”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(78)

2006年05月30日 23時30分18秒 | ビジネス

5月30日(火)晴れ
最近少し天気がよくなりましたが、春が雨が多すぎて田舎ではお茶の出来高が去年の半分ぐらいと言っています。みんなにいっぱいあげたいところですがなかなかうまく行かないものです。
このブログも何とか半年は持ちそうなところまできたのですが、続けることのむずかしさを痛感しています。僕はごく平凡な人生を歩んできたのであまりおもしろい話がないのに、なんとか自分の失敗を中心に書いてきました。そしてビジネスライフの後半の18年を書こうと思っていたのですが、まだ書くのは早すぎるかなと思っているのでなかなか後半を始めないでいます。1月、2月頃に僕が経験により学んだことはかなり書いてきたので、なまなましいところしか残っていないかもしょれません。そんなわけで、もう少し違う話を続けることにしました。
現在僕は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した人達の伝記を読み漁っています。吉田松陰、高杉晋作、大隈重信、岩崎弥太郎などです。そして今高橋是清について読んでいるところです。伝記と言うとどうしても戦国時代の武将の話が多く過去には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から始まって蒲生氏郷、藤堂高虎、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信などを読んできました。戦国時代は現実離れした部分と近代日本の原型を形作ったおもしろさの中に、生き方の教訓が詰まっていました。要するに混沌の中から這い出る時代ですからいろいろな人物像があって、生き方も様々、生死も様々。それと同じことが江戸末期から明治初期にも起こっていたと考えて読んで見ると、おもしろいと思います。さすがにすぐに刀を振り回す時代とは違いますが、かなり混乱の時代だったと言うことがよくわかります。歴史は簡単に明治を賛美したがりますが、そんなに簡単にことが運んだとは言えないようです。大隈重信と言うと早稲田大学の創始者と言うことはみんな知っているけど、どうしてそうしたのかには彼の思いを実現するために若者の教育が必要だった事情も知ってみると今の時代にも参考になることが多いです。三菱創業の岩崎弥太郎も単純に三菱を作ったわけでもなく彼の苦悩と坂本竜馬から学んだヒントがあったからこそなのです。現在読んでいる高橋是清にしても単純に日銀総裁や大蔵大臣になったわけではないことがよくわかります。今の日本は丁度次の歴史への転換期かもしれませんが、ほんとうの転換期はもう少し先のような気がします。少なくとも転換期としての評論はあっても、具体的な行動を共にする同志のようなものがあるわけでもなく、若い人達が激論を戦わせるに至っていないのが理由です。僕達年寄りが国を憂えても何も起こりません。歴史が動く時は熱心に議論する若者達が目に見えるようになってから、新しい時代のコンセプトが生まれてくるような気がします。そう言う意味で「国家の品格」のような本から若い人達が真剣に考え、勉強する空気が出て来るまではこの国はゆで蛙状態が続くのかもしれません。そのままゆで上がらないように願うばかりです。もっと国語と歴史を勉強することから始まるのかもしれませんね。
今日はこの辺で。明日は飲んでくる予定なのでひょっとするとお休みかもしれません。
それではまた。

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しんさんのよもやま話

2006年05月29日 23時51分04秒 | Weblog
5月29日(月)晴れ
今日はしこたま飲んで今帰ってきたのでお休みにさせていただきます。明日はお楽しみに。あさってはまたおやすみかもしれませんが、その時はご勘弁を。ではおやすみなさい。
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しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年05月28日 23時16分51秒 | Weblog

5月28日晴
今日は古き友人達と一杯飲んできたので真面目な話は抜きにしましょう。
でも日曜日に飲むことは、ほとんどないので街の様子がよくわからなかったけど居酒屋でも日曜と言うのに結構混んでいるのでびっくりしてしまいました。ぼくは平日のサラリーマンが帰り道による所だと思っていたのに。
そう言えば最近若い女性も結構飲むし、デート帰りによるカップルも多いかもしれません。自分達の若い頃は女性もあまり飲まなかったし、つまみも今ほどハイカラじゃなかったから、お客はもっぱらおじさんたちで、おじさんは会社の帰りによるだけで日曜はもっぱらゴロ寝でしょうから。おじさんの行状は昔も今も変わらないけど若い人達特に女性が変わったと言うことなのでしょう。

