”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2006年10月16日 06時35分04秒 | Weblog
10月16日(月)
今日は朝早く目がさめたので天気は書くことができません。昨日昔の職場の子たちがヨットに遊びに来てくれました。他にも何人か来たいと言っているけど予定があって来れなかったそうです。ほんとうかどうかはわかりませんが若い人のコミュニケーションがヨットの話で広がればそれもまたよしです。昨日は天気・風最高で申し分ないクルージング日和でしたので佐久島クルージングもまぁまぁでした。とりあえず今年の約束のあったクルージングはすべて終わったのであとは気が向くままに遊んで終わりです。
ところで諸般の事情により暫くこのブログも中断させていただきます。思えば、今年の1月よりほぼ10ヶ月、ほとんど毎日よく続いたものだと我ながら感心してます。次に再開するときはまた新たな心境で登場したいと思います。長い間読んでいただきありがとうございました。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(3)

2006年10月14日 16時15分05秒 | 趣味
10月14日(土)曇のち晴
きょうも朝早くからゴルフです。一週間前に熱心に指導していただいたOさんの言っていることが少しできるようになってきたと思います。スイングプレーンの作り方と左の壁の作り方が感覚的にわかってきた感じです。だめだったドライバーも高い弾道で距離もそこそこまで行くようになったため3オン以内でグリーンに乗る回数が前半4ホールとまぁまぁでした。後半はくずれて1ホールだけだったのでここらへんは課題です。ただ4オンでも2パットでなんとかダボにおさまりましたので再デビュー後の最高の前半47、後半54の101でした。もう少しで100を切れる所まできたのとまぐれと言うよりは感じがつかめた101なので今後期待できそうです。
アイアンはミドル・ショート共に好調なので50ヤード以内の寄せのミスがなくなってくるともう少し3オンが多くなりそうです。ショートホールも最初の170ヤードぐらいの所で池ポチャをやって6をたたいた以外はワンオンのバーディとパー、2オンのボギーと良い線いってます。パットは再デビュー後は毎晩の練習効果で前半17、後半18の35とかなりよくなってます。1年前まではたいてい40ぐらいでしたから着実に進歩しています。今日も3パットが2回、1パットは3回、あとはすべて2パットなので言うことないと思っています。
いずれにしても今日は満足できた一日でした。現在僕はあまり良い精神状態ではないのですが、逆にゴルフは淡々と自然体でできた点が最高でした。次回いつ書けるかわかりませんが100切りの報告を書いて終わりにできればいいなと思います。明日はヨットに行ってきます。ヨットもこれで約束は1段落で、気ままな遊びに戻ります。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(122)

2006年10月13日 17時45分19秒 | 趣味

10月13日(金)晴
今日は朝早くから休みをもらってゴルフに行ってきました。良かったり悪かったりで107と、いつものペースで終わってしまいました。ただミドルでのバーディもあったので満足できた部分もあったし、この前教えてもらった打ち方がいくつかできたのでまぁまぁといったところです。
ところで今日の話ですが、僕はみんな違ってみんないいと言う考え方が好きな人間ですし、自由主義とはそういう社会であってほしいと願ってますが、世の中ではセキュリティ確保と言う名目で属するものと属していない者を区別するため服装とか目印をつけて管理したがるようです。特定の居室ならまだしも一日中となると軍服のようになってしまうけど、これも時代なのですかね。
きょう紹介する詩は大正時代の女流詩人金子みすずの「わたしと小鳥とすずと」です。彼女は感性が豊かすぎるが故に若くして自殺してしまうのですが、彼女の視点は現代人も学ぶべきではないかと思います。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる鳥はわたしのように
地面をはやく走れない

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい

他にもいい詩がいっぱいあります。僕は「大漁」なんかすごくいい感性だなと思います。もしお暇でしたら一度読んでみてください。今日は早く帰ってきたのでゆっくり書くことができました。今週ももう終わりですが来週もこのシリーズを続けます。それではまた。

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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(121)

2006年10月12日 22時05分54秒 | ビジネス
10月12日(木)晴
昨日は急に飲むことになってしまい、ブログが書けませんでした。僕はあまりお酒は得意ではないのですが、酒席の料理が大好きなのと若い女性と話をするのが好きなのでつい誘われると一緒に行ってしまいます。その時はつかの間の楽しさを味わい、そのあとはなんとも言えないさびしさを味わいます。まぁそれでバランスがとれていいのだと思います。
今日のいい話は約束どおり詩にします。それも酒の詩にしましょう。酒を歌った詩はいろいろあるけど、共通して言えるのは酒を褒め称えることで人生のつらさや悲しみを覆い隠して自分を励ます応援歌のような詩が多いような気がします。そんな中から李白の「月下独酌」を。

