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”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ヨット編(35)

2006年09月30日 23時38分16秒 | 趣味
9月30日(土)曇
一昨日は長いことお世話になった技術者達の送別会で休み、昨日はちょいわるおやじトリオで軽く飲み帰る予定が思いも寄らない女性に会ってつい飲みすぎてしまいました。3年前大学卒業したばかりのお嬢さんが1年間僕達の仕事のお手伝いをしてくれてた後正式に就職して2年ぶりにばったり会ったのですが、いつのまにかOLらしくなってうれしくなってしまいました。
そして今日はヨットで釣りに行くため、朝早く起きてマックスバリューで昼飯を買い、ゲストを迎えに行きました。ところがお寝坊さんのYちゃんは電話してもでないし、先輩のY生さんとコメダでモーニングコーヒーを飲みながらどうしようと相談していたところに、ゴメンナサイ、めざましかけておいたけど起きれなかったとYちゃんの電話があって約1時間遅れでハーバーへ行くことができました。ハーバーではこれまた友人のY君が待っていてくれて11時近くなって出航できました。潮の時間からは結果的に丁度いいかなと思ったのですが、霧が深くて佐久島に向かっているはずがまた元に戻ってきてしまうと言うミスをY君と僕の二人で犯してしまい、ここでもまた1時間近いロスをしてしまいました。何回も佐久島周辺にクルージングしているはずの二人ですが、湾の沖に出すぎて周囲の島がまったく見えない霧の中で方向を間違えてしまったのは最低でした。結局佐久島のポイントに着いたのは午後1時過ぎになってしまいました。前回アジがいっぱい釣れたポイントのはずでしたがさびき釣りはさっぱりでした。Y生先輩とYちゃんはゴカイでえさ釣りで僕がさびき釣りだったのですが結局先輩だけがキス2匹と小さなアナゴを釣って神島以来の汚名返上の成果をあげただけでした。これで来週のヨットDeつり大会への出場が赤信号となってしまいました。今までのポイントが釣れないとなるとどこにいったらよいかまったくわからないので来週はメンバーがいなければもう中止にするかもしれません。ともあれ無事午後5時前に帰港しました。まったく釣れなかったYちゃんには、このままでは女がすたるのでまたチャレンジしていただきましょう。
最近ヨットでクルージングを楽しむと言うよりは釣りに行くことが多くなったのですが、いざ始めるとなかなか思うようには行かないものです。折角関の孫六の出刃包丁を買ったのだけどまったく出番がありません。まぁそんなものかもしれません。また来週どうなったかお楽しみに。
それではまた。明日は静岡の田舎で甥っ子の結婚式があるのでお休みです。来週またお会いしましょう。
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しんさんのよもやま話

2006年09月27日 22時23分54秒 | Weblog
9月27日(水)曇
今日は最後の夏休み休暇をいただき、ゆっくりする予定がバタバタっと過ぎてしまいました。午前は久しぶりにマイホームページを更新しましたと言っても8月・9月のヨットのクルージングを追加しただけです。よかったら見てください。URLは下記のとおりです。
http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/
午後は昨日話ていたようにHOTYOGAに行ってきました。今度は途中で抜けることなく最後までやりましたが、汗は出るわ、疲れるわでまいりました。体脂肪は前回ほどは減りませんでしたが、それでも減りましたよ。でもまた元に戻ってしまうだろうけど、まぁ体を動かすことの少ない僕にとってはいい運動かもしれません。今日は男性コースのはずなのに僕以外は全部若い女性だったので若干はずかしかったですよ。体が硬いので周りの女性達のようにうまくできないのでかなり無理をしてしまいました。前回は5人も男性がいたので、自分と同じぐらいの硬さの人もいたので適当にできたのですが、今回はかなりがんばっちゃいました。おかげで足腰が痛いやら疲れたやらでほんとうに明日が心配です。
と言うわけで今日も簡単にして終わります。ただHOTYOGAは現代人の健康のためにはよさそうなので、少し土日が暇になったら通ってみたいと思います。僕はもう遅いかもしれませんが若い人は今のうちからやっておく方がいいと思います。ではまた。明日は呑み会があるので多分お休みにすると思いますので合わせてよろしく。
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しんさんのよもやま話

