”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2024年04月30日 17時38分08秒 | Weblog
4月30日(火) 曇時々小雨

 電車とバスと徒歩(4)

北九州城巡り旅も今回が最終回です。
4月26日(金)
島原城を見学して諫早に戻り、長崎新幹線、リレーかもめを乗り継ぎ午後1時過ぎに佐賀にやってきました。今回の城巡り旅の最後は佐賀城跡です。
あの葉隠れで有名な鍋島藩の居城です。もっとも現在は城跡に門と本丸御殿が復元されています。佐賀城は10代藩主の鍋島直正が本丸御殿などを再建したとされています。佐賀城跡の入口には鍋島直正公の像がありました。

そして城跡の入口には門が復元されています。この門の屋根には青銅製の鯱が載っていたことから「鯱の門」と呼ばれています。

城門を入ると本丸御殿があります。元々の本丸御殿は明治以降県庁や学校として利用されてきたようですが解体されて、平成になって一部復元され佐賀城本丸歴史館となっています。

歴史館の中では佐賀出身の江藤新平の足跡の展示会が開催されていました。本丸御殿の一部復元というもののかなり広い建物になっています。各部屋を順に見ていくだけで1時間近くかかってしまいました。
佐賀城跡は佐賀駅からバスで15分ぐらいの所にありバスも比較的多くあるので予定通りです。午後4時過ぎの特急で博多に出て、博多ラーメンを食べもつ鍋セットや明太子をお土産にして午後5:45の山陽新幹線「さくら」で新大阪に向かいました。金曜日の通勤時間帯で単身赴任者の帰省と重なったせいか電車は満員状態でした。新大阪からはガラガラの「こだま」で一路名古屋に戻りました。午後10時には名古屋駅に着きました。まぁ新幹線でも4時間程度で博多から帰って来れるのですからやはり新幹線は便利ですね。
さて今回の城巡りでは唐津の名護屋城跡、平戸城、島原城、佐賀城跡を巡り日本100名城も90か所になりました。残り10か所となりいよいよ秒読み段階になりました。もっともまだ6か所が九州なのでコストを含めて計画を練っていく必要があります。まぁなんとか来年までには完了させたいと思っています。
旅行後4日間休養を取ったので明日からは御殿場の田舎に行ってくることにします。ナスやキュウリやピーマンなど夏野菜の植付けをしてくるつもりです。

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しんさんのよもやま話

2024年04月29日 12時35分16秒 | Weblog
4月29日(祝・月) 曇

 電車とバスと徒歩(3)

ゴールデンウィーク前に旅行は済ませ、前半の連休中は休養中です。まぁ冬物を整理したり、城巡りの資料を整理したり、不在中のDMを整理したりして過ごしています。今日は4月25日平戸城散策後からの行程と4月26日に午前中に出かけた島原城の様子を報告したいと思います。
4月25日午後平戸からバスで佐世保に着きました。

佐世保駅は本州最西端の駅です。平戸の方が西側になると思われますが平戸は島になっているし、電車も通っていないのでまぁ最西端は佐世保となるのでしょう。

佐世保では一度食べたいと思っていた佐世保バーガーを。

まぁ普通に美味しかったです。結構お腹が膨れるのでレギュラーサイズにしてよかったようです。
一休みして佐世保港を散策してみました。港にはクルーズ船が停泊中でした。

港は広くてリュックを背負って港内を歩くのは結構疲れるけどショッピングモールなどあって結構賑やかでした。
この日は佐世保から大村線に乗って諫早のホテルで宿泊。夜はホテル近くの居酒屋でビールとアジの刺身、仕上げに裏メニューのチャンポン麵で夕食。
4月26日
早朝に島原鉄道で島原に。朝の通学時間帯で電車は満員状態でしたが諫早東高校の生徒さんに席を譲ってもらいゆっくり島原に行くことができました。最近の高校生はスマホをいじって重いリュックを背負った老人には見向きもしない中で一人の好青年の男子生徒が席を譲ってくれたことには感謝しかありませんでした。
島原城は駅のすぐ近くにあって来訪する人にとってはありがたいことです。島原城では気に入った写真が撮れました。