いつも土日は楽しみにしているのだけれども、終わってみれば何にもできずに終わってばかりです。年をとってくるほどぶらぶらしているうちに終わってしまいます。特にヨットやゴルフがないと何もしてないうちに終わってしまう。なんとかならないかなぁ。

そう言えば最近鏡の自分にあいそをつかしている。その上昔のアルバムを見るともっとむかつく。アメリカの作家の詩に同じようなことを歌ったものがあることを急に思い出しました。

それで今迄かかって家の本を探してやっとみつけました。作者はジョージ・オッペンで”じいさん”と言う詩でした。

じいさん

鏡の中のじいさんに僕はいつもどきっとするが

写真の中の青年の方がもっと奇妙だ

なんの変哲も無い詩だけどなんかそうだなぁと思う詩です。もちろん原文は英語なんですがまぁいいでしょう。今日はこの辺で。

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しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年05月26日 23時37分07秒 | Weblog
5月26日(金)曇
今日はしんさんの5?回目の誕生日です。今年は退職して、さびしい誕生日となるはずだったのですが、まったく予想に反してうれしい年になりました。多分僕の人生でも記録ずくめのことばかりです。プレゼントもすべて僕のお気に入り、お祝いメール等もすべて女性からで6通もあったし、盆と正月がいっぺんに来た感じです。

年齢的にはすごく複雑な気持ちだけど、何歳になってもメールとかもらうとうれしいものです。何か元気をいっぱいもらった気がします。もう少し僕が若ければと思わないこともないけど、今の方がきっとうれしいだろうなと思います。年をとればとるほど孤独感を味わうことが多くなるのが一般的なのだから。

そう言う訳で今日はゆっくり休みます。明日は雨と言うことで今年2回目のヨットも中止にしたので歯医者に行ってあとはちょっとパチンコでもして、ホームページの作成でもしようかなと思います。

それではまた。おやすみなさい。

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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(77)

2006年05月25日 23時53分51秒 | ビジネス

5月25日(木)晴
昨日の晩は若い美女3人と年寄り組3人で飲んで、今日のランチはまたまた若い美女と僕ら年寄り組2人で食事をして、いい気分ですが、しょうもない年寄りに昔の職場の上下関係だけで付き合ってくれるこの若い子達はみんな美人でやさしい子たちです。昨日都合で参加できなかった子達も同じように美人でやさしい子達です。

リタイアしたら雲のように消えるのが男の生き方と思っていた自分が、いつまでたっても未練がましく、みんなに迷惑かけてごめんなさいです。仕事が暇になって一種の寂しさを感じている自分にとっては若い人達と話をすることで元気をもらっているのかもしれません。ありがたいことです。もっともそれができるのも、僕と言うより相棒にしていただいているTさんの力かもしれませんね。
飲んだり食べたりしながら「国家の品格」を読めとか「スローライフ」を読めとか言っているこのおじさん達に付き合うのも大変かもしれませんが、暇な時はこれからも付き合ってくださいね。