2006年09月26日 23時01分21秒 | Weblog
9月26日(火)曇夜雨
今日は飲みすぎ、食べすぎ、ふん詰まり。で気のきいたことは書けません。そこで臨時休業です。明日は夏季休暇の残った一日を使って休みますので、少しまともなブログになるかもしれません。
但し明日は先週トライしたHOTYOGAに再チャレンジしてきます。確かに体脂肪が急激にさがることは確認できたけど2日で元に戻ってしまったのでもう一回やってみます。それによっては11月以降メンバーになるかどうか決めたいと思っています。それでは明日をお楽しみに。
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しんさんのよもやま話

2006年09月25日 23時32分37秒 | Weblog
9月25日(月)曇
今日気象庁が長期予報を発表しましたが、それによると今年の秋は暖かくそのため紅葉は遅れる見込みだそうです。ただし天気は雨が多いようです。そして冬も暖かく雪は少ないそうです。はたしてどのくらい当たるのかよくわかりませんが、10月にいっぱいゴルフを予定しているのであまりあたらなくてもいいのですが。
ところで今週は中休みと言うことでとりとめのない話をしようかと思っています。最近の自分はかなり方向を見失っていると言うか迷いが多いのですが、そんな中で意識を正常に保つ原動力の一つに”夢”があります。多かれ少なかれ誰にでもあることですが。

俺には夢がある。一人でもくもくと考える夢がある。
つらくても、苦しくても我慢して乗り越えられる夢がある。
一人ぼっちでも、人が何と言おうともやりたいことがある。
すべては自分との戦いだ。友はないよりいた方がよい。
それでも最後は自分しかつきあってはくれぬだろう。
俺には夢がある。ただもくもくと前進する夢がある。

夢は現実を乗り越え未来の扉を開く鍵。
大きくなくてもいい。一歩前進できればいい。
できることなら仲間といっしょがいい。
仲間がなくても止まり木があればいい。
止まり木がなくても自然があればいい。
自然はだれにも同じ風であり同じ大地であり同じ海なのだ。

なぜこんなことを書いたのか自分でもよくわからないけど、ちょっと今思ったことを詩風にしてみました。まぁこんな日もあってもいいでしょう。今日はこれまでです。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(34)

