”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-08)

2008年04月29日 21時14分01秒 | 趣味

4月29日(祝)晴
今日は浜松から恩師のF教授父娘、名古屋から先輩のIさん夫妻と娘さんをゲストに迎えクルージングです。サポートはいつものYoさん一人。天気は申し分ないいい天気なのにまったく風がありません。佐久島に行く予定を急遽変更し、蒲郡のマンボウ埠頭にクルージング。今日の風では佐久島まで5時間近くかかってしまいます。とても日帰りできないのでもう少し近くのマンボウ埠頭に変更したのです。それでもほとんど船が動かないので機走してしまいました。昼食はマンボウ埠頭に隣接するイタリアンレストランのガーデンでパスタを食べました。ここのパスタは東海地方ではTVで紹介されるお薦めのものです。ちょっと値段は高いかもしれませんが超おいしいですよ。一休みして帰路につきました。すこし風は出て来たものの微風。機帆走で途中まで来ると少し風が出てきて船も快調に走り出しました。Iさん父娘のコンビが舵をとりなかなかの帆走です。風がなくてたいくつな時間帯もありましたが最後にヨット本来の軽快さを味わっていただけたのではないでしょうか。ちょっと予定より遅れましたが午後4時すぎに無事帰港。折角佐久島を期待していただいたのに申し訳ありませんでした。蛸シャブは次の機会に是非味わってください。
このブログを書きながらまだ体がゆれています。最近年齢とともに長時間船に乗ったあとはいつもゆらゆらと体がゆれます。これもまた心地よい一時です。今回はデジカメが故障してしまい写真がアップできません。他の人が撮った写真が手に入れば追加することにします。
それではまた。次回のヨットは5月5日の予定です。

(追加)
Iさんのデジカメ写真をいただきましたので約束どおりアップします。なお撮影者は僕です。

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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-07)