ところで昨日も、今日も最近ブログに書いている内容と同じようなことを若い女性を相手に話しているのには自分はかなり意味があると真面目に思っているのです。でもいやがられるだろなとも思っているのですが。
僕たち団塊の世代は戦後教育の中で自分達の親から受けた日本人の伝統を子供に伝えることなく来てしまったと、この年になって反省しています。(僕だけかもしれませんが。)このままアメリカ的論理や効率至上主義だけでこれからの子供たちが育っていくとしたら、日本人は歴史からなくなってしまうだろうと言う危機感をみんなが感じているのではないでしょうか。そうでなければ「国家の品格」があんなにベストセラーになるわけないですよ。そのことを若い母親候補生がしっかり認識していてほしいし、そう言う認識を持った母親の子供たちの育成をお手伝いできるのは我々世代じゃないでしょうか。なぜなら日本人の伝統に唯一接している世代なのですから。
この世代が地上から消えたときになにも残していかなかったら、民族としてのアイデンティティはなくなってしまうのでしょう。まぁ中国系民族の中に組み入れられてインディアンかアイヌのような存在になっているかもしれませんね。僕は政治家でも学者でもなんでもないただの人だけど、日本人が日本人として生き残って行くためには、我々世代が生きている今が最後のチャンスなのかもしれません。
我々は多かれ少なかれ自然の中で育てらることにより学んできました。そして自然に対する好奇心と行動が、創造力を生み新しい知識を生んできたのだと思います。最近日本の子供の学力が世界の中でどんどん落ちてきていると聞きます。でも当たり前です。塾へ通い知識を覚えるだけの学力がいいわけありません。自然の中で好奇心が引き起こす発見や考える力のトレーニングができていない頭がよくなるわけがありません。きわめて当たり前のことです。既存の知識をいっぱい詰め込んでも、知識が零れ落ちることはあっても増やすことはできないのですから。ところが自然の中で遊ぶことによって知らず知らずに考える力がついて知識を増やすすべを覚えるのです。だから問題を解決する想像力を持った子と覚えた知識だけの子と学力を比較すれば結果は測定する必要もないくらい明白ですよね。なんでそんなことが今の世の中わかんないのか僕には不思議です。ただわかっているけどみんながやっていることがいつも正しくて、少数意見を実践していくことはどんなに正しいことであっても難しいのもよくわかります。赤信号みんなで渡れば怖くないと言うやつですね。自由と言いながら、日本人はとかく大衆と違った行動をとるとみんなでいじめるような悪い性癖があります。だからその他大勢と違いを際立たせずに、正しい行動をとっていく処世術がテクニックとして必要かもしれません。

この種の教育を目指した取り組みが全国で細々と試行されている話が新聞等で紹介されていますが、なかなか大きな流れににはならないようです。10年後20年後にしか結果の見えない話ですから、哲学がないと続けることができないでしょう。理屈がなくてもいいものはいい、ダメはダメと言える哲学(武士道?)を今一度思い起こすことが結局一番必要のような気がします。
また長たらしくなってしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではおやすみなさい。

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しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年05月24日 23時59分49秒 | Weblog
5月24日(水)
今日は美女3人に囲まれて、誕生祝をしてもらいました。お祝いの帽子かぶってヨットに乗るのが楽しみです。そう言うわけで今日はお休みします。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(76)

