”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年06月30日 20時05分02秒 | Weblog

6月30日(火)曇時々雨

今日は一日中蒸し暑かったですね。とにかく朝会社に着いて汗びっしょりになり、帰りも家に着いたら汗びっしょりでした。梅雨まっさかりなのであたりまえかもしれませんが僕達はクーラー生活に慣れ親しんでいるせいか、こう言う天気に弱いですね。昔も梅雨はあったはずなのに、大丈夫だったのだから僕ら自身が変わってしまったと言うことでしょう。

ところで今日は6月30日ですが、最近は7月1日の人事異動が多くなってきて、僕の会社のグループも大異動です。おかげで社内システムの工事が大変です。今の世の中、ほんとうにコンピュータがなければ仕事ができないくらいにシステムばかりです。みんな当たり前のようにコンピュータのお世話になっているのに、仕事は人がいれば回っていくように思っている人が多いのも不思議です。当たり前に動いているので災害があっても動いていると思ってしまうのでしょう。世の中がどんどん進歩しているのに人間はあまり変わっていないのだから、何かでシステムがダウンしたら大変なことになります。きっとパニック状態になるにちがいありません。すでに銀行のATMがダウンしただけで大騒ぎになった経験も、飛行機や列車の予約システムがダウンした影響も知っているはずなのに、自分の所は大丈夫だと思っている人が多いのではないでしょうか?

そのシステムをどんどん集約して効率をよくするために、安価になった高速回線を使い、センターのホストで一括処理をするようになるのが一般的です。集中と分散は未来永劫に続く人間の業のようなものです。技術の進歩によって効率重視の集中化が始まりますが一度何か起こると危険分散が始まります。そして喉元過ぎるとまた集中が始まります。

これと同じようにアナログとディジタルも輪廻のように人間の歴史の中で繰り返されます。今はまさにデジタルの時代ですが、デジタルの良さと悪さを良く理解していないと大変な時代になってしまいます。僕達の本質はアナログなのでなじみやすいけどデジタルの世界は数理処理がしやすく便利だけどツールがなくなってしまうと何もできなくなってしまうかもしれません。コンピュータが良い例です。コンピュータばかりに頼ってしまうとコンピュータがこの世から消えた時人間は総白痴化するんじゃないでしょうか?コンピュータを扱っている自分が言うのもおかしいけど、人が作ったプログラムをまったく別の人が直そうとしたら大変です。

集中と分散、デジタルとアナログ、これらは人間の長い歴史の中で時代と共に繰り返されてきた概念ですが我々のできることはそれらの本質的な長所と短所を明確に把握しておくことだと思います。

それではまた。

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しんさんのよもやま話

2009年06月29日 20時40分00秒 | Weblog
6月29日(月)曇のち雨

やっと梅雨らしくなりました。でももう7月ですから早くあがってほしいものです。
ところで以前にも話したかもしれませんが現在、知り合いのM氏がヨットで日本一周をしています。僕も本州一周を夢見ていますが、彼のブログを見ていて自分にはあまり自信がありません。多分航海そのものはなんとかなるだろうと思いますが、シングルハンドで何ヶ月もヨットに寝泊りしながらでは孤独に耐えられそうもありません。昼間はまだしも毎晩一人で食事をし、誰とも話すことがなくて何ヶ月も洋上生活をすることはかなり苦痛になってきそうです。
彼はもう3ヶ月も一人で日本を半周まできています。まだこれから日本海を北上して北陸、東北、北海道と回って太平洋を南下してくる訳だけど大したものだと思います。彼のブログを毎日見ながら自分も地図とにらめっこしていますが、自分は少し目標を変えようかと最近考え始めました。少し遠くのどこかに絞ってチャレンジしてみようと思います。

今年の一泊二日のクルージングは日間賀島に行くことにしました。3年前に神島に行き、2年前に篠島に行き、去年は夏が答志島、秋は佐久島に行きました。そして今年の日間賀島で三河湾・伊勢湾の島にはほとんど行ったことになります。まだ鳥羽の菅島が残ってますが答志島の向かい側なので今年は新鮮味がないので取り止めました。日間賀島はヨットで入るのは難しいと聞いていたので近くなのに生きませんでしたが、4月に日間賀島の観光協会の催しでヨットも入れることを聞いたので行ってみることにしました。観光協会の人の伝手で民宿を紹介してもらい9人で行く予定です。だんだん近隣では行く所がなくなってきたので次は島ではなく、三重県の鳥羽とか五ヶ所の方まで足を伸ばすか、或いは伊豆の方に行くか迷います。船も毎年老朽化が進んでいるので心配は尽きないけどチャレンジし続けるのみです。

