西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

パーツ記憶から全体生活を推測ー近過去生活学ー

2010-07-29 | 思いつきから仮説へ
今は絶滅した恐竜の骨などの化石は、今も発見されている。何日か前、テレビでやっていたが、骨が全体の一割位しか見つかっていないのに、他のパーツは、過去の事例から推測して全体像を組み立てて、新しい恐竜の「発見」としていた。「発見」というより「創造(想像)」と言ったほうが良いのに、と思ったが・・・。

恐竜に限らず考古学では、壷や皿や人骨などにおいても大部分が見つかっていないのに、見つかった分だけから全体像を組み立てている。

そのやり方は、まあパーツの欠落した「ジクソーパズル」のようなものだ。

で、私は前に考古学を分節して考近古学、考中古学、考遠古学と三等分してみた。

その考近古学は、別に考現学(今和次郎命名)とか考今学(西山卯三命名)とかと「入り組んでいる」感じだ。

証拠物件は、今も存在する場合は、気づいたら残しておくということも出きるが、残念ながら失われてしまっていたら、後は現存人の記憶に頼るしかない。

記憶について言うと、一気に全体を思い出して、その記憶に基づき、過不足なく全体を叙述するのは至難の技である。個々の「パーツ」については、じっと努力で思い出せば、そこそこ「そうだったな」と同世代、同地方の人には賛同してもらえる場合が多い。

そういう近過去の生活の「パーツ」を出来れば「ポイント部分」を含め、沢山集めて、思い出せない部分は推測して全体像を組み立てるという学問分野が出来ないか。まあ言ってみれば「記憶に基づく近過去生活学」とでも呼んでおこう。