2006年09月24日 23時36分28秒 | 趣味
9月24日(日)晴
今週は台風がそれてくれたのでヨットに乗ることができました。心配していた波はまったくないおだやかな海面でしたが風は最初は軽風といった感じでしたが昼ごろにはかなり強い風で白波がいっぱいになってしまいましたが。ただ北西の風なので陸から吹いてくるので波はほとんど立たないので比較的安全にクルージングできました。今日はこの前アジを大量に釣った佐久島の北側に向かいクローズホールドばかりのかなりきついクルージングになりましたがゲストのKさんが舵を取って頑張ってくれました。7月の神島クルージングでは乗っていただけだったので、今回はかなり操船の難しさを実感したのではないでしょうか。特に午前は風が北よりに振れたり西よりに振れたりしていたので常に風の方向をチェックしていないとジャストフィットできないので苦労したかもしれません。何回かやっていれば自然と舵をきれる様になるのですが風上側だ風下側だと頭で考えているうちはまだまだです。そのうち舵にかかる重みを感じながらラットを動かせるようになってきます。そうなると安定した走りができるようになると思います。
ところで肝心のアジの方は今日は不漁でした。前々回や前回と風の向きが逆だったので他の釣り船の風下側につけると佐久島の浅瀬の方に流されるので横に付けるぐらいしかできなかったのでどうしても魚の群れのはずれでこませも流れてこないところなのでしかたない状態でした。それでも通称こぶちゃんのY君は形の良いアジを1匹ゲットしました。僕の方は今回はさっぱりでした。先週魚をさばくために出刃を買ったのですが出番はまったくありませんでした。ヨットもシーズン的にはあと一ヶ月ぐらいなので船で出たらチャレンジしようと思います。
風がかなり冷たく感じるようになってきたので、これからはウインドヤッケは必需品になりそうです。陸だとまだ暖かいと言っていられますがこれから晩秋にかけてはどんどん寒さを感じるようになります。そして船上では冷たいビールより熱いコーヒーがうまくなる季節でもあります。
先週フジツボをとったせいでエンジンは快調でスピードも前回より格段によくなりました。いかにスクリューに付いたフジツボがスピードダウンさせるか走った者でしかわかりません。エンジンはオーバーヒートぎみで黒煙を出し、それでもスピードはあがらない状態でしたから、走りが悪くなったら、まずスクリューまわりをよくチェックするのも大切と言うことを改めて再認識した一日でもありました。今日の6人のみんなお疲れ様でした。僕も昨日静岡で今日はヨットでちょっと疲れました。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年09月22日 22時54分00秒 | Weblog
9月22日(金)晴のち曇
今日は休暇をとって病院に行き7月から断続的に続いていたイボの治療が一応終了となりました。それから車の一年の定期点検に行きオイル交換、タイヤローテーションをしてもらいました。もう一年たってしまったので新車とは言えないけどティアナは自分にはあっている車だと最近思います。あまり偉そうな車でもないし、外車のような派手さもないけど、落ち着いて高級感も考えようによってはある車です。
さて午後は昨日言っていたHOTYOGAに行ってきました。90分間38度のスタジオにマットをひいていろいろなヨガのポーズをやるのですが、最初は簡単と思っていましたが大変でした。とにかく汗がしたたり落ちどおしで、水1ℓを飲みながら汗をかきどおしでした。最後のちょっと前でフラフラになってしまい教室の外で休むようにと出されてしまいました。体をよじったり、まげたり、姿勢を正したりしている中で我々はいかに体を動かしていないかがよくわかりました。隣でやっていた27歳の青年に効果のほどを聞いたのですが彼はウエストが5cm減って、体脂肪が落ちたと話していました。僕も家に帰って体重計に乗ってみたのですが、体重はほとんど落ちていませんでしたが、おどろいたことに体脂肪がかなり落ちていました。僕はいつもだいたい29~30ぐらいで肥満領域なのですが今日は26まで落ちていました。25以内になればいいと言われているのでもう一歩のところまできていました。これだったらもう一度行こうと言う気になってます。今回一週間のトライアルメンバーということなので来週もう一回チャレンジして効果を確認できたら11月からメンバーになろうかと思っています。僕はゴルフやヨットでかなり汗をかいている方だと思いますが、90分というのはすごい量の汗をかくことになります。サウナに入るよりいいかもしれません。インストラクターも若いスタイル抜群のお嬢さん達ばかりだけど、僕のようなどんくさいおじさんにもすごく親切にしてくれるのでありがたい限りです。もっとも今日は僕が体験入学だから特別だったのかもしれません。次回はきっと冷たくされそうな気もしますが自分の体が快適になるのであればガマン・ガマンかもしれません。とにかく太り気味の中高年おじさんにはお薦めだと思いました。とにかく来週水曜ぐらいにもう一回行きますので是非次回の報告をおたのしみに!
ということで今日はここまでです。明日はお彼岸で静岡の田舎に墓参りに行ってきます。あさっては天気がよければヨットで釣りクルージングの予定ですので月曜にブログを見てもらえば様子がわかると思いますのでこちらの方も楽しみにして下さい。ではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(33)