花間 一壺の酒
独り酌んで相親しむ無し
杯を挙げて明月を迎え
影に対して三人となる
月 すでに飲むを解せず
影 いたずらに我が身に随う
暫く月と影とを伴い
行楽 須く春に及ぶべし
我歌えば月徘徊し
我舞えば影凌乱す
醒時はともに交歓し
酔後は各々分散す
永く無情の遊を結び
遥かなる雲漢に相期す

花と花に囲まれて一壺の酒を
独りで酌んだが 交わす相手もいない
そこで杯を挙げて 明月を迎え
自分の影と向き合って三人になった
だが月は酒を共にすることはないし
影は我が身に従うばかりである
しかたがないけど月と影とを伴って
春を心ゆくまで楽しむことにしよう
俺が歌うと月がさまよい
俺が舞うと影が揺れ動く
酔っていないうちは一緒に楽しんでいるが
酔ってしまえばバラバラになってしまう
いつまでも非情の交わりを結び
はるかかなたの天の河での再開を期そう

こんな気分で酒を飲むことはないですか。人生の憂いを感じながら、言葉に出すことなく、孤独を楽しむかのように静かに酒を飲む。これが男の耐え方の典型だと自分は思っているので敢えて取り上げました。この詩の底辺には「お互い辛いけどがんばろう!」と言っているようではありませんか。静かに独り飲みながら、それでも俺はやれるだけは頑張るぞっと言った元気を与えてくれる詩です。日々の仕事は順風満帆とはいかないものです。独り酒を飲みたくなった時には、ちょっと「月下独酌」を思い出してください。酒を飲まなくても月と影を引き連れて潮騒の詩を聞く風情を味わうのも同じです。飲み屋で鳴いたり喚いたりするよりずっとかっこいいと思うのは僕だけでしょうか?
酒の詩は陶淵明なども「・・・悠然として南山を見る・・・」なんてのもありましたよね。僕は質実剛健のようで細やかな精神をもった李白の詩が若い頃好きだったので月下独酌にしました。
それではこの辺で。明日は年次休暇をもらい、今年3回目のゴルフに挑戦してきます。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(120)

2006年10月10日 22時49分29秒 | ビジネス
10月10日(火)快晴
今日もいい天気でした。最近ヨットやゴルフで週末を過ごすためか週明けは体がきついです。仕事は従来趣味の延長のような感じでずっと過ごしてきましたが、一線を退いたあとの仕事はできる限り自分が動かずに若い人に中心にと思いながらやっているので逆にすごく疲れます。なかなか世阿弥のような心境にはなれないと感じています。
そこで今日は世阿弥の初心忘するべからず三箇条の話をしましょう。
「初心忘るべからず」とはよく言われる言葉なので誰でも知っていることだと思います。そして入社時の覚悟や純真な気持ちを持ち続けることの大切さを教えてくれてます。室町時代に「能」は観阿弥・世阿弥により芸術として完成されました。「花鏡・奥の段」には世阿弥の能という芸に対する秘儀を伝えています。その一句を抜粋すると

初心忘るべからず
此句、三箇条の口伝あり。
是非初心忘るべからず
時々初心忘るべからず
老後初心忘るべからず
此三よくよく口伝すべし。

若年の初心の時の不細工で、へたくそだった時のことをずっと覚えておきなさい。そうすればうまくなっても鼻高にならず、年をとってからさまざまな徳があります。
時々・・・とは修行の段階に応じてそれぞれの時期の初心を忘れるなということで、20代・30代の若い頃のはなやかな動きのある芸の段階の初心も、40代の芸における能を少な少なにして惜しむ風体にしていった芸の段階の初心を忘れてはならない。そうすることにより芸の巾が広がっていくのだ。
また老後に及んでも老境の初心を忘れるな。命には限りがあるが能には限りがない。それぞれの時期の演技を一つ一つ習い覚えすべて身につけてもさらに老後の姿にふさわしい技芸があるのである。こうして生涯初心を忘れずに過ごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで退歩すると言うことがないのである。これが観世流の奥義である。