2008年04月26日 22時44分31秒 | 趣味
4月26日(土)雨のち晴
今日は大変な天気でした。一昨日の予報は晴時々曇、昨日は午前中一時雨午後晴でした。ところが今日は最初小雨でしたがハーバーに近づくにつれて土砂降りの雷雨となり10時にはとても船を出す状態ではありませんでした。ところが10時半すぎに小雨になったので、少しでもゲストさんに楽しんでもらおうと無理を承知で出航。ところが出航しようとエンジンのギアをバックに入れてもぜんぜん動きません。それどころか隣の船とぶつかる状況になってしまいました。とにかく隣の船を傷つけないようにフェンダーをはさむのに大慌てでした。原因はもやいを全部はずしてあると思いきや一つだけもやいを解いてなかったのです。自分も確認しなかったのがまずかったけど誰かさんも片方だけ解いてもう片方はそのままにしておくなんてちょんぼもいいとこですよ。
ともあれ最悪の状態で出航したものの風が強すぎてセールを上げるどころかマストに受ける風だけで船が大きくヒールする始末です。とりあえず幡豆の湾内をエンジンで一周して帰ってきました。折角楽しみに来てくれたゲストのみんなには申し訳ないけど安全第一。
帰港後マリーナのテラスでBBQの準備。火を起こして網に材料をのせ始めた頃に遅刻組4人が到着。大アサリ、アジ・ホッケの干物、アナゴ、牛カルビ、トンとろ、ヤキトリ、フランク、しいたけ、ピーマン、長ネギ、玉ねぎ、かぼちゃ、キャベツと手当たり次第焼いてなんとか片付けました。食べている間はまた雨が強く降ってました。
2時を過ぎたところで近くの潮干狩り場に。僕は砂浜でタバコを吸いながらのんびりさせてもらいましたが、みんなは1400円払って潮干狩りに。一時間頑張った人はほぼ袋に一杯のアサリを取ってきたようです。多分撒いているとは思いますが結構取れるものです。僕はもう濡れるのがいやだったので一人ボケッとしてましたが、これもなかなかいいものです。現代はハリネズミのようにせわしない世の中なので、たまには自然の中で静かにじっとしていることも必要ではないでしょうか?もっとも僕の場合はしょっちゅうヨットに来て何もしない時間が多いので怠けすぎかもしれません。
みんなの取ったアサリをお裾分けしていただき解散しました。以前このブログでも写真付きで紹介したクスパと言う吉良温泉の日帰り露天風呂を紹介してみなさんと別れ、僕は船に戻って29日のクルージングに備えてエンジンの整備とフェンダーの位置の調整やら舵の位置をラットにわかるようにマークを付けたりしてきました。どうしてもゲストがいると出航準備がおろそかになりがちなので、一人の時にきちっとしておくことがいいと最近思っています。僕はヨットが好きだから何時間いても気になりませんが、知らないと何も手伝えないため、どうしてもたいくつになってしまうでしょうから。
次回は29日です。今度こそいい天気になってほしいと思います。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年04月24日 20時26分35秒 | Weblog
4月24日(木)雨
このブログでも何回か紹介していましたが、ついに地上最強の商人(The greatest sales man in the world)の翻訳が完成しました。これから校正して、自費出版の本にしたいと思います。著者のオグマンディーノの本はこの本以外は訳本がリーズナブルな価格で出版されているのにこの本だけは1万円近くもする高い本として売られています。バカらしいので英語版をネットで購入しました。10ドルちょいで買える本がどうして日本ではこんなに高く売られているのか自分にはよくわかりません。きっと啓発本として高くしても売れると考えたのでしょうけど著者の意向とは違った方向にビジネスを展開しているように思えて腹が立ち結局自分で訳してほしい方にあげたいと思うようになりました。僕はこの本を若いビジネスマン達に是非読んでほしいと思って浅学省みず訳してみました。多分翻訳家のようにすばらしい日本語にはなっていないと思うけど向学心のある人ならきっと表面ずらだけでなく中味を汲み取ってもらえると思います。
まだ校正、印刷に時間がかかるので完成するのは5月の中旬ぐらいになりそうですが、もし自分の人生を変えたい或いは成功したいと強く思っている方でどうしても読んでみたい方がいらっしゃいましたらコメント等ください。中味がよくわからないと思いますので簡単に話すとダマスカスの大富豪ハフィドが自分の夢を実現するために特別の人にだけ伝えられてきた秘伝の書を手にし、そこに書かれた10の言葉を反復鍛錬し大商人になったと言う話です。その中にこの10の秘訣を一つ一つ解釈した部分があり、愛情を持って人に接しなさい・続けることの大切さ・感情をコントロールすること等、人として生きていくための知恵が書かれているものです。たぶんみなさんも聞けばなんだそんなことなら充分わかっていると言うようなものです。ただ知っていることと実践できることは違います。どんなすばらしい秘訣も常に実践できる心構えができていないと猫に小判、蛙の面に小便でしょう。
また小冊子として完成した時には報告したいと思います。
ところで26日の土曜日と29日の祝日はいろいろなゲストを招待してヨットを楽しみます。従ってしばらくは遊びの話ばかりになりそうです。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-06)

