”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話(ウォーキング14-11)掛川城

2014年09月30日 18時39分46秒 | 趣味

9月30日(火) 晴

今日は予定を一日早めて、静岡の田舎に行く途中、掛川城に立ち寄ることにした。掛川城は今川氏の重心、朝比奈氏が築城し、今川氏が滅んだあと山之内一豊が入城し城内を整備したとされている城です。もちろん日本百名城のひとつでもあります。実は今回携帯(スマホ)を家に忘れてきてしまいフェイスブックにもアップできなかったのが残念です。しかもデジカメで撮影した写真も編集できず今日のブログは写真も載せられません。また名古屋に戻ったら追加することにします。

掛川城は今まであまり注目すべきことがないと思っていましたが、意外と良く整備されていて綺麗な城でした。広い御殿は当時の間取りが正確に再現されているようです。しかも展示物も所狭しと陳列されてなく見やすい。

(追加写真・・・掛川城御殿)  ~城主が政務を司った所


僕が気に入ったのは一豊と妻千代の巧妙が辻の開設や講談でした。一豊の妻の話は誰もが知っている内助の功ですが、その壱からその四まであったとは知りませんでした。馬で信長に褒められ、妻の裁縫の腕で秀吉に褒められ、関が原では家康に味方し、戦国の世を一番うまく生き抜いた武将だったのかもしれません。

元々秀吉から徳川の押さえとして掛川五万石の大名となり、秀吉亡き後は関が原に向かう家康に城を開放し、手勢2千を引き連れて関が原で戦い、大した手柄はなかったが、その後高知20万石の大大名となったのですから時代を見抜く目を持っていた人物と言えるでしょう。山之内一豊の去った掛川城はその後徳川家に古くから仕えた譜代大名が次々と入り、最後は太田道灌の子孫である太田氏が城主となり明治を迎えることになります。
あとで写真を追加しますが、天守に登る階段から見る天守閣、本丸跡から見る天守閣どちらも中々の景観です。大きな城でもないし、歴史的な事件の舞台になった城でもありませんが、こじんまりとした美しい城のひとつと言えそうです。ちなみに新幹線から見ていると、あまり感動もない城のように見えますが、やはり実際に行って見るとイメージはずいぶん違いました。静岡勤務時代にすぐ近くの会社のビルには何回も行っていたのに一度も行ったことなかったのは残念の極みです。
(追加の写真・・・天守への階段)


(追加写真・・・本丸からの掛川城天守)


(追加写真・・・掛川城全景)


話が長くなるので掛川城の話はまたいつか。

田舎には午後4時過ぎに着き、畑の水遣りだけしました。明日は人参の間引きやら農作業です。最近卒婚と言う言葉がよく言われていますが、我が家は数年以上前から卒婚。仕事をしていた頃以上に今はお互い好き勝手に動き回っています。今回の目的は以前シルバーに実施していただいたお茶の剪定などの支払い処理をするためです。母がもう少しちゃんとしえくれれば良いのですが・・・。まぁしかたないし、田舎と名古屋を行ったり来たりしているので我が家では毎日顔を合わせることがないからなんとか持っているのかもしれない。

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しんさんのよもやま話

2014年09月29日 19時34分08秒 | Weblog

9月29日(月) 晴

御嶽山の爆発は予想以上にすごかったようです。報道を見る度に自然災害の恐怖を思い知らされます。日本列島は地震や火山の噴火、土砂崩れ等々が太古の昔から頻発していた國であったから、他国に侵略されることもなかったのでしょうけど、その分我々の先祖は自然災害の中で生き抜いて来た民族だとも言えそうです。そしてこれからも常に自然災害を乗り越えて行ける民族なのかもしれません。不謹慎な言い方になってしまうかもしれませんが、大勢の人が自力で下山してきたことも事実です。以前御嶽山に登った時に感じたことですが、とにかく休む場所もないくらいにたくさんの人が山に入っていました。亡くなった方は大変お気の毒ですが、運良く助かった人達はその何十倍もいたのでしょうから。

さて今日は鼻の術後6ヶ月の経過診察でした。前回(術後3ヶ月)の時、手術跡にポリープが4つもできているので場合によっては再手術も考えないと、と言われていましたが今回ポリープは2つになっており、しかも大きさは前回と変わらないようでした。再度3ヶ月後にもう一度診察することになりましたが、医者からはこの分だと再手術しなくても大丈夫かもしれないと言われ、少しホッとしています。鼻を洗浄する機械を購入させられ、ビチョビチョになりながら洗浄したのがよかったのかどうかはわかりませんがこのまま順調に推移してほしいものです。いつも診察後は鼻の奥に吹きかけられる薬のせいか鼻水とくしゃみがとまりません。よって今日はどこにも出かけられません。家で御嶽山の報道をずっと見てしまいました。まぁこんな日もないと体が持たないですね。

