”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2016年10月31日 11時32分40秒 | Weblog

10月31日(月) 晴

昨日は庄内緑地公園にて「庭木の剪定講習(秋)」に参加してきました。実際に公園内の庭木を剪定するもので結構役に立ちました。桜、梅、松、椿、百日紅、つつじなどを実際に剪定鋏、苅込鋏を使っての講習でした。ほんとうはこれらに加えて槇、楓があると御殿場の田舎の剪定にかなり役だったのですが・・・。それでもすべて田舎の庭にある木だったので結構役立ちそうです。
今日は忙しいので終わりです。明日は御殿場の田舎にでかけるのでしばらくお休み!

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しんさんのよもやま話(ウォーキング16-07)

2016年10月30日 09時29分41秒 | 趣味

10月29日(土) 晴

西風の強い日でした。名古屋に一週間居ることは自分にとっては滅多にない出来事でした。おかげで居酒屋Duo通いと読書三昧でしたが、やっぱりどこかに出歩かないとと小牧城跡に行ってきました。



小牧城は織田信長が清州から出て最初に造った城で美濃の斎藤氏攻略の拠点とした城です。城として存在したのは4年間ですが城下町も整備されたそうですが、その後岐阜城に移ったため廃城となって城下町も移転され今ではその痕跡がまったく感じられません。
その後小牧長久手の戦い(徳川・織田信雄の軍勢と豊臣秀吉の軍勢との戦い)においていち早く小牧山の城跡に強固な陣を築いた徳川軍が勝利し、豊臣軍の池田恒興や森長可などの名だたる武将が討死し秀吉は和睦せざるを得ませんでした。その起点となったのが小牧城でした。その後は城として機能したことはありませんでしたが尾張徳川家の領地として残ったため数々の遺跡発掘に繋がったようです。
小牧山にある天守は明治以降に造られた城で、歴史的にはあまり価値のない城ですが、小牧山散策のシンボルとしては良いのかもしれません。



この城を模った歴史館以外には何もないので結局昼食抜きになってしまいました。麓に降りて小牧の街で何か食べようと思いましたがこの街にはほとんど何もありません。ラピオと言う商業施設と2,3の居酒屋ぐらいしか目につかずコンビニで肉まん等食べるぐらいしかできませんでした。従って結局またいつもの居酒屋Duoに立ち寄ってしまいました。まぁそれでいいのですが・・・。
久しぶりに俳句も作ってみました。
高西風に光の揺れる森の道
城跡の野面を覆う蔦かづら
やっぱりうまくできないなぁ。

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しんさんのよもやま話

2016年10月29日 12時16分19秒 | Weblog

10月29日(土) 晴

昨日は不名誉ながら平針にて一日中講習を受講することになり、雨天の中受講してきた。運転実技やらシュミレ―ターでの運転やら運転適性操作などいろいろ受講してきた。その中で自分では若いものと変わらないと思っていたアクセル・ブレーキの反応に結構ムラがあることを指摘されてしまった。素早い反応もできるが集中が継続すると遅れることがあり、その差が0.75秒と言う結果でした。ちょっと不満はあるが長距離運転をよくする自分としては休息を取りながら運転するように心がけたいと思った一日であった。

ところで今日も何事もない一日第3弾として「蒙求ものがたり」の話をしてみよう。
蒙求ものがたりは今からおよそ1300年前の中国・唐の時代に編纂された学問の入門書のようなものである。中国の古代から南北朝時代(6世紀)に至るまでの人の言行美悪を取りあげ四字熟語の体裁で記された書である。自分は夏目漱石の俳句にしばしば出て来る熟語の意味がわからず、その原典が「蒙求ものがたり」あることが分かってから読み出したのですが、中国の古代歴史上の人物の言行から我々が日常使っていることわざや熟語の語源となった話ががたくさん出て来るので中々興味深い本なのです。

水魚の交わり(魚と水のような親密で離れがたい友情や交際の喩えとして使われています)

これは「孔明臥龍(こうめいがりゅう)」と言う話の中で劉備玄徳が諸葛孔明を譜代の臣の上席に据えて師と仰いだため関羽や張飛が不平を漏らした時に劉備が言った言葉 「我の孔明あるは丁度魚の水のあるが如し、魚にして水なければ死するが如く、我に孔明なくば大事を為すこと能わず。」から水魚の交わりと言われるようになった。

まずは隗(かい)より始めよ

これは「燕昭築薹(えんしょうちくだい)」と言う話の中で戦国時代(秦の始皇帝が出て来る前の動乱の時代)に燕の昭王が賢氏を招くための相談を郭隗(かくかい)にしたところ、「賢氏を招致せんと欲されるならば、先ず臣隗より始めて礼遇し給え、・・・」が語源となった。

四知(天知り、地知り、我知り、子知る)

