10月31日(月)晴
昨日世界の人口のことを話していたのですが、今日の午前に70億人を超えたとの報道がありました。新しい命が誕生することは現在の僕達にとって喜ばしいことではありますが、人類の未来を考えると少々複雑な気持ちです。欧米や日本など先進国の人口は暫減傾向だと言うのに、恐ろしい勢いで増え続けている国があるわけです。地球上に一体どれくらいの人が住めるのかよくわかりませんが、我々が生きて行く上で生態系を破壊していかなければならないのも事実です。地球の生態系が破壊された時、最後はどうなるのかと想像しただけでも背筋が寒くなる思いです。もっとも僕らのずっとあとの子孫の話なので考える必要もないのかもしれません。
母なる大地が砂漠化し、陸上の生物は絶滅するのかもしれません。従来地球上では特定の生物が異常繁殖すると、地球環境破壊し、かつ自らも淘汰されてきたように思うのですが・・・。と言って人間の欲望がコントロールできるわけでもなく、自然にまかせるしかないのかもしれません。国連は認定証を出して祝うそうですが、僕には素直に喜べない気がします。
遠い未来には、地球を脱出するノアの宇宙船が何艘も出てきそうです。アンドロメダ星雲が銀河系に衝突するタイミングで飛び出したノアの宇宙船が新しい星で命を繋いで行くのかもしれません。まぁ想像の世界と言うのは便利なもので、夢を育て、夢はやがて現実になって行くのも過去の歴史が証明しています。ペシにならず、楽天的に考えることがやはり一番のようです。
明日からは11月、霜月です。今週は暖かそうですが、だんだん寒くなってくるのかと思うと、ヨットもゴルフも店じまいになりそうです。それではまた。
10月30日(日)曇のち雨
10月もあとわずかとなりました。過去を振り返るとあっという間に終わってしまうのですが、一日・ひと月・一年の長さが変わる訳でないので人間の記憶がサンプルデータしかないないためかもしれません。現在や未来は記憶にないので時間の流れを実感できるのでしょうけど、今日のように何もない一日と言うのは記憶からはすぐに消されてしまうのでしょう。
ところで最近、人間のルーツを辿っていろいろな本を読んできました。そして現在の新生人類が地球上に現れたのが約20~30万年前のことです。全世界の人類のミトコンドリアDNAがたった一人のアフリカの洞窟にいたイブに辿り着く訳です。その子孫の数はもうすぐ70億人になるそうです。
地球が誕生したのが約45億年前、自分と同じ分子を作ることができるDNAと言う分子が出現したのが約40億年前です。細菌の誕生ですね。それから更に10億年たった約30億年前シアノバクテリアと呼ばれる太陽光から光合成をする細胞が誕生しました。太陽光を使って炭酸ガスと水からブドウ糖を作る生物(海藻)の出現です。ブドウ糖を作る過程で酸素が放出されます。シアノバクテリアの繁栄に伴い、地球の上は酸素で覆われて行き、オゾン層ができ、宇宙からの放射線も遮られるようになりました。そして約15億年前になると大気中に増えた酸素を使って呼吸する細菌が出現します。ミトコンドリアはこの細菌の痕跡と言われています。ミトコンドリアを持つ単細胞生物の中にシアノバクテリアを取り込んだものが植物へと進化していくことになります。約5,6億年前にたくさんの細胞からできた多細胞生物が生まれます。多分最初は二つの細胞がくっついて離れられなくなって、それが細胞分裂して増えて行くうちにたくさんの細胞が一つの個体として生きて行くようになったと考えられています。約4億年前になるとオゾン層がきちっと出来上がった頃のことですが、紫外線を避けて海に住んでいた植物から陸へあがるものがでてきました。植物に続いていろいろな生物が陸に上がり、環境に適合した進化を続けました。約3億年前には肺を持つ歩ける魚が出現します。カエルやイモリの祖先ですね。それから1億年前になると恐竜やワニが繁栄する時代がやってきます。我々の祖先の哺乳類も約7000万年前に出現します。その後巨大隕石が地球に衝突し恐竜たちは絶滅します。幸いにも我々哺乳類は大絶滅の危機を生き延び、約700万年前に猿人が出現し、約20~30万年前にホモサピエンスと言う新生人類がアフリカのイブから誕生したのです。
