”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2008年11月30日 23時23分18秒 | Weblog

11月30日(日)晴時々曇
今日は何年ぶりかで家内と第九のコンサートに行き、夜は居酒屋で食事をしてきました。ベートーベンの第九は去年初めて
一人で聴いたのですが、合唱の迫力は感動物でした。指揮者の違いを今回すごく感じたのですが、僕が2回目で慣れたのかよくわかりません。去年はコバケンの指揮ですごく迫力のある演奏だったような記憶が強かったのですが、今回の堀俊輔の指揮ではソフトな感じの演奏だったように思いました。と言っても最後の合唱の部分は力強い迫力でした。400人もの合唱なのでオーケストラの迫力と負けず劣らずの声で最高でした。人間の声も楽器になると言う感じです。今回の機会を作っていただいた同期のWa氏もテノールとして出ていましたが中々かっこよかったですよ。運動はまったくダメそうな彼ですが音楽では去年もバックで合唱をしていたし、大したものです。この市民の第九の合唱は名古屋市民から公募して、6月から毎週25回も練習してきたのだそうです。指揮に合わせてオーケストラの演奏と同じように乱れることなく大きな歌声が出て来ると2倍の以上の迫力となって我々聴衆には響いてくるようです。
最初の第一楽章、第二楽章ではうっとりと寝てしまった部分もあって家内から2回ほど肩を揺すられて起こされましたが合唱の部分ではまったく眠気もさめてしまいました。僕のような音楽的センスのない人間でもベートーベンの第九は聴く事ができるすばらしい交響曲だと思います。
家内は氷川きよしさんのファンなので毎月あっちこっちのコンサートに行っているのでオペラグラスとか準備万端ですが、クラッシクのコンサートは初めてで周りが静かに聴いているのですごく疲れたと言ってましたが僕がいびきをかいたそうでさかんにみっともないと怒ってばかりでだったかもしれません。ともあれ年に1回ぐらいは文化の香りに触れるのはいいことです。
まったく生産性のないものですが人間と言う動物が他の動物とまったく違った存在の証明のようなものです。人間として生きていくと言うことは本来の営みと無駄な行動のバランスが必要じゃないでしょうか。まぁヨットもゴルフも同じだけど、そうすると僕はちょっと無駄ばかりかな。
でも長い人生でみれば仕事ばかりの時もあったのだから、時間軸上ではバランスがとれていると思います。
今日はいいコンサートでした。それではまた。

