不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年04月29日 23時20分19秒 | Weblog
4月29日曇り時々晴れ
今日は天長節です。戦前には四大節と呼ばれ、1月1日の四方拝、2月11日の紀元節、4月29日の天長節、11月3日の明治節のことを言うそうです。今の時代は天皇崇拝などと言ったら国際的な大問題になってしまうので、1月1日は元旦、2月11日は建国記念日、4月29日はみどりの日、11月3日は文化の日と言う様になったようです。多分昭和の初期に言われていた言い方でしょうから、平成天皇の時代にはどうなるのかなぁと思った次第です。四大節は天皇の生誕を祝う祝日ですから時代と共に変わるはずですよね。ちなみに2月11日は神武天皇即位の旧暦1月1日を太陽暦に換算した日、4月29日は昭和天皇の誕生日、11月3日は明治天皇の誕生日だそうです。今はあまりそんなことを気にすることもありませんが、僕が子供の頃、祖父や父は床の間に天皇の肖像画とか貼ってあったように記憶しています。それがどこの家にいってもたいがいあったのですから、変な時代だったかもしれません。ただ昨日まで話していた精神的バックボーンは良い悪いは別としてしっかりしていたのかもしれません。
今日は番外的に書いてみました。ではまた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(59)

2006年04月28日 23時47分40秒 | ビジネス
4月28日(金)晴れ
今日はギブスなしの一日でしたが、いままでの支えがとれたので肩の重みが骨折した鎖骨にかなり負担がかかるため、あまり快適ではありませんでした。むしろほんとによくなるのか心配になってしまいます。明日からGWなので今年はゆっくり静養し、連休あけには元の自分に戻っていればいいなと思います。
ところで昨日、日本人の精神的バックボーンが失われつつある話をしましたが、人間と言う動物は一人で生き抜くほど強い動物ではありません。家族・友人・と言った集団でお互いに支えあって現在の繁栄を築いてきました。これらの集団を守るために共通の神・哲学・言葉が必要だったのだと思います。ところが集団のまとまりを維持するための哲学がないと言うことは、過去の歴史においては、その集団の滅亡を意味していました。そう言う意味で、我々一人ひとりの喜怒哀楽に対する共通の判断基準となる考え方(宗教・哲学)を今一度構築する必要があります。
あまりにも豊かになりすぎて、国がまずしかった頃の勤勉さ・素直さを忘れてしまったのかもしれません。確かに今の世の中はお金さえあれば、何でもできると思っている人が多いかもしれませんが一度災害とか戦争とか起こるとお金は何の役にも立ちません。食べ物を自分で作り、家畜を自分で飼い、原材料から料理すると言った生きていくための最低限の知識と実践を誰が教えていくのでしょうか?最近僕は子供達に農業・漁業・料理と言った基本的な生きるための技を伝えることが一番大事なような気がしています。このような共同作業を通して共通の精神的バックボーンが生まれてくるのだと思っています。僕は32年間サラリーマンとして便利な機械やコンピュータに携わってきたけど、趣味としてヨットや登山など自然を相手にしてきたことが、多分生きていく基本的な素養を身につけるのに役立っているような気がしています。そして我々ロートル世代はみな基本素養の何らかのことができます。そして我々世代が子供達に伝えていくしくみが作れたらいいなと思います。過疎の村には教育の実践的な現場となりうる山や田んぼが荒れ放題になっているのですから、もったいないことです。
今の若い人達は誰もコンピュータのことは勉強したいけどサバイバルな生き方の素養を勉強したいと言うひとは多分いないでしょう。教えられる人はだんだん高齢化しているけどまだ間に合います。現代企業の技術を学ぶ前に是非サバイバル基本素養を養う機会を作ってほしいものです。これから年寄りが多くなりますが、年寄りが子供に教える機会が増えればきっと年金・介護の問題も解決していくような気がします。僕もこれから仕事の傍らでこんなことを教える機会があれば楽しいなと思っています。
変な話になったけど、今日は終わりにします。おやすみなさい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(58)