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しんさんのよもやま話…ヨット編(14-23)

2014年09月28日 17時23分44秒 | 趣味

9月28日(日)晴

久しぶりに暑い日でしたが、海の上ではやや強めの秋の風になりました。風にあたっている時は気持ち良いのですが、キャビンの中での船内作業はまだ汗びっしょりになります。
今日は整備と修理を兼ねてマリーナでの船内作業でした。
古いバッテリーを取り外し、先般アマゾンで購入した自動車用のバッテリーを正規に収納し、配線を固定しました。M島さんが購入してきた配線取り付け用の金具が役に立ちました。



これでエンジンは問題なく始動できたのだが、キャビンの電灯や排水用のポンプが作動せず四苦八苦の末、配線系統、ヒューズボックスを点検し、完全に修復しました。



ウッドデッキの破損箇所はM島さんが持参した木工用ボンドで一応修復。固定できたらガムテープで更に固定するつもりです。



そのほか船内の食料の内、食べかけのものはすべて処分し、ライフジャケットもハンガーに掛けてすぐに取り出せるよう整理しました。医薬品も今回新たに追加し、万全を期した。しばらく乗る予定はないけど、やはり時間がある時にきちっとやっておかないと中々片付かないものです。M島さんと二人で3時間かけてなんとか完了。次回には安心して乗れそうです。



ところで昨日、伊那、高遠に行っていた時に御嶽山が噴火したんですねぇ。何も知らずに帰ってきたけど、山一つ超えたところでは大変なことになっていたなんて知らぬが仏です。僕たちも2年前あの噴火した場所を通っていたことを思うとゾッとします。(2012年7月29日のブログ参照)T西さんなんかあそこで迷子になっていたのですから、もしあの時なんて思うと怖いですね。海も山も自然を相手にするものは何が起こるかわからないから安全に対しては必要以上に対処しておくことを改めて痛感しました。

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しんさんのよもやま話(ウォーキング14-10)高遠城址

2014年09月27日 23時25分37秒 | 趣味

9月27日(土)晴

再度高遠城址に行ってきました。今年7月に一度行っているのですが、日本百名城のスタンプを押して来なかったので再度の訪問になります。7月の時は木曽駒高原でのゴルフの後に立ち寄ったため百名城訪問の準備をせずに、下調べを兼ねての訪問になっていました。
今回は名古屋から伊那市行の名鉄高速バスが運行されていることを知ったことから急遽行くことになりました。一人旅なので伊那市まで行けば、高遠行きのバスもたくさんあるだろうと勝手に思い込んで行くことにしたのですが、高遠までのバスは土日はほとんど運行されておらず、大変でした。
伊那市駅前発11時37分発の高遠行きバスに乗る予定でしたが、高速バスが15分遅れて着いたため次のバスで行くことになってしまいました。JR伊那市駅は小さな駅でした。



幸い30分後にも高遠行きのバスがあったので、高遠までは12時半すぎに着き、高遠城址公園を目指して歩きます。天気は快晴ですが、7月に来た時より格段に快適。汗一つかかず、20分ほどで高遠城址公園前に到着。



少し歩くと立派な入口が



とりあえず、城址公園の中を通り抜け、百名城スタンプのある高遠歴史博物館を目指す。
ほとんど訪れる人のいない公園内を15分ほど歩くと博物館になります。



ここでやっと百名城スタンプを押し、そのまま博物館に入場。高遠は元々高遠氏が治めていたのですが戦国時代、武田信玄に屈し、その後武田勝頼の弟が治めるのですが、織田信長の軍勢に敗れ、その後は保科氏、鳥居氏、内藤氏と領主が変わって行き、明治を迎えることになります。この中で特に保科氏は徳川秀忠の息子(保科正之)を養子に迎え、後に山形、会津若松と転封し、会津若松の松平の基礎を築くことになりました。また高遠は保科正之が蕎麦好きであったことから信州蕎麦の発祥の地とも言われています。その他石仏作りの石工集団や高遠焼きでも知られた地でした。また7代将軍の頃、絵島・生島事件で遠投となった絵島の蟄居先としてもよく知られています。博物館に併設された絵島囲み屋敷も現存していました。写真は絵島の間です。



