたので一応一段落です。



明日はパテ塗り部分のサンディングと塗装、スクリューの塗装、それから船を一度傾けて船台の影になっている部分のサンディングと塗装をして完成します。もっとも天気次第ですが。
天気がもってくれれば来週は整備をしなくても良くなりそうです。明日は急遽K女史も駆け付けてくれるそうなので少し華やかになりそう。

ゴルフにヨット整備にちょっとお疲れモードです。この時期は毎年のことですが年々厳しくなって来たと言う事はやはり進退を考えなければならないことなのかもしれません。やはり万年青年とは行かないものなのですね。

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