新艇は今更買えないし、中古艇でも買い換えるのは難しくなってきました。もう30年以上宝くじで夢見てきたけど、こちらはもっと難しそうです。あと何年乗れるかわからないけど、小まめに整備しながら一年でも長く乗れるよう努力しています。
ただ僕はM氏のようにシングルハンドで何ヶ月もクルージングすることはできそうもありません。もう少し違った非日常的なチャレンジのやり方を考えていきます。

今日はここまでです。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(09-16)

2009年06月27日 19時56分03秒 | 趣味
6月27日(土)晴

先週に引き続き今日もゴルフに行って来ました。今日は東海北陸道で高山の近くにある荘川ゴルフ場です。土日は高速道路が1000円なので足を伸ばすには好都合です。高原なので多分名古屋近郊よりは涼しかったと思います。高速道路が土日どこまでも1000円になって初めて恩恵にあづかりましたが、やっぱり混雑しています。

このゴルフ場はフェアウェイが狭いので、ちょっと乱れるとすぐOBになってしまい前半は久しぶりに60台をたたいてしまいました。とにかくボギー1つにダボ4つ、あとはトリプル2つに9と10の大タタキ2つでいいところまったくなしの61でした。

後半も最初のミドルホールで8をたたき今日のゴルフはあきらめた気分になった2ホール目からボギー、ボギー、パー、パーと快進撃してしまいました。その後もダボを挟んでパー、ボギー、ダボで終ってみたら47でした。前半とはまったく違ったゴルフでパーはショート、ミドル、ロングで一つずつの3個、ボギーも3つ、ダボが2つでトリプル以上は最初のホールの8だけでした。と言うことで後半も久しぶりの40台でした。

結局トータルはいつもの10Xで変わりませんが、いつもは50台ばかりでしたから久しぶりにハーフだけでも40台が出て100を切るのも時間の問題になってきました。今月はガラにもなく5回も行ってしまいましたからだいぶなれてきたのかもしれません。もっとも今後のゴルフの予定はないのでまた元に戻ってしまいそうですが、もう少し続けたら100を切れそうな気がします。
と言っても7月の中旬以降はヨットの計画がいっぱいあって両方はできそうもありません。6月は梅雨なのでヨットの計画は入れてなかったので雨でもできるゴルフを誘われるままにやっただけでした。それなのに行った日はすべて好天に恵まれてしまいました。僕がハレ男と言うより今年はカラ梅雨と言うことだとは思いますが、まだ1回も雨にあっていないのも不思議です。

そんな訳で今日のゴルフは、スコアは除夜の鐘でしたが後半の8ホールはほとんどミスショットがなかったので気分は最高です。ダボにしたホールもショットはよかったのにキックが悪くてバンカーにつかまったり20Yのアプローチがほんのちょっと大きすぎてグリーンに止まらずにこぼれてしまった程度のミスだけでいつものようにそのあとムキになってミスを繰り返すことがなかった点は場慣れしてきた証拠かもしれません。初めてのコースばかりでも40台をだせたことや前半61もたたいた後でも後半崩れずに10Xで収めた経験は今後にきっといい結果をもたらすと思います。しばらくゴルフの予定はありませんがもう1回行きたい気分です。

今日はこれまでです。それではまた。
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しんさんのよもやま話

2009年06月26日 22時21分27秒 | Weblog

6月26日(金)曇

今日も12年もうちの会社に出向して情報システムの手伝いをしていただいた方の出向元への復帰に伴う送別会でした。今年は節目なのか長年我々の仕事を専門知識を持って手伝ってくれていた人達が復帰していきます。もっともその間あとから来た人達が育っているので仕事の心配はしていませんがさびしい感じもします。