これは「震畏四知(しんいしち)と言う話の中で後漢時代の楊震(ようしん)と言う州の長官から郡の太守に栄転して行く時に自分が科挙に推挙した王蜜(おうみつ)が謁見して誰も知る者はいないからと金十斤を贈ったが楊震は受け取らず「君は知る者無しと言うが天知り、地知り、我知り、子知る。どうして知る者が無しと謂えるか」と言ったので王蜜は自分を恥じて去っていったと言う話からの言葉である。

まだまだ「実力伯仲」「「覆水盆に返らず」「孟母三遷」などなどたくさんありますが長くなり過ぎたのでこれまでです。暇人と言うのは話が長くなって困りますね。

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しんさんのよもやま話

2016年10月27日 18時35分24秒 | Weblog

10月27日(木) 晴

何事もない日のひとりごと(その2)

先週までは予定満載で動き過ぎたためか今週は何もない日が3日続いています。そんな時は大概本を読んだり、過去のメモノ―トの整理をしたり、友人達にメールを送ったりでまぁ独楽鼠のごとく何かやっている。そんな中でふと思ったこと。

自分のメモノートには過去に読んだ本などの気に入ったフレーズなどを書き出している。その中で特に多いのが中国古典からの言葉である。四書五経、老子、荘子、韓非子、荀子、孫子・・・などなど自分が持っている本だけでもたくさんある。日本語に翻訳されたたくさんの中国古典を考えると中国三千年の歴史的遺産はひょっとすると現在の中国人より我々日本人の方がたくさん引き継いでいるような気がしてならない。
我が国では遣隋使、遣唐使の時代に数々の文化的遺産を受け入れ、独自に発展させてきたのですが、本場の中国ではその後の歴史の中でも焚書など政権が変わる度に行われてきたような気がします。(焚書坑儒は秦の始皇帝が行った蛮行ですが、過去の文化的書籍を焼き捨てる焚書は行われていたと思っています。)それに対し我が国では古代中国から持ち帰った写本やそれを更に深く探求した学者たちによって多くの東洋哲学の原点が引き継がれてきたように思います。

唐の時代には「蒙求物語」と言った修身書によって子供達に生き方のモデルを示されました。それらは四字熟語で記され日本における熟語の元にもなっています。また戦前の日本の修身書においては蒙求物語と同様な生き方のモデルが記されました。戦後GHQにより廃されましたが戦前にはヨーロッパでも称賛された道徳書だったようです。
現代の中国においては古典的な漢字はすべて簡略化された表音文字でしかなくなってしまい、過去の文化的遺産を引き継ぐことより、ウィグルやチベットなど領土拡大に主眼をおいてしまったように思います。中国からの観光客を見るにつけ、孔子の教えを受け継いでいる国とは思えません。もっともわが国でも人間としての生き方のモデルを失い、多様な価値観を謳歌する中で最低限のモラルも失われつつあるような気がします。
多様な価値観をお互いが認め合う世の中は大切なルールですが、その中には共通して守らなければならないモラルが存在することを我々は今一度教育し直さなければならないと思います。誰もが自由に本音で行動したら社会は成り立ちません。道徳と言う建前の潤滑油をもっと必要としているのが現代なのだと思います。

またつまらないことを書いてしまいました。あまり暇すぎるのも体によくありませんね。

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しんさんのよもやま話

2016年10月25日 15時55分51秒 | Weblog

10月24日(火) 雨

何事もない日のひとりごと

現代の我々はまさに多様な価値観をお互いに認め合う世の中に暮らしている。言いかえれば現代は価値ある生き方のモデルが明確に与えられることがなくなってしまった時代だとも言える。それだからそれぞれが自由に自分の価値観を創り上げることができる反面違う価値観を持った人達も認め合わなければならない時代なのである。だがこのような時代と言うのは歴史を紐解くとまだ数百年のことでしかないことに気づかされる。そしてはるか昔の価値観を共有する者たちだけの社会に固執して戦争を繰り広げている国もあれば、それに対処しようとしてナショナリズムを煽る人達が台頭してきた国もある。

でもどうして現代のように多様な価値観を民主主義と言うルールで互いに認め合うようになったのか歴史を考えてみれば容易に想像がつくことなのである。民主主義発祥のヨーロッパの歴史を見るとキリスト教と言う宗教によって価値ある生き方のモデルが明確に与えられ、違う価値観の者たちを征服しようと試みたがそれもかなうことなく、その後同じキリスト教の中でもカトリックとプロテスタントの中でさんざん血を流したあげく「生きる上での価値観は個々の人の自由にしよう」と言うことになり、異なった価値観を持った人達が共存しあって行く民主主義と言うルールができあがった。私たち日本人も戦争に負けてやっと民主主義が芽生えて70年なのである。まぁこのルールはすべての人にとって満足できることはないけど多少の我慢でみんなが生きて行ける平和的社会ルールなのかもしれない。