多分此の一句ではよくわからないかもしれませんが、此の句の前後に解釈が書かれているので説明はそれを踏まえて解釈してみました。
これは「能」と言う芸について書かれた話ですが、ビジネスもまったく同じことが言えるのでないでしょうか。若いビジネスマンは行動力にものを言わせてチャレンジしビジネスの何たるかを極めその初心を忘れないことが年をとって人を指導するときに役立つはずですし、壮年期にはビジネスの中核として無駄のない効率的な動きをして成果をあげながら、余った時間を後輩の指導にあたり、老いてもなお老獪なビジネスの奥義をみがくことにより事業そのものの成果をあげ、経営として成立つまでに完成するための初心忘れるべからずである。
まぁそんなにうまく行かないまでも、その時その時の初心を持って人生を邁進していくことが技芸を極めた者の生き方だと思います。僕も年はとったけど、それにみあった生き方をして行きたいものです。
今日は花鏡から世阿弥の観世流の奥義の一節を紹介させてもらいました。ほんとうは好きな詩の話を書く予定でしたがイントロの延長で急遽世阿弥になってしまいました。ちょっといい漢詩の話は明日以降にしましょう。ではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(2)

2006年10月09日 22時49分07秒 | 趣味

10月9日(月)体育の日 快晴
今日は最高の日でしたね。天気はいいし気持ちよいさわやかな風があって最高のゴルフ日和でした。昨日は快晴ではありましたが強風でヨットDe釣り大会は中止、とりあえず海に出たものの強い風と波で釣りどころではありませんでした。2時間ほどハーバーで風が止むのを待ってましたが一向に風は弱まることなく結局昼には家に帰ってしまいました。Tさん折角新品の釣竿使えず、すみませんでした。Uさんはるばる岐阜の山奥から朝早く来ていただいたのに、すみませんでした。Mさんえさの準備無駄にしてすみませんでした。
今日は最高の天気とNさんの車に乗せてもらいコンディションも最高。なのに僕のスコアは最悪でした。原因はドライバーが全然あたらなかったこと。レッスンプロのOさんに3時間も指導していただいたのにどうしたことでしょう。池に3発、バンカー数え切れず、木に2回、唯一パットだけが35パットとまあまあでした。再デビュー第二戦は初戦より8スコアを落としてしまいました。伊勢大鷹と言うコースは景色もよく、いいゴルフ場です。ちょっと池が多いけど攻め甲斐のあるコースです。でも僕の腕にはちょっと早すぎたかもしれません。課題はこれではっきりしてきました。とにかくウッドが一つもいいあたりがなく、ゴルフがゴロフになったことにつきます。しばらくフェアウェーウッドとドライバーがちゃんと上がるよう練習しないと2オン・3オンでいけるところが3オン4オンになってしまいます。それにバンカーや木にはばまれたらさらに4オン・5オンになるのでダボとトリばかりになってスコアがまったくまとまりません。ショートは3・4・3・5ですからまぁまぁだったことからもウッドの悪さが想像できると思います。
とにかく今月はまだまだゴルフの予定が一杯あるので今日みたいなスコアにはしたくないと思います。次回はもう少しいい話にします。
今日はここまでです。明日からはまた先人の残したいい話を書きたいと思います。

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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(119)

2006年10月06日 23時53分28秒 | ビジネス
10月6日(金)雨のち曇
今週最後のビジネス編です。と言っても僕の書くビジネス編はほとんどビジネスそのものの話はまったくないので、読んでいる方からお叱りを受けるかもしれませんね。ただ一言言わせていただくとビジネスをして行く上で一番大切なのは心の持ち方だと思っています。テクニックなどは教わるものでなく自分で編み出していく物です。最近人間としての道をはずれても儲かればいいといった風潮になってしまっています。またその一方で人としての道にはずれた行為に対して世間の目はいっそう厳しくなっているのも事実です。法律に触れなければ何をやってもいいと言ったものに対して我々一般人は心では違うと思っても法律に反してないかぎり黙って見てるしかありません。だから一度法律に反していることが明らかになれば誰も黙っていません。今迄の鬱憤を晴らすかのように大きな声となって帰ってくるのでしょう。ビジネスは長く存続することに意義があります。そのためには人の道をよくわきまえて、自身を磨くことこそもっとも大切なことだと僕は思っています。と言って僕がすばらしい人間だとはとても言えません。自分は人に教える資格もない、いたらない欠点だらけの人間です。だけど少しでも先人に学び心の豊かな人間になりたいと努力してます。たとえそれが報われることもないとわかっていても、いい生き方をしたいから。
と言うことで今日のいい話は、老子の「跂(つまだ)つ者は立たず」です。