ところで昨日の補足です。日本人の起源について話していました。その中で縄文人と弥生人の話がでてきました。元々南西諸島からやってきた縄文人が日本の原住民でした。そこに紀元前1000年ぐらいまえから揚子江流域の稲作農耕民である弥生人が山東半島や朝鮮半島経由で北九州や出雲地方にやってきました。彼らの船はあまり大きくない船なので一度に来る数は少なかったと思われます。それと厳しい航海を乗り越えなければならないことから女性の渡来民は少なかったと思われます。そのため彼らの技術は伝わりましたが縄文人の中での生活となって言語は伝わらず、縄文語がそのまま残っていったようです。したがって日本語は中国や朝鮮の言葉とはまったく違った縄文語をベースとした言語として発達したようです。縄文語が色濃く残っているのは奄美諸島や東北地方で弥生人が入植してきた九州北部から近畿、東海は弥生人の発音の縄文語になったと言われています。その一番の例が関西弁で彼らの発音のアクセントは中国語の四つの声調の名残があるようです。したがって技術や文化は大陸から伝わってきたけど、日本古来の縄文人の言語や風習を取り入れた弥生人ができあがったようです。

中国や朝鮮では日本人の起源は自分達だと言った傲慢な考えで属国的見方をするけしからん人達がいるそうですが、日本人は彼らとはまったく違った発展をした民族だと僕は思います。少なくとも魚と米を主食とする民族は他にはあまりないでしょうし、縄文人の魚貝類と弥生人のお米が融合した独特の文化だと思います。

余計な補足だったかもしれません。
明日はゴルフの予定なのでもう終わりにします。それではまた。

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しんさんのよもやま話

2009年06月25日 20時57分12秒 | Weblog

6月25日(木)晴

6月も下旬になりましたがちっとも梅雨らしくありません。天気図を見ると梅雨前線は南海上に停滞したままです。このままだと日本列島で停滞することなく急に太平洋高気圧が張り出して夏になってしまうことも考えられます。もっとも来週あたりはどうも梅雨前線が日本列島にあがってくるようです。

ところで最近僕は日本人はどこから来たのだろうかといろいろな本を読み漁っています。去年の秋ぐらいには日本ができた頃のことを小説風に書いてみようと試みましたが結局挫折してしまいました。それから柳田国男氏の「海上の道」とか野地恒有氏の「漁民の世界」や池橋宏氏の「稲作渡来民」などを読みました。これらの本から自分なりにどのようにして日本と言う国ができあがったか想像しています。僕は学者ではないので何一つ証明することはできないけど学者先生方の説の良いとこ取りをして何か少しわかってきたような気がします。

日本の一番古い時代は縄文時代でした。それから弥生時代になると稲作による定住民族となり、邪馬台国が登場するわけです。では縄文人はどこから来たのでしょうか?多分台湾、南西諸島、沖縄諸島、奄美諸島、日本列島と流れてきたのが縄文人の始まりだったように思います。そのころ日本列島にも氷河期の終わりに大陸から分離した激変の時代に生き残った人類もいたかもしれませんが多分緑が復活する前に絶滅したと思っています。それから何千年も経って火山活動も小康状態になり緑豊かな無人列島が存在していたように思います。
その後南西諸島から渡来してきたのが縄文人です。彼らは狩猟民族ですから魚貝類や植物の実を採取しながら移動して日本列島に住むようになっていたようです。

その後、稲作の技術を持った弥生人が山東半島から朝鮮経由で渡来してくるようになりました。多分中国の揚子江流域の呉とか越の国の人達だと思われます。中国の南の方は紀元前500年ぐらいから急速に栄えていきます。稲作の技術と船の技術ができあがったからだと思います。
そして船で山東半島に北上しながら朝鮮半島の南岸や対馬経由で北九州や出雲あたりに稲作の文化を持って定住しながら、外敵からの侵略もない安全な国で爆発的に人口が増えて日本全土に拡大していったのが弥生人です。これにより原住民であった縄文人は稲作に向かない沖縄や奄美の南と北の北海道のアイヌとなっていくか、弥生人と同化、淘汰していくしかなかったようです。

ですから今の日本人の祖先は弥生人と見るのが一般的ですが言語や風習から見ていくとさらに複雑な要素がありそうです。僕達日本人の言語にはフィリピンやマレーシアに近い発音とモンゴルや北アジアの文法が混ざり合った言語のようですし、稲作の技術は揚子江流域から伝わっていながら人類学的にはモンゴルの遊牧民的特長も持っているようです。
そう言う意味では東南アジアやポリネシア系の特徴と揚子江流域の稲作農耕民族の両方を兼ね備えた独特の民族として発展していったのが日本人ではないかと勝手に考えています。