このことから考えるとアラブの人達も早く気付いてほしいし、欧米の先進国も過去に戻るようなことは考えないで欲しいものである。ただルールは少し修正して行くことは必要になっているのも事実である。民主主義が芽生えた頃のヨーロッパには多数の哲学者が当時の世の中をリードしたことは事実です。今こそ新しい哲学が必要なのかもしれない。そのためのヒントは人口なのかもしれない。自由な生き方と言っても先進国の人口減少と一方での人口増加のバランスが多くの問題の一因になっているような気がしてならない。地球に永く人類が存続するためにもうまい解決策はないのでしょうか?そうでないと結局は戦争による人口調整しかなくなってしまうような気がします。

つまらないひとりごとでした。まぁ平和ボケの我々にはあまり考えたくないことでした。

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しんさんのよもやま話

2016年10月23日 12時04分33秒 | Weblog

10月23日(日) 晴

ルーズヴェルト・ゲーム

プロ野球日本シリーズがいよいよ始まりました。赤ヘル軍団相変わらず元気が良いようです。大谷君も2塁送球をカットするのを忘れてしまったのが敗因かもしれませんね。まぁこう言う点の取られ方をするとだいたい先が見えてしまいます。見ている方もあまりスカッとしません。

野球好きで有名なアメリカ第32代大統領のフランクリン・ルーズヴェルトさんが野球で一番面白い試合は8:7の試合だと言ったそうですが、それを題名にした池井戸潤氏の小説を読み終えました。最後になって自然と涙が出て来て素敵な物語を読み終えた充実感でした。
この小説はリーマンショック後の生産調整を余儀なくされた中堅の部品会社の直面した危機と苦悩と共に企業野球部の危機と苦悩が交差しながら様々な立場の人を通してハラハラ、イライラさせて進行して行きます。

企業経営を取り巻くどろどろとした人間模様が危機に直面して苦悩する新社長、厳しいことを言い表面づらの悪いが人生を達観した役員、邪魔者を排除するため様々な奸計に走るライバル企業とそれを取り巻く取引企業を通して実にリアルに描かれています。
その一方で会社の野球部も存続の危機に直面し、存続に奔走する部長、マネージャー、新任の科学的分析をする監督、ベテラン・若手の選手たちを通して心の葛藤、ライバル企業へ有力選手を引き抜いて移った前監督に対する闘志がリアルです。
まさに自分もこの会社の一員になったように自分だったらどう対処しようかなどとのめり込んでしまいます。人を単なる数字やコストとしてしか見ない人物たちへの嫌悪感の中で人が人であるが故の結末に胸を打たれます。
この小説は下町ロケットを彷彿させる爽快感や満足感があり、自分は好きです。
まぁ池井戸順氏の作品は江戸川乱歩賞の「果つる底なき」やあの半沢直樹の原作「オレたちバブル入行組」あるいは「七つの会議」などちょっとハードボイルドタッチのものと「下町ロケット」や「ルーズヴェルト・ゲーム」のような爽快な読後感のものがあり、自分はどちらかと言うと後者の好みなのです。もっともどちらも正しい物の見方が報われると言う点では似ているかもしれませんが自分には爽快になってあとに残らない後者が良いと言うことです。

読書の秋です。世の中には読み切れないぐらいに出版物が蔓延しており、とても読み切れるものではありませんが多少の縁があった本を読んでみるのも良いかもしれませんね。とかく人は自分の好みだけを言い張ったり、自分の役にたちそうだからなどと言った理由で本を選んでしまいがちです。いろいろな物に興味を持って気に入った物に絞り込んで行くし、またある時は方向を変えてみると言ったことでしょうか。まぁ人にどうこう言える人間でもありませんが。

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しんさんのよもやま話

2016年10月22日 19時13分13秒 | Weblog

10月22日(土) 曇

昨夕御殿場から名古屋に戻ってきました。
田舎でお茶の剪定をトリマーで効率よくできたので予定より1日早く戻って来ることができましたが、トリマーを支えた左腕が棒のようになって2日たった今日になっても筋肉痛です。でもまぁ予定していた畑の作業は終わったので一安心です。

今日は借りていたエンジン付きのトリマーをS木さん宅にお返ししてきました。ついでにいっぱい野菜(里芋、大根、人参、キャベツ、生姜、シシトウ、安納芋)と梨(新高)をいただき恐縮するばかりでした。手作りの生姜の佃煮は絶品の美味しさでした。自分は生で味噌を付けて食べるのが好物ですが佃煮も行けると初めて知りました。ビールのお供には最高かもしれません。