2006年04月27日 20時23分06秒 | ビジネス
4月27日(木)曇りのち晴れ
今日は朝はちょっと肌寒く雨が降りそうな天気でしたが、午後は急に暖かくなりましたね。夕方医者に行ってやっと原則ギブスをはずしても良いことになりました。ここ2週間原則ギブス着用から、原則はずしても良いですからほっとしています。でも完治ではないようです。リハビリしながら2週間後にもう一度レントゲンで確認して、やっと長かった骨折生活から脱却できるようです。でももう二度と骨折はしたくないものです。このつらさはやったものしか絶対にわからないと思います。多分やったことない人は頭の中で理解していてもその行動が実感としてわからないでしょう。まさに前回の朱子学と陽明学ではないですが、僕は知行合一の陽明学を実践したことになります。こんなことで実践してもしょうがないですけど。
ところで今日は日本の歴史における精神的バックボーンを考えてみたいと思います。日本に大和朝廷ができて、その背景となる哲学は八百万の神々を祀り、祈祷と伝説を規範としていたと言えます。それが聖徳太子の時代に仏教が伝来し神道と仏教の融和思想ができ、後の奈良時代・平安時代は他力本願の仏教が、鎌倉時代は仏教でも自力本願の禅宗が政治的背景となります。鎌倉末期に後醍醐天皇による王政復古の南北朝はその背景に儒学(朱子学)があった話は前回しましたが、その後の室町時代はやはり禅宗が背景にあったように思います。そのあとの戦国時代、安土桃山の時代はどちらかと言うと禅宗的かもしれませんが何も精神的背景のない混沌の時代だったと思います。そして江戸時代になって世の中が落ち着いてくると、封建的な儒学(朱子学)が精神的バックボーンとなり、武士道なる日本的儒学が確立してきます。江戸末期になって一部陽明学をトリガーにして明治維新への動きを加速しますが、明治・大正・昭和の時代は朱子学・武士道を背景とした官僚による時代だったと思います。それが太平洋戦争後武士道を中心とした精神的背景を教育することができなくなり、我々日本人はバックボーンを今失いつつあると言っていいでしょう。戦後の高度成長時代はそれでも、社会的なリーダー達は武士道教育を子供の頃受けていること、さらに戦後生まれの僕達第一世代は親の影響を多分にうけていたことなどから、まだ精神的バックボーンがあったと言えます。問題はこれからの戦後第二世代の時代には精神的バックボーンのない世代が登場してきます。これからの日本の一番の心配は、心の支えとなる道徳がバラバラになっていることだと思います。別に仏教道徳であろうが儒学道徳であろうが武士道的道徳だろうが神道的道徳(?)だろうがかまいませんが、我々日本人の根底となる思想的バックボーンが失われてきつつあることは政治においても、企業においても問題だと自分は思います。どんなことがおきても軸足のぶれない基本となる精神が社会的発展には必要不可欠だと思うからです。これからの若いリーダー達には是非心の支えとなる哲学を身につけてもらいたいものです。お金中心の世の中ですが、お金では買えない心の豊かさを身につけてほしいものです。そしてお金だけで動かない或いは損得だけで動かない人間としての生き方の哲学であってほしいと思います。
だいぶ年寄りじみたお説教のように言われてもしょうがないけど、お金のために魂を売る人達の事件を聞くたびに、またそれを防止する目的だけの法律で縛る今の社会は歴史からみると、長く続いたことはないようです。我々が歴史から消えないようもっと、心のあり方をそれぞれが勉強すべきです。
今日はこの辺で終わりです。ではまた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(57)

