昨日の日曜日、参院選挙の投票を済ませてから午後に生駒市北コミュニティセンターの「はばたき小ホール」で行われた第四回ヴァイオリンリサイタルに行った。生駒市に住むヴァイオリニスト齋藤 清さんの年に一回のリサイタルである。伴奏ピアノは中井香菜子さんだった。
私は京都府相楽郡に住んでいるが、生駒市は近所の町で「関西文化学術都市」を一緒に構成している。(構成市町は奈良は奈良市、生駒市、京都は精華町、木津川市、京田辺市、大阪は四条畷市、交野市、枚方市である)
前にもどこかで書いたと思うけれど、私たちはこの「けいはんな学研都市」で「すみよいけいはんな学研都市を考える会」、「地域SNSけいはんな」そして「けいはんな市民雑学大学」をボランティア的にしている。で、その「地域SNSけいはんな」でも齋藤 清さんとつい最近知り合いになったので行く気になったのだ。もちろんプログラムも気になった。
この生駒市北コミュニティセンターは、名前の通り生駒市の北部のコミュニティセンターといえよう。私は近鉄で富雄まで行き、南のバス停2番乗り場からバスに乗り富雄川沿いに北に遡る。途中、左岸から橋を渡って右岸を更に遡り、真弓橋で下りると、そこが生駒市北コミュニティセンターだ。昨日は参院選挙の投票場にもなっていた。リサイタルが行われた小ホールのほか、(大)ホールもあり、図書館も併設している。洋室や和室の集会室も多数ある3階建てで、デザインは農家の屋根をかたどった屋根としている。富雄川は北から南に流れ下って、やがて佐保川に合流し大和川経由で大阪湾に至るのであろうか。
昔、この上流の丘陵(生駒市)に新設された奈良先端科学技術大学院大学の学長だった山田康之先生から『富雄川の水絶えず』と題したエッセイ集を頂いたことがあるので、富雄川が頭に残っていたが、実際に遡るのは2回目で、回りに注意したのは初めてで、初めて遡ったときはこのコミュニティセンターにも気づかなかった。
さて、リサイタルは、午後14時半開場、15時開演、前半は15時45分ころまで、15分休憩で後半はアンコールも含め16時半過ぎまであった。
演奏は、斉藤さんの解説付きで行われたので、それらを参考にしつつ、私流に頭の中で歴史的「位置づけ」を行いつつ聞いているのに後で気づいた。
今回のリサイタルの曲目の作曲家は、順にエルガー、モーツアルト、ドヴォルザーク、ベートーベン(アンコールはブラームス)で、ベートーベンのみ前半と後半に一曲づつ入っており、まあ斉藤さんはベートーベンを軸に構成したのかな、と思った。
まあ全体の時代的展開では、作曲や演奏が教会や王侯貴族のために行われた時代から市民階級(ブルジョワ)も楽しむ時代に入るモーツアルトの時代から始まって、ベートーベン時代を経て、ブラームス、ドヴォルザーク、エルガー時代に至るという構成になっていた。
最も「新しい」エルガーの「愛の挨拶」は良く聞く曲で、ここで「ああ、あれあれ」と聴衆は安心し中に入っていける。次がモーツアルトの「ヴァイオリンソナタの32番」で、斉藤さんによるとモーツアルトがザルツブルグの教会お抱え作曲家の立場を脱して、自由なウイーンに出てきて最初の曲と言う。(1781年作曲)長調で明るい感じがする。この曲の途中で、斉藤さんがヴァイオリンの弓の付け根のつまみを回すのを目撃した。ああ、これは「雨が降って湿度が上がったので、弓を途中で調節し、張ったのかな」と思ったが・・・。
その次がドヴォルザークの「4つのロマンティックな小品 作品75」プログラム説明によると1887年作曲、ヴァイオリン2本とヴィオラによる弦楽三重奏のための「ミニアテュール」からの改作らしい。ドヴォルザークを「発掘」したブラームスが評価したと斉藤さんは言う。
前半の最後がベートーベンの「ロマンス へ長調 作品50」だった。説明によると「1798年、難聴が徐々に悪化、絶望の時期に作曲。1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を記し自殺を考えるが、その危機を乗り越え、「傑作の森」(注:斉藤さんによるとロマン・ローランの言)と後に呼ばれる時期に入る。」とある。斉藤さんは、明るい感じの中にも「苦しい気持ち」が「通奏低音(つうそうていおん)」のように流れている、と言う。伴奏の中井さんの演奏にもそれを感じた。
