”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(3)

2008年09月27日 13時24分38秒 | 趣味
9月27日(土)
今日はさわやかな一日になりそうです。今週は久しぶりにヨットもゴルフもありません。車の車検と併せて先週の日曜に電柱でこすってしまった車の修理中なので足がありません。保険で代車が出ると言うことなので今日取りに行ってきます。不思議なもので車の故障に合わせたように我が家のプリンタも故障です。一般に何か事故があると続けて起こる傾向があります。これを 1/f ゆらぎ現象と巷では言います。だから何かあった時はその機会に身の回りの物をチェックすることが備えと言うことかもしれません。

さて日本の原風景も3回目になりました。今日は西の島に残されたある一族の話です。この島に残された人たちは独特の言葉を持っていましたが文字はありません。従って代々言葉でしか伝えられないことを頭に入れておくとその後の展開がわかりやすいかもしれません。伝言ゲームの最後を想像するとよいかもしれませんね。

西の島の東側に比較的緑の深い山に囲まれた海辺がありました。生き残った人達の数家族がそれぞれ別々に生計をたてていました。その中にサクと呼ばれた老人の家族がおりました。サクは幸運なことにこの年になるまで数々の危機を逃れてきた唯一の男でした。彼が他の者と違った点と言えば記憶力が抜群によかったことと自然を視る観察力が違っていました。あるナツの暑い太陽が照りつける青空の夕方、南の水平線に黒い雲が見えました。他の者が山の上から、いつもと変わらない夕焼けを西の空に見て明日もいい天気だと言っているのにサクは生暖かい風が北から吹いてくることを感じ、すぐに海辺の住居に戻ると山の西側の岩場の洞窟に行くと言い出した。家族はこのおいぼれの言うことをまた始まったと相手にしませんでした。前の年にも同じようなことがあってこの家族は西の洞窟まで行ったことがあったのでした。その時は確かにどんよりした小雨まじりの天気ではありましたが、北西の風が強く吹いた程度でした。西側の洞窟にはかなり強い風でサクの家族は身動きできなかったのですが、東の海辺ではさほど大した風も吹かず、むしろそのままいた方がよかったのです。そんなことがあって俄かには信じられなかったのです。息子夫婦と一番上の孫の男の子は海辺のすみかに残りました。二人の孫娘たちは大好きなじっちゃんのサクに付いて行くと言って母親の引止めも振り払い下の孫娘のナオはサクの背中に乗り、上の孫娘のナギは手をつないで暗くなりかけた山道を登っていったのでした。西の洞窟に着いた時は、もうとっぷりと日が暮れ、いつしか月あかりもまったくなくなっていました。山を登る頃は東の水平線からまん丸のお月さんが見えていたのに、今は真っ黒な雲であたりを見回すこともできないほどになっていました。真っ暗な洞窟の中でとにかく孫娘たちを洞の奥に座らせると入口に石を積み、人が這って通れるほどにしあとは枯れ木と濡れたぶなの葉の付いた枝で入口をふさぎました。外ではもう強い雨が降り出し風も東よりに振れ徐々に強くなり出していました。サクが汗と雨でびっしょりになってナギとナオのそばに戻って来ると二人の娘は震えながら寄り添っていました。小さいナオの方は涙をいっぱいためていっしょについてきたのをくやんでいました。姉のナギはじっちゃんの昔話が大好きだったのでまた話を聞かせてくれるようせがみました。ナオを真ん中にしてサクは腰掛けるといつものように静かに昔話を語り出しました。サクの昔話は自分の若い頃の経験を踏まえた生きていく上での教訓に富んだ話だったのでこの孫娘たちのその後の運命を大きく変えて行くことになるのであるが、そんなことは知らずにサクの話を無心に聞いていたのです。この嵐になった晩も寒さをこらえながら夢中で聞いていました。時折姉のナギはどうしてとかそれは何とか聞いていつものように目を輝かせていました。一方妹のナオの方も最初は姉の真似をしながら聞いていましたが、そのうちこの晩の疲れからスースーと寝息をたて始めてました。
この夜はいつになく風の音は地響きを起こすほど強く、時折ゴーッと言う大きな音を立てながら岩の崩れる音を何回も聞いたのでした。その度にサクは話をやめて耳を澄ましていました。夜が明けて雨は弱まったものの時折の岩の崩れる地響きと強い風は相変わらず続いていました。ただ風はいつしか西よりの風になっていました。サクとナギは一睡もせずに夜を明かし体はだるさを感じているのに目だけは異常にさえていました。夜が明けてだいぶたった頃にナオも目を覚まして母親恋しさに泣いていました。サクは地響きの音を聞きながら海辺に残った息子夫婦や孫息子を心配していました。