その人類がアフリカから世界中に拡散して、発達した脳により文明を起こし子孫を増やしてきました。といっても紀元0年頃の世界人口は2億人ぐらいでした。西暦1000年でも3億人ぐらいでした。それが西暦1600年には5億人を超え、1800年には10億人を超え、1920年には20億人を超え、2000年には60億人を超え、今年には70億人を超える勢いで増え続けています。この異常な増殖がどんなことをもたらしているのか考えるとちょっと怖くなります。我々がこのペースで増え続ける以上、地球の生態系を破壊し、結局そのツケは自分達に返って来るのかもしれません。世界が平和になってみんなが生きていけることはすばらしいことですが、こんな勢いで増えて行くことに対して、我々の理性では解決できない地球の栄枯盛衰を感じます。この事実を知ってから我々のルーツ探しより、未来のことを考えるようになってしまいました。地球は元々放射線にさらされた不毛の星でした。シアノバクテリアの繁殖から酸素が充満しオゾン層ができたことで、生命体が誕生したのですが、我々の生命活動がやがてオゾン層を破壊することになった時我々は海底の中か地下でしか生き残れないかもしれません。
もっとも地球の歴史から見れば我々人類の歴史は1000万年にも満たない瞬間的な出来事でしかないのですから、まだまだ先はあるのでしょうけれども現在の我々には誰も見ることができないのが残念なことです。ただ想像したり、考えたりするところから数々のSFが生まれてくるのでしょう。
新猿の惑星もおもしろそうです。今日は暇にまかせてつまらないことを考えてしまいました。それではまた。
10月29日(土)晴のち曇
久しぶりに何も予定のない週末です。ところが家にいても結構やっておかなければならないことも多いものです。家内が静岡の田舎に行っていることもありますが、朝から忙しい一日でした。
昨日はちょっと飲み過ぎて、タクシーで帰って午後10時すぎにはそのまま寝てしまいました。従って朝起きると一昨日の残りもので朝食を取り、地下鉄の駅まで自転車を取りに行き、その足で散髪してきました。戻ると車のガソリンを給油し、ホームセンターとスーパーに買い物です。帰って来たらもう12時を過ぎていました。買ってきた弁当とインスタントの味噌汁で昼食を食べ、久しぶりに万年床のふとんをあげ、掃除です。たかが狭い自分の部屋だけなのに、荷物を退かして掃除機をかけ元に戻すだけでも意外と時間のかかるものでした。その後録画したVTRを整理しながらテレビを少し見ていたら、もう夕食の準備です。アジの塩焼きとポークランチョンミート入りのオムレツを作りました。一人暮らしも意外と大変です。明日のことを考えるともう面倒くさくなってしまいます。
そんな訳でゆっくりなかなかできません。秋の夜長は読書などと言う気分にもなれませんが、溜まった郵便物や書類の整理ぐらいはこの機会になんとかしておきたいものです。夏の間中、週末をエンジョイし過ぎたツケを払っている感じです。そうは言っても11月になるとまた週末は予定がいっぱいなので今のうちと思っています。それではまたです。
10月27日(木)晴
良い天気でした。今日の夕食は久しぶりに自分で作って一人で食べて、なかなか大変です。今週は家内が田舎に行っているため、晩飯は居酒屋で食べたり、弁当を買ったりでしたがついに自分で作るところまで来てしまいました。かじきの照り焼きとポークランチョンミートを使ったしんさん流のやきそばとアサリの味噌汁でした。かたずけがなければ料理も楽しいものですが、あとが大変なので毎日はむずかしそうです。
ところでプロ野球のドラフト会議がありましたね。まあほぼ予想通りでしたが、唯一ふざけているのは日本ハムですかね。話題になりそうな人には必ず手を出すハイエナみたいな感じです。投手力はダルビッシュを始め揃っているのに昨年は早稲田の斎藤、今年は東海大の菅野と宣伝効果ばかりの感じです。個人的には叔父さんが監督をしているのだから巨人ですんなり入団できればよかったのにと思います。前日まで巨人の単独指名と言われていましたが、わざと横やりを入れて来る球団があるのも困ったものです。本人の複雑そうなインタビューもかわいそうな気がしました。新卒の選手には希望の球団で力を発揮してほしいものですが、どうなのでしょうかね。巨人の長野選手を見ていると、希望の巨人に入団するまで待ったので、今の活躍があるような気がします。