2008年04月20日 20時00分30秒 | 趣味
4月20日(日)快晴
今日は待ちに待った08年の初セーリングでした。天気も昨日のような強風でもなく、かといって微風でもなく、最高のセーリング日和でした。毎年初セーリングは強風ですが今年は一ヶ月始動を遅らせたのがよかったのか最高でした。多分今年のベストコンディションになるかもしれません。年間でも天気が快晴で適度な風の日はめったにないのでもっとあとにとっておきたいぐらいでした。
まぁ初セーリングということもあってか久しぶりに女性ゲストゼロでした。平均年齢60歳のおじさん5人と20代のYjrだけでしたけど、気持ちよい風にゆられて渥美火力前から佐久島付近まで2時間ちょいで行ってしまいました。多分我がLeia号が一番スピードの出る風だったかもしれません。
帆走中のセールをデジカメで撮ってみました。透き通るような青い空にピンと張った白いセールの気持ちよさそうな写真をとくとご覧あれ!
春は紫外線が強いので日焼け止めを塗ったのですが、日に焼けて顔がはれぼったいですよ。相当あつく塗らないとだめなようです。これからヨットに乗る機会が増えてきますのでみなさん遊びに来てくださいね。ではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年04月19日 17時08分56秒 | Weblog
4月19日(土)晴
今日は朝から良い天気ですが少々風が強いですね。明日は今年の初クルージングですが、風が強いと大変です。去年は3月の初クルージングで風が強すぎてメインセールをビリビリにしてしまい、1ヶ月間船にも乗れず修理費はかかるはで大変でした。そこで今年は1ヶ月遅らせての初クルージングにしたのに強風だと不運としか言えなくなってしまいます。なんとかそよ風ぐらいになってほしいものです。まぁ明日の報告を楽しみにしてください。
さて今日は前回までの如来・菩薩の続きです。まず菩薩についてちょっと補足しておきます。前回釈迦如来の脇侍としての文殊・普賢菩薩、大日如来の化身である虚空蔵菩薩、阿弥陀如来の脇侍である勢至菩薩と観音菩薩、インドの大地の神を仏教に組み込んだ地蔵菩薩の話をしました。そして観音菩薩は三十三に変化することからいろいろな観音様が考えられるようになったこと。聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准提観音を六観音と言うことまではお話しました。これらの観音様の中で充分説明できなかった観音の補足をします。
まず如意輪観音ですが名前のようにあらゆる願い事が意のままにかまうと言う如意宝珠の意味をもちます。輪は戦車を意味し敵を駆逐する意味から我々の煩悩を破壊すると言われてます。一般に阿弥陀如来の化仏の付いた宝冠をかぶり、右ひざをたてて足の裏を合わせた輪王座と言う座り方をしてます。手は6本あるのが標準形です。右の第一手が弥勒菩薩のように肘を曲げて手を頬のあてる思惟手(しゆいしゅ)をしています。
次に馬頭観音ですが文字通り馬の頭を持つという意味ですが、これはヒンズー教のヴィシュヌ神が馬の頭に変身して悪魔からインド最古の聖典を取り戻したと言う神話が起源の観音様です。従って天馬のように縦横無尽に駆け巡りあらゆる障害を乗り越えて目的を達成することを表し、仏教では人々の煩悩を馬が草を食べるように食い尽くし、救済すると言われています。この観音様だけは怒りの表情(忿怒形・ふんぬぎょう)をしています。そう言う意味では不動明王と同じです。日本でもポピュラーな観音様で馬が交通手段だったころから交通安全の守護神とか馬の守護神として競馬場には必ずある観音様です。私の田舎の近所にも馬頭観音があって確か4月の今頃がお祭りだった記憶があります。
最後に准提(じゅんてい)観音ですがヒンズー教の女神チュンディーから生まれたと言われ7千万の如来が悟りを開くのに効能がある呪文を司り、仏母と言われています。広隆寺(京都)や新薬師寺(奈良)にあります。
あと不空羂策(ふくうけんじゃく)観音と言って網を持ちすべての人々を取りこぼすことなく救済し、あらゆる願い事をかなえてくれるそうです。これを入れて七観音とも言います。
その他にも前回も紹介した白衣観音、水月観音、楊柳観音、魚藍観音など特徴的な観音様もいるようです。
今回で終わりにしようと思ったのですが、まだ不動明王のような明王と帝釈天のような天について話さないと仏教の世界もわかりにくそうなので次回これらについて触れてみたいと思います。それでは明日のクルージングが風のない好天であることを祈って。
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しんさんのよもやま話