今日はこれまでです。実はこのあと海辺の村では大変な事態になっていたのですがこの続きは次回にします。明日はふねの文化検定試験なのでこれから少し勉強します。今年から始まったこの試験は何のメリットもありませんが好きな船の話なのでどれぐらいできるか楽しみです。合格したら報告しますが失敗したら次の春まで沈黙します。
それではまた。

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しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(2)

2008年09月25日 22時56分24秒 | 趣味

9月25日(木)曇
今日はなんとなく気ぜわしい一日になりました。朝車検の手続きをし、昼は会社の受付の女の子が明日で退職すると聞いて、5年以上もいろいろお世話になったので何かお礼をしたくて堂島ロールに40分も並んでしまいました。もっともいつもお付き合いしてくれるTeさんがいなかったらできないことでした。それから先週日曜に傷つけた車の修理に保険を適用してもらうための手続きと日産への修理手配を車検と並行してできるよう手配し終ったところです。
9月15日のヨットでのKaさん誕生祝いパーティの写真ができあがったので15日のブログに追加しておいたので興味のある方もない方も見て下さいね。

それでは今日は日本の原風景第2話です。あくまでもフィクションなので真面目に考えてはダメですよ。

この島で生き残った者達の運命を述べる前にもう少しこの島の成り立ちを話すこととしよう。
この島が大陸から切り離されたのはもう数百年前のことでした。今では島の中央部となっている高い山々ともう一つここから南西方向に千キロほど離れた部分の両方でほとんど同時に大きな地響きと共に噴火が始まったのが引き金でした。流れ出る赤い溶岩流が至る所に見え隠れし、上空は黒い噴煙で昼でも真っ暗闇でした。こんな状態が3ヶ月も続いたあと、追い討ちをかけるかのように大きな地震が発生したのです。大地には縦横無尽に亀裂が走り、それが海岸線まで達する度にドッと海水が流れ込み、その勢いで高波が陸地の三分の二を洗い流すありさまでした。大地に走った亀裂を中心に至るところで地盤が沈下し、そこに海水が流れ込んでくるのが1ヶ月続いているうちに大陸からはるか東のはてにほぼ4つの島が残るだけになってしまったのです。遺された島の大部分は押し寄せる高波に流され島の高いところに所々緑が残されただけでした。真ん中の大きな島では未だに白い噴煙が所々であがっており島全体が緑の少ない赤茶けた島になっていた。、その北側の島では噴火や津波はあったものの比較的緑の残された島として残っていた。一方西側の島と南西の小ぶりの島はほとんど緑の消えた茶色の島になってしまいその後も地震と小噴火を繰り返していました。こうして東のはてに4つの島からなる火の島が誕生したのだった。
以前大陸と陸続きだったころは人も動物もたくさんいたのであったがこの天変地異で残された生き物はと言えば残された緑の森にごくわずかであった。このサバイバルの中で生き残った人はこの時代でもっとも原始的でもっとも過酷な自然の中でも耐えられる遺伝子を持ったものだけだった。それから数百年の年月が過ぎた今、時々大きな地震や噴火はあったものの緑豊かな島へと変わって行ったのです。ただ相変わらずの過酷な自然の中で人や動物が増えていくことには限界がありました。ただ豊富な水の恩恵にあずかったのは植物と渡り鳥たちだけであった。残された人の中でも体力のある若者たちは比較的地震や噴火の少ない島の東北部や北側の島に徐々に移って行きました。そして年寄りや女・子供は自然の脅威にさらされながらも残るしかなかった。そして残った人たちはいつも運よく生き延びる人たちにより命をつないでいた。一方北に移っていったものたちは寒さと食べ物の確保に苦労して行くのであるが、この者たちの運命はまた別の機会に述べるとして今回はこのわずかに命をつないで来た者達のその後の運命を辿ってみることにする。