いろいろの書物を読んでみると、絵島は譜代の老中と新井ら新興の老中との勢力争いに利用された悲劇の奥女中のような気がします。世の人は面白おかしく生島との話に終始しているようですが・・・・。
もう午後2時近くなって、やっと昼飯です。高遠城址公園付近の食堂は桜の季節以外は閉鎖されているようだったので弁当を持参して正解でした。本丸跡にある太鼓櫓近くのベンチで一人寂しく弁当をパクつきました。しかしほとんど人がいないのもさびしいものです。



昼食を食べ終え、高遠駅(バス)まで歩きます。ここまでは予定通りでしたが、帰りのバスが午後3時半までありません。伊那市駅16時発の名古屋行には間に合いません。14時半のバスに間に合ったと思ったのですが、平日だけですと言われ、仕方なくタクシーで伊那市駅に行くことになってしまいました。もっとも少し早く着いたので伊那名物のローメンを食べようとしましたが、どの店も準備中の看板。結局何も食べられず、土産物屋でローメン買って、家で作って見ることにしました。スタンプはゲットできたけど伊那名物のローメンを食べれなかったことだけが悔やまれます。もし今度行く機会があれば、まず第一にローメンを食べてからにします。
ともあれこれで長野県に5つある百名城のうちスタンプがないのは松本城だけになりました。
一人旅は自由度があるものの、事前にしっかり調べなかったり、一人で食べる弁当は味気ないものです。百名城めぐりも最近近隣がなくなってくるに連れて一人旅が多くなりました。最初の頃の企画には10人近く来ていただきましたが、まぁ年齢と共にこうなるものなのでしょう。

さて明日はヨットのバッテリー周りの修理にマリーナに行きます。中々休まる暇はありません。

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しんさんのよもやま話

2014年09月25日 15時27分07秒 | Weblog

9月25日(木) 曇のち晴

一昨日、昨日と静岡の田舎に行き、昨晩は馴染みの居酒屋(DUO)の常連会に参加し、今日は久しぶりの骨休みです。と言いながら朝から熱田の図書館で庭園技能の学習指導者講座の勉強。庭園技能については実践があまり伴っていないけど、とりあえず指導者の認定だけ受けてしまうつもりです。実践は田舎のシルバー人材センタの人に教わったり、日常の中でいずれカバーしていくので、まぁやれるものからやっておくと言うことです。今日で一冊目のテキストの勉強が終わったので、先ほど提出課題に回答し、郵送しました。

ところで一昨日は彼岸と言うことで田舎の墓参りに行き、お寺さんに挨拶してきました。墓参りは父が亡くなってからもう40年近く経ちますが、春・秋の彼岸と盆・正月の4回一度も欠かしたことがありません。別に信心深い訳でもありませんが、尊敬していた父が26才の時突然亡くなって自分の拠り所を求めて行っていたと言うか長男としてお寺への挨拶に行くのがいつの間にか習慣となってしまい、今迄続けて来てしまったような感じです。お寺さんも代が変わり若い和尚さんになったけど今更止める訳にも行きません。
あとは例によって畑仕事を。キヌサヤの種を撒き、結局今年の秋は9種類の野菜の種を蒔きました。じゃがいも、人参、大根、白菜、玉ねぎ、カブ、カザフ辛味大根、ルバーブ、キヌサヤです。ちょっと欲張り過ぎかもしれませんが、これだけやっておけば失敗があっても目立たないでしょう。
24日は母をデイサービスに送り出し、大根と白菜の間引きを実施。間引きした苗はお浸しにすると美味しいので新聞紙に包んで名古屋に持ち帰りましたが、毛虫が付いていたようで家族からはもう持ってこないでと言われ少々がっくり。
畑仕事を終えて、名古屋に戻り、夜には冒頭の常連会に参加。帰りは半分一般道を使ったのですが、途中で、前もよく見えない雨には襲われるし、事故渋滞には巻き込まれ、結局6時間運転してやっと名古屋に戻れた。もう今日は疲れて飲めないと思って参加した常連会でしたが、なぜか飲み過ぎ、歌い過ぎになってしまったようです。きっと秋刀魚ご飯が美味しかったからかも。

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しんさんのよもやま話

2014年09月22日 17時23分22秒 | Weblog

9月22日(月) 晴

久しぶりに何も予定のない月曜日。モーニングコーヒーを近くの喫茶店で済ませ、溜まった郵便物の整理と返信2通をして、あっという間に午前は過ぎてしまった。
午後は紛失した自転車の合鍵を造り、明日の田舎の墓参の準備。不足した田舎の日用品やら食料を買い込んで来た。それからヨット用の医薬品を。先般怪我をした女の子を手当するにもマキュロンとバンドエイドと包帯と湿布薬は常備していましたが、ガーゼがなくて包帯を切りながら急場をしのいだけど、もう少し充実しておくことにしました。結局ゆっくり俳句を考える余裕もなく夕方になってしまう。