2006年09月21日 23時42分18秒 | 趣味
9月21日(木)晴
昨日はやっぱり午前様でした。最近飲む回数はビジネスマン現役時代に比べると極端に少なくなっていますが、飲むとたいがい午前様になってしまいます。昨日も途中からなつかしい面々と合流して話がはずんでもう一軒となってしまいました。
そこで出会った初対面の方がなかなかすごい人達で調子に乗って大変な方向に発展してしまいました。一人はゴルフのティーチングプロの方でたまたま僕の住んでいるすぐ近くの人で、早速ゴルフを見てもらうことになりました。僕は折角レッスンを受けていたのが骨折で半年以上ブランクができてしまいまた初めからやり直し状態なのでこの機会にきちっと基本を体に教え込ませたいと思います。土曜の午後ならいいと言うことになったけど今週も来週も予定が入っていてどうしよう状態ですが10月7日まで覚えてくれてるといいのですが?
もう一人はHOTYOGAのインストラクターと言うことで必ず体重を落とすことができると言うのです。そこで僕はどれだけ汗を流しても体重はもう何十年も右肩上がりだから無理と言うのに、普通に食事やお酒を飲んでも必ず減量できると言い張るものですから、一度体験に行くと言ってしまったので明日の午後休みを取っているので行くことにしてしまいました。90分もヨガをやる気はなかったけど乗りかかった船なので明日体験してきます。
ところで今週末のヨットの方はまた台風が来ているので中止になってしまうかもしれません。一応ぎりぎりまで台風の動きをみて決めたいと思いますがなかなか自然相手では思うようにならないものです。でも最近ヨットにまつわる話ではうれしくなってしまうこともあります。今日は大学の先輩から今迄ハングライダーをやっていた先輩の友人がヨットを購入して始めたいと言っているので僕を紹介していいかと言われたので、僕の方こそ喜んで紹介して下さいといっておきました。僕はヨットレースはもう体力的に難しいので多くの人にヨットを楽しんでもらいたいし、周りがすべて海の日本でもっとマリンスポーツがポピュラーな遊びとして普及してもよいはずなのにと思っているのでヨットを始めたい人がいるとうれしくなってしまいます。そう言えば7月にクルージングに参加してくれたKさんもヨットの教室に行っているようなので応援できたらいいなと思います。ヨットは要領を覚えるまでが大変だけど、一度覚えてしまうと次から次へとチャレンジできることがいっぱいあります。もっとも常に危険とも隣り合わせのスポーツなので自分の腕と天候とのバランスを常に考えながらやっていかなければなりません。常に自重しながら一歩一歩力を付けていくことが大事です。多分仕事もそうですがいきなり大金をつかもうとしてもうまく行くわけありませんが自分の力と成功へのシナリオを地道に努力していけば必ずどうにかなるものだと自分は思っています。ヨットだろうとビジネスだろうと同じですよね。問題は地道な努力を続けていくための環境があるかどうかです。だから仲間同士のコミュニケーションが結構大きなウエートを占めるのではないでしょうか。僕はビジネスではどれだけ人の成長に必要なコミュニケーションをとれるか自信ありませんけど、ヨットならある程度できると思っています。なぜならヨットには自分の仲間がある程度いるし、何十年も付き合いながらやってきた仲間なので一人じゃないと言う実感が持てるからです。ビジネスは人事異動等があって何十年もいっしょに同じ仕事をしてきた仲間は意外と少ない点が多分自信を持てない原因かもしれません。
ともあれ最近の僕の楽しみはヨットの世界が楽しいなと思ってくれる人が増えることがうれしくなってます。以前はレースでいい成績で走ることその後自分が海の中で体に一杯の風をあびて爽快な気分を味わうこととなり現在は仲間が増えていくこととかなり変遷してます。でもいつの時でもヨットが好きなことだけは同じです。これからも一人でも多くの人が楽しいなと思ってもらえるような普及活動ができたらいいと思います。
今日はこれまでです。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(32)