2008年04月16日 22時33分04秒 | Weblog
4月16日(水)曇
最近ヨットもゴルフもないのであまり書くことがありません。別に趣味だけのブログではなかったはずですが3年目ぐらいになってくると人に教えることも世間の評論もあまりなくなってきました。やはり所詮は浅学の身なのでしかたないことです。
そこでつまらない話ですが前回(4月12日)に如来(仏様)の話をしたので続きで菩薩の話を書いてみようと思います。悟りを開いたのが如来ですが、悟りを求めて修行をしているのが菩薩です。大乗仏教では利他行と言って他人の救済ために善行を積むことが悟りを開く道だと考えられるようになりました。もともとは小乗仏教のように自利行と言って自分が悟りを開くための修行をしているものが菩薩だったのですが。そのうち仏にならずに現世に留まって衆生の救済にあたる菩薩まで考えられるようになったのです。
釈迦如来の脇侍(わきじ)として仏様の身の回りの世話をしたり、如来の仕事を手伝うのが文殊菩薩と普賢菩薩です。文殊菩薩は毛利元就の三本の矢の話に出てくるように智慧をつかさどると言われています。文珠菩薩は獅子に乗って、するどく研ぎ澄まされたことを象徴する剣と智慧を象徴する経典を持っているのが標準です。頭はまげを結っています。次に釈迦如来の右にいるのは普賢菩薩であらゆる幸福をもたらすと言う意味を持つ菩薩で修行をつかさどると言われています。一般に白象に乗って手は合掌しているのが標準形です。女人成仏を説いたことから女性のあいだで盛んに信仰されたようです。
阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩と勢至菩薩です。左側が観音菩薩で三十三に変化して一切の衆生を慈悲の力で救うことから独立して様々な観音様が信仰されるようになりました。聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准提観音を六観音と言います。これ以外にも日本では白衣観音がおなじみです。高崎や大船の観音様はこの白衣観音です。菩薩は衆生からの修行中の身なので装飾品をつけることが許されているので宝冠を付けたり手にいろいろな物を持っているのが標準形です。一方の勢至菩薩は阿弥陀如来の右側で智慧の力であまねく人を照らすと言われています。
あとは薬師如来の脇侍として日光菩薩と月光菩薩、大日如来の化身と言われる虚空蔵菩薩などがおりますが今回は省略です。
さらに私達にすごくなじみの深い地蔵菩薩ですがもともとはインドの大地の神様が仏教に取り入れられたものです。サンスクリット語でクシティ・ガルバといって大地の恵みをやさしくはぐくむと言う意味でこれを地蔵と訳したようです。仏教では釈迦がこの世を去ってから弥勒菩薩が如来になるまでの無仏の時代を守るために娑婆世界に留まって人々を教え、救済すること頼んだのが地蔵菩薩と言われています。地蔵菩薩は娑婆世界に留まっていることの証として僧侶の姿をしているのだそうです。
またちょっと長くなってしまいました。一つ一つを説明しようとすると浅学の僕でも結構書けてしまうものです。でも僕は学者でも宗教家でもありませんのであまり正確ではありません。ただの興味本位で書いただけです。自分がお参りする時にどんな時はどんな仏様にお願いしたらよいかを知るために調べて見ただけです。そしてわかったことは奥が深すぎてとても及ばない世界だと言うことです。小乗仏教の方がお釈迦様だけにフォーカスしているのでわかりやすい気がします。ここで書いているのは密教を区別して書いていないのと経典の区別もしていないので学者や宗教家からクレームをつけられるかもしれません。
ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃいましたらほんとうにつまらないことに付き合っていただきありがとうございます。きっと仏様の御利益があると思います。
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しんさんのよもやま話