今回はここまでです。
次回はいよいよ緑と水の豊かではあるが地震と大雨に悩まされる湿気の高い3つの島で、残された人達の新たな展開を述べることにします。
それではまたの機会をお楽しみに。

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しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(1)

2008年09月23日 21時12分03秒 | 趣味
9月23日(火・祝)晴
今日は彼岸の中日、静岡の田舎に墓参りに行ってきました。もう35年以上ずっと続けている習慣のようなものです。田舎を出て、家族を持ってからずっとです。まぁ親不孝者の先祖への侘びのような行為かもしれません。写真は田舎の裏庭にある小屋の奥の栗の木です。ちょうど栗がはじけて落ちてくる時期でした。3時間ぐらいの間に落ちてきた栗が20個ぐらいとれたので持って帰りました。山の中の家なので栗が終ると隣の柿が収穫期になります。ほんのちょっとずつしかありませんが昔の家はみんなどこでも家族が食べる分ぐらいはいろいろ植えてあったんですよね。
そこでちょっと思いついた日本の原風景を何回かに分けて書いてみます。

まだ氷河期が過ぎて間もないずっと昔のことです。その小さな島は東のはてにありました。うっそうとした緑と赤茶けた岩肌が霧におおわれ、山頂からは噴火のあとの噴煙が上っていました。四方を海に囲まれ、河口は沼地と化し、あとは岩肌が海に迫り、およそ平地と言うものが見当たりませんでした。この島は1年を通して大雨にさらされるのが常でした。フユには北からの冷たい風が大雪をもたらし、ハルになると雪解け水が川を氾濫させ、やっと温かくなって来たかと思うと南からの暖かい風が梅雨をもたらし、何日も降り続き、土砂崩れや河川の氾濫をまねいていました。長い梅雨が終ってやっとナツの太陽が輝きだす頃になると、何の前触れもなく台風と今では呼ばれている嵐がやって来て、海辺では高波、山では樹木の倒壊、がけ崩れ、河川の氾濫を引き起こしていました。そんなわけでアキの実りもその大半が消えてなくなるのが恒例になっていました。さらに一年に何回かの地震や火山活動が起こる島でした。こうして1年を通して休まる暇がないほど自然の驚異にさらされている島だったのでした。それでも山の草や木々は倒されて、流されても豊富な水のおかげでたくましく成長していました。この島の自慢と言えばミネラルをいっぱい含んだ豊富な水と、その水の恩恵を受けた数々の植物たちでした。そしてこの島をたまたま通りかかって休息した渡り鳥たちの楽園となっていました。コウノトリはいつしか渡りを止めて島の住民になっていました。氷河期の最後の頃に訪れた火山活動によって大陸から切り離されたこの島では噴火、地震、数々の大雨によって動物達はほとんど生き残ることができなかったのです。それでもわずかに生きながらえた動物や人がいました。この物語はこの生き残った人たちが過酷な自然の中でどのようにして日本人と言う民族になっていったかの古事記にも載っていない記録の一部です。
今日はこれまでです。次回をおたのしみに!!
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-22)