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しんさんのよもやま話

2008年11月27日 22時06分39秒 | Weblog
11月27日(木)曇
このところ日替わりで晴れたり曇ったり雨だったりでなかなかすっきりした天気にはなりません。僕の方も今月はあっちこっちに行ってバテ気味です。昔は疲れを知らなかったはずでしたがやっぱり年相応になっているのでしょう。今月はいろいろな旧交を温める機会が多くてよかったけど自分の歴史も感ぜざるを得ませんでした。学生時代のヨット仲間とのクルージングに始まって、15年以上前の東京でいっしょに仕事をした仲間との北陸への旅行、東海での昔の職場における同じ専門技術の仲間での懇親会、20年前の職場の上司を囲んでのゴルフ、そして先週の高校時代の同窓会とこの一ヶ月にすべて集中していたのでバテるのも当たり前かもしれません。
それでもまだ一つ残っていて今週の土曜日は会社のOBとの昼食会があります。あまり存じ上げない方達ばかりだと思うけど折角のお誘いなので参加することにしました。いろいろ昔話に花を咲かせている時は楽しいものですが、ふと一人になってみるとなんとなくさびしいものです。もうすぐ日々の葛藤の中ですべてを来年までまた忘れてしまうことになるのでしょう。
ところで今日、同期のW氏から第九の演奏会のチケットをいただきました。彼は合唱をしていてバックコーラスで出演するようです。ほとんど家を出て遊んでばかりだったので、たまには家内といっしょに行ってこようと思います。あまり仲が良いとはいえないですが最後にそばにいてくれるのは彼女ぐらいかもしれないですものね。もっとも去年も彼にいただいたのでいっしょに行く予定だったのですが、直前にケンカして一人で聴きにいったから当日までどうなるかわかりません。ただ去年一人ででしたが第九を聴いてすごく感動したのを覚えています。初めて生のクラシックの演奏を聴いたからかもしれませんがレコードやCDで聴くのとは迫力がまったく違います。
なんだかんだ言ってまだまだ行事がいっぱい。こんなことが一切なくなってしまったら自分はどうしているだろうかと考えると恐くなってきます。遊べるうちが花かもしれません。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年11月23日 23時05分17秒 | Weblog
11月23日(日)晴
昨日から1泊2日で高校時代の同窓会が行われ、伊豆高原に行って来ました。今回は東京在住の三人が幹事となり伊豆高原の墨田区保養所になったのですが、なかなか良い所でした。閑静な別荘地の中にあって多分夏は大勢の人で賑わうのでしょうが、晩秋のこの時期は比較的落ち着いた雰囲気でいいタイミングだったと思います。
伊豆はやはり東京からの観光スポットとして交通の便が図られているようです。名古屋から新幹線で熱海で降りて踊り子号に乗り換える予定でしたが列車の指定席はいったん改札を抜けて買わないと買えないし、自由席があるから列車内で特急券を買えますよと駅員さんに言われたのですが自由席は東京方面からのお客様で満席でした。熱海から乗った人はほとんど座れない状態で、僕も一度は車内に入ったもののずっと立ったままで特急券を買うのもバカらしいと降りてしまいました。隣のホームの鈍行列車に移ったけどこちらも満員で結局、伊東まで海側のドアに立って景色をながめながらの旅をしてきました。秋の日差しを浴びた相模湾はなぜかすごくきれいでした。いつも見ている三河湾が汚すぎるのかもしれません。伊東を過ぎると伊豆急行の路線に入るのですがここからの単線区間は旅に来た感じがします。そして何より驚いたのは伊豆大島がすぐ近くに見えることです。関東のヨット仲間が大島や式根島などにクルージングに行くのがよくわかります。丁度三河湾のマリーナから神島に行くくらいの距離に大島が見えるのですからいいですよね。利島、式根島、神津島、三宅島までクルージングで行ってみたいスポットがいっぱいあるからやっぱり関東にいっぱいマリーナがあるのがよくわかります。
写真は今日、大室山に登って伊豆大島を撮影してみました。肉眼で見るとはっきり見えるのですがなぜか写真にするとモヤがかかったようにしか撮れません。今回だけでなくいつも船から島を撮影すると肉眼で見た感じより霞んで見えるのは不思議です。
ところで肝心の同窓会ですが今回も非日常的な楽しい一時でした。高校の同窓会はずっと昔からみんな楽しくやっていたようですが、僕は2,3年前ぐらいから仲間に入れてもらったようなものですが、こんなに楽しければもっと昔から来ていればと思わない訳でもありません。高校の同窓会のいいところはいつもみんな仕事も政治も離れて童心に帰ってバカ騒ぎができることかもしれません。今回はゴルフができませんでしたがトンボ玉ガラス工芸を作ったり、大室山にロープェイで登ったり、城ヶ崎海岸を歩き回ったり、あの若かった高校時代そのままの遊びに夢中になれたことがよかったのかもしれません。最近僕が中学の同窓会にあまり行かなくなっているのは同級生議員の選挙がらみでやられるのがギラギラしてしまうと素直に楽しめなくなってしまいます。決して彼が良いとか悪いとかではなく、同窓会の良い所は打算も上下もない素直な気持ちで旧交を温められることにあると思う。そういう点で35ホームルームの皆は大したものです。今回の幹事のN島君・M子君・K藤君にしても、前回幹事のゆみちゃん、のりちゃんにしても、次回幹事のI川君・O田君・かずちゃん、ひろみちゃんにしても、いつも酔っ払って場を盛り上げる福ちゃんにしても楽しい人たちです。コミュニケーション不得意でヨットバカの僕をも楽しませていただき感謝しています。今迄転勤と仕事にかまけて出無精していましたが、これからは機会があればどこでも行くようにしたいものです。
まぁ明日からはまた現実の世界で、昨日までの話は忘れてしまうかもしれませんがそれでいいのでしょう。
それにしても年をとったせいでしょうか疲れました。今日はこのへんで。
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しんさんのよもやま話