2006年04月25日 22時53分57秒 | ビジネス
4月25日(火)曇りのち晴れ
今日も寒い一日でしたね。もうすぐ5月だというのに。
さて今日はどんなことを書きましょうか?最近ネタ不足が顕著になり、どちらかと言うと毎日の話に連続性がないと思いますが、だからよもやま話だと堪えてください。以前朱子学と陽明学の話をしましたが、少し補足をしたいと思います。孔子の教えである儒教は宋代に朱熹によって朱子学として整理されました。朱子学は理を重視した道徳感を体系化した点ですごいことなのですが、あまりにも形式的になりすぎたため、明代に王陽明によって心を重視した実践的な儒教が出てきて”知行合一”と言う言葉に代表されるような考え方でてきた。と言うような話を以前しました。(No38)その時は朱子学は尊王の考えの元に官僚制度のような政治的支配のための学問と思っており、人間本来のあるべき姿は陽明学にこそあると思って書いていました。それはそれで今でもそうだと思っていますが、なぜ陽明学が中国ではあまり評価されていないのかよくわからなかったのですが、最近ちょっとわかったような気がしています。それで今日補足を書いてみる気になりました。おそらく陽明学で言う道徳感はすごく当たり前で正しいと思います。ただあまりにも正しすぎて怖いのかもしれません。本質を突きすぎていて、遊びがまったくない歯車のようなものかも知れないと思ったのです。それと政治を支配する側からみたら統治しにくいのかもしれません。
その点朱子学は尊王の秩序の上に道徳を体系化しているようなので支配側からは扱い易い学問なのでしょう。日本の歴史の中で朱子学は二度とりあげられていますが、皆さんは御存知でしたか?実は僕も徳川幕府が朱子学を奨励したことは知っていましたが、もっと昔に取り入れて朝廷を作った人がいたことは最近までしりませんでした。そのもう一つと言うのは南北朝時代の後醍醐天皇だそうです。後醍醐天皇は宋で起こった朱子学を聞き、単純に本来の王である天皇を中心とした政治に戻すべきとの考えから、鎌倉幕府をつぶしたようです。ただ当時は朱子学を学んだ学者もほとんどいなかったため、あまり支持もえられなかったようです。特に尊王の思想の元に論功褒賞を行ったため、足利尊氏等の武士から不満が出て、北朝の樹立、室町幕府の時代になっていったようです。その点江戸時代には武家の学問として充分な下地ができていたため、明治への大政奉還はスムーズにいったとのことです。(No38と矛盾しているように思われるかもしれませんが、イノベーションのトリガは陽明学的に行われ、政治的な仕組みづくりは朱子学的に行われたと考えればいいと思います。同じ儒学ですから)
僕は陽明学を究めた人間でもないし、まして朱子学の詳しいことはよく知りませんが、いろいろな解説書を読みながら、陽明学は極めて本質的な生き方を示していると思うけど、切れすぎる刀のようなもので使い方を間違えると結構正しいがゆえに怖いものかもしれません。江戸末期の陽明学者の不幸なできごとも、そんなためなのかもしれません。
今日はこの辺でおわりです。明日は飲み会があるのでお休みです。また木曜に会いましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(56)

2006年04月24日 23時31分10秒 | ビジネス
4月24日(月)晴れ
今日は久しぶりによい天気でしたね。僕の肩の調子も極めて順調でした。このブログモ既に4ヶ月が経とうとしています。実験的に始めた割にはよくもだらだらと書き続けたものだと思いますがあまり技術的な進展がありません。もう少しなんとかと思いつつ書くことだけに追われてきたような気がします。これからはそうあせらず研究心を持って取り組んで行きたいものです。
ところで今日は失敗した時の対処法ですが、僕は最近イナオリスト法での処し方が多くなってきました。失敗にもいろいろありますが、チャレンジとしてみんなが認めているものの失敗や自分が覚悟を決めて取り組んだ結果としての失敗は、次の手立てが得られることからあまり気にしないで対処できると思いますが、自分の不注意でやってしまったことは結構悔やんでしまいますよね。そんな時、取り繕ったり、うそをついたりしがちです。その結果さらにことは悪化してしまうものです。そんな時は Fact is Fact で開き直って妙な取り繕いをせず、クビになっても、左遷させられても自分が悪かったんだからしょうがないと考えて、事後の対処を正々堂々とすることがベストだと思います。目先のことを考えるとなかなかできないですが、人間の生き方として、間違いは次に起こさないように自分自身が気をつけ、隠さず堂々と生きる方が、仮に切られてもかっこいい生き方だと思っているのは僕だけでしょうか?そうかもしれないけど人生にはいろいろなことがあるので、成功も失敗もあって当たり前のこと。逃げ隠れせず正面から失敗とも向き合って格好悪い事態に自ら耐える生き方は最高に格好いいことだと思うことです。
僕もしょっちゅう失敗ばかりの人生ですが、最後は自分の生き方ができれば、人がなんと言おうといいのではないかと思う今日この頃です。それではまたあした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年04月23日 23時40分04秒 | Weblog