跂(つまだ)つ者は立たず、跨ぐ者は行かず。
自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是とする者は彰(あきら)かならず。
自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長とせられず。
その道におけるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。
物或(つね)にこれを悪(にく)む。故に有道者は処(お)らず。

つま先で立つ者は長く立っていることはできないし、大またでまたぐように歩く者は遠くまで行くことはできない。
自分から己を見せようとする者は人からそれを明らかに知られることがなく、自分から己が正しいとする者もその良さが認めてもらえない。
また自分から誇る者はその業績を評価してもらえず、自分からその才能を誇る者も人の長として奉られることはない。
このように自らを押し通すやり方は無駄で余計な行いである。
そういったことはすべての人が嫌悪することである。だから有道者は決してそういった行動に身を置かないものである。

要するに自分の評価が70点だと思ったら、人は50点ぐらいにしか評価してないものですよ。だから70点の態度で人に接すれば嫌われることになりますよ。だから70点と思っても、人に接する時には50点の態度で接することが道をわきまえた人間のすることですよと言っているのです。と言ってもなかなかできないものですよ。自分も言葉は知っていてもあとで反省することが多いのです。特に自分の言っていることは正しいと自信を持って発言しても人に認めてもらえないことが多いのもこの世です。でも一歩へりくだって言えた時は認めてもらえることが多いのも事実です。自分もいい年をしてまだまだ道半ばです。

今日はここまで。いい話はまた来週。三連休はヨットにゴルフと羽を伸ばします。天気はよさそうなので疲れてなければヨット編・ゴルフ編が登場するかもしれません。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(118)

2006年10月05日 23時45分34秒 | ビジネス
10月5日(木)雨
今週は天気がいまいちです。もう稲の収穫は終わっている所が多いのでしょうけどこれからのところは大変ですね。
ところで今日のいい話は宮本武蔵の独行道からです。武蔵の五輪書はよく御存知と思いますが、独行道は短文で武蔵の死の直前に書かれたものとされています。「われ、事において後悔せず」と言うところがいろいろな人に引用されていますが、まずは全文を。

世々の道にそむくことなし
身に、たのしみを、たくまず
よろづに依估(えこ)の心なし
身をあさく思い、世をふかく思う
われ、事において後悔せず
善悪に他をねたむ心なし
いづれの道にも、わかれを悲しまず
れんぼの思ひに、寄るこころなし
わが身にとり、物を忌むことなし
私宅においてのぞむ心なし
一生のあいだ、よくしんおもわず
こころつねに道を離れず
身をすてても名利はすてず
神仏を尊んで、神仏を恃まず。

この武蔵の言葉は我々が日常犯しやすい過ちを戒めてくれる言葉ではないでしょうか。人生の処し方をいつも自戒することにより正しい道を歩んでいくことができると思います。へたな解釈はしませんのでもう一度読んでみてください。だれでもどこか一行気に入る所があるんじゃないでしょうか。僕は「われ、事において後悔せず」も好きですが、最後の「神仏を尊んで、神仏を恃まず」が好きです。神や仏を崇拝するけど、神や仏にやみくもにすがるようなことはしない。自分の道は自身の努力で切り開いていきたいと言う男らしい生き方を示しているのだと自分は思っています。
きょうはこれでおしまいです。最近非常に軽く書いてますけど、自分としては中味の濃い話で十分に咀嚼できてませんが、この世には味のある言葉を残した先人のいかに多いことか。僕達はもっと先人に学ぶことがいっぱいあると言うことを認識して、日々精進すべしですかね。
それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(117)

2006年10月04日 23時15分37秒 | ビジネス
10月4日(水)曇
なかなかいい天気になりませんね。週末には天気がよくなってほしいものです。今日は10月4日投資の日です。ここ10年ぐらい投資の日の株価はあがっているのだそうですけど、あまりそうではないようです。株に投資して大金をつかんだ人の話はよく聞きますが、自分が投資を始めて丁度1年ぐらいたちますが、増えるどころか目減りしてます。やはり手に汗しないで儲かると言うのは体質に合わないのかもしれません。
ところで今日のいい話は安岡正篤先生が座右の銘にされていたと言う「六然」です。もともとは中国の崔銑(さいせん)という人が残した言葉と言われています。