ドラフトも複数の球団が指名した場合、指名された選手が選ぶようにすべきだと僕は思いますがどうなのでしょうか?本来複数の会社から採用通知がきたら、どちらに入社するかは本人が決めるのが道理のような気がするのですがプロ野球の世界はちょっと異質な世界なのでしょうか。
最近プロ野球もあまりおもしろくなくなってしまったので、どうでも良いことですが、ヒーローがいないスポーツなどいずれスタれて行くしかないのですが。ドラマでも映画でも主役がいなければ、わき役も目立つことはありません。あまりドングリばかりになってもおもしろくないような気がします。ゴルフでも僚君や池田が勝ってこその人気でしょうし、女子プロの最近のつまらないことと言ったらほんとにつまらなくなってしまいました。
10月26日(水)晴
こんばんわ。かぼちゃの馬車になるまで飲んでしまいました。まぁたまには良いのでしょうけど年をとって来ると次の日がしんどいですね。
ところで最近TVの録画番組をDVDにダビングする毎日です。3ヶ月前に新しいブルーレイディスクレコーダーを購入したのですが、録画がすぐに満杯にならないよう、HDDの録画が100時間できるものにしました。しかし、見ていない番組が溜まる一方で結局満杯になってきて、消すものとDVDにダビングするものとの整理に追われています。そして思ったことは容量を大きくしても結局同じだったと言うことです。40時間のHDDでも100時間のHDDでも、溜まるまでの時間が遅いか早いかだけの違いでしかないと言う事です。
人間と言う動物は、なければないようにできるのですが、便利になれば結局便利さに慣れて本質的には何も変わらないというのが現実のようです。TVも録画できることで時間に制約されずに便利ですが、見ずに消すだけなら大いなる無駄だし、自転車で地下鉄の駅に行けば、その分遅く起きれるだけのことであまり進歩は望めないものです。僕達の高度文明なるものも、ほんとうに僕達のためになっているのかと考えると意外とそうではないものが多いような気がします。もちろん僕達の役に立つ物も多いのですが。
今日もまた・・・それではまた。
10月24日(月)晴のち曇
昨日はトルコ東部で大きな地震があったようです。最近と言うか今年は特に世界中で自然の猛威にさらされているようです。どうしてなのか考えてみましたが、原因は多分二つあります。
一つは情報社会になって世界中の隅々までどんなことが起こっているのか我々が知ることができるようになったためなのでしょう。昔なら遠い世界の事件など報道されることもなかったから知らずに過ごしていたことが映像メディアで克明に知らされるようになったことが一番の原因です。
二つ目は高度文明社会を満喫できるようになった人類が文明に頼り切った生活をしていたため、高度文明の前提条件が崩れた時、その影響がより大きくなり世界中に何らかの影響を与えるようになったためだと思います。
大地震も大水害も太古の昔からあったのでしょうけど、人口も少なく経済活動の範囲も限定的だった時代には被害規模も最小にできたのですが、人間が世界中を飛び回れるようになり、経済活動もより広くなったことが、より深刻な事態を招く結果になっているのかもしれません。
話は極端に飛躍しますが、寺田寅彦の随筆の中に神話と地球物理学について記述したものがあります。神話に登場する神々の間に起こる様々な事件や葛藤の場面の描写として自然現象の種々相が採用されているのではないかと言う話です。
