西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

画家・高島野十郎から学ぶ

2008-08-31 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
久留米出身の画家・高島野十郎ののことをNHKTV「日曜美術館」で知った。昭和50年(1975年)85歳で亡くなったが生前広く知られた画家ではなかった。

しかし、生涯、静物画、風景画に「写実」を追及し、死後、その作品、生き方は広く深く影響を与えていると言う。

元々、東京帝大の水産学科第一期生、首席で卒業したが、絵に対する思いやみがたく親兄弟が引き止めるのを振り切って宣言して、画家修行生活に入った。以後、死ぬまで独身修行を貫いた。親から貰った「弥寿(やじゅ)」という名ではなく「野獣のごとく生きる」の決意を込め「野十郎」というペンネームを使った。

「写実」の方法は、ひたすら「見る、観察する」ということらしい。

風景画代表作の一つ「雨の法隆寺五重塔」は細かい雨を丹念に描きこんでいるが、この作品が人手に渡って床下に数年捨て置かれカビだらけになって、補修するとき、細かい雨も描きやすいテンペラ油で薄めた絵の具ではない絵の具で丹念に描いていたから復元補修できたとのことだ。また、キャンバスの裏にも絵の具を塗りこんで、カビの影響を予測したかのように防護策をとっている。この絵を渡すとき「私の絵は千年はもつ」と野十郎が言ったと言う。この絵は、法隆寺五重塔の風景の「一瞬」を切り取って描いたものだが、これを完成させるのに17年間かかったらしい。

野十郎が言った「千年はもつ」という意味は、物理的にもつという意味よりは、その絵を見た人たちに永遠の印象を与えるという意味に解したい。一度見てみたい。

もう一つ、岩の両岸を流れ落ちる「流れ」は、水の流れ、細かい波、水しぶき、両岸の岩などリアルで、「写実」のきわみとも思うが、これに関して話した野十郎によると「ひたすらこの流れを見ていたら、突然、流れが止まって逆に両岸の岩が動き出した」とのことだ。悠久の自然の変化を「体感」した一瞬だったかもしれない。

更に「菜の花」は、天と地の間に咲き誇る「命の花」を強く印象を残すように描いている。

静物画の「からすうり」は、誰にも感動を与える描き方だ。

最後に、お世話になった人たちに渡したと言う多様な「ろうそく」画は、「一隅を照らす」という意味もあったかもしれないが、「一瞬の光も、絵として永遠に貴方の側そばにある」というメッセージかもしれない。

総じて「一瞬をリアルに描いて永遠を」というのが高島野十郎の絵であるかもしれない。一度、画集や評伝を見てみたい。

(写真は、「ろうそく」)

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