2008年11月18日 21時09分59秒 | Weblog
11月18日(火)曇時々晴
いよいよ寒くなってきました。朝はまだともかく、夕方はすごく寒かったですよ。冷たい風の中を自転車で帰ってきましたが、手は冷たくなるし背広の胸から入ってくる風も寒くてもうコートが必要かもしれません。岐阜の荘川では雪が降っているそうです。去年より1ヶ月早い雪だそうです。12月になってからコートを着ようと思っていたけどもっと早くなりそうです。
明日は静岡に出張なのでコートを出すべきか迷ってます。静岡は名古屋よりだいぶ暖かいのですが夜帰って来る時は多分寒いでしょう。でも暖かいとコート忘れるんですよね。昔品川でコートを脱いで忘れて名古屋まで来てから気が付いて大変な思いをしたことがあります。その時は運よく拾得されていて無事戻ってきましたが、いろいろめんどうなことが多いですよ。
こんなに寒くなって来ると僕のダイエットウォーキングもどうなることやら。とりあえず今日歩数計を購入しました。せめて通常の歩数より2000歩以上多く歩くことを現在の目標にしています。どうも通常より1000歩以上歩くことを1ヶ月以上続ければ中性脂肪もコレステロールも必ず改善されるそうです。(医師がすすめるウォーキング:泉 嗣彦著 集英社新書)まだ検査していませんが10月ぐらいからちょっと食べ過ぎたと思われる日には夜ウォーキングをするようにしています。歩数計がいままでなかったので数えながら歩いて家の近所ならどこまで何歩かほとんど把握してしまいました。多分数値が改善されているはずです。ちなみに体重は若干落ちています。ここ一週間は増えもせず、減りもしない状態が続いていますが10月のように飲んで食べて帰った翌日に体重が跳ね上がるようなことはありません。1回上がると元に戻るのに一週間かかってしまいます。毎週1回は飲む機会があったので現状維持がやっとでしたが、今月は北陸の温泉でも朝晩歩いていたので増えることはありませんでした。もっとも最近夜が寒いので歩いてないのですが増えることもなくいいせんいってます。今日はこれから少し歩いて見て明日の朝の体重が減っていればダイエットの道も開けそうです。
ここのところゴルフの練習も止めてしまったし、歩かなければまた体重が元に戻ってしまいそうです。僕の場合は大抵冬に増えてしまうので、これからが正念場です。今年の正月から現在2~3Kgぐらい減っているのでもう3Kgぐらい減らしておかないと忘年会シーズンできっと逆戻りしそうなのでこれから2,3週間頑張らないとですね。
若い頃はスタイルも気になるでしょうけど年をとってくると気にならなくなってくるのはどうしたものでしょうかね。女性が大阪のおばちゃんになっていくのと同じかもしれませんね。
何の話やらですが今週末は高校の同窓会で伊豆高原に行きます。きょうN君から連絡があって翌日なんとか山に行くようだからいっしょさせてもらうことにしました。天気がよければきっと気持ちいいはずです。でも40年も昔の仲間が顔を合わせても誰だかわかると言うのは不思議なものですね。多分すごく変わっているはずなのにわかるんだから。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-28)