日本神話では当然日本の太古の自然現象が象徴的に神話にちりばめられている訳です。八俣(やまた)の大蛇(おろち)は火山から噴き出す溶岩流の光景、天の岩戸を取って投げたのが戸隠山になったのも火山爆発という現象をとらえての話とも考えられる訳です。また出雲風土記の国曳きの神話も大陸移動の事実をとらえたものとも言えます。すなわち神話は古代人の勝手な想像の産物ではなく、その国に起こった太古の自然現象を象徴的にあらわしていると云えなくもないと彼は言っています。そんな視点で神話を読み解いてみるとそれぞれの国々に起こった太古の自然現象を想像することができ、現代に起こっているいろいろな自然災害に対する参考にもなるような気がしました。地震や火山活動だけでなく風水害や津波に対する象徴的な記述もありそうな気がしています。そんな観点から日本の神話をもう一度読んでみるのもおもしろそうです。
小説でもまったくの空想で物語を創ることはできません。何らかの事実を元に想像を膨らませて行ってできあがることを考えれば、世界各国の神話にはその国の太古の事実が隠されているような気がしてきました。
今日はこれまでです。
10月23日(日)曇のち晴
何と言うラッキーな日だったのでしょうか。今日は雨が残るだろうと思っていたのですが、マリーナに着く頃には晴れ間も見えて来て最高の天気でした。風は弱くて帆走ではゆっくり過ぎましたが釣りには絶好でした。佐久島まわりで釣りをしました。ゲストの子供たちがキスを何匹も釣りあげました。今日はゲストの女性三人の希望で日間賀島に行ってきました。
毎年お世話になっているカネ彦さんに急きょ連絡して昼食をごちそうになってきました。あなごのフライ、ゆでダコ、炭焼きの大アサリ、イカの子供の甘辛煮、ゆでたシャコ等々お腹いっぱいになったところで、あなごのまぜご飯とアサリともずくの味噌汁が出て来て食べれないかと思いきやこれが絶品のおいしさで最高の昼食でした。子供たちや女性たちは何杯もみそ汁のおかわりをしていました。なんでも渡りガ二やゼンメでだし汁をとったそうなのでおいしいはずです。アナゴ飯は残りをパックに入れて女性たちが持って帰りました。毎年お世話になっているカネ彦さんですが、いつもその時海で取れた魚介類で食事をごちそうになっているのでいつも驚かされます。昨年は舌平目のフライやサメのから揚げが出て来てびっくりでしたが今年はあなごに驚かされました。
日間賀島は昨年、ヨットが座礁した苦い経験があるので足が遠のいていましたが、今日は丁度昼の時間帯が満潮になるので安心して港に入ることができました。一年ぶりの日間賀島だったので、売店のおばちゃんにもあいさつして、アジの開きと島のりを買ってきました。日間賀島の人達は一年ぶりの僕達も覚えていてくれて、いつも親切にしてくれるのがうれしい。港に入るのに制約がなければもっといいといつも思います。本来レジャーボートは入港できないことになっているのですが、カネ彦さんのおかげでいつも入港させてもらっています。今日は漁師のおじさんも停泊位置を指示していただき、カネ彦さんに僕達を迎えに来るよう電話までしてくれる親切さです。
佐久島はヨットを無料で停泊させてくれる岸壁があるので行き易い島ではありますが、そして何軒かなじみの民宿もあるのですが、日間賀島ほど親切な人達でもないような気がします。まぁ僕が知っている人がそうなのかもしれませんが、日間賀島で生まれて日間賀島で育った人達だからそうなのかもしれません。あれだけ食べて、生ビールも飲んで、ペットボトルのお茶やコーラを飲んでも一人2000円もしないのだから、お薦めです。もっとも名古屋ドームの日間賀島物産スペースでカネ彦さんと話をしなかったら、こんな風にはなっていなかったでしょうから、世の中の出会いとは不思議なものです。ただ言えることはコミュニケーションの機会はいつでも大切にすることが大事なのではないでしょうか。
今日はカメラを忘れてしまい、写真がありません。三人の美女と二人のかわいい男の子をゲストに迎えたと言うのにです。まぁそんなものです。今年もゲストを迎えるのはあと1回になりました。と言っても毎年来てくれるメンバーですから気楽ですが。
それではまたのヨット編まで。
10月22日(土)雨
今日は日本中が雨だったようです。朝早く名古屋では土砂降りでした。新幹線で三島まで窓の外はずっと雨、レンタカーで駿河小山までやっぱり雨、親戚の法事の間もずっと雨でした。午後は降ったり止んだりでしたが、こちらも名古屋に帰って来るまで雨でした。これだけ降れば明日はきっと上がるでしょう。