2008年04月12日 22時40分31秒 | Weblog

4月12日(土)晴
今日は何もない休日です。朝一番で床屋さんに行ってきました。明日は田舎の法事に行きます。
先月の彼岸に甥の結婚式のあとで田舎の墓参りに行った話は先月のブログでも紹介したことですがその時お墓を新しく造りました。結構お金もかかったけどいい墓になったと思います。実は僕の父が亡くなって今年で33年経ちます。一般に33回忌が仏さんの行事の最終になるようですが、その法事に間に合わせるために造ったのです。ほんとうは50回忌100回忌までありますが実際にはそんなにあとになると他の縁者に不幸もあるでしょうから現実的には33回忌が最終としていいと言うのが一般的のようです。と言う訳で明日は父の33回忌を行うために田舎に行く予定です。もう33年も経つので母と僕ら三人兄弟夫妻だけの質素な法事になる予定です。お供えを用意してお寺さんで供養をして、そのあと家族で食事をするだけの簡単な儀式です。
法事と言うのは一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌と続くのですが祖母が昔言っていたのは十三回忌までであとは三十三回忌でいいと確か言っていた記憶があります。その祖母も父よりちょっと前に亡くなったので二人まとめてできればと思います。このように仏教では亡くなった先祖を偲んで法事をする最大の理由は離れ離れになっている一族や家族の絆を保つために考えられたと言うことです。これは十三回忌の時にお寺の和尚さんから聞いた話です。もっともその和尚さんも今はもう亡くなっていて今回はその息子さんにお経をあげてもらうことになりました。
そのためではありませんが最近般若心経の解釈から始まって如来(仏様)や菩薩についてかなり調べています。日本の仏教はすべて中国から伝わった大乗仏教ですが、伝わった年代によって様々な宗派が存在しています。そのため仏像にもいろいろな種類があって、今の若い人達には全然わからないんじゃないかと思います。と言う僕も釈迦如来と阿弥陀如来とは何が違うのかさっぱりわかりませんでしたから偉そうなことは言えません。
京都や奈良のお寺にもいろいろな本尊がありますが多分みなさんも知らないのではないでしょうか?詳しく説明するとかなり複雑になってしまうので簡単な基礎知識だけ紹介します。
もともとはお釈迦様の教えのシンボルとして仏像ができました。だから最初はお釈迦様だけでした。ところがお釈迦様以前にもお釈迦様のような悟りを開いた仏様がいたはずだ、とか56億7千年後の未来に出現する仏様とか宇宙の真理を表す仏様(これを法身仏と言う)とか菩薩から悟りを開いて如来になった仏様とか考えられるようになりました。今の日本にはこれらの種々の仏様がそれぞれのお寺ごとに祀られています。
奈良の東大寺の大仏様は仏の中の仏、宇宙の根源となる仏様すなわち毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい) です。釈迦は現世に永遠の真理を伝える化身だとされています。
次に浄土宗や浄土真宗で言われる念仏をとなえれば極楽浄土に行けるとされた、西方の極楽浄土にいて臨終の時迎えに来るのが阿弥陀如来。法蔵菩薩は48願を成就して阿弥陀如来になったのですが、その18願が念仏往生の願でこれを広めたのが法然と親鸞です。奈良の浄瑠璃寺や鎌倉の高徳院の大仏などが該当します。
次に現世利益の仏様、薬師如来(薬師瑠璃光如来)です。病気を直し貧しい者に衣食を満たすと言った12願を成就してなったとされる仏様です。現世においてご利益があるので古くから人気のある仏様で全国に地名等で残っています。奈良の薬師寺や室生寺にあります。特に薬師寺は天武天皇が奥様の病気平癒を願って建てられたものです。
あと毘盧舎那如来を密教では大日如来と言ってあらゆる仏の源とされています。特に深い煩悩にとらわれた人の教化のために大日如来が化身となったのが不動明王と言われてます。日本の密教は空海や最澄が伝えたので天台宗や真言宗が該当します。
最後に56億7千年後に仏となって現れるのが弥勒菩薩です。まだずっと先の未来ですが今の日本を見ていると早く弥勒如来が出てきてほしいと思うのは僕だけでしょうか?
もうこの辺で終りにしないと際限がなくなるのでやめにします。
お付き合いありがとうございました。でもどうせお参りするならどんな仏様か知ってお参りしたほうがご利益があると思います。