2008年11月16日 14時17分12秒 | 趣味
11月16日(日)雨のち曇
今日、船舶免許の更新講習に行って来ました。前回(5年前)は更新に併せて一級小型船舶免許の試験を受けて昇級したので更新講習は受けてませんでした。10年の間に法律もずいぶん変わっていたのですよ。5年前は航海(海図の見方ができればOK)と機関(ディーゼルエンジンのしくみがわかればOK)の試験に通ればあとは免除だったので法律のことはあまり考えることもなかったので10年前と同じだと思っていたのですがずいぶん変わってしまいました。まづ従来の4級小型船舶免許は2級小型船舶になったこと(これは知っていました)僕の5年前に取得した一級(5t限定)も限定が取れて今回純粋の一級免許になります。もっとも僕のヨットは5t未満なのでどっちでもいいのですが20t未満の小型船舶なら沿岸から5海里以上はなれたどこにでも行ける事になります。
今回の講習で一番驚いたのは自動車の運転免許と同じように違反の点数によって罰則があることや従来免許保持者が同乗していれば誰でも操縦可能だったものが港湾や航路では免許者の自己操縦が義務づけられた点、飲酒操縦の禁止及び一人で乗る時や12才未満の子供の救命胴衣の着用義務などが新しい法律で定められているようです。昔はおおらかにやっていられましたが、最近はプレジャーボートも多くなり海難事故も多発している現状からみれば当たり前のことかもしれませんがずっと昔からやっている人間にとっては厳しくなったとの実感があります。もっとも今迄飲酒操縦以外はほとんど遵守してきたことなのであまり気にすることでもありませんが、飲酒操縦については船には関係ないと言っていた自分がはずかしくなってしまいました。知ってしまった以上これからは注意します。ただ自動車の交通法規が厳しくなったため昔に比べたらほとんど船の上でも飲めなくなっています。なぜなら船を降りて家に帰る時、車に乗るので宿泊する時以外はほとんど飲めなくなってしまったからです。
統計データによるとモーターボートの事故が圧倒的に多いようです。ヨットはそんなにスピードが出るわけではないのでモーターボートの1/10ぐらいです。別に悪口を言う訳ではありませんがモーターボートを運転する人達にはもう少し気配りがほしいと思います。三河湾でも帆走中にモーターボートとすれ違ったり、追い抜かれたりしますがすぐ近くを通過されると大きな引き波が発生しもろに波を被ってしまうことがよくあります。ヨットにはキールが付いているので沈することはありませんが波を被ってびっしょりになることもあります。遅い船に気配りしてほしいですね。動力船は帆船を避ける義務があるのですから。
まぁ無事講習も終わり一週間後には新しい免許証が交付されます。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年11月15日 22時35分43秒 | Weblog

11月15日(土)曇時々雨
今日は久しぶりにまったりした一日でした。ほとんど毎週ヨットや旅行で出かけていましたから、何も予定のない一日と言うのはちょっと拍子抜け的感覚です。
このところ北陸に旅行に行ったあと東京に出張したりでちょっと疲れていたせいか風邪気味なのでちょうどよい休みになりました。暇にまかせてホームページも更新しました。今回の北陸和倉・芦原の旅の写真や夏の海の日クルージング答志島の記念写真も写真集にアップしました。僕のホームページもリニューアルしなきゃならないくらい一杯になっているのですがOCNの作成ツールを使った無料サイトなので5ページしか作れません。そのためずいぶん見難くなってしまったと思いますがよかったら見てやってください。
Leiaのホームページは
 http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/   です。

さて明日は船舶免許の更新講習会に行かなくてはなりませんが多分午前中には終ると思います。
これからヨットはシーズンオフなので体のケアを考えて日帰り温泉めぐりでもしようかなと思います。
それではまた。

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しんさんのよもやま話・・・日本の原風景(最終回)

2008年11月13日 22時58分08秒 | 趣味
11月13日(木)晴
今日は東京も名古屋も久しぶりにいい天気でした。昨日から東京出張で今日昼過ぎに戻ってきました。久しぶりに暖かな天気で夜にはまん丸なお月様でうさぎが見えました。今は11月ですから世の中では霜月(しもつき)と言ってますが僕は今の時期が古代では神無月(かんなづき)と言ったのではないかと思っています。神無月は神様が出雲に出払って神様が不在の月と言われていますがこれも後からの解釈で本当は神嘗月(かんなめづき)と呼ばれていたのではないかと思っています。神嘗祭は五穀豊穣を神様に感謝し、神様と人間が共に祝うお祭りだったようです。