ここで、15分間の休憩に入る。見渡すと「地域SNSけいはんな」の仲間が4人ほど見受けて挨拶した。後で聞くと斉藤さんの紹介で伴奏ピアノの中井さんも「地域SNSけいはんな」に入っているようだ。全体の聴衆は200人ほどか。比較的高齢者が多いが若い人もいる。車椅子の招待者二人も最前列で鑑賞していた。
ロビーで斉藤さんにあったので挨拶した。斉藤さんと同じ住宅地にすむ「地域SNSけいはんな」の仲間(男性)とその奥さんとも一緒に立ち話をした。斉藤さんによると、後半のベートーベンの「ヴァイオリンソナタ 第9番「クロイツエル」」は、ヴァイオリンソナタと言いつつ、初演では当時の名ピアニストのベートーベン自身が弾くことを考え作曲、ピアノの難しさはヴァイオリン以上だ、とのことだ。
実際の三楽章を聴いて「そうなんだ」と思った。「1803年の作曲。ブリッジタワーというポーランドのヴァイオリニストのために作曲しベートーベン自身のピアノ伴奏で初演。直後、ブリッジタワーと仲違いし、フランスの大ヴァイオリニストであるルドルフ・クロイツエルに献呈されたが、クロイツエルは、作品が気に入らず、演奏したことがなかったと言う。」
ブリッジタワーもクロイツエルも「気に入らなかった」のは、ヴァイオリンソナタと言いつつ、伴奏のピアノが「主役」のようになっていたからかもしれない、と思った。第二楽章、第三楽章のピッチカートも良かった。
エルガーの「愛の挨拶」は婚約相手に、ベートーベンの「クロイツエル」は音楽仲間に「献呈」という形で作曲し、それを演奏して市民が楽しむ時代に入ってきたのだ。
今や、地域の住民が、地域プロでもある音楽家の演奏を楽しむ時代なのかな、と思った。(齋藤 清さんの本職は、関西フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者)
いい気分で16時半頃に生駒北コミュニティセンターを後にした。
私は京都府相楽郡に住んでいるが、生駒市は近所の町で「関西文化学術都市」を一緒に構成している。(構成市町は奈良は奈良市、生駒市、京都は精華町、木津川市、京田辺市、大阪は四条畷市、交野市、枚方市である)
前にもどこかで書いたと思うけれど、私たちはこの「けいはんな学研都市」で「すみよいけいはんな学研都市を考える会」、「地域SNSけいはんな」そして「けいはんな市民雑学大学」をボランティア的にしている。で、その「地域SNSけいはんな」でも齋藤 清さんとつい最近知り合いになったので行く気になったのだ。もちろんプログラムも気になった。
この生駒市北コミュニティセンターは、名前の通り生駒市の北部のコミュニティセンターといえよう。私は近鉄で富雄まで行き、南のバス停2番乗り場からバスに乗り富雄川沿いに北に遡る。途中、左岸から橋を渡って右岸を更に遡り、真弓橋で下りると、そこが生駒市北コミュニティセンターだ。昨日は参院選挙の投票場にもなっていた。リサイタルが行われた小ホールのほか、(大)ホールもあり、図書館も併設している。洋室や和室の集会室も多数ある3階建てで、デザインは農家の屋根をかたどった屋根としている。富雄川は北から南に流れ下って、やがて佐保川に合流し大和川経由で大阪湾に至るのであろうか。
昔、この上流の丘陵(生駒市)に新設された奈良先端科学技術大学院大学の学長だった山田康之先生から『富雄川の水絶えず』と題したエッセイ集を頂いたことがあるので、富雄川が頭に残っていたが、実際に遡るのは2回目で、回りに注意したのは初めてで、初めて遡ったときはこのコミュニティセンターにも気づかなかった。
さて、リサイタルは、午後14時半開場、15時開演、前半は15時45分ころまで、15分休憩で後半はアンコールも含め16時半過ぎまであった。