2006年09月19日 22時24分01秒 | 趣味

9月19日(火)曇のち晴
三連休は完全休養になってしまいました。クルージングの予定が台風13号の影響で土曜日の船を陸揚げしてもらい、僕はゴルフの練習と温泉で汗を流して牛乳を飲むパターンとパチンコで土曜・日曜と明け暮れました。
連休最後の昨日はパチンコで小遣いがなくなってしまい、陸揚げ中のヨットの点検に出かけることにしました。ヨットは普段は何もかからないのでお金のない時には一番安上がりの遊びです。ハーバー内に陸揚げされた”Leia”を見て、びっくりです。なんとスクリューの回りにふじつぼがびっしりついてスクリューの羽がまったく見えない状態になっているではありませんか。
あまりにもびっしり付きすぎて手で落とそうとしてもビクともしません。もうこうなったら専門の道具を使って落とすしかないじゃありませんか。しかし道具は船の中なので脚立を探してきて船に上がるしかありません。3月に船から落ちて鎖骨を骨折して以来なので、あまり船に上りたくなかったのですがしかたありません。一人だったので脚立を支えてくれる人もいないので、ぐらぐらする脚立のてっぺんに立って船に乗り移りとにかく皮ヌキを取り出し、今度は逆に船から脚立のてっぺんに足を乗せ、ぐらぐらする脚立に移り何とか降りてくることができました。昔はもう少し機敏に動けたのですが最近年齢とともに体重は増えるは、動きはにぶいは、バランスは悪いはで情けなくなってしまいます。
ともあれ皮ヌキでスクリューの回りのふじつぼを削り落としていくのですが、かなりしっかりくっついていて、力を入れてはがして行ってもこびりついてきれいに取れません。とにかく汗びっしょりになりながら一時間ぐらいかけてふじつぼを落としました。ほんとうはあとペーパーで磨いて塗料を塗るといいのですが、準備していなかったので今回はここまでにして、来年の春にはきちっと処理したいと思います。今年の春にスクリュー部分だけ塗料を変えたのがまずかったような気がします。スクリュー用の塗料を二度塗りするところを一度しか塗らなかったのが大きな原因だと思います。今年は骨折してしまい自分で塗るのができなかったため二度塗りはむずかしかったので来年は大丈夫だと思いますが。
船体はラダー回りにちょっとふじつぼが付いている程度だったので船底塗料を塗ったところはうまく塗ってもらったと言えます。ただし船台があって塗れなかった船腹の部分もまたびっしりついていました。ここの部分は困ったよと丁度同じようにふじつぼを取っていた、STEL
LAのオーナーに話したところ、一度塗り終わって乾いてから、もう一度船台をずらしてもらって塗らないとと言うことでした。彼はハーバーに言ってずらしてもらっているようなので来年は僕も2週間かけてスクリューの二度塗りと船腹の塗りをすることにします。
やっぱり簡単に物事を済まそうとしてはダメですね。自分の大事なものには手間暇かけて心を込めなくてはいけません。遊びも仕事も同じですね。ヨットに乗っているのは楽しいけど、楽しむためにはそれだけの準備も必要なのです。僕らの仕事も脚光をあびる仕事はほんの一瞬であとは日々精進、地味な活動を続けることが大事なことだと思います。
それでは今日はこの辺で。明日は飲む予定があるので臨時休業になるかもしれませんがよろしくお願いします。

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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(114)

2006年09月15日 23時35分37秒 | ビジネス
9月15日(金)晴時々曇
さていよいよ「大学」も最終回になりました。早く終えてしまおうと思いつつここまで来てしまいました。どうしても一度始めてしまうととりあえずやれるところまできちっとやろうとしてしまうバカな性格なのでしかたないですね。早く見切りをつける現代人が多い中でみるとどんくさいやつかもしれません。前置きはこのぐらいで早速伝九章、伝十章にはいりましょう。

(伝九章)
所謂国を治むるには必ず先ずその家を斉うとは、その家教うべからずして、能く人を教うる者はこれ無し。故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。孝は君に事(つか)うる所以なり。弟は長に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。

康誥に曰く、赤子を保つがごとしと。心誠にして求むれば、中らずと雖も遠からず。・・・・・(中略)・・・・・・・・・これを一言事を僨(やぶ)り、一人国を定むと謂う。

尭舜天下を帥(ひき)いるに仁をもってして民これに従う。桀紂天下を帥(ひき)いるに暴をもってして民これに従う。その令する所その好む所に反して民従わず。・・・・・(中略)・・・・・

詩に曰く、桃の夭々たる、その葉秦々たり。・・・・・(中略)・・・・・

(解釈)
国を治めるにはまずその家をととのうとは自分の我が家さえ教うることができないのに、その国民を教うることができるわけがない。故に君子が国を治めようとするにはただ己の身をもって家を教うれば自然に一国の模範となって、国民はその徳に感化されるのである。親に孝行する心をもって君に仕えればすなわち忠、兄に対する弟の心をもって年上の者に使えればすなわち順、子弟を慈しむ心をもって衆人を使えばすなわち恵である。この忠・順・恵の三つは君子が身を修めて家を教うる元になる心であるが、国民が君に仕え、長に仕え、衆を使うのも同じことなので、君子は家を出ることなく、その教えを国に広めることができるのである。