実は日本の原風景の中で僕が言いたかったことは日本人の原点にあるものを小説風に描いてみようと思って書き出したのですがあまりにも僕の知識の乏しさに愕然とし、今日で終わりにしようと思いました。そこで今日の最終回は言いたかった要点だけを書いてこの話は終わりにします。

日本列島が大陸から切り離され東の孤島になったのは恐竜時代の末期だと考え、それからこの島に文明と言うものが生まれるまでに何が起こったのかを想像してみました。この島が極東の孤島でいられたのは航海技術がまだ生まれていなかったことと火山活動、地震、台風等の過酷な自然が外部からの人間の侵入を防いでいたのでしょう。ただまったく外部から人が現れなかったかと言うとそうではありません。漂流者が何人か毎年あったと思われます。ただほとんどの漂流者は生きながらえることはできませんでした。たまたまある一族によって助けられた人が大陸からの文化を伝えたことにより飛躍的発展をとげていき邪馬台国のような国家が形成されたのではないかと考えるようになりました。それまで島の原住民の生活はまさに自然との共生そのものだったと思います。そして梅の花のつぼみの膨らむ頃の新月を年の初めとして、次の新月までが一ヶ月として暦らしきものがあったにすぎませんでした。そして月の呼び名も自然との係わりの中から生まれた言葉で表していたと思われます。2月の如月(きさらぎ)は現在の3月にあたり、寒の戻りで脱いだ服をもう一度着ることから衣更着(いさらぎ)と言っていたのが漢字が中国から伝わって中国読みの漢字をあてはめたものだと思います。同じように三月の弥生(やよい)は今の四月で”くさきいやよいづき”草木が生い茂る月とでもいっていたのでしょう。卯月は空木(うつぎ)の花が咲く月、皐月(さつき)はサ(稲のこと)を植える月、水無月(みなづき)は田に水を張る月、文月(ふづき)は穂含月(ほふみづき)と言ってサ(稲のこと)の穂がふくらみ始める月、葉月は今の9月で葉落ち月(はおちづき)と言って木々の葉が落ち始める月、長月(ながつき)は夜長月、そして神嘗月、そのあとが霜月(しもつき)で今の12月のことを言っていたと思います。もっとも新月を基準にして次の新月までが一ヶ月ですから実際には29日か30日の周期で一月がきますから少しずれていたことでしょう。そして霜月が終ると次の師走は歳果てる月と言って次の梅のころまで1ヶ月の時もあれば2ヶ月の時もあって、次の年が始まるまではじっと我慢するようないいかげんな暦しかもっていなかったと思います。大陸からの漂流者が入ってくることによって徐々に正確な暦が形成されていったのでしょう。そんなわけで月の満ち欠けには日本古来の名前が付けられていました。新月は月の始まりで朔日(ついたち)と言い、朔(さく)となる日を言います。(朔とは新月と言う意味です。新月はNewMoonの訳で後世言われるようになった言い方です。三日月、弓張月、待宵月(まつよいづき)、十五夜、十六夜(いざよい)はいさよう月の意味で日没後少し遅れてでてくる月の意味、立待月、居待月、寝待月、更待月、そして新月直前の月を晦日月(みそかづき)と言っていました。おおみそかなどは現在も残っている言い方ですよね。
この島の住民は元々自然との共生が生活の中心でしたから自然の観察は非常に細かく繊細なため月だけでなく植物の色についても細かく区別されていました。緑や青についても自然との対比によってすべて違う名前をつけて呼んでいたのです。ここでは詳細を省きますが日本人のDNAにはそう言った繊細な感覚が植えつけられていると僕は考えています。また基本的に肉を食べる習慣はなく植物と魚貝が食糧だったため武器の発達が大陸に比べ非常に遅れていたと思われます。青銅器のような武器は漂流者によってもたらされ、鉱物や金銀の採掘も彼らによって知ることになるのです。
前回までのナギとナオの話は彼女達が漂流者の若者といっしょに暮らすようになって大陸の文化を取り込んだ新しい文明と古来の島の伝統的知識の融合により倭人の原型ができあがったと僕は考えています。その子孫が邪馬台国となり、大和朝廷となっていったと勝手に想像してみました。