2006年05月23日 22時01分26秒 | ビジネス
5月23日(火)
先週末からこのブログも少しトーンが変わったと思います。今まで読んでいただいた人に何か役立つことをとか読んでいただく人におもしろかったと言っていただけるようにとの思いを文章にしてきました。単なる一方的な思いだけで半年近く続けて来てきて、かなり僕自身の感情はオブラートしてきたが、少し僕の感情のようなものを出して書いてみました。その点で結構好き嫌いが明確になってしまうかもしれません。でもビジネスライフ(後半編)の前の一休みとして今週は雑感的に書いてみようと思っていますので悪しからずご了承願います。
と言うことで今日は社会環境保護の話をテーマに書いてみたいと思います。現在日本のいたるところで環境に対する取り組みがなされています。大部分がNPOによるものではないか思います。僕の以前在籍していた会社もご他聞にもれず、社会貢献部門を設置し、寄付をしたり・植林をしたりしています。それはそれでいいことだと思いますが、自分には社会的体裁を保つだけのためのものでしかないように感じています。東京一極集中に見られるように都市部への集中と過疎の過疎化が進むだけで田舎の自然はなくなっていくばかりです。かと言って田舎で家族を養おうにも収入の道がかぎられてしまい、誰も豊かな自然を守る活動なんかできないのが現実です。最近静岡県で過疎の村と企業が提携して、過疎の自然環境を残していく取り組みが試みられているという記事をみました。どの程度の提携なのかよくわかりませんが非常におもしろい試みだと思います。企業活動の一環としていろいろな過疎対策のアイデアが創出されるとともに、そんな活動を子供達にも体験させていくことが日本人の情緒を養ってくれることにもなるような気がします。最近町で遊ぶ子供をみたことないとよく言われます。誘拐だ、殺人だとまぁいろいろあるからわからないわけでもありませんが、僕達の子供のころを思うと情緒がなくてあたりまえかもしれません。我々の子供の頃は町の広場で”めんこ”をしたり、川で魚とりをしたり、山に薬草や山菜をとりにいったり四季を通してやることがいっぱいあって放課後が忙しかったけど、自然とともに生きている実感を養ってもらえたと思います。そんな日本人のアイデンティティである情緒を養いながら日本の豊かな自然の恵みを守る活動が実現できたらすばらしいなと考えています。東証1部上場企業だけでも1500社近くあります。それらの会社の社会貢献事業としてそれぞれが特定の過疎地と提携して、農業・漁業を通じて豊かな自然環境保護と日本人の情緒を養成する場として活用できたらおもしろいなと思った次第です。働き過ぎと言われる日本ですが福利厚生の一環として、1~2週間の休暇と家族で暮らせる場所と農作業や環境保護活動等のカリキュラムが準備でき企業から派遣された家族がそれぞれ貢献活動をするといった制度ができたらおもしろいと思います。まさにプチスローライフが実現できます。きっと徴兵制なんかよりずっと品格のある国家の生き方が実現します。そして日本人の失われつつある情緒の復活・伝統的文化や生活基礎技術の習得も同時に実現できるのです。
多分企業側からはこのグローバル化の時代に何を寝言を言っているのかとお叱りを受けそうですし、行かされる社員も子供の勉強が遅れるとかいろいろ物議をかもすアイデアかもしれませんが、徴兵制のある国では2年3年自由のないことを考えれば義務化してもメリットが多いと僕は思うのですがみなさんはどう思われますか? 
またとりとめもない話をしてしまいましたが、半分本気で考えてしまいました。
今日はこの辺で終わりです。バイバイ
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(75)

2006年05月22日 22時53分19秒 | ビジネス
5月22日(月)晴
昨日横浜でFRPの講習を受講して、講師の会長さんの話を聞きながら彼のビジネスに対する姿勢に心地よい感動を受けました。81才と言う年齢から考えると会社の経営は社長にまかせて、道楽として僕らのような趣味が高じて自分で修理をする人達を相手に教えているだけだけど、結果として僕らからの注文によるビジネスになっている点で、これからのリタイア世代にも参考になる生き方だと思った次第です。
僕に教えるものがあるのかと言われるとはなはだ心もとないですが、少なくとも我々世代には後世にに伝えたい日本の文化や技術を持っているように思っています。ただそれらを教わりたいと思う人がいるかが問題かもしれません。今の日本から消えつつある伝統的なものはいっぱいあります。農業、煮物料理(スローフード)、哲学(心の持ち方)、サバイバルの衣食住などもっと基礎教養として持っていてもいいような気がします。現代はあまりにも専門家に委ねられすぎて何でもお金で解決する傾向が強いけど、日本の将来を考えるともう少しオールラウンドに生活していくための知恵をみんなが持っていることが重要だと思います。確かに効率的な社会とはちょっと違うけど、元々それぞれが持っていた無駄な知識が新しい変革に対応していくポテンシャルを築いているのだと考えるのが素直だと思います。アメリカが推し進めるグローバル化は理屈の上では極めて論理的だけど、それぞれの国がアメリカを中心としたシステムの部品化となるだけで、時代と共に不要な部品は捨てられるだけのことでしょう。ただ捨てられた時に自給自足で国を立て直すだけのポテンシャルを持っているかどうかが、日本と言う国の将来を決定付けてしまいます。だから僕らは少々効率無視で無駄な生活知識を持ちながら生きていくスローライフが必要な時期にきたのだと思います。世の中に加速しっぱなしで走り続けるものは何一つありません。今まで効率重視で突っ走ってきた日本なのだから、少しスピードを緩めながら次へのポテンシャルを蓄える教育も必要だなと痛切に感じています。
自分もサラリーマンとしてあくせくやってきた一員で、偉そうなことを言える立場ではありませんが我々は子供の頃に田舎で自給自足に近い生活をしてきた経験を持っています。それに引き替え、うちの娘のように都会で生まれて都会で育ち、お金の流通だけで生活している世代は僕らが都会で効率重視のシステムで働いた産物であり、責任は僕らにあるのだから、これからのリタイア世代が罪滅ぼしに田舎の感性を養うブレーキ役も引き受けるべきでしょう。多分僕らの年代の方には共感していただけると思うけど、若い世代の人がどれほどそんなことの必要性を認めてくれるのかさっぱりわからない。でも田舎の感性を教える年寄り世代とその必要性を感じる若い世代のコラボレーションがこの日本の中で湧きあがってくることができたらいいなと考えています。
ビジネスそのものではありませんが、そんな中で結果として新しいビジネスが発展するような気がします。昔に比べて自営業がどんどん少なくなって、資本力のある企業の傘下でしか成立たない時代ですが、効率重視の結果だと思えばスローライフは自営業復活のシナリオなのかもしれません。地に足の着いた日本になるために、アメリカのグローバル化戦略から少し距離をおいた生き方を、一方で始めておきたいものです。
とりとめのない話になりましたがたまにはいいでしょう。今日はこの辺で。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(13)