こんなことをたまに考えていると魚が好きでお米が好きな日本人って結構贅沢な民族だったかもしれませんよね。少なくとも大陸のように外から侵略されることはまったくなかったから、太陽や自然を崇拝した宗教ができあがったのも自然な話です。その自然の脅威をある程度科学技術で防御できるようになったのだから無宗教の人達が多いのもうなずける話です。

またバカな妄想を書いています。でも我々の起源をもっと探究してもおもしろいと思います。これから遺伝子工学の世界から人類の起源を追っていくようになったらもっと正確な由来がわかるような気がします。もっともそれを知ってどうなるわけでもありませんが自分達の起源を明確に認識した上で自信と誇りを持ってこの国の伝統を守ってほしいものです。

いつも趣味や遊びの話しばかりですがたまには学術的な話もありますよ。もっともいろいろな人の受売り的要素ばかりですが。
それではまた。

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しんさんのよもやま話

2009年06月24日 22時42分28秒 | Weblog
6月24日(水)雨のち晴

今日で3日連続の飲み会です。昨日は昔、お付き合いのあった企業の方々と久しぶりに飲んで、3次会までやってしまい、今日はバテバテでした。でもお昼のランチで若い女の子達に元気をもらいました。実は3週間ほど前から社内の女の子達とランチに行くことにしていましたが、新しくオープンするレストランを予約してあるからと言うのでずっと待っていたのでした。当然僕がごちそうする予定だったのですが、今日は僕がゴチになってしまいました。それも開店特別メニューのランチでディナー並みのコース料理です。生ハムのサラダから始まって、パスタ、ステーキ、最後にデザートとコーヒーでした。昼休みを少し過ぎてしまったけどデザートが楽しみだと彼女達が言うので会議の始まるギリギリまで粘ってデザートが出てきて二度びっくりでした。僕のデザートの皿だけチョコレートでHappybirthday Shin・・・と書いてあって、下にはいつもありがとうと書いてありました。それからデザートの上にローソクが立って火をつけられて、4人のウェイターウェイトレスが並んでくれて火を吹き消すと拍手までしていただきました。うれしいものですよね。どうも僕の還暦の誕生日を知ってわざわざオープン予定のレストランを開店前から予約して祝ってくれたようです。もうこの年になるとはずかしいものですがやっぱりうれしいものです。写真はバースデイデザートの皿を前にした僕ですが、いやにメタボが目立って醜いおじさんでしかありません。まぁ体形も容姿も人並み以下の存在ですが、みんなにこんなことをされてしまうと豚もおだてりゃなんとやらになりそうです。

午後の会議ではちょっとかだいぶかわからないけどいねむりをしてしまったようですが仕事が終ったら送別会で焼肉いっぱい食べてしまいました。うちの会社に7年以上も出向して仕事を手伝っていただいたSEが出向復帰の送別会でした。漫才師の”たむけん”の焼肉屋でしたが店の前には順番待ちの若い人達がいっぱいでした。半年ぐらい前に食中毒を起こしたそうですが、この流行りようは大したものですね。お肉はなかなかおいしかったですよ。

ハマグリ食べたり、寿しを食べたり、焼肉食べたりしているからメタボ解消は遠い話になりそうです。昼のランチだけでほんとうは十分なのかもしれません。そう言いながら明日も別のグループの女の子達とランチの予定です。明後日はまた別の課の送別会です。いろいろ呼んでもらえるのはほんとうにありがたいことです。僕はあまりみんなの役に立っていないかもしれないけどみんなの好意に甘えられることはありがたいことです。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2009年06月22日 21時38分09秒 | Weblog
6月22日(月)雨のち曇

今晩は会社全体のおもだったメンバーでの食事会兼飲み会でした。毎年この時期に桑名にハマグリを食べに行きます。今年で5回目ですから僕もこの会社に来て5年目と言うことになります。
桑名は江戸時代からハマグリが有名なところですが、今も七里の渡し近くで昔ながらにやっている料亭があります。初めて来た時は蛤がぷくぷくでほんとうにおいしいと思いましたが、毎年この時期に来て食べているとあまり感動がなくなってしまいます。と言ってもおいしいのですよ。でも金額もフランス料理のフルコース並みですからうまいに決まっています。