自処超然(じしょちょうぜん)
処人藹然(しょじんあいぜん)
有事斬然(ゆうじざんぜん)
無事澄然(ぶじちょうぜん)
得意澹然(とくいたんぜん)
失意泰然(しついたいぜん)

自分自身は世俗にとらわれることなく超然と
人に接しては相手を心地よく楽しませ
何か事があればきびきびと動き
何も事がない時は水のように澄んだ気持ちでおり
得意の時ほど静かで安らかな気持ちでたんたんと事にあたり
失意の時にも泰然自若としていること

とかく我々凡人はこの逆となってしまいがちです。いつも自分に言い聞かせながら人生を生きることが人の道にあった生き方だと思います。でも人間ですから世俗に飲み込まれる時もあります。人につらくあたってしまうこともあります。事あればパニくることもあります。何もないと邪推が頭をよぎります。得意の時は有頂天になってしまいます。また逆に失意の時はオタオタすることもあります。これらは人間の持って生まれた感情かもしれません。こんな時六然を思い出して自分に言い聞かせることができるかどうか常に自己チェックの言葉として思い出してみましょう。僕もいたらない人間なのでいつも自分を戒めていなければならないけど、心の持ち方としてかくありたいと思います。なかなかその域に達しませんのでこんな年になっても修行中です。
きょうはここまでです。それではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(116)

2006年10月03日 23時26分14秒 | ビジネス
10月3日(火)曇
今日は朝から千葉の幕張で開催されているCEATECに行ってきました。Web2.0関係のセミナーを聞いて、展示をざーっと見てきました。日本でもやっとWeb2.0について本格的な議論がされるようになった感じです。日本におけるブログ人口は800万人だそうですが最近SNS人口が700万となり急激にその人口が増えているようです。年度末には逆転するかもしれません。確かに僕もブログを始めて10ヶ月になりますが、多分見てくれる人も限定されるであろうし、もう少しクローズドの方がコメントや意見交換とかメンバー同士の交流も進みそうな気がします。来年はブログからSNSに乗り換えてみようかなと思っていますが、これを読んでくれている方達がいっしょに移ってくれたらもっとそれぞれの顔がみえて面白いような気がします。
ところで今日のいい話はジョン・ウェズリーの詩で「君ができるかぎり」です。

Do all the good you can,
By all the means you can,
In all the ways you can,
In all the places you can,
At all the times you can,
To all the people you can,
As long as ever you can.

意味はもうおわかりだと思いますが、”君ができる限りの善を、君ができるかぎりの手段と方法で、君ができる限りの場所で、君ができる限りの人に、君ができる限り。”と言うことです。人は人生においていろいろな困難やトラブルに遭遇します。そして周りからああしろ、こうしろと言われて、何がなんだかわからなくなってしまうことが多いと思います。いろいろ他人は人の事なので自分ができないことでも平気で評論するものです。そんな時あまり人にとらわれずに、自分のできる精一杯のことを着実にやり続けることが最大の解決策になるのです。僕達はどうしても他人を意識しすぎて、自分のできないことをやろうとしたり、あきらめてしまったりしがちです。こんな時この詩を思い出してください。自分らしく自分のできる精一杯をやってダメならダメでしょうがないじゃありませんか。でも周りからみると自分のできる限りの取り組みをしている人の姿は一番かっこいいものです。どんなにみじめな気持ちででも自分のできるかぎりをやってみたら、いっぱい仲間達がよってきていっしょに解決してくれるものです。
仮にそうならなくても自分のできることを精一杯やり続けることはあなたが人間として生きた証明なのだから。何事でも同じことですが多分スポーツで考えるとわかりやすいことですが全力を出し切って戦ったあとは勝っても負けても気分が最高にいいじゃないですか。人生もそれと同じで自分の最善を尽くして生き抜くことが最高にかっこよくて最高に満足感が得られるものだと思います。
ウェズリーはイギリスの神父さんです。見方によっては宗教的かもしれませんが自分はいつも困難にあったとき、ダメかもしれないけど後悔しないために、自分の最善を尽くそうと心に言い聞かせてやってきたしこれからもそうありたいと思います。
今日はここまでです。おやすみなさい。
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