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しんさんのよもやま話

2008年04月08日 21時10分15秒 | Weblog
4月8日(火)曇
今日は何の日だか知っていますか?そう今日はお釈迦様の誕生日です。お寺では花祭りと言って小さなお釈迦様の像に甘茶をかける行事があります。僕も子供の頃に村のお寺さんに甘茶をかけに行った記憶があります。でも今はどうなんでしょうかね。あまりみんな知らないかもしれません。昔は三世代同居が当たり前でしたから、親から子に伝統的な文化が伝わってきたけど今は核家族の時代だからなかなか伝えることが難しい時代だと思います。自分も都会に住むようになって子供に教えることもできなくなってしまったので偉そうなことは何も言えませんが、年をとってほんとうに大事な文化を断絶させてきた世代であったことを反省せざるをえません。日本の高度成長に乗ってただ豊かな物質生活だけを追い求めてきた結果が、日本人の精神的基盤をなくす結果になったような気がします。僕達が子供の時代には仏教の思想とか武士道の精神を生活の中で植えつけられてきたけれども今の子供達には教える人がいないような気がします。もう学問として知識を与えるぐらいの昔の話になってしまったのかもしれません。
まぁ昔の感傷に浸っていても過去が戻って来るわけでもありません。若い人達は前を向いてこれからどうしていくかを考えた方がよさそうです。そういう中で復活させるべきものはさせることを考えてほしいです。明治時代に神道が復活したようにそれぞれの時代に復活させるものがあってもいいような気がしますが、これだけ自由気ままな生活に馴染んでしまうと変えることもなかなかできないものです。不謹慎かもしれませんが戦争ですべてを失ったから戦後が変わったように政治のしくみそのものが変わらないかぎり新たな変化はできないものかもしれません。でも今豊かな生活をしている者が自ら進んで変化を求めることはしないのが人間です。いずれみんなが苦しむ時代が訪れて変わって行くものかもしれません。ちょっとさびしい気がしますがそんな現実の中で、少しでも人間としての精神的基盤を再構築できたらいいなと思う此の頃です。
20世紀は文明ばかりが発展した時代でした。これからは文化がもっと発達しなければ人間の精神が安住できないと思います。仕事も大切だけど心を豊かにする取り組みをもっとしていきたいものです。そのためにももっと自然と共生する機会を持つことも大切じゃないでしょうか?
お釈迦様の誕生日が飛んだ話になってしまいました。
僕のダメなところです。それではおやすみなさい。
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しんさんのよもやま話

2008年04月06日 16時36分10秒 | Weblog
4月6日(日)晴
今週末はおだやかないい天気です。昨日は朝3時に起きて釣りに行ってきました。日の出に合わせたような早朝の出航でアジ狙いでしたが人が多すぎて、おまけに潮の流れが強すぎて、お祭りさわぎの連続でした。残念ながら”かさご”が2匹釣れただけでした。でも船の片側に12人も乗っていたのは我々の船だけでした。帰りに市場でアジを買ってきましたが5匹で600円、釣り船に乗るのは6000円真面目に考えるとバカらしくてやってられないけど海に釣り糸をたらしてあたりに合わせて釣りあげる瞬間が何ともいえないのかも。おだやかな春の海で日光をいっぱい浴びて最高でした。前日飲んで睡眠時間3時間だけはさすがに疲れました。
それでも今日は朝からハーバーに。もう一ヶ月ヨットに行っていないので、ビルジが一杯たまっているはずなのでどうしてもくみ出しておきたかった。案の定いっぱいになっていました。海上係留は雨水と小さな浸水で月に1度はエンジン整備もかねてこれから必須です。それでもハーバーまでの行き帰りの3時間、車窓の春を満喫してきました。行く道々の桜がどこも満開でいい眺めでした。それに野山も緑が多くなってきたのを実感しました。おだやかな春の日差しと桜と野の緑に、なんとなく心の奥にしまっておいた源風景が重なって100年後にもあるのだろうかと気になります。もっとも僕が見れる訳ではないけど。少なくとも子供の頃から比べたら豊かさの代償として失ってきた自然が多すぎた気がするのは僕だけだろうか?沿道沿いを見ながらの一句。

花見ゴザ、若草色の、おだやかさ

お粗末でした。
それにしても日本人は桜が好きですね。桜は一斉に咲くから良いのでしょう。集団主義的な日本人にぴったりの花かもしれません。それとも葉が出る前に花だけが一斉に咲く豪華さのようなものがすきなのかもしれません。でも自分は緑の葉の中にピンクの豪華さを演出する山桜の方が好きです。今はソメイヨシノ全盛で中々近隣では山桜を見ることができませんがあの風景は今でも遠い記憶の中にあります。
それでは又。
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しんさんのよもやま話