4月23日(日)曇り
今週末は何事もなく、暇にまかせて床屋に行きサッパリしました。ついでにパチンコに行き勝ちもせず負けもせず、ほぼトントンでした。それと家電量販店のコジマに行ってホームページ作成ツールをいろいろ物色し、ついにホームページビルダーを購入してしまいました。現在のホームページはWeb上の簡単作成ツールで作っていますが、デザインが自由にならなかったり、ボタンがなかったりいろいろ制約があって、思うようなページにならないのでなんとかしたいと思っていました。まだマニュアルを見ながら構想を考えているところですが連休明けぐらいにはなんとか仕上げてみたいものです。現在のホームページも少し追加したので暇な時にでも見て下さい。

URL:http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/

です。
今日はあっさりとこれで終わりです。また明日にあいましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(55)

2006年04月21日 23時34分54秒 | ビジネス
4月21日(金)曇り時々晴れ
今日は寒かったですね。ちょっと外出した時に、やはり鎖骨がちょっと痛むような気がするのは寒さのせいかもしれません。
ところで昨日ブログに書いたように自分が夢中になっていることや好きなものの延長上で生まれた新しいビジネスが一番成功確率が高いのでしょう。そこで今の自分が夢中になれそうなものは何かと考えてみると、数年前に比べて極端にジャンルが少なくなっています。少し前までは材木屋と言われるくらいに気(木)が多かったはずですが、半分まぁいいか気分になっている自分がいるのは年齢のなせるわざなのでしょうか?あまり無理して考えることでもないので気楽にいきます。
そこで今日はスパークリング・ワインの話をしましょう。僕らは通常シャンパンと言っている泡立つワインのことです。ほんとうはスパークリング・ワインが正式な名前で、その中で特にフランス北部のシャンパーニュ地方で製造されたものだけがシャンパンと呼ばれるのだそうです。シャンパンの誕生は今から350年ぐらい前の1668年にシャンパーニュ地方のベネディクト派の教会(僧院)で酒庫係をしていた盲目の僧ドン・ピエール・ペリニョンが偶然発見したと言われています。まだ発酵が終わっていないワインをビン詰めしたところ、ビンの中で発酵が進み発泡性のあるワインが出来てしまったのが真相のようです。このシャンパンにはいろいろな銘柄があるようです。僕らはドンペリが最高級のシャンパンと思いがちですが(実は僕は最近までそう思っていました。)とは言っても発見者の名を冠するだけあって、王室・皇室の晩餐会で世界各国のセレブリティにサーブされるシャンパンとして有名であり、すべてがヴィンテージです。高級シャンパンには希少中の希少であるサロンやシャンパーニュ界のロマネコンティと呼ばれる希少なフィリポナと言うのもあるそうです。もっとも僕はドンペリ以外は飲んだことありませんが。ドンペリも正直言ってうまいのかよくわかりませんでした。これらのシャンパンはすべてヴィンテージですが、このヴィンテージとは優れたブドウが収穫できた年のワインだけで作られ、ラベルにはその生産年がはいったものを言います。反対にノンヴィンテージは生産年の違うワインを数十種類ブレントしたものを言うそうです。当然ヴィンテージは特定の収穫年ならではのブドウの個性が際立っているのだそうです。
今日はなんとなくシャンパンの話になってしまいましたが、またの機会にワインにまつわる話しも、して見たいと思います。こんなこともビジネスマンとして知っておくのもいいと思います。ではまた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(54)