左側が天守閣です。島原城は島原の乱以降愛知県幸田町出身の松平氏が治めることになった城です。九州は外様大名が多い中で譜代大名に監視させる役目も持っていたようです。そのため石高に比べ立派な城だったようです。

写真は島原城天守閣です。城をヒトめぐりした後武家屋敷が残っている通りに行ってみました。残っている武家屋敷は意外と質素でした。

島原城をぐるっと回って、諫早に戻りました。諫早からは新しくできた長崎新幹線「かもめ」「リレーかもめ」に乗って佐賀に行きます。佐賀では今回の最終目的地である鍋島直正の居城であった佐賀城跡に行きます。まぁこの続きは別途報告したいと思います。
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しんさんのよもやま話

2024年04月28日 22時48分30秒 | Weblog
4月28日(日) 晴

 電車とバスと徒歩(2)

今日は京都競馬場で天皇賞、テーオーロイヤルが勝ちました。まぁ自分の予想通りとなりましたが2着予想のディープポンドは3着に敗れました。まぁ中々予想通りにはならないものです。もっとも枠連の押さえでトントン。さて今日も北九州城巡り2日目の話です。
4月25日(木)この日は前日夜に平戸のホテルに入り、朝から平戸の街を歩き回りました。歩数はなんと23000歩を超えてしまいました。
以前から一度行ってみたい場所の一つでしたが思った通りの良い街でした。まぁ商業施設はあまりありませんが古い町並みや異国情緒あふれる風情などもう一度来てみたい所です。それにしても前日もこの日もまったく外国人観光客には会うことがありません。やはり交通の不便さが原因なのかもしれません。
平戸は鎌倉時代からずっと松浦氏一族が治めていた所で昔は倭寇の基地でもあり外国船が初めて上陸した地でもあります。まぁそのため当初の平戸城は安土城にも劣らないような華麗な城だったようです。もっとも江戸時代に入ると徳川幕府に疑いの目を向けられたため当時の第二十六代藩主松浦鎮(しげのぶ)は火をつけて城をすべて焼失させてしまいました。そのため長い間松浦氏は山の中腹に建てた館に住んでいたようです。そして第三十代藩主松浦棟(たかし)が外様大名として初めて幕府役職に就いたのを機に平戸城が再建されました。

平戸の海に突き出た所には見奏櫓が建てられ美しい海が一望できます。

もっともこれらは再建されたものですがよく整備されていました。
そして平戸城の対面の山の中腹に松浦氏の元館があります。現在は松浦史料博物館となっています。この日は暑くてこの急階段は結構疲れます。

平戸は長崎出島に移るまではオランダ等との交易の中心でありました。そのため異国情緒あふれる庭園や教会や商館が現在も残されています。
写真はオランダ商館です。

朝8時から朝食も摂らずに街を散策して平戸漁協の食堂でランチ。まぁ新鮮な刺身の盛り合わせとサザエのつぼ焼きとあごだしの炊き込みご飯で1400円でした。ここは安くて新鮮で美味しいと途中で休憩したコーヒーショップのおばさんに教えてもらったところです。
午前中ゆっくり平戸を堪能して佐世保に向かいました。予定ではバスで平戸口まで出て松浦鉄道でいくつもりでしたが観光案内所のおばさんから直通バスで佐世保に出た方がバスの本数も多いし便利と言われ急遽バスに変更して佐世保に行きました。約1時間半のバスの旅です。
まぁこのあと佐世保港を見たり佐世保バーガーを食べたりしたのですがそれはまた別途にします。
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しんさんのよもやま話

2024年04月27日 23時14分03秒 | Weblog
4月27日(土) 曇

 電車とバスと徒歩(1)