ところでタイの雨による洪水は更に範囲が広がっているようです。日系企業は大打撃のようです。タイへの企業の進出はいつの間にかものすごい数になっているのですね。20年前に日系企業の視察に行った時にはまだそう多くはありませんでした。僕が訪問したのも秋でしたが、一日も雨に合いませんでした。昼は日系企業を訪問して、夜は繁華街に繰り出して騒いでいたあの街が洪水になるなんて考えもしませんでした。アユタヤの遺跡もほとんど水没している映像を見て驚いています。
東南アジアではマレーシア、タイ、ベトナムに行きましたが、タイには今でも忘れられないトムヤンクンの味があります。でも街で食べたトムヤンクンはとても食べられませんでした。なんでもホテルのコックが日本人向けに特別味付けしてくれた物だったとあとから聞かされました。ともかくタイは僕が過去に行った国の中でもう一度行きたいと思っていた国なので心配です。ただこう言った災害が起こって初めて我々の身近な製品が海外での生産にその多くを頼っていることを思い知らされました。グローバル化もあまり進み過ぎるとリスクが見えなくなって、枕を並べて・・・ってことにならないと良いのですが。ギリシャから始まったEUの経済危機が、日本の円高に更に拍車をかけるとどうなって行くのか不安はつきません。世界中の国々がなんらかの形でつながっているとどこかで何か起こると必ず影響が出て来る時代だと認識を新たにしました。そういえば通信の世界のネットワークもIP網になって、うまくいっている時はコストが安く便利になりましたが、どこかで故障になると切り分けが複雑で影響の範囲が拡大しやすいようです。グローバル経済も似たようなものですけどこれを克服しないと先には進めないような気がします。
明日はマリーナに行きます。それではまた。
10月21日(金)曇
久しぶりになりました。今週はいろいろな飲み会が重なって少々お疲れモードです。7月より「レイアのつぶやき」と題していましたが、元の「しんさんのよもやま話」に戻しました。つぶやき風に、あまりくだくだ説明せずに手短にしようとして、題名も気分一新したのですが、変わり映えしないので昔通りの自分で行こうと思います。
ところで最近寺田寅彦の随筆を読んでいて、明治から昭和の初めに書かれた随筆が現代においてもまったく変わらないことにちょっとおどろいています。彼は物理学者で夏目漱石と懇意にしていた関係で、漱石の「三四郎」や「吾輩は猫である」と言った小説に出て来る物理学者のモデルとされている人ですが、その随筆は僕の学生時代からみんなに読まれてきた有名な方です。その彼の随筆の中に
「科学的常識と言うのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。・・・」
と言ったくだりが流言蜚語と題した大正十三年の随筆の中にあります。これを読んでいて、ついダブってしまうのが先般の東北の大震災及び原子力発電所の事故であります。100年近く前に言われているのに未だに人間はまったく進歩していないのではないかと思ってしまいます。科学が進歩したとは言え、想定外の事故が起こるとマニアルと言う外部基準に書いていないから何の対処もできないわけです。でも科学の常識から水素爆発が起こることがわかっているならば、マニュアルに書いてなくても自分の判断で対処できたらあんな被害にならなかったように思います。また被災地のガレキや木材は放射能が出るから使うなと言った流言もありました。これも放射能が〇〇ベクレルと言う自分達のわからない数値だけの外部情報に踊らされて騒ぎたてるだけで自分達の知恵は何もないわけです。
まさに寺田が言う知識を暗記しているだけでなく、もっと知恵として活かすために自分の判断の標準が必要だと思う訳です。学校で勉強するのも、何も天王星の距離を暗記するためではなく、科学は活きた知恵として自分自身の判断基準を創るためにあるのだと思います。世の中がほんとうの高学歴社会なら流言に踊らされることなく、自分で判断できるような社会になっているはずなのですが・・・・・。