2006年04月20日 23時27分25秒 | ビジネス

4月20日(木)曇り
昨日はやっぱり飲みすぎてと言うか、飲むとまだ少し骨折が気になる状況のため、帰宅して少し食べてすぐ寝てしまいました。おかげで今日は朝早く目がさめたけど、天気はいまいちでいつもどおりの出勤でした。と言っても僕は骨折してから、会社へは就業の1時間前についています。自転車が乗れないので駅まで歩いて行くため早く家をでるようになったのですが、歩いていると普段あまり見ていないものがいろいろあって楽しくなってます。公園の桜や民家の花壇の三色スミレやチューリップなどなど。やっぱり春はいいですよ。ここのところ天気はあまりよくないけど、空気が気持ちいいですね。
ところでビジネスの何か役に立つような話をしようと、いろいろ書いてきたのですが僕は少々背伸びしすぎていたのかなと思います。もっとありのままの自分で書くべき所を、妙に勿体つけて俺が教えてやるというようななまいきな自分になってきているとつくづく思います。読んでいただいている方にも申し訳ありませんでした。
僕はそんな成功者でもないし、人に教えられることもないのに、ちょっと格好つけていただけでした。だから話のネタに行き詰ってきたのですよね。長く続けると言うことは、いつも自分らしくやっていくことなのに。と言うわけでこれからはあまり格好つけずにゆったりとした気分で書いて行こうと思います。新しいビジネスを考えると言うのも、所詮ビジネスにならないでしょう。自分が好きなことや自分が夢中になれることの延長上に本来ビジネスがあるべきです。特に新しいビジネスを作ると言うことを考えること自体ナンセンスでした。自分が今興味を持って夢中になっていることの中からビジネスのヒントが出て来たものでなければ決して成功はないだろうということです。
これからは自分の好きな話や感動した話をしながら、その先にあるビジネスに触れることができたら触れるぐらいの気持ちでやっていきますのでよろしくお願いします。それでは今日はこの辺でお開きにします。おやすみなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(53)

2006年04月18日 23時32分01秒 | ビジネス

4月18日(火)
昨日高度成長の日本を支えてきたのは分析重視の思考法だと話しました。そして分析思考は機械の故障を直したりするには最適であるが、物事を創造的に解決することはできないと話しました。
そして今日はその検証をして見ましょうと言うことでしたね。そこで今日はひとつの具体例を考えてみることにします。
A社の営業部には販売成績の悪いB君がいたとします。販売成果をみながら上司のX氏は”なんで君は販売成果があがらないんだ。もっと一生懸命やれ!”と怒り、なぜ成果が上がらないのかを追求します。今の企業のマネージャーはたいがいこのような分析思考で物事を追求したがります。答えが一つしかないものはこれでも通用するのですが、答えが何通りもあるものはこのような追求ばかりだとB君のモチベーションは下がるばかりです。
営業のやり方はいろいろありますし、営業マンの個性に一番合った方法がベストなのです。成績のよいC君は一日に10社訪問しているから君の場合は15社以上訪問しろと言ったようなバカなことを言うマネージャーもいますが、もっと根本から考えてみるといい解決策が出てくるはずです。営業で一番大切なことはモチベーションだと僕は思っています。自社の商品を購入して喜んでくれる人がいたり、自分の一生懸命やっていることを認めてくれる人もいたり、いろいろなケースがありますが、要はB君が販売活動を通して何を実現したいのかを見つけることが最初の考えることです。マネージャーはそのサポートとなる助言をすることがまず大事な点です。こうしてモチベーションを高く保てるようにした上で目標を明確にしてやることが次に重要だと思います。ローマは一日にしてならずです。B君にとっての目標を作ってあげることです。いきなり高い目標にする必要はまったくないのです。自己記録を更新すれば最初はいいのです。それが達成できたら次の目標設定をすればいいのですから。このように”なぜダメなのか”を追求するより、”根本から目標を明確にし今後どうしていくか”を追求する思考法の方が解決策が作りやすいと思います。
このことは欠点を見つけて直す(分析的思考)より長所をのばしながら目的を達成する方法を考える(未来思考)の方が解決策のバリエーションを豊富にし、 より創造的な答えを導きだせることになります。
検証になってないかもしれませんが僕の言っている意味はご理解いただけましたでしょうか。もう少し表現方法を考えないと理解してもらえないかもしれませんね。どうもすみません。なかなか自分の思っていることがうまく言えてませんが、これからの時代に必要な考え方のトレーニングが今の日本企業には必要のような気がしているのは僕だけなのかな?
今日はこの辺で終わりにしますがこのことは今後折りに触れて説明させてください。ではまた。
明日は飲み会があるのでひょっとしたら書けないかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(52)