4月24日から昨日まで北九州の城巡りをしてきました。今回は唐津の名護屋城跡、平戸城、島原城、佐賀城跡の4か所です。今回も電車とバスと徒歩の一人旅です。まぁ電車の時間はすでに調べてあったからよかったのですがバスの時間は現地の観光案内所で聞くしかなかったので苦労しました。とにかくバスが1時間に1本程度だったのとかなり歩かなければならなかったことが結構ハードワークになりました。
4月24日朝一番の新幹線「ひかり号」(6:41発)で一路博多まで行き市営地下鉄に乗り換え姪浜で筑肥線で唐津に着いたのが11:57。30分待ってバスで名護屋城博物館入口まで40分。そこから坂道を登りながら名護屋城跡にやっと到着。
名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵のために築いた城でした。そのため周囲は全国各地の戦国大名の曲輪があり、その中心に名護屋城が築かれた広大な城で玄界灘が一望に見える高台にあります。天守台跡から見える景色は絶景でした。写真は本丸跡に建てられた碑。

そしてその近くには「太閤が睨みし海の霞かな」の碑が。

そして玄界灘の海が一望できる天守台跡

まぁ広い土地に前田利家、徳川家康などの館跡があり一時は20万人が住むことになったようです。まぁ太閤秀吉の死とともに消えてなくなった城ですが当時の太閤秀吉の権力がとてつもないものだったことを思わせてくれます。
約2時間かけて城跡、博物館を歩き回り、案内所で聞いていたバスに間に合うよう歩いたのでかなり疲れました。とにかくバスに間に合わないとこの日の宿泊先の平戸には行けなくなってしまいます。名護屋城跡からの帰りのバスは呼子経由と言うことで1時間もかかったため結局昼食も摂ることはできませんでした。唐津に戻ってからは筑肥線で伊万里に出て、そこから松浦鉄道に乗り換えてたびら平戸口で下車。ところがここから平戸市街へ行くバスが1時間近くなく結局ホテルに到着したのは午後7時を過ぎてしまいました。ホテルは素泊まりだったのでとにかく夕食を食べに街に出ましたが店が開いてなくて唯一開いていた喫茶店でパスタを作ってもらいなんとか食事ができました。
まぁこの日は18000歩強。とにかく疲れました。
そして翌日は鎌倉時代からの名門松浦氏の平戸城にいくことになりますが、この続きはまた明日にでも。
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しんさんのよもやま話

2024年04月23日 12時25分13秒 | Weblog
4月23日(火) 曇

またたびに

昨日、今日と予約していた内科、眼科、歯科など病院の診察も終えて、いよいよ明日から北九州城巡りの旅に出ます。今回は唐津の名護屋城跡、平戸城、島原城、佐賀城跡などを巡って来る予定です。今回もジパングクラブの割引を使って列車の旅になります。もっとも平戸に行く松浦鉄道がJRではないので今回のジパング適用には苦労しました。名古屋から博多、姪浜、唐津経由の伊万里と佐世保から諫早、博多経由名古屋の2枚の割引券を使って行ってきます。松浦鉄道は時刻表ではJR列車のページに記載されているので割引が効くものと思い、逆に博多と姪浜間は市営地下鉄なので割引が効かないと思って割引券の購入表を書いたのですが実際には逆であったため書き直しをして上記の乗車券の購入表にならいました。まぁ幹線経路は簡単ですが地方の複雑な経路を選択すると列車の本数も少なく、JRだけでは行けないところも多く結構計画するのも大変です。まぁとりあえず明日から予定通り4つの城巡りができるよう頑張ってきます。
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しんさんのよもやま話

2024年04月21日 07時45分11秒 | Weblog
4月21日(日) 晴

 やっと落ち着きました

4月11日からの御殿場の田舎での長期滞在が終わり、名古屋に戻って科学館でのモノづくり教室のボランティアが昨日終了してやっと一段落しました。
御殿場の田舎では高校時代の同窓生たちと昼食を食べながらの今年のクラス会の打合せや同級生とのゴルフコンペなど楽しい一時を過ごすとともに、長期滞在の合間を縫って埼玉県の寄居にある鉢形城跡を訪れました。早朝の御殿場線足柄駅6:41発の電車で東京、浦和、熊谷経由で寄居に出かけました。早朝の富士はやっぱり綺麗です。

浦和駅で友人達3人と合流しました。熊谷から秩父線に乗り換え寄居駅で下車。それからは徒歩で約30分で鉢形城跡に到着です。いくつかの曲輪跡を抜けていくと多分本丸と思われる広い所に出てきます。もっとも原っぱのような中に大きな木が何本かあってあまり整備はされていないようです。

今回の城巡りは100名城中の86番目になりました。今回は関東在住の友人3人も付き合ってくれることになり最高に楽しい城巡りになりました。城巡りも一人で訪れるより仲間と巡る方が楽しい。そんな訳で話や食べることに夢中になり過ぎて城跡をゆっくり巡ることにはならなかったかもしれません。もっとも鉢形城跡は北条氏が豊臣軍に囲まれて開城した城でその立地が荒川とその支流に挟まれた断崖絶壁の上に立地された城であったことが特長ですが現在は何もありません。まぁこの時代の北条氏の城は土塁が多くて建物がなくなるとよくわからなくなってしまいます。そのため曲輪跡が本丸跡の周りにいくつもあるのがわかる程度でした。

今回は昼食会、ゴルフ、城巡りといろいろの予定のあいだに畑でサトイモ、ショーガ、トウモロコシの植付けやら春キャベツ、ブロッコリーの苗の植付け、それと3月に鹿に破られた防獣ネットの部分に有刺鉄線の囲いを追加しました。まぁ過去最長の7泊8日の田舎暮らしでしたがそれなりに充実した日々を過ごすことになりました。まったくの一人暮らしではなく友人たちのおかげで息抜きをしながらの滞在ができたことが何よりでした。田舎の畑の脇にあるツツジはすでに開花しています。例年より1,2週間早い開花です。

そして名古屋に戻って一昨日は科学館でのボラの準備をして昨日無事子供たちと科学工作を楽しみました。今回は圧電ブザーとLEDランプを使った「いらいらリング」と言う工作でした。まぁ電流が通じるとブザーが鳴り、LEDが光ること、電池の+と-を知り、極性を間違えるとブザーやLEDが作動しないことも知ってもらいながら遊べる工作でした。一応小学生向けの工作だったのでちょっと園児には厳しい内容だったかもしれません。
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しんさんのよもやま話

2024年04月08日 21時22分07秒 | Weblog
4月8日(月)   曇後雨

 混沌の中で

久しぶりの投稿になりました。まぁいろいろ予定もあった中で先の予定も混沌としていましたがなんとかいろいろ予定が立ちました。
実は先々週の日曜日に自転車で走行中に追い抜かれた自動車の幅寄せに合い、避けようとして歩道側に寄ったら段差があって自転車ごと転倒して左ひざを怪我してしまいました。しばらく転倒したままでしたが歩行中の年配の女性に声をかけられ飛び散った荷物を拾ってもらい、一応立ち上がることができました。まぁズボンの膝の部分は破れて膝は血だらけでしたが骨には異常なさそうなのでしばらく休んで自宅に戻りました。それから毎日消毒して傷薬を塗っていますが未だに完治していません。まぁそんな中で予定していた飲み会もゴルフも科学館の打合せもできました。そして御殿場の田舎に行って同窓生との昼食会、100名城巡りで埼玉の鉢形城跡への予定、同窓会ゴルフコンペの参加、田舎の畑の防獣対策としての有刺鉄線の手配などまぁ手当たり次第に決めると共に月末の九州城巡りも何度も時刻表とホテルの予約可否を見直しながらやっと24日~26日に行く予定が立ちました。まぁこの一週間ははっきりしない成り行きの中でなんとか今月の目途が立った次第です。
日程が既に決まっている昼食会、ゴルフ、科学館のボラ、病院の予約等の中で田舎での畑仕事、100名城巡りの旅をどうするか混沌とした中でパソコン、携帯の助けを借りながら何とか今後の予定がはっきりして、今度はそれに向けて準備することができるようになりました。まぁあとは早く膝の怪我が完治するのを祈るばかりです。
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