これでこの話は終わりにさせてもらいます。最近日本人として古来起こり得ないような悪質な事件が頻繁に発生しています。どうしてそうなったのかよくわかりませんが一つにこの国の伝統や古来からの知恵が失われている気がしてなりません。そのため日本人としての誇りや独立心がないことにも起因しているのではないかと思います。そこで若い人達にもっとこの国の成り立ちや伝統を知って日本人のアイデンティティを持ってほしいと思い、我々の原点を探ってみる気になったのです。そして原点を探っていく中で我々の本来あるべき姿を現せたらいいなと思っていたのですが少々自分には荷が重過ぎました。やっぱり大そうなことを考えずにヨットバカでいるしかなさそうだとなったのでした。

ここまで読んでいただき大変ありがとうございます。少しだけでも僕の思いを御理解いただけたら幸いです。今週末は一級小型船舶免許の更新講習会があります。
それではまた週末にでも。
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しんさんのよもやま話

2008年11月09日 18時33分29秒 | Weblog
11月9日(日)曇
11月7日から11月9日までの北陸温泉めぐりの旅続編です。
昨日は芦原温泉で一泊しました。夜は一人1匹のカニが付きましたが、残念ながら冷凍物でした。なんでも少し前から今年のカニ漁が解禁になったそうで新鮮な獲れたてのカニが食べられると思ったのですがとてもこの宿代では食べられませんとあっさり仲居さん言われてしまいました。それでも豪勢に舟盛りがあったり鍋があったり満腹になってしまいました。体重の増加だけが気がかりです。9月以降減量のためにウォーキングしたりいろいろやってきたことがすべてパーになったかもしれません。一応夜寝る前に芦原温泉の街を歩きました。もっとも何にもないところで昔の温泉街とは違い街を歩く人もまったく見かけませんでした。
今日は朝早くに起きて体重を落すために鳥取のG氏、茨城のO氏と三人で一時間近く街の中をうろついてきました。それから朝食をとって東尋坊、永平寺を見て米原まで戻ってきました。
東尋坊も昔来て感じていたイメージより若干小ぶりな感じです。そんなにすごい断崖、絶壁ではないような気がしました。サスペンスドラマに出て来るイメージがいつの間にか強くなっていたのかもしれません。
そのあと道元禅師で有名な曹洞宗の大本山、永平寺を30年ぶりに見てきました。昔より見学者にとっては歩きやすく整備されている分、禅寺の厳しさは感じませんでしたが、こんな山奥の斜面に開かれた七堂伽藍の壮大さには驚嘆せざるを得ません。また紅葉の美しさも格別です。写真は山門の横にあった真っ赤に紅葉したもみじです。寺院内に植えられたもみじは皆きれいでしたがこの写真のもみじは格別でした。
たっぷり2時間かけてみて回ったあと永平寺蕎麦を食べてきました。いつもこのメンバーでの旅行では最後の食事で失敗の選択が多いのですが今回は正直おいしかったです。永平寺の土産物屋から少しはずれた蕎麦だけの店を選択したのがよかったのかもしれません。土産物屋に併設された蕎麦屋や誇大妄想的な美辞麗句を並べた蕎麦屋は避けて、福井ナンバーの車が入っていった素朴な蕎麦屋がやっぱり一番なんでしょうね。最近嘘ばっかりの食品が多いので、むしろ質素で正直そうな店が信頼を得やすいかもしれません。美辞麗句より腕だけで商売してほしいですけど一元さんばかりの観光地ではそうもいかないのかもしれません。