2006年05月21日 23時08分55秒 | 趣味
5月21日(日)晴
今日は久しぶりのよいお天気でした。僕は朝6時半に起きて7時47分発の”のぞみ”に乗り、横浜に行ってきました。フローティングボートショーも開かれていたのですが、僕の目的はヨットの船体であるFRPの補修・塗装の講習会だったので、朝10時から夕方の5時までみっちり勉強させていただきました。みなさんはFRPは御存知ですよね。日本語では強化プラスチックと呼んでいます。お風呂のユニットバスなんかもFRPですよね。このFRPを作る実習もあって、意外と簡単に作れてしまうのにはびっくりしました。FRPはガラス繊維に硬化剤を入れたポリエステル樹脂を染み込ませながら何層にも塗っていったもので、剥離を起こさなければ半永久的に強度を保っているようです。話を聞きながら自分で船を作ってみたくなるような感じでした。難しそうなのは型を作る所と硬化剤を入れたあとのポリエステル樹脂は短時間にガラス繊維に染み込ませながら脱泡するところです。この脱泡がきちっとできていないと剥離を起こす原因になるそうです。
それにしても化学の力もたいしたものです。昔は木造ですから手間はかかる上に寿命も短いので利用者からみれば不便だったわけです。反対に造船業者からみるとFRP船は一度作ってしまうとほとんど壊れないので、だんだん仕事がなくなってきて、最近では何千もあった業者が300社ぐらいになってしまったそうです。
FRPの補修方法もノウハウのかたまりです。講師をしていただいた竹内化成の81歳になる会長さんはFRPのできる40年、50年前から携わってきた関係者のようで、自分も感心してしまうほどいろいろなケースを御存知でまさに生き字引のような方でした。あのお年でよく忘れずに化学物質の性質の違いやら、ケースバイケースの対処法をすらすらと言えるのか不思議なくらいでしたが、ビジネスと言うのはこう言うことなのかと思い知らされました。
今日は自分としては、わざわざ横浜まで行った価値が十分にありました。交通費と講習会費で2万5千円はかなり厳しいけど納得の一日でした。船体の塗装にはウレタンエナメルを使うことや船体の引っかき傷のような部分の補修は着色ポリエステルで十分だと言うことなど現在僕の抱えている問題の解決に役立ちそうなことがいろいろ収穫できたからです。こんど機会をみて自分でいろいろやってみようと思います。
それからFRPの劣化診断については自分の船が古いだけに心配していたのですが40年以上持つような話を聞いて安心して遠乗りのクルージングにでかけられそうです。
久しぶりに7時間も居眠りせずに講習を受けたので、疲れてしまいましたのでこれでおわりです。おやすみなさい。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(74)

