西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

記憶の特徴について

2010-07-31 | 色々な仮説や疑問
最近、『失われた風景と暮らしー我が青春の金沢1941~1960-』(仮題)を1年以内でまとめてみたいと思っている。

そのパーツ作成も兼ねて別の「地域SNSけいはんな」の日記で「夏休みの思い出」シリーズを毎日書いている。まあこれは「夏休み中」の一応「終わる」予定。

こういうこと(自分自身に対する詳しい聞き書き、聞き取り調査)をやりながら、「記憶の特徴」について、考える日々でもある。

先ず、記憶とは、現実世界の五感(特に視覚が強い)を通じての脳への一つの反映であるということを確認しておきたい。つまり、現実世界が厳として客観的に存在しないなら、それを反映する記憶もないと言える。だから、記憶は、ある意味で主観的であり、その中で変容することもありうるのだ。

仮説として、
(1)体験記憶には強化作用と弱化作用がある。・・・「良かった」「楽しかった」などのプラスの体験記憶は、何度も簡単に思い出せて、そのことによってその記憶は強化される。一方「拙かった」「悲しかった」などの一般にマイナス体験と思われる記憶は、一般に弱化され、忘れ去られるものもある。

(2)美化作用と合理化作用がある。・・・一般に体験記憶は、美しい体験に記憶内で「変えられる場合(美化作用)」がある。又、客観的に「悪いことをした」経験記憶でも、無意識に「正しかった」経験記憶に「合理化」される場合もありうる。

(3)地理的、歴史的に有名場所、有名人、有名事件(イベント)に関しては、なるべく自分も「関係アリ」との記憶情報を探す傾向がある。

(4)自分が脇役でも主役になりがちである。

(5)全体として「美しい物語」になりがちである。

(6)日々おかずに書かれた日記、イベントの資料、新聞その他の資料などによって記憶が修正されることもある。


これらが脳内のどういうメカニズムで起こるのか、「研究途上」という認識である。

客観的資料を殆ど用いず、主観的物語をどんどん作ろうとすれば、それはフィクション(小説)となるだろう。資料を多く参照すればドキュメンタリーになりうる。

さて、どうしようかな。

日光を見ずに「ケチ」をつけるな(自省)

2010-07-31 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
昨今、「ラジオ深夜便」で日光東照宮の禰宜(ねぎ)の高藤晴俊氏の「日光東照宮を読み解く」を少し聞いて、補足で雑誌『ラジオ深夜便』8月号の同氏同名のエッセーを読んで一寸考えることがあった。

建築史の話で、良く日光東照宮と桂離宮が対比される。「日光東照宮は彫刻、障壁画などゴテゴテしていて(装飾過剰で)、すっきり形も色もシンプルな桂離宮にかなわない・・・」という説に、私はずっと引っ張られてきたといえる。

昭和の始めにに日本にやってきたドイツのブルーノ・タウトの批評がベースにあり、歴史的にもずっと影響を与えてきたと言えよう。

私は、例えばアテネのパルテノン神殿の外壁にも、パリのノートルダム寺院の外壁にも多様な彫刻、レリーフがあるのを知っているけれども、西洋と日本は建物の外壁処理は違って当然のように思ってきた。

ところが、高藤さんは、「「建築は一冊の書物である」という言葉があります。この言葉は、東照宮建築にも当てはまります。東照宮に施された彫刻や絵画の一つ一つは記号で、その記号がつながって文章となり、その文章のまとまりが一冊の書物となっているのです。これらの彫刻や絵画にはそれぞれに特定な意味があり、配置には法則があります。設計者は主題の選定や配置を通して、東照宮建築全体で一つの物語を表現しようとしたのです」(78頁)と言う。

そして、色々な事例で解説している。これらを聞き、読んで、日光を見ずに「ケチ」をつけるな(自省)と思ったが、事実、私は未だ日光を見ていないのである。(ついでに「桂離宮」も、だが・・・)

一般に、「日光を見ずに結構と言うなかれ」と洒落っぽく言われているが、行った後で果たして「結構でした」と言えるのかどうか、楽しみである。それにしても、5173体の彫刻、500面に及ぶ障壁画全部を見るのは並大抵ではない、と言えよう。