書経、周書の康誥に、人君が国民を愛するとは母親が赤ん坊を大切にするようにしなさいとある。母親が心から赤ん坊が何を欲しているかを求めようとすれば、あたらずといえども遠からずでだいたい何を求めているかわかるものだ。・・・・・
たった一言で物事をダメにできるし、たった一人の優れた人物で国は安定されるのである。

中国古代の聖人である唐堯(とうぎょう)や虞舜(ぐしゅん)は天下を治めるのに仁をもってしたので、万民皆従ったのである。一方中国古代の暴君である夏桀(かけつ)や殷紂(いんちゅう)はは暴虐をもって天下を治めたので民は皆これに従い互いに相凌ぎ相欺いたのである。すなわち君主の命令することが、君主の好んでいること反していたら国民はその命令には従わないものである。勉強嫌いのお母さんが子供に”勉強しら”と言っても子供は従わないものですとおなじことですね。

詩経に・・・・・・・・あとは省略します。要は家をちゃんとできれば国も治まるということの解釈が伝九章です。

(伝十章)
所謂天下を平らかにするはその国を治むるに在りとは上老を老として民孝に興り、上長を長として民弟に興り、上孤を恤みて民倍かず。ここをもって君子契矩の道あるなり。
上に悪む所、もって下を使うなかれ。・・・・中略・・・・・

詩に曰く、楽しき君子は民の父母と。・・・・略・・・・
この故に君子先ず徳を慎む。徳あればこれ人あり。人あればこれ土あり。土あればこれ財あり。財あればこれ用あり。徳は本なり。財は末なり。・・・・(中略)・・・・
この故に言悖って出づる者は、亦悖って入る。貨悖って入る者は、亦悖って出づ。
・・・・・(中略)・・・・・・・・
仁者は財を以って身を発し、不仁者は身を以って財を発す。未だ上仁を好みて下義を好まざる者あらざるなり。未だ義を好みてその事終わらざる者あらざるなり。未だ府庫の財その財に非ざる者あらざるなり。・・・・・
これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すを謂う。・・・・・・・

(解釈)
天下を大平の世にするはその国を治めるにあると言うのは、人君が老人に仕える心をもって老人を尊べば国民は皆これにならいその父母に孝行するものである。人君が長者に仕える心をもって敬えば、国民はその兄には弟として振舞うものである。人君が幼くして親を亡くした孤児を憐れめば国民は皆これに倣いそむくことはない。このように上に立つものに倣って下の者が行うものである。そこで君子は己を推して人を度(はか)る契矩の道というものがあるのである。
上司が自分を使う時にいやなところがあれば、自分が部下を使う時にそれと同じ事をしてはならない。・・・・

詩経の小雅、南山有台の編に、徳があって楽しむべき君子は国民の父母であると。・・・・
それ故君子はまず第一に徳を慎む。徳があれば人が集まってくる。人が集まってくれば、自然とその領土は広がる。領土が広がれば当然租税も多くなるから財が増える。財が増えて国のためにそれを使えば国は豊かになる。要するに徳は本であり、財は末である。・・・・
それ故君主が道理に外れた言葉を発すれば、国民からも道理にはずれた言葉が帰ってくるものである。道理に外れたやり方で稼いだお金は身につかず出て行くものである。
・・・・・・・・・・
思いやりのある君主は財があればそれを国民のために使うことで自身を奮い立たせ、思いやりのない君主は自身の欲望のままに財をかき集めることに使う。未だかって君主が思いやり慈しむ政治を好んでいるのに、国民が正義の行いをしないということはない。未だかって正義の行いを好んでして、物事を完成させられないと言うことはない。すなわち正しい目的の為の行為は必ず最後には成功するものである。そして正義の行為により成功して得られた財は人の役に立たないと言うことはないのである。・・・・・
君主は私的な利益を利益とするのではなく、国民の正しさこそを利益とするのである。
・・・・・
以上伝の十章の解釈です。

九章、十章はいろいろな例をだして解釈をしており、結構長い文です。とりあえずちょっといいところだけを抜粋して書きましたけど、時間のある方は一度全部目を通してみてください。国を企業と置き換えて解釈してみるとビジネスにも通用することが多いのではないでしょうか。経営者や幹部の立場の方には一度読んでほしいと僕は思いました。と言っても今はそんな時代ではないと笑われそうですが、僕はビジネスにも正しいやり方があると思っているので敢えて書きました。とかく結果さえよければ全てよしなどと言う人もいますが、物事の”本”と”末”は転倒してはいけないことだと自分は思います。
どうも長いお付き合いありがとうございました。これにて「大学」を読むを終わりにします。
明日からは3連休です。ブログもお休みさせていただきます。
それではおやすみなさい。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(113)