2006年05月19日 23時18分34秒 | ビジネス

5月19日(金)曇(東京)
今日は朝から東京出張で池袋の展示会と有楽町のセミナーと走り回っていたのでさすがに疲れちゃいました。帰りの途中静岡あたりですごい雨が降ってましたけど、名古屋の天気はどうだったんでしょうかね?ほんとは最初今日はGOLFの予定だったんだけど、骨折後の回復がいまいちのため急遽取り止めにして、一日空いたのでこの機会に情報収集をと東京に行ってきました。もう少しゆっくり昔の仲間とも会って話したりしたかったのですが、明日は歯医者と整形外科に行く予定だしあさってはまた横浜にFRPの講習会に行かなければならないので今回は誰とも会わずに、自分のほしい情報だけの収集でした。
そう言えば皆さんは”国家の品格”と言う本をもう読まれましたか?僕は先週読み終わったと言うか一ヶ月ぐらい読んでは戻りゆっくり読んでいました。と言うのも自分の思っていることを代弁してくれているような気がしたからです。特に最近反対できないような論理で物事が規則化されていく世の中の風潮に、おかしいと思っていたからかもしれません。以前にも書いたかもしれませんが、道徳教育が廃れて、欧米流の論理だけで物事を判断しがちですが、論理は出発点すなわち前提条件が異なるとまったく違った答えが出て来るものです。「国家の品格」はその点をかなり明快に証明してくれています。そして物事を見る感性(情緒)の大切さを必死に訴えているように思います。著者が言うように理屈なんかなくたってダメはダメなのです。その基準の根源には日本人としての道徳(武士道、儒教、仏教)があるのです。商売でも僕はやっていい商売とやってはいけない商売があると思っています。儲かればなんでもいいと言うのは長続きしないし、長続きしないビジネスはお客様に迷惑をかけるだけです。お客様だけならまだしも社会環境や国家の存続にすら影響することだって考えられます。それを僕達は”お天道様が見ている”と思うことによって自制していたのに、今では欧米流の論理だけを都合よくとって、理屈は通っているけど内心おかしいと思うことが堂々まかりとおっています。今一度原点に戻って日本人としての生き方を見つめ直すことがあってもいいように思います。
最近僕は腹の立つことが多くあります。特にコンプライアンスとかセキュリティについては過剰反応としかいいようのない規則ばかり作っています。そして少しでも異議を言おうものなら悪人になってしまいますが、アメリカという国は多国籍民族国家であり、基本的に性悪説国家です。だから法家のごとく規制、規制で統治していかざるを得なくなっているだけだと思います。そして法家が栄えた国は中国では”秦”ですが、過去の歴史では強力な国家になることはなるけど長続きしない国家でもあります。もっと日本史・国語の教育を充実して、人を大切にする心をベースにして”法”は作るべきだと思います。要は結果に対する罰はきびしくてもよいけど、手段についてはバカな規制は作らないということでしょう。今養老孟司さんの”こまった人”(中公新書)を読んでいるのですが、僕には彼も同じような感覚の持主のような気がします。但し養老さんは皮肉るだけであまり中味に立ち入らない傍観者的スタイルを貫いているので、やっぱり賢い先生だなとは思いますが。
それにしても「国家の品格」を書いた藤原さんも「こまった人」を書いている養老さんも理科系の人なのですが、肝心の文系の人たちって欧米至上主義の人しかいないのかなぁ。
まぁ僕もよくわからないけど、最近何か変だなぁと思うのは僕だけかもしれないのでもうこの話はやめましょう。ただ「国家の品格」の中で藤原さんがおっしゃっているように、直接世の中に役に立たない仕事をいっぱいやっている国は世界から尊敬され、国家として長く存続するというのは正解のような気がします。安ければ何でもいい、とかお金さえあれば何をしてもいいと言ったことにならない日本人でありたいと僕は思う。人生にはお金に変えられない自然や日本的美があることを知ってもらいたいのだけど無理なことかもしれません。人間の歴史は廃墟にならなきゃわからない歴史でしょうから。そう言えば人間ほど歴史に学ばない動物もないんですよね。そのくせ歴史の書物はいっぱいあるのはどうしてなのかな?ではおやすみなさい。

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