三重県には昔5年ほど勤務していましたが、おいしいものがいっぱいあります。北は桑名の蛤、白子(鈴鹿)の穴子、松阪なら和田金の松阪牛のステーキ、志摩(伊勢)のてこね寿司、それにサザエとアワビは最高です。伊勢えびも見た目はすごく豪華です。でも味を言えば多分車えびの方がおいしいと僕は思います。津のうなぎも中々ですがうなぎは全国にいろいろなおいしい店があるのでうまいとは言えないかもしれません。ちなみに名古屋では宝来軒のひつまぶしは行列ができる超有名な店ですがほんとうのお薦めは山口町にあるうなぎ釜飯の川長です。ここも知る人ぞ知る行列のできる店です。静岡にもうなぎのおいしい店はいっぱいありますが僕は浜松なら舞阪にある名前は忘れてしまいましたがおいしい店が今でも忘れられません。静岡市なら駅南の石橋か清水のうなよしが好きです。でもこの石橋とうなよしはまったく作り方が違います。

こう言う話を始めると際限なく続けてしまいますので今日はこの辺にしておきます。そう言えば昨日行った形原の松寿しも愛知県で言えばお勧めだと思います。名古屋にもおいしいところはないわけではありませんが価格見合いで言えばお勧めはあまりありません。

今週は仕事が終ってから毎晩飲み会が続きます。酒の弱い僕としては、その分おいしいものを食べたいところですが仕事をしている間はまぁおつきあいです。明日は広島から昔同じ仕事をしていた友人が来るので午前様になりそうです。明後日とその次の日は、うちの部の二人のSEが出向元に帰るのでそれぞれの課ごとに送別会があります。たいしてボーナスももらえないけどこの時期は結構大変です。
そんなわけでブログも書いている暇がないかもしれません。
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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(09-19)

2009年06月21日 17時01分45秒 | 趣味
6月21日(日)雨のち曇

今日は1日中雨と言う予報でしたが、友人の友人を船に乗せたいと言う約束があったので、朝雨の中をマリーナにでかけました。先週のスクリューの針金はずしの件もあったので、船の確認やらビルジのくみ出しをしたかったこともあり疲れていたけど出かけました。友人も雨の中をずっと昔、ヨットをいっしょにやっていたと言う69歳の友人を連れてやってきました。雨はあがっていましたがまったく風がなかったのでキャビンの中でいろいろ話をして1時間近く過ごしました。この方は大阪で昔校長先生をしていたとのことで楽しくお話させていただきました。なんでも昨日浜松から豊橋まで歩いてきたそうです。1日16000歩以上歩くことにしているそうで、僕が10000歩歩いていた話をすると16000歩歩くように言われました。でも僕は10000歩は可能だけれど16000歩は現実的に無理な話なので断っておきました。

折角大阪から見えたと言う話なので風がないのは承知の上で船を出して1時間ほどセーリングをして、食事をしたあとお別れしました。また遊びに来ていただけたらうれしいと思います。今までヨットをやっていることで仕事とは違った様々な人たちと知り合いになることができました。友達の友達はみな友達といいますが、そうやって”レイア”に来てくれた人がまた一人増えました。僕もいつまでできるかよくわかりませんが、仕事をいっしょにやった仲間達と同じようにヨットにいっしょに乗った仲間も少しずつ増えていくこともうれしいものです。

ヨットはたとえ1時間でも、1日でも船を走らせるための共同作業をいっしょにします。そして船に乗っている間は、いくら帰りたくても帰れないし、それぞれが我儘にできない非日常の行動となります。そんな意味で同じ非日常の経験を共有することがより仲間としての絆を深めるんじゃないでしょうか?いつでもできることではないし、乗った人それぞれの役割を演じていただかないと船を走らせることができません。僕も自分だけでは船を出すことは難しくて労力が必要ですが、舵を握る人、セールを上げる人、ウインチでシートを撒く人、楽しい話を聞かせてくれる人、船の進路の障害物をウォッチしてくれる人がいて初めて非日常の体験ができます。その点がすばらしいと思います。人間の社会もいろいろな役割を演じてくれる人がいるから成立っているのです。そのことを忘れて自分一人で生きているような気になっている人が最近特に多い気がするのは僕だけなのでしょうか?みんなそれぞれが社会を構成している上で役立っていることを知ってほしいし、一つのことが自分だけではできないことを再確認してほしいものです。そうすればいっしょにいる人達への感謝の気持ちも忘れることもないでしょう。

今日は大阪に帰る人の時間に合わせ早く帰ってきたのでこれからゆっくりできます。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(09-15)