2006年04月17日 23時26分36秒 | ビジネス
4月17日(月)
今日は久しぶりに春らしい天気となりました。こんな日は結構鎖骨の方も痛みがまったくなく快適です。ひょっとしてもう直ったのかもしれません?
ところで今日は何を話したらいいのか思い浮かびません。ちょっと家の近くのパチンコ屋に1時間ぐらい行って玉を打ちながら考えてみます。僕は時々騒音の中の孤独を味わいながら、考え事をすることがあります。あまり勝てないけど結構リラックスできますが不謹慎ですかね?
1万円負けて帰ろうとした所で丁度かかってしまい結局1万円ぐらい勝ってしまいました。もういいやと思ったらうまくいって暇が一杯あるときはいくらやっても負けるのはどういうことですかね。
それはさておき今日は日本人と言うか我々の思考法で欠けている点はなにかと言うとよく創造力が弱いと言われますがどうしてでしょうか?ふと思ったのですが我々日本人は分析力は伝統的に強い文化を持っているように思います。それは学校や企業において問題点の分析を常にさせられているから伝統的に強いのでしょう。どうしてだめなのか徹底的に究明しろ、とかなぜできないのかよく考えろ、とか常に問題解明型の思考をしているのかもしれません。別にこれはこれで非常によいことであり、しかるに日本型改善とか機械を作ることに関しては能力が充分に発揮できる思考法だと思います。でも問題点をいくら分析しても何も生まれないこともありますが、伝統的に分析ばかりしてしまうので、改善はできても創造はできないのでしょう。
たとえば問題が起こったとき、なぜ起こったのかを考える思考法(分析型の思考)を、視点を変えて今やっていることはどうだったら一番いいのだろうか、と言う思考に切り替えてみるとまったく新しい解決方法が生まれやすいと思いませんか。今の企業における指導は従来ベースの分析思考中心ですが、分析してもしょうがない問題(特に人や組織の問題)はどうしたら一番いいのかを考えるあるいは将来どうだったらいいのかを考える未来型思考法をもっと取り入れる必要があるのかもしれません。
そのためには問題の本質をよく理解することが重要なことになりそうです。機械の故障はどうして故障したのか分析して故障しないような対策を講じることで解決しますが、そもそもこの機械は何のために使っていたのだろうかといった本質を理解することによりぜんぜん異なる解決策が答えとしてでてきます。新しい創造の世界にはこのようなそもそも論から目的を定義することにより、どうであったらよいのかの思考を繰り返すことにより、まったく異なる解決策がいくつも存在し、それぞれどのようにしたら実現できるかを追求して行くと、より創造的な解決策が発見できるような気がしました。
今日は思いつきを書きましたが、明日以降検証してみたいと思います。
ではおやすみなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする