今朝は久しぶりに青空をみることができました。でもまだ梅雨のようですからまた梅雨空になってしまうのでしょう。7月末だと言うのに困ったものです。でも今日は雨が降らなくてよかったです。昨日帰りにちょっと一杯飲んだのはいいですが家に着いたら傘を忘れてきたのに気が付きました。でもどこにおいてきたのか思い出せません。それに昨日は変な酒を飲んだのか頭が痛くなってすぐ寝てしまいました。今日も飲み会でしたがビールだけにしたので大丈夫そうです。
今日は仕事の仲間4人を送別する会でしたが、長い間我々の仕事を支えてくれた人達を送り出すのはつらいものがあります。人生に出会いと別れは付き物ですが、仕事の集約の中で送り出すのは責任を感じるし、願わくはみんなそれぞれが元気で再出発してくれることを祈るだけです。僕がこの仕事についてから、もう何十人もの人達を送り出してきたけど、集約、効率化のたびに東京に集約されていくことがほんとうに良いことなのか疑問をぬぐいきれません。企業が効率化を追求するのはビジネスとして常識化していますが、このアメリカ的経営手法も成長段階では正しいのかもしれませんが、充実期にはもっと別のやり方があるような気がしてなりません。でもこのことはやらなければ証明できない以上、創業企業家でしかできないことです。悲しい人間の性ですが行き着くところまで行かないと次のステップには進めないと言うことです。
興っては滅ぶ繰り返しを過去の歴史の中でいやと言うほど知っているはずなのに、悲しいかな人間と言う動物はそれでも繰り返すものです。以前にも紹介した呻吟語で言う「省を以って省となす者は愚なり」と言う言葉の意味は奥が深いと自分は思っています。それは時間レンジをどのくらいのスパンで見るかによって多分答が異なるからです。それと社会規模のレンジをどの範囲で見るかによっても答が異なるのです。
この問題は非常に難しいですね。範囲を狭くすればするほど万人にはわかりやすく、時間軸を短くすればするほど万人にはわかりやすいのですが、範囲を広くしたり長期スパンで考えれば間違いだったと言うことが歴史にはいっぱいあります。でもそれは人間にはできないことだと思います。人間の寿命が倍になれば、倍のスケールで視るようになると言うことでしょう。
結局人間の寿命と言う時間軸の中でしかできない以上、企業や国と言う範囲で2・3年レンジで物を考えることが人間の限界かもしれません。これをはずれて言う者は世の中から見放されてしまう訳ですから。国の将来もどこまで考えるかすごく難しい話です。目先にとらわれたくないけど多分目先の政策が選挙の分かれ目になってしまいます。来月の末にはどうなるのかですね。
今日はこれまでにします。なんだか訳のわからぬことを言ってしまったようです。
わかれ行く人達の幸運を祈って。