2006年09月14日 22時43分42秒 | ビジネス

9月14日(木)曇時々晴
天気予報も日々新たです。昨日雨マークの連続が今朝の新聞では今日明日は晴そうです。でも週末はやはり雨でどうしても雨が降りたそうですそうです。クルージングは断念となると暇つぶしにパチンコとなってまた出費を覚悟ですね。
それでは今日の「大学」を読むは伝七章と伝八章です。

(伝七章)
所謂身を修むるはその心を正すにありとは、身に忿懥(ふんち)する所あれば、則ちその正を得ず。恐懼(きょうく)する所あれば、則ちその正を得ず。好楽(こうぎょう)する所あれば、則ちその正を得ず。憂患する所あれば、則ち正を得ず。心焉(こころここ)に在らざれば、視れども、見えず、聴けども、聞こえず、食えどもその味わいを知らず。これを身を修むるは、その心を正すに在りと謂う。
右伝の七章。心を正しくし身を修むるを釈す。

(解釈)
身を修めるはその心を正すとは、もし心に怒りの情があれば正しい判断はできない。また恐れの情があれば同じように正しい判断ができない。好楽の情があればやはり好楽におぼれて正しい判断ができない。憂いや患う情があれば心は苦しみやはり正しい判断はできない。この忿懥(ふんち)・恐懼(きょうく)・好楽・憂患といった感情は人間誰しも免れることのできない感情であるが、事物に接する時このことをよく察して、適度を失わないようにしなければならない。もし何かに心をうばわれていると物を視ても見えないし、聴いても聞こえないし、食べても味わうことができないものである。それ故心を正しくしてその身を修めなければならない。そこで経文には身を修めるには心を正しくすることであると言うのである。
右伝の七章。心を正しくし身を修めるの解釈である。


(伝八章)
所謂その家を斉うるは、その身を修むるに在りとは、人その親愛する所に之(ゆ)いて辟(へき)す。その賤悪(せんお)する所に之いて辟す。その畏敬する所に之いて辟す。その哀矜(あいぎょう)する所に之いて辟す。その敖惰(ごうだ)する所に之いて辟す。故に好みてその悪を知り、悪(にく)みてその美を知る者は天下に鮮(すく)なし。故に諺にこれ有り、曰く、人その子の悪を知るなく、その苗の碩(おお)いなるを知る莫(な)しと。これを身修まざればもってその家を斉う可からずと謂う。
右伝の八章。身を修め家を斉うることを釈す。

(解釈)
家を斉(ととの)うるはその身を修むるにありとは、およそ人間は好き嫌いの感情にまかせて偏った判断をしがちであるが、身を修め正しい判断によって一族・一家が成立つのである。親愛するものに対すれば愛におぼれてしまう。賤しみ憎むものに対しては忌み嫌ってしまう。偉い人には
畏敬の念はもつが近寄りがたくなる。困苦の人にはかわいそうと言って恩を施してしまう。に対しては驕り高ぶる態度になる。これらはみんな正しさを失って偏った考えである。したがって、好きな人の悪い点を知り嫌いな人のよい点を知る人は天下に稀である。それ故昔のことわざにも人はその子の愛に溺れて、その悪を知る者はいない。人は目先の得ることをむさぼって、植える苗が大いに繁茂することを知らない。このように好悪に心が偏れば身は修まらず、その家をととのえることなどどうしてできようか。経文に家斉うるはその身を修むるに在りと言うのは、その身が修まらなければ家をととのえることができないからである。
右は伝の八章で身を修め家を斉うることを解釈したものである。

あと一日で終わりとなるところまでやっときました。正直もう少し時間をかけて解釈の文章を推敲すべきだと思いながらここまできてしまいました。従ってかなり読みづらいと思います。よくお付き合いいただきました。ありがとうございます。あすはかなり途中を飛ばしながらになります。
それではまたあした。

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