永平寺を後に北陸道を通って米原に午後3時に着き、一年後の再会を期しそれぞれ地に散って行きました。通称インロートラベルと僕らは呼んでいますが、第1回に水戸黄門様の西山荘を訪ねたことと茨城のO氏が毎年企画を考えてくれるのでそう呼んでいます。来年はどこになるのかわかりませんが、またみんなが元気に集まれればいいと思う旅行でした。
今年は止めようかと思ったけど昔なつかしい戦友たちの顔を見たさに参加してよかったと思います。当時最年少だったF君、N君も今は某社の課長さんとなり忙しいとは思うけど都合をつけて参加してくれるのはうれしいものです。彼らも会社に戻れば事業の責任者として指図する立場なのに、このインロートラベルだけはいつも最年少で我々に指図されているのは気の毒だと思いながら感謝するだけです。
ちょっぴり過去の感傷に浸った週末でした。明日はゆっくり休ませてもらいまた自分も自分のできる精一杯で生きていくだけです。永平寺の壁に「人生に定年はない。・・・」との言葉がありました。生きている限りが修業です。人としての道を磨き続けられるよう頑張って行きたいと思う一日でした。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2008年11月08日 17時23分34秒 | Weblog
11月8日(土)
今日は11月9日(日)ですが7日から2泊3日で北陸の和倉温泉、福井の芦原温泉に行ってきました。7日に米原で今回のメンバー達と合流して一路金沢・七尾・和倉に行き一泊しました。今回のメンバーはもう15年ほど前に東京のITベンチャー企業に出向していた仲間達で、毎年一回昔話に花を咲かせる旅行をしています。年齢も出身地もまったく違う仲間ですがその昔東京と言う都会で共に苦労した戦友とも言える仲間達です。最近は年金生活に入った2人は来なくなってしまい、仕事の都合で来れなかった1人を除いた5人が集まりました。鳥取、大阪、静岡、茨城と僕の名古屋から5人が参加しました。米原から一番若い大阪のF君の車に乗り込み、和倉温泉で海を眺めながらゆっくり露天風呂に浸かりました。
翌8日は能登半島一周の旅です。恋路が浜を通り、珠洲市から能登最北端の灯台、塩田村、千枚田を見ながら輪島に入って昼食は海鮮丼を食べ、輪島塗の土産を買い、加賀百万石の前田利家の奥様であるまつ様ゆかりの総持寺を見学したあと一路福井芦原温泉に向かいました。
千枚田はもっと広い棚田だとばかり思ってましたが、ほんとうに小さな棚田が海に面した斜面に造られているのにはびっくりと言うか拍子抜けの感がありました。写真はその棚田です。写真で見るともっと広そうに見えるのが不思議です。僕らの既成観念の中に田んぼの大きさがある程度インプットされているから多分知らないと勘違いするのかもしれません。そういう意味で事実を確認しておくことは大事なのかもしれませんね。
輪島の朝市通りで海鮮丼を食べましたが値段のわりには今一でした。輪島塗の稲忠さんで同じ塗物でもどうして違いが大きいのかいっぱい説明していただきましたが、やっぱり買うのは中の下ぐらいまでです。我が家の家族分の箸とケーキ用のフォークを購入して終わりにしました。
塩田村で100g450円の塩を購入しました。ちょっと高いですがアジの一夜干しなんか造る時に最適かもしれません。もうアジを釣る機会はなさそうですが来年まで残っていれば使ってみたいものです。
今回は写真を載せるためにあえて2回にわけてブログに掲載しています。従って書いているのは今日9日の午後5時すぎ家に帰って来てからです。ブログの掲載時刻は修正したものです。今回だけは時刻を変えたこと悪しからず御了承願います。
9日分に続編です。両方ご覧下さい。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(08-27)