2008年04月02日 23時37分06秒 | Weblog

4月2日(火)晴
今日は少し暖かくなったけど、このところ寒い日が続きます。桜の花も7部咲きで停滞しているようです。まぁ週末までもってくれたほうがいいかもしれません。コートを脱ぎクリーニングに出してしまいましたが、一昨日の夜、あまりにも寒かったので昨日から古いコートを引っ張り出して着てしまいました。
ところで4月1日は企業にとっては新事業年度の始まりであり、新入社員が入ってくる日でもありました。私の会社でもちょっと年老いた新入社員が11名おり、昨日は歓迎夕食会でした。僕も3年前にそうだったのですが。出向が解消になっただけの人はともかく、改めて子会社なり関連会社なりに再就職する場合、意外とその風土の違いにびっくりすることがあります。よく知っているつもりだったけど、いざ中に入ってみると文化の違いにびっくりした経験が自分にもありました。きっと彼らも最初はとまどうのかもしれません。そうは言ってもグループ会社の場合、風土がまったく変わる訳ではないので別会社に再就職するよりはずっと楽かもしれません。
僕も今の仕事になって3年がたちました。最初の頃はいろいろ新しいチャレンジに燃えていましたが今はちょっと流されているかもしれません。だんだん仕事をさせてもらえる年も残り少なくなってきたのだから、仕事ができる間にもっと充実したことにチャレンジして行きたいものです。仕事も遊びも体が言うことをきくうちにが今の僕の心境です。おかげさまで遊びは今迄以上にしているかもしれません。ヨットに、ゴルフに、読書に、お酒に・・・・・。
一昨日岐阜に出張した帰りにちょっと美川憲一さんの歌で有名な柳ヶ瀬に行ってみました。昔は夜の繁華街だったはずですが今は閑古鳥状態です。店は半分近くがシャッターがおりているし、人通りもほとんどなく、どうしたのかなと思うぐらいでちょっと寂しい感じです。人の心は変わり易く昔と同じ商売の方法がいつまでも続くことはないのでしょう。世の中の変化を先取りして自ら変えて行くことが生き残る秘訣だと思うけど、人は尻に火がつかないと変われないものだし、気が付いた時にはもう遅すぎてどうにもならない典型なのかもしれません。多分世の中の企業もみな同じだと思います。でも世の中を先取りして動くことは大きなエネルギーと勇気が必要です。そして必ずしもうまく行く保障もないのですから。企業ならまだトップの力量で変えることが可能ですが商店街のように大勢の事業者が集積してできたものは必ず栄枯盛衰の憂き目に会うのが宿命のような気がします。昔ある街の街づくり推進委員会の委員をさせてもらったことがありましたが、僕のようなよそ者が大胆な意見を言うと何もわかっていない者が無責任なことを言うなとばかりに相手にしてもらえなかったことを思い出します。そして補助金を使ってアーケードを作るとか、通りをきれいにするために遊歩道を作るとか見せ掛けだけをよくすれば人が集まると言った感覚の人たちばかりで、それぞれの本業の中味を変えて行くことには触れようとしないようです。ほんとうは世の中の嗜好に合わせた品揃えや商品の開発及び流通のしくみを変えることにこそ生き残るヒントがあると自分は思います。つまりハードウェアをよくするよりもソフトウェアを充実することがポイントのような気がします。静岡県の富士宮市は焼きそばで現在有名になってしまいましたが、昔から有名であったはずもなくただ食堂だけでなく文房具屋も肉屋も八百屋もみんな焼きそばを食べさせてくれるそうです。このことがすばらしいとは思いませんが少なくともアーケードを作るとかよりはソフトウェア指向であるかもしれません。現在どこの街でも昔賑わった商店街がほとんど衰退しています。多分今迄のお店がなくなった時、新しいソフトウェアに入れ替えたところが復活するのでしょう。
成功体験を持った人の心ほど変えるのが難しいものはありません。それは過去の歴史が証明していることです。そういう中で我々はどう変わっていけばいいのかと言うと、物事を自然体で視る目を持つことです。邪念を捨ててあるがままを素直に視、感じ、行動できる人になることだと自分は思っています。なかなか煩悩は捨てられないのが人間と言う生き物だけど、無の心で物を視ることができたならきっとすばらしい発見があるような気がします。
取り止めもなくなく長くなってしまいました。今日はこれまでです。
おやすみなさい。

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