ところで先週末に最後の課題提出が終えた果樹栽培講座の結果報告と共に「果樹栽培アドバイザー」の認定証書が送られて来ていました。果樹栽培はまったくやったことがないのでテキストに書いてある意味もわからず毎回たくさんの質問をしましたが、結構懇切丁寧な回答をいただきテキストにない深い知識も得られました。



「庭園管理士」の資格認定に続いて果樹についても造詣を深くすることができたかもしれません。もっとも私の知人達には「知識ばかりつけても実践が伴わないと・・・。」と言われ続けています。まぁ実践はこれからボチボチとやっていくことでしょう。来週末は庄内緑地公園で樹木の剪定実習に行く予定です。庭木の剪定も果樹の栽培も実際にやってみないことにはどうにもならないことは良くわかっているつもりなのでまぁこれからなのでしょう。

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しんさんのよもやま話(田舎暮らし編16-24の2)

2016年10月20日 17時01分47秒 | 趣味

10月20日(木)晴

良い天気でした。日当たりの良い畑での作業は汗が滴ります。カブとキヌサヤの種を植えて、その後は借りてきたトリマーでお茶や庭木の剪定、そして草刈り。腕が筋肉痛でちょっと痛い。



まぁ来年茶摘みをするかどうかは別としてとりあえず来年に向けた準備はできた。
ブルーベリーの周りにはネットで厳重な囲いをしていたのですが収穫期も終わったのですべて取り外し、周囲の草も刈りました。とりあえず礼肥もしておきました。


夕方、今回お願いしていた左官屋さんが来て田舎の家の修理を依頼することにしました。工事の日程が決まればまた田舎で立ち会わなければならないけどまぁしかたないか!

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しんさんのよもやま話(田舎暮らし編16-24)

2016年10月18日 20時03分36秒 | 趣味

10月18日(火) 晴

昨夜は久しぶりに居酒屋Duoの常連会飲んで食べて歌って家に帰ったのは午前様。そして今日は朝から車で御殿場の田舎に来ています。2週間ぶりの田舎で秋胡瓜や秋茄子がどうなっているのか心配でしたが、しっかり実をつけていました。まぁちょっと大きくなり過ぎていましたがとりあえず収穫。



今日の畑仕事はここまでです。明日以降はキヌサヤとカブの植え付け、茶畑の剪定をし、母の介護施設に行き9月分の支払いと母の様子を見てこようと思います。また親戚の大工さんに田舎の家の雨漏りを調査してもらう予定。週末までに出来ると良いのですが。
写真は剪定前の茶畑です。


秋の夕はつるべ落とし。早めに終えて夕食の準備。天気は良さそうなので何とかはかどりそうです。






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しんさんのよもやま話(ヨット編16-21)

2016年10月16日 21時25分01秒 | 趣味

10月16日(日)

秋晴れの良い天気になりました。今日はN越さんの息子さん家族が川崎から駆けつけていただき佐久島クルージング。小学2年生の男の子(だいき君)の元気なこと。船のデッキをあっちこっち動き回るので少々心配になるが、船上を動く時の基本である必ずどちらかの手でステイやワイヤーなどに捕まっているので心配無用でした。彼がバウ(船首)に行けばみんなバウに移動しています。



行きは静かな海で佐久島には11時過ぎに到着。昼食はいつもの「ゆきや」で焼きアサリ、焼き牡蠣、刺身、ゆでダコに焼きそば等々。
食事を終えると海釣り公園でアジ狙い。残念ながら全然ダメでした。周りの誰もが釣れない中でだいき君はフグを釣って大喜び。ほんとうはアジがいっぱい釣れると思っていたのですが残念な結果になってしまいました。海は秋の色を濃くしてきているようで海釣り公園前の釣り船もどこか寂しげです。(全然釣れないので動きがないからかもしれませんが)



さて帰りはいつの間にか東の風が吹き荒れて大変でした。波はかぶるは、船は大きく傾くはできっとどこかの誰かさんなら固まっているだけでしょうが、歓声をあげて大騒ぎです。もっとも元気印のだいき君も大歓声をあげて騒いでいたかと思いきやいつの間にかパパに寄り添って寝てしまいました。朝早くから起きて船内でも、佐久島でも動き回ってさすがに疲れたのでしょう。大きく揺れる船の中でも平気で寝ている姿は中々良い光景です。
午後4時半すぎ無事マリーナに帰港。お疲れ様でした。
今回は期待したアジも釣れず、スナメリも見ることができず、機走中心になってしまいましたが、一日の中で静かな海も荒れた海も体験してもらったことで良しとしてください。荒れた広い海の中でヨットは枯れ葉のごとく翻弄されながら走る姿はまさに自然の偉大さを見せつけるかのようです。そんな海を体験することで自然に対する畏敬の念を持ってもらえたらと思う。

今年のヨットクルージングもそろそろフィナーレが近づいてきたようです。来月の納会にはみんな来て欲しいものです。

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