最近自分が思う事は、あまりにも自分の判断基準と言うか自分の哲学を持っている人が少ないような気がしてしまいます。江戸時代や明治時代の人達の方が、もっと自分の判断基準をもっていたような気がします。自分が何も判断できないのに、悪徳商法に騙されたと言って政府に責任を取れとか、株で損をしたから国が責任を取れとか、お金を儲ける守銭奴意欲だけでリスクは人のせいにする輩が多過ぎるような気がします。ちなみに僕も株ではずいぶん損失を出してしまいましたが、自分の欲の皮が突っ張ったためだと反省しています。
最後に一言。先々週よりホームページの更新ができなくなり、何回も書き直してはアップしていましたが、やっと更新ができました。サーバー管理者と何回もメールのやり取りをしてできるようになったのですが、原因がさっぱりわかりません。でも更新できたのだから良しとしなくては。一度ご覧ください。
http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755
それでは今日はこの辺で。
10月18日(火)晴
雲一つない青空の一日でした。こんな日にこそ海の上を走ってみたいものです。そんな気ままな生活ができたら良いのですが、世の中そんなに甘くはありませんよね。
ところでギリシャでは緊縮財政に公務員削減などに反対するストが一週間も続いて街はゴミだらけになっているようです。公務員がストライキをしているのでゴミの収集ができないためだそうです。ギリシャほどでないにしても世界中のいたるところで雇用がないとか、財政危機に陥っていることに対する不満を政府や行政にぶつけています。
でも僕が不思議に思うことは、こう言った不満をぶつけている人達は文句ばかりで自分達のできることをしているのだろうかと言う疑問です。確かに貨幣社会では市民から税金を取って、市民生活のインフラを支えていました。それは国が繁栄して税金がたくさんあって、そのお金が雇用を生み出し、街のゴミ掃除まで税金で処理できたからです。それに乗じて市民はなんでも行政に押しつけて自分達はお金を稼げれば何もしなくても良いし、文句を言えば行政がやってくれる時代が確かにありました。
ところが後進国が発展し経済力を持ってくると、富は分散化して、いままでのようには行かなくなるのは世の常です。そんな時に国に文句ばかり並べ立てても、国に打ち出の小づちがあるわけでもないし、どうすることもできないんじゃないでしょうか?
収入が少なくなったり、無くなれば、おのずと税収も減る訳ですから、従来のようなサービスも受けられなくなるのは自明です。ではどうしたらよいのでしょうか?ギリシャは更に税率をあげて収入を増やし給料は減らして…ではダブルパンチですよね。こう言った行き詰まり状態では原点に戻ることが一番のような気がします。国や街を創った時、市民はみんな汗をかいて自分達ができることは自分達で行い、みんなで力を合わせてコミュニティを創り上げてきたのだと思います。市民税は引き下げるかわりに、ゴミは収集しないので各自で集積場まで持ってきてください。街の道路の清掃はみんなでやりましょう。等々工夫をすれば我々市民が力を合わせて行うことによって、行政サービスに掛る経費を削減できることもたくさんあるような気がします。要するに自分達の国や街をそこに住む人たちが参画して創り上げて行くことが原点だと思いました。我々の生活環境も自分で修理ができたり、自分達で協力しあうことで貨幣に頼らない行動も必要のような気がします。
僕はヨットを所有していますが、自分達でできる修理や船底塗装はすべて自分達で実施しています。僕達の仲間にはポンプを修理したり、電気系統の修理ができたり、エンジンの調整をしたり、ネットを編むことができたり、いろいろな人が集まって、原材料以外はなるべくお金をかけずに維持する工夫をしています。国や都市も同じではないでしょうか?ただ人が多過ぎてまとめきれる人材がいないのも事実ですが。
金融危機のギリシャの街のゴミの山を見ての感想でした。それではまた。