2008年11月03日 17時06分07秒 | 趣味

11月3日(月・祝)曇
昨日から佐久島にクルージングに行ってきました。11月2日(日)はゆっくりマリーナを出港して、途中でいっぱい釣り船が出ていたので船を止めて初挑戦の女性ゲスト二人にサビキ釣りをしてもらいました。過去の経験から多分釣れないだろうとエンジンのエアー抜きなどをしていたところNaさんが大きな声でかかった、かかったと叫びだしました。みんな冗談半分に聞いていたのですが、なんとアジが釣れてました。そのあともう一人のMiさんまでアジが釣れて初挑戦の二人が釣れたことになりました。そのあと代わった僕までアジをゲットしてしまいました。まだやっていればもっと釣れたでしょうが昼食を食べたり民宿に言っていた時間に間に合わせるため釣りを切り上げ佐久島に向かいました。佐久島の東港にはヨットがいっぱい停泊していて停泊場所がとれませんでした。とりあえず一番風上の停泊できそうな場所に付けようとしましたがアンカーを打つ場所を風上に打たなかったためうまく接舷できずに再度やり直しをしているとちょうど一杯が出港し始めたので急遽船を沖に出して出港していくヨットをやり過ごしそのあとに停泊することができました。
とりあえず荷物を民宿に運び、ヨットに戻って軽く食事をとったのは午後3時すぎでした。それでも晩には河豚のフルコースなのでみんなあまり食べようとしません。それから夕方まで岸壁で磯釣りを楽しみました。ハゼやあいなめやメバルなど小型ですが良く釣れました。二人の女性ゲストNaさんとMiさんとO医師とTeさん全員が何らかを釣りみんな満足そうでした。YoさんとYo.jrと僕の三人は釣れた魚をイケスに入れたりエサを運んだり大忙しでした。
民宿に戻ると夕食までに風呂をあびて、河豚のフルコースです。まず造りが大皿に2枚に出てきて、そのあと河豚のから揚げ、ひれ酒、途中で海老の塩焼きやマメ鯛の煮付け、タコの塩茹で、カニを食べてもうおなか一杯です。最後に河豚の鍋を食べて残りのだし汁で雑炊です。僕達おじん組はちゃわん2杯でギブアップでしたが若いYo.jrとNaさんは倍以上食べて2つの鍋の雑炊完食でした。部屋に戻って焼酎を飲みながらしばし歓談して22時すぎにはみんな寝ました。
翌朝は5時半に起きて僕とTeさんは朝釣りに出かけました。Te氏は東の岬の堤防に、僕は中央部の海釣り公園にそれぞれ別行動で出かけて行きました。海釣り公園には先客が3人ほどいましたが僕は風下側の一番端の桟橋でアジ狙いのサビキ釣りを始めたのですが、しばらくすると強烈な引きがあって一体何が釣れたのかさっぱりわからずにとにかく折れそうにしなる釣竿で水面近くまで来るとものすごい力でもぐってしまい、3回目ぐらいにやっと水面からあがり、桟橋の上まであげたところでハリスが切れてしまいました。桟橋の上に落ちた魚はものすごい勢いでバタバタしていました。僕は何の魚かもわからず、とにかくTeさんに携帯電話をかけたのですが出てもらえず、クーラーも持っていなかったのでゴミ袋を拾ってその中に釣れた魚を入れて急いで民宿に戻りました。民宿で何の魚か訪ねるとアイゴと言うそうでいきなり背びれを持たなかったかと聞かれました。何でも背びれに強烈な毒があってさされたらものすごく痛い魚だそうです。幸い僕は釣り針をはずす手間も省け、そのままゴミ袋に入れたため何ともありませんでしたが、少し間違えば大変なことになっていたようです。民宿の主人に毒のある背びれを取ってもらい、ついでにはらわたも抜いてもらいました。刺身か煮て食べるとおいしいと言われMiさんに持って帰ってもらいましたが果たしてどうだったのでしょうか?写真は民宿で背びれとはらわたを取ったあとのアイゴです。隣にタバコを置いたのでその大きさがわかると思います。それにしてもアジ釣り用のサビキ針でよくあがったものだと自分でも感心しました。
午前10時すぎに佐久島を出港し12時半に無事マリーナに戻ってきました。
今回は佐久島の民宿”さざなみ”さんにお世話になりました。河豚コース付きは一泊二食で12000円と少々高めですが大きな茹蛸も付いてボリューム満点、めったに食べられない贅沢三昧なクルージングでした。11月なのでもうヨットのシーズンは終わりですが、この時期しか食べられない河豚で締め括れたのは最高でした。今回参加の7名のみなさんお疲れ様でした。
これから来年の春まではほとんど整備が中心となります。それでも月に1回はマリーナに通いながら話題を提供します。
ではまた。

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