2009年06月20日 21時35分02秒 | 趣味
6月20日(土)曇のち晴

今日もいい天気でした。今日も会社対抗のゴルフコンペがあって参加してきました。3社から8人ずつ出てグロスのトータルを競うコンペです。僕はうまくないのでほとんど参加していなかったのですが、成り行きで出ることになってしまいました。連ちゃんなので体がバテバテなのですが、なんとかラウンドできました。みなさん上手な方ばかりなのでこちらは大変です。スタートホールのミドルでいきなりパーを取り今回はいいかなと思ったのですが終ってみればいつものパターンでした。

前半はトリプルが二つあったけどボギー三つとパー一つ残りがダボでトータル51でいつものスコアでした。後半はスタートのロングではボギーとしたものの続くミドルでティーショットをバンカーに入れてしまい、1回で出ずに2回も打ってリズムをくずし、4打目の上りのアプローチでざっくりを二度やってしまい結局7オンで3パットの10にしてしまい万事休すでした。それ以外ではトリプルが一つあったもののあとはパー1つ、ギー3つ、ダボ3つでほぼ前半といっしょでした。したがって後半は54にしてしまいトータル105でした。

最近はほとんど同じパターンで10Xです。昨日も今日もパー2、ボギー6、ダボ6まではまったく同じです。あとの4ホールがいつも大タタキになるのですが昨日はトリ2つと9と、12だったのが今日はトリ3つと10だった違いでトータルが3打少なくできただけでした。トリを3つ以内にしないと100はなかなか切れないことがよくわかりました。昨日も今日も距離が長いコースだったのでなかなか2オンできない中でアプローチはかなり上達したと自分では思っています。あとはパットが2パット以内で治められればもう少しボギーの数が多くなるのですが難しいものです。

今日は2日連続でほんとうに疲れたのでもう休みます。
明日は雨の予報ですが友人から頼まれてヨットに人を乗せる予定でしたが雨で中止になりそうです。少しほっとしています。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(09-14)

2009年06月19日 17時26分12秒 | 趣味
6月19日(金)晴

今日は休暇をもらいゴルフに行って来ました。僕の行くゴルフ場は毎回違う場所なのでなかなかコースが覚えることができません。今回も今年初めての四日市リバティです。このゴルフ場も毎年1回か2回は来るので思い出すホールもあるけど、安全サイドがわからずにOBになるケースが今日も何回かありました。

別に言い訳ではありませんが今日も除夜の鐘でしたと言えば、それはいい訳だと言われてもしかたありません。最近の僕のゴルフは良い時と悪い時がはっきりしすぎてまいってしまいます。

前半はミドルでパーが一つ、ロングでボギーが一つ、ダボが5つ、トリが2つで53でした。もっともボールがなくなるはずもないラフでボールが見つからずロストにしたホールがあったのでもう少し本来ならよかったかもしれません。今日はアイアンショットがぜんぜんうまくいかずショートホールでダボばかりだった点はちょっと残念でした。

後半は最初のミドルで3パットをしてダボ、次のミドルでティーショットを右に出しすぎてOBにしてしまい、その後もメタメタで9としてしまいました。それでもその後は5ホール堅実にボギーで調子が出てきたと思った矢先のラス前ロングホールでOBを3発連発して最近でも出したことのない12もたたいてしまいました。最後の405Yのミドルは気分良くパーで締め括りましたがスコアは55になってしまいました。レバタラは禁物ですが、OBのあとは意地を張らずに打ち方を変えられればもう少し良い結果になったかもしれません。そのホールが終るまでは反省しない性格がゴルフではいつも災いするようです。最後には反省して次にはいつもいいショットが打てるくせに、流れている間には切替ができないところが下手な原因かもしれません。

そう言えばプロ野球を見ていても、いいピッチングをしていた投手が1本ヒットを打たれたことによって火達磨に打たれるケースがよくあります。コーチが間合いを取ることによって、持ち直すこともよくあります。と言うことはミスショットをしたあと、そのままの勢いで打つのではなく何か一呼吸するルーティンがあればいいのかもしれません。ゴルフは自分との戦いなので自分でクラブを変えるとか深呼吸をするとか、何か間をあける工夫がいるのかもしれません。今度試してみようと思います。

久しぶりに真面目なゴルフの話しになりました。いつも同じような結果ばかりでブログに書ける内容ではありませんが、そんな人もいると笑ってやってください。
今日はもう疲れたので少し休みます。それではまた。
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