2008年09月21日 18時25分05秒 | 趣味
9月21日(日)曇のち雨
本来ならマリーナの釣り大会だったのですが、台風13号の影響で中止になりました。安全を期して船を陸に上げていたので、船底のフジツボを取ることにしていましたので行ってきました。思ったよりフジツボは付いていなかったのですごく楽でした。8月末にレイアに来てくれたSさんや息子のひな君も来てくれて手伝っていただきました。今年は春の船底塗装をきちっと二度塗りできたのでスクリュー周りもほとんど付いていない状態でした。整備前の写真を付けてみましたので良く見て下さい。去年はスクリューの羽根までびっしり付いていましたので雲泥の差がありました。同じ二度塗りでも2週間かけてよく乾かしたあと再度塗ったのが今年、一日でよく乾かないうちに二度目を塗ったのが去年でしたがその違いを実感としてよくわかりました。ちょっとめんどうくさくても基本に忠実にやることがいかに大事なことかよくわかります。多分世の中すべてのことに言えそうです。あまりにもフジツボも少なかったので去年も経験しているひな君にはちょっと物足りなかったかもしれません。でも貝を取ったあとのラダーをきれいに磨いてくれたり、下に落ちたフジツボをほうきでちりとりに集め海まで捨てに行ってくれたり、ひな君大活躍でした。フジツボはそんな訳で大したことなかったのですがスクリューには釣り糸がびっしり巻き込まれていて取り去るのに大変でした。8月に一度潜って取ったのですがこんなに巻き込んでいたなんてわかりませんでした。今回は釣り糸を取ることでは意味のある日になりました。
昼は去年と同じ松寿しさんでお寿しを食べました。相変わらず混んでいて車を駐車する時にマイカーをこすってしまいました。傷一つ付けていないことが密かな自慢でしたがついに3年目にしてキズモノになってしまいました。来週3年後の車検ですが以前乗っていたローレルは小さなキズだらけでしたから我ながら運転が慎重になったと思ってましたが、まぁよくあることとあきらめました。でもそんなに目立たないと思うのでこのまま乗れそうです。折角ひな君も来てくれたので愛知こどもの国に行ってきました。アスレチックとかあると聞いていましたが駐車場の料金ゲートを見てそのまま通過してしまいました。駐車場に入れてそのまま何もせずにでてきたらバカらしいのでパターゴルフ場の方の駐車場に行くことにしたのです。三人でパターゴルフをしてきましたが18ホールもあってしかもかなり距離があってもう少し芝の手入れがよかったら大人でも楽しめそうです。他のお客さんは一人もいないので三人だけでいっぱい蚊にくわれてしまいました。多分Sさん父子は大変かもしれません。僕は長ズボンだったので腕だけですがSさん親子は半ズボンでしたから足も腕も蚊にやられたんじゃないでしょうか。まぁ良かったのか悪かったのかわかりませんがまた遊びに来てください。
帰りの途中で雨が降ってきたので丁度良い引き際でした。
今週末もしっかり遊んでしまいました。明後日も休みなので田舎の墓参りに行ってきます。
なかなか日本人のルーツについて書こうと思いながらかけませんが気長に待っていてください。ただしほんとかどうかはわからないフィクションですから真面目に考えないでくださいね。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(08-15)

2008年09月20日 07時58分50秒 | 趣味
9月20日(土)晴
台風は早々と通り過ぎたようで、名古屋は朝から良い天気です。明日の釣り大会はこの台風のおかげで中止になってしまいましたが十分にできたと思うとちょっと残念です。でもこの機会に秋のセーリングに向けて船体の手入れができると思えばこれもまた楽しです。
今日は南知多で開催されている女子プロゴルフのマンシングウェアレディス東海クラシックを見に行ってきます。どうしようかと思っていましたが丁度行けなくなった方から連絡がありいただいた観戦券があるのでラッキーでした。山岸陽子さん今日は頑張ってほしいけどどうでしょうか?昨日は2オーバーと予選通過ラインには踏み止まっているので今日少し上げられたら期待できそうですが。
この報告と写真は帰ってきたらこのブログに追加報告します。
だから今日は2回見てくださいね。では

行って来ました。山岸さんは前半ー2でスコアをイーブンまで戻していました。後半から僕らもギャラリーとして随行してからがいろいろ課題が出てきてしまったようです。折角バーディーチャンスにつけながらはずしてしまったパットが2つあり、最終ではバーディーを取りに行ってオーバーして返しをはずしてボギーにしてしまい結局+2となり今日の通算はイーブンパーで2日間のスコアは2オーバーの45位。と言うことでかろうじて決勝ラウンド進出でした。明日は一つでもアンダーでまわってほしいものです。今日すばらしかったのは新崎弥生さんです。通算ー8で単独トップです。ラウンド終了後に帽子にサインをもらい明日頑張ってねと言ってきました。まぁ新人選手だと思うので明日は優勝のプレッシャーでスコアを落すと思うけど頑張って踏み止まってほしいものです。
写真は古閑美保さんと上田桃子さんの組の後半のスタートホールです。人がいっぱいで遠くから写真をとったけど誰だ誰だかわからないですよね。ティーグラウンドでこちらを美保さんが向いた時に撮った写真です。
さて明日は山岸さんの応援に行きたいところだけどヨットの整備に行きます。
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しんさんのよもやま話

2008年09月17日 22時50分32秒 | Weblog
9月17日(水)晴時々曇
今年はほとんど台風がきませんでしたが、今回は来そうです。昨日今年初めてヨットを陸に上げました。台風が過ぎたらスクリューまわりのフジツボを落とし整備したいところですが、21日にマリーナの釣り大会があるので台風が早く過ぎればすぐに降ろさなければなりません。もし延期にでもなったなら日曜は整備をすることとします。
ところで最近少し考え込んでしまったことがあります。僕は最近の事件を見聞きする度にもっと日本人の文化や伝統を大事にすべきだと言っています。でも日本人のルーツと言うか伝統って何だろうと考えると多分に仏教的であったり、儒教的であったりして日本古来のものが浮かんできません。我々の文化はすべて7世紀以降の文献でしか知ることができません。しかも古来日本には文字がなかったため中国から伝わった漢字をあてて書物ができあがったと言われています。それまでは言葉で代々伝えてきたようです。古事記は稗田阿礼が話したものを漢字に置き換えてできあがった日本古来の歴史ですが、中国の漢字の読みをあてたため実際には古代日本の意味したものと違って書かれたものも多々あるそうです。そんなことを考えていたら日本人が容易に漢字を取り入れたり、仏教を取り入れたり、儒教を取り入れたりできる民族だと言う理由が少しわかりかけてきたような気がします。そして我々が伝統的に鋭い感性を持っているのもわかります。文字がなくて言葉だけだから標準化や統一された表現がない以上自分達独自の表現を伝えようとしたため自然を表す表現もいっぱい生まれたのかもしれません。同じ雨でも、風でも、雲でもその強さ・弱さ、季節によっていろいろな表現によって伝えられてきたことが我々に微妙な差異を表現する力を与えたような気がします。こんなことを考えていたら本当の日本人のルーツは何なのだかわからなくなってしまいました。我々が旧暦と言うのも中国から伝えられた暦であって日本古来の暦とは少し違うようです。と言うか日本古来の暦はもっと単純な月の満ち欠けと自然の動植物から得た季節でできあがっていたようです。これを和暦と言って旧暦とはちょっと違うようです。
少し気になったので現在和暦についてちょっと勉強しています。春夏秋冬、月名も漢字文化によって今書いたような字で表現していますが日本古来の表現には違った意味があったようです。読みに漢字をあてたため元々の意味から変わってしまったもの。日本古来の独特なものには日本流に創られた漢字もあるようです。たとえば萩なんかは日本で創られた漢字です。
そう言えば我々日本人は勝手によその言葉を日本流に創ってしまう伝統が今でも発揮されています。ナイターなどの和製英語がそうです。
そんなことを考えていると我々日本人はよその文化を容易に取り入れかつ自分の都合のいいように作り変える特殊な遺伝子を持った民族のような気がします。
またの機会に古代日本人とは何だったのか勝手な考察をしたいと思います。多分我々の遺伝子は日本列島と言う特殊な島の自然環境に端を発するのではないかと僕は考えています。
たまにはちょっと知的な推理をしてみましょうよ。
今日はここまで。この続きはまたの機会に。

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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-21)

2008年09月15日 22時28分41秒 | 趣味
9月15日(月・祝)曇のち雨
今日はレイアによく来てくれるメンバーの誕生祝いクルージングをしてきました。マリーナの近くで短時間のクルージングでしたが、曇り空で日差しも強くなく風も中風と言った感じで快適な帆走でした。久しぶりに10人乗ったけどみんな何度かレイアに乗ったメンバーばかりなのでそれぞれが乗る場所もわきまえていたので意外と狭苦しさもなかったようです。たぶんスターンデッキに3人座ったのでそこが一番自由にならなかったかもしれません。先々週にスナメリが出たのでそちらの海面の方に行きましたが残念ながらスナメリを見ることはできませんでした。過去の経験から三河湾でスナメリに遭遇する時はたいてい天気が良くて昼過ぎが多いので今日のような曇天の日はなかなか見ることができません。
昼にはマリーナに戻ってお祝いのBBQパーティでした。今回のBBQメニューは昨日僕があっちこっちに行って仕入れてきた特別メニューです。実は昨日朝5時に家を出て一色のお魚市場まで行き魚貝類やら果物を仕入れに行ってきました。日曜・祝日は日比野の市場がお休みなので、どこか開いてる市場をインターネットで探したら一色の市場は日曜でも開いていることがわかりました。でも今日のような祝日はお休みだったので昨日行くしかなかったのです。それでも6時半ぐらいに市場に着くと大勢の人でいっぱいでした。店も何件もあって見て歩くだけでも結構時間がかかります。今回の主役のKaさんは牡蠣が好きだと言うことだったのでまづ岩牡蠣を一山買って、ついでにサザエも一山、別の店では今回参加のMiさんの好きなあなごを一山買ってさばいてもらい、また別の店では多分みんなが食べられそうな有頭エビを一箱買いました。それからいろいろな店を覗きながら、いかの一夜干し、あなごの干物、まぐろの赤身の塊などといっしょにアジも一山。アジは家に帰って一夜干しを作ってみました。開きにするのに今回は釣り師のMi君の家に行き開いてもらい、家に持ち帰って塩水に30分ほどつけてから水を切りベランダに干して完成。夕食に試食してみましたが前回よりはじょうずにできたけど、ちょっと塩加減が今一でした。
物を干している間に今度は養老まで行って飛騨牛を仕入れてきました。でも飛騨牛特選の肉は100g1500円もするので並のカルビと牛タンを買いそれに特売品のホルモン、フランクフルトを買って準備完了。養老にはいっぱい飛騨牛のミートセンターがあって一度行ってみたかったので丁度よい機会でした。食肉偽装で話題になった”まるあけ”は店のシャッターは閉まり駐車場はガラガラでした。今回紹介してもらった”鈴木藤太ミートセンター”は人がいっぱいで肉を買うのも順番待ち、あげくに注文してから肉を切ってもらったので出来上がりまで店内をブラブラです。それにしても”まるあけ”さんもあんなことしなければ人がいっぱいだったかと思うとつまらない欲をかいて結局は会社をダメにしてしまった人間のアホらしさをつくづく思います。赤福もしかりです。改めて誠実に生きることの大切さを思い知らされます。もっとも三笠フーズの場合はあれは不誠実どころか犯罪だと自分は思いますが。
なにはともあれ10人ですべて完食です。おかげで明日の朝の体重はまた逆戻りしそうです。今回はお魚市場に出ていた”とうもろこし”一山と大玉のメロン2個も自分ではなかなかよかったと思います。それとレイアメンバーのTeさんの用意したかぼちゃやピーマン、玉ねぎ、Yoさんが持ってきた奥様手作りのブルーベリータルトも大好評でした。
今回の参加メンバーは女性陣が主役のKaさんそれにMiさん、Isさん、Koさんの4人、男性陣はレイアメンバーのTeさん、Yo父子、Maさんと僕、それと今回東京から久々参加のMi君の6人でした。次は今年の納会で芋煮ができたらと思います。
来週はマリーナの釣り大会です。今回のルールは5種類の魚釣ることとそれぞれの種類の魚の一番大きな魚5匹の総重量で決めるそうですが、あまり遠くにいけないヨットにはちょっと不利な戦いになりそうです。来週の報告をお楽しみに!
それではまた。

(追加)
9月25日(木)写真ができたので誕生会パーティの様子をアップしました。撮影は久々東京からきた太目のMi君です。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(08-14)

2008年09月13日 22時01分23秒 | 趣味
9月13日(土)曇後晴
今日はゴルフ場の主催する業者コンペに参加させてもらいました。スコアは最近の中では最悪になってしまいました。距離もあり、グリーンも早くて難しかったと思いますがそれにしたも悪すぎました。出だしは3ホールは連続ボギーでいつになく順調な滑り出しと思ったのも最初だけでした。4ホール目のロングでOBを2発も打ってしまい10をたたいて貯金を使い果たし、6ホール目でパーをとっても7ホール目のロングでまたもやOBを打ってしまい結局9にしてまたもや貯金を使い果たすと言う内容で最後の9ホール目でトリを打って前半は55と言う最近では最悪でした。コンペは前半ハーフでのダブルぺリアで順位は122人中の95位となってしまいました。それでも飛び賞でフルーツの詰め合わせセットをゲットできました。後半はショットの悪い中でなんとか14番まではダボで我慢していたのですが、またもや次のロングで1ペナ、バンカー、バンカーとめちゃくちゃなショットで上がってみれば10と沈んでしまいました。17番のミドルでも9とスコアをくずし、後半は59とここ3ヶ月ライオンスコアから脱却していたのに、ついにやってしまいました。残念です。
これで暫くはゴルフの予定もないのでゴルフの話はなくなると思います。くやしいから10月にまたチャレンジする機会があれば頑張りたいと思います。ただパットだけは相変わらず好調です。今日も金・銀パットに鉄パット3つで3パットは1つだけでした。いかにショットが悪いかと言うことの裏返しですが。もう少しミスショットが少なくないとダメでしょうね。
練習してもあまり効果がないようなのでこれからはウォーキングを中心にダイエットに取り組むことになりそうです。気分が悪いから今日はこれまでです。
明日は休養して明後日はヨットです。おやすみなさい。
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しんさんのよもやま話

2008年09月10日 23時10分23秒 | Weblog
9月10日(水)晴
最近のニュースを聞くたびにこの国はどうなってしまうのだろうかと思わざるを得ません。
三笠フーズのやったことは赤福や飛騨牛のまるあけ以上にたちが悪いと思います。とても昔からそうだったとは自分には思えません。確かに就業形態が変わってきたため企業が従業員の将来まで面倒を見るような終身雇用は難しい時代になってきました。だから企業と従業員の関係もクールになって内部告発がしやすい環境になったこともあるかもしれませんが、それ以前にやっていいことといけないことの判断ができない人間が多くなってきたのではないでしょうか。昔はもっと正義感のようなものが大切にされ、どんなに苦しくても平然と正義を貫くことが生き方の基本でした。それが男の美学として何よりも優先して考えることだったと思います。
それがいつのまにか金さえあれば何をやってもいいと言った世の中になってしまったような気がします。今の世の中は誰も日本人としての生き方や考え方を教えてくれません。科学技術や計算のテクニックは学校で教えるのかもしれませんがそれ以上は教えることは悪なのです。僕は中学校時代1年の時も2年の時も3年の時も担任の教師に殴られています。今思えば良い事悪い事を明確にジャッジしてもらったと感謝しています。現代にこんなことをする教師がいたらたちまちPTAのおばさん達がきっと暴力教師追放運動でも起こすかもしれません。でもほんとうは正しいことをきちっとわからせるには痛みが必要のような気がします。
日本にはアメリカとも中国とも違った固有の文化があります。今こそ日本人のアイデンティティを明確に取り戻さないとこの国の将来はないような気がするのは僕だけなのでしょうか?でも日本人がアメリカの文化と同化しようとしても土台無理があります。かといって中国の文化と同化しようとしてももっと無理があります。どちらにしても同化できない日本固有の文化を持っているなら、もっと大切に後世に伝えていくことが我々には必要だと思うけどどうなのでしょうか?
戦後我々は豊かさを謳歌してきましたがそれと共に忘れてきたものも大きいような気がします。忘れてきた日本人の美学を復興できたらいいなと思います。
とりとめもなくつまらないことを書きました。みんなはどう思っているのかな?
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年09月09日 20時52分45秒 | Weblog
9月9日(火)晴
朝晩めっきり涼しくなりました。でも昼はまだ暑いですね。
さて昨日、一ヶ月ぶりに人間ドックの結果が送付されてきました。毎年結果は同じようなものですがちょっとだけですが前年より数値が良くなっていました。ただ今回も脂質検査で要治療の判定です。総コレステロール、LDLコレステロール、中性脂肪がいずれも高いと言う結果です。これを薬に頼らずに下げると言うのが理想でいろいろやってきましたが前年よりわずかに下がっただけでした。ただ無理に下げるより少々高めの方が長生きできると言うデータもあって(これは1月のブログでも書いたことですが)どこまでまじめに治療するべきかいまだに疑問です。あとはほぼ良好と言っても経過観察事項は4つぐらいありましたが毎年のことなのでちょっと気にかけておけばいいと思っています。
現在僕は体重を下げることにずっと取り組んでいます。食事を普通にとりながらちょっとカロリーに気を使う方法ではせいぜい2Kgぐらいの効果しかありませんでした。そこで先々週から毎晩汗をかく運動をすることに取り組んでいます。ウォーキングかゴルフの練習を毎晩必ず行うことにして3週目に入りました。体重は数百gぐらいしか今のところ効果がありませんが少なくとも一ヶ月は続けてみるつもりです。ウォーキングは現在たばこの自販機めぐりをしながらやってますが、元々歩くのは苦手なので、もっぱらゴルフの練習にばかり行っています。今日もこれから出かける予定ですが、早く行くと順番待ちの時間が長くなるので9時すぎぐらいに行きます。いままでゴルフの練習もこんなにやったことはなかったのですが健康管理のためと割り切ってやっていると、なんだか結構確率がよくなることを実感しています。やっぱり毎日やりながら体でスイングの形を自分なりに作ることが大事なのかもしれません。本番ばかりで飛ばそうと思ったり正確に打とうと思ったりしていることがスコアのよくならない原因かなと最近思うようになりました。
自分の形もできていないのに、いろいろな技をだそうとしていた自分にバカと言わざるを得ません。すべてのスポーツも同じことですよね。多分仕事も同じこと。みんな最前線で活躍することを望むのですが、そのための努力をしていないケースが最近特に多いような気がします。その主な原因は情報過多のような気がします。ナレッジの共有は現在簡単にできるようになりました。だからみんな簡単にできると思い込んでしまいます。でもこれは自分の体に叩き込んだことではないので簡単にメッキがはがれてしまいます。
人から情報を得ることも大事ですが、そのことを自分の体験として試行錯誤することによって初めて自分の技になっていくのだと今更ながら実感しています。
みなさんもペーパー上のノウハウを鵜呑みにすることなく自分で体得することをお薦めします。若い頃ヨットの操縦は頭でわかっていても、何度も沈してさじ加減を体得しました。仕事もスポーツもまったく同じことなのですね。
それではまた。
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