演奏は、斉藤さんの解説付きで行われたので、それらを参考にしつつ、私流に頭の中で歴史的「位置づけ」を行いつつ聞いているのに後で気づいた。
今回のリサイタルの曲目の作曲家は、順にエルガー、モーツアルト、ドヴォルザーク、ベートーベン(アンコールはブラームス)で、ベートーベンのみ前半と後半に一曲づつ入っており、まあ斉藤さんはベートーベンを軸に構成したのかな、と思った。
まあ全体の時代的展開では、作曲や演奏が教会や王侯貴族のために行われた時代から市民階級(ブルジョワ)も楽しむ時代に入るモーツアルトの時代から始まって、ベートーベン時代を経て、ブラームス、ドヴォルザーク、エルガー時代に至るという構成になっていた。
最も「新しい」エルガーの「愛の挨拶」は良く聞く曲で、ここで「ああ、あれあれ」と聴衆は安心し中に入っていける。次がモーツアルトの「ヴァイオリンソナタの32番」で、斉藤さんによるとモーツアルトがザルツブルグの教会お抱え作曲家の立場を脱して、自由なウイーンに出てきて最初の曲と言う。(1781年作曲)長調で明るい感じがする。この曲の途中で、斉藤さんがヴァイオリンの弓の付け根のつまみを回すのを目撃した。ああ、これは「雨が降って湿度が上がったので、弓を途中で調節し、張ったのかな」と思ったが・・・。
その次がドヴォルザークの「4つのロマンティックな小品 作品75」プログラム説明によると1887年作曲、ヴァイオリン2本とヴィオラによる弦楽三重奏のための「ミニアテュール」からの改作らしい。ドヴォルザークを「発掘」したブラームスが評価したと斉藤さんは言う。
前半の最後がベートーベンの「ロマンス へ長調 作品50」だった。説明によると「1798年、難聴が徐々に悪化、絶望の時期に作曲。1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を記し自殺を考えるが、その危機を乗り越え、「傑作の森」(注:斉藤さんによるとロマン・ローランの言)と後に呼ばれる時期に入る。」とある。斉藤さんは、明るい感じの中にも「苦しい気持ち」が「通奏低音(つうそうていおん)」のように流れている、と言う。伴奏の中井さんの演奏にもそれを感じた。
ここで、15分間の休憩に入る。見渡すと「地域SNSけいはんな」の仲間が4人ほど見受けて挨拶した。後で聞くと斉藤さんの紹介で伴奏ピアノの中井さんも「地域SNSけいはんな」に入っているようだ。全体の聴衆は200人ほどか。比較的高齢者が多いが若い人もいる。車椅子の招待者二人も最前列で鑑賞していた。
ロビーで斉藤さんにあったので挨拶した。斉藤さんと同じ住宅地にすむ「地域SNSけいはんな」の仲間(男性)とその奥さんとも一緒に立ち話をした。斉藤さんによると、後半のベートーベンの「ヴァイオリンソナタ 第9番「クロイツエル」」は、ヴァイオリンソナタと言いつつ、初演では当時の名ピアニストのベートーベン自身が弾くことを考え作曲、ピアノの難しさはヴァイオリン以上だ、とのことだ。
実際の三楽章を聴いて「そうなんだ」と思った。「1803年の作曲。ブリッジタワーというポーランドのヴァイオリニストのために作曲しベートーベン自身のピアノ伴奏で初演。直後、ブリッジタワーと仲違いし、フランスの大ヴァイオリニストであるルドルフ・クロイツエルに献呈されたが、クロイツエルは、作品が気に入らず、演奏したことがなかったと言う。」
ブリッジタワーもクロイツエルも「気に入らなかった」のは、ヴァイオリンソナタと言いつつ、伴奏のピアノが「主役」のようになっていたからかもしれない、と思った。第二楽章、第三楽章のピッチカートも良かった。
エルガーの「愛の挨拶」は婚約相手に、ベートーベンの「クロイツエル」は音楽仲間に「献呈」という形で作曲し、それを演奏して市民が楽しむ時代に入ってきたのだ。
今や、地域の住民が、地域プロでもある音楽家の演奏を楽しむ時代なのかな、と思った。(齋藤 清さんの本職は、関西フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者)
いい気分で16時半頃に生駒北コミュニティセンターを後にした。