何かに追われているかのように慌ただしく毎日が過ぎてしまうのだが、まぁ自分らしいと言えばそうなのだが、やりたいことが次から次へと湧いてくるのだから仕方ないこと。

さて明日は早朝から静岡の田舎に出かけます。相変わらず田舎行きは常に一人ですが、帰りに時間があれば日本百名城である掛川城あたりを潰しておけないかと思っています。こちらもまだ27番目が足踏み状態なので、少し頑張らないと。

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しんさんのよもやま話…ヨット編(14-22)

2014年09月21日 20時40分16秒 | Weblog

9月21日(日) 晴

良い天気のヨット日和でした。今日は久しぶりにレイアメンバーが揃って、佐久島周辺に釣りに出ました。今年一番の釣果でした。キスもチダイも20匹ぐらい釣れ、余計なベラまで10匹ほど。帰港中の船で下処理をするM島さんも今回はすべてできず、マリーナに着いてからも30分程かかってやっと終了する始末でした。写真は今日の釣果。キスもチダイもベラもごっちゃまぜ。



今回のメンバーはY田父、T西、カー坊、S木父子+ヒナ君の友人、M島、しんさんの8人でした。よく釣れたので時間の経つのが早いこと。
まぁ3日連続のアウトドアは結構疲れます。帰りの車では運転中に眠くなって、窓を開けたりタバコを吸ったり大変でしたが、何とか無事に家にたどり着きました。
明日は一日休んで、お彼岸には田舎の墓参りとお寺への挨拶のため、また静岡の田舎に行って来ます。ついでに秋撒き野菜の様子を見てくるつもりです。

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しんさんのよもやま話…ヨット編(14-21)

2014年09月20日 20時48分50秒 | 趣味

9月20日(土) 曇

雨が心配でしたが、なんとか一日曇で持ちました。今日はレイアクルーのM島さんがゲストを招待すると言うことで佐久島クルーズに出かけました。風がほとんど無風状態だったので機走、途中からジブだけ上げて機帆走。出航が30分ほど遅れましたが、11時半予定通り佐久島に着岸。昼食はいつも行列ができる「海」に席が空いていたので、6人でビールを飲みながら、刺身の盛り合わせ、焼きあさり、ゆでダコ、タコの唐揚げ、エビの塩ゆで、それにミックスフライ定食とよく食べました。まぁ今回はM島さんゲストなので、お任せですが・・・。
食べ終わったあとゲストさんたちはレンタルサイクルで島内巡りに出かけると言うことなので、僕はヨットのキャビンで昼寝をしながら待つことにしました。実は一昨日、昨日と飲み過ぎて、寝不足気味であまり調子が良くなかったので丁度良い按配でした。M島さんは釣りをしながら待っていたようです。一眠りしたあとあまり帰りが遅いので、どうしたかと聞けば、レンタルサイクル組の女の子が急な下り坂で転んで怪我をしてしまったようでした。M島さんに迎えに行かせ、こちらは船内の救急箱を取り出し応急手当の準備をして待っていました。顔中が擦り傷だらけになってしまいかわいそうでしたが、これもしかたないこと。消毒薬で傷を消毒してガーゼで傷跡を押さえキャビンで休んでもらうことに。それから佐久島からの帰港準備。だいぶ予定より遅れてしまったので、途中での釣りは中止。帆走も風向きを考え取りやめ機走で帰港。なんとか5時前に帰港し、一安心。まぁ顔の擦り傷はかわいそうでしたが、骨折とか大事にならなくてホッとしました。
アウトドアには怪我はつきものですが、初めての土地で地形も不案内な中で若い子達だけにまかせてしまったのはちょっと反省です。案内役を付けるべきだったと思いました。いつもの自分ならと思いながら、今週のハードスケジュールに耐えられなくなってきた体力の衰えを感じざるを得ませんでした。

明日はLeia馴染みのメンバーだけの釣りクルーズなのでなんとかなりそうです。

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しんさんのよもやま話…ゴルフ編(14-22)

2014年09月19日 18時45分36秒 | 趣味

9月19日(金)曇

昨日は元の会社の女性の誕生祝いの食事会。ちょっと飲み過ぎてたけど、今日のゴルフに備えて早めに帰ったはずが、自転車の鍵をなくしてフラフラしながら帰ったらもう0時でした。

それでも今朝は6時前に起き、ゴルフ場へ。今回は元の会社の部下たちに呼んでいただき、瑞浪の明世カントリークラブでの親睦ゴルフに行ってきました。もう会社とは縁の無くなった自分ではありますが、こうして声をかけてもらえるのはありがたいことです。あまり上手くもないゴルフだけどいろいろ気遣ってもらえるのもそろそろ最後かもしれない。

さてゴルフの方はと言うとやっぱり相変わらずです。ドライバーは悪くないのですが、アプローチやパットのミスで結局ダブルボギーペースになってしまいました。明世カントリーは初めてのコースでちょっとトリッキーなのとグリーンがすべて斜面になっているのでかなり苦戦しました。とにかくグリーンの奥に付けるとことごとく3パットでしたが、その中で自分としてはまぁ満足の行くゴルフでした。多分ドライバーだけはほとんどフェアウェイをキープできたからかもしれませんが。
スコアは前半54、後半55。2ndのOBが一つとアプローチの行ったり来たり以外は大叩きはありませんでしたが、パーが1つも取れなかったのでスコアはまとまりませんでした。ボギー6、ダボ7つ、トリプル3つと言う高値安定ゴルフでした。
まぁ今日は暑くもなく、寒くもなくゴルフをするには最高に良かったし、久しぶりに楽しいゴルフをさせてもらいました。みんなありがとう。

明日は天気が心配ですが、我がクルーM島さんが女性のゲストを連れてくるということなので、佐久島クルージングを予定しています。

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しんさんのよもやま話(田舎編4)

2014年09月17日 21時36分57秒 | Weblog

9月17日(水) 曇時々晴

今日は忙しい一日でした。一時間寝坊してしまい、あわてて母の朝食を作り、デイサービスに送り出す直前にシルバーセンタの人たちが車2台でやってきた上に、シルバーセンタの世話人をしている従兄弟まで様子を見に来てしまった。おかげで我が家の庭は車4台で満杯状態。デイサービスの送迎車は入れないので、母を下の家に連れて行き、そこで母を送り出した。家に戻ってお茶の剪定と土手の草刈りの段取りを済ませ、土手の下の家2軒に騒音に対する挨拶をした。枯れた松をどうするつもりかとかいろいろ注文をつけられたけど、対処するからと答える。今年の2月の大雪で何本か折れた木がそのままなのでもう一度シルバーに依頼したい旨を従兄弟に話す。ここで従兄弟は事務所に戻り、2人のシルバーさんが茶畑の草刈りと剪定を始めた。やっと落ち着いたので10時の休息時に出す茶菓子の準備をして、自分も畑に行き玉ねぎの植え付けを始めた。
10時過ぎに休憩してもらい、自分もいっしょに休息。昨年より速いペースで進捗しているので一安心。玉ねぎの植え付けが終わったのが11時半。すぐに家に戻って今度は昼食に出す果物を準備して、昼食にしてもらう。昼には茶畑はすっかり茶畑らしくなりました。



そして白菜の植え付け横に玉ねぎも無事植え付け完了。



写真の編集ができず、ちょっと暗くなってしまいました。右の黒マルチの丸い穴に玉ねぎの種を植付けたのですが・・・。
とにかくシルバーさんの昼食の世話をしながら、自分もスパゲッテイを作って食べた。
昼食時に枯れた松や庭木の話をすると、元植木職人だった一人のシルバーさんが午後やってくれることになった。枯れた大きな松を切るのは結構大変でしたが、手際よく根っこから切ってもらいました。実は土手に植わっていた松なので足場が悪く、しかも10mぐらいの高さのためどうするのかと思ったら、松の木に登り、上の枝から順番に切りながら、下の家に落ちないように上の段に落とすので僕がそれを受け畑の隅に持っていくことで1時間ほどで無事完了。その後は枯れていない松の剪定を実際にやりながら教えていただいた。なるほど本に書いてあっただけでは実際にどんなところで、どの程度切れば良いのかわからなかったことがすごくよくわかった。



これもちょっと暗い画像になってしまいましたが、松の枝ぶりはわかると思います。
その後もカエデの剪定も実際にやりながら教えていただきました。他にも気になる植木ばかりだと言われてしまいましたが、既に午後3時を回っていたので本日の作業は終了していただきました。まだ切らなければならない木がいくつかあるので再度お願いすることにした。

後片付けをしている内に母がデイサービスから帰ってきたので、夕食の準備をした。今日はチキンライスと味噌汁に昨晩食べた残りのおかずで済ませた。一日こんなことをしているとかなり疲れる。
明日はまた名古屋に戻って、夕食会に行く予定です。

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