西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える

2008-08-18 | 住まい・建築と庭
本日、大阪の大阪市立中央青年センターで日本家庭科教育学会第39回近畿地区大会があって、私は表題の「住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える」という講演をした。約30人位が聴講、全員女性だ。現在、地区会長の鈴木洋子さん(奈良教育大教授)に頼まれたものである。以下、レジュメを貼り付けておく。少し増補して12月以降に何かに書けるかな。


住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える
                     西村 一朗(平安女学院大学・教授、
                      NPO法人地域支援研究フォーラムなら)

はじめに―問題意識―
 家庭科の教科書(例えば高校)を一例としてみてみると、家庭生活―衣食住、家族生活等―を扱ったところでは、家族生活は別扱いで、衣食住に関しては、「食」「衣」「住」の順になっており、かつそれぞれのページ数が、実習のありなしもあるが、やはりこの順である。これだと、日本史で明治以降の近代、現代まで到達しない場合がしばしばなのと同じく住に到達しないうちに家庭科が終わってしまうのでは、と心配になる。
 そこで、住まいを舞台と考え、その上で「衣食住、家族生活」のドラマが展開していると捉える方法がないのかな、と考えてみた。

住まい舞台と食生活
 食の流れを考えると、農山漁村で食材が採れ、それらが流通経路を経て住まいに至る。(食物のことを考える場合、何処でそれらが採れるか―自然農業や有機農業をどう考えるか・・・―、どう身近に到達するか考えさせるのも大事)それらの食材は、住まいでは先ず「貯蔵」される。冷蔵庫・冷凍庫といった貯蔵設備が一般化しているが、「食品庫」、食品置き場という空間も必要と考えられる。例えば、地産地消で、泥付き大根などは何処に置いたらよいか。一度に買いだめるジャガイモや玉葱等は何処におくのか。土間空間が、段々少なくなっている住まいを考え直すいいチャンスではないか。
 次に冷蔵庫や冷凍庫であるが、「貯めて捨てる」のではなく、無駄なく食材を使い切る工夫も必要なのではないか。食材を調理する台所であるが、一人で効率よく台所作業が出来る、といった人間工学的取り組みも大事だが、今後は、親子が肩を並べたり、夫婦が肩を並べたり、友人同士が肩を並べて調理できる台所が必要なのではないか。
 配膳し、食べる場面だが、最近「早寝、早起き、朝ごはん」などと言って朝ごはんを食べようという運動もあるようだが、少なくとも日に一回位は、家族そろって食べる機会を設けるべきだろう。これは、食生活の問題であるとともに家族関係の問題でもある。
 そして、後片付けであるが、これは家族全員で取り組む問題ではないか。これは、家庭生活でも行為の切れ目はきちんとすることでもある。残った食物は、どうするのか、単に捨てるのか、「コンポスト」などに回して有機肥料とするのか、何処でそれをするのか、舞台装置を考えねばなるまい。
(どういう食品を食べたらよいか、栄養学的問題や、どう美味しく調理したらよいか、調理学的問題は、食固有の問題として教育すべきは論をまたない。)


住まい舞台と衣生活
 衣の住まい舞台での流れを考えると、何処に納めてあり、何処で着て、何処で脱いで、洗濯はどうするか。それらの洗濯前後の流れはどうか、などの問題があるだろう。下着を例に、拙宅での考え方を一例として述べてみる。
・二階に脱衣室=洗濯室・下着収納室、干し場・・・二階のベランダ中心、整理・・・二階の和室、収納・・・脱衣室、納戸(箪笥)
(繊維の質や、洗濯・洗浄のメカニズムは固有の問題であろう)


住まい舞台と家族生活
・子供部屋の問題・・・時期、設置の仕方(ドア・・・)、管理の仕方、
・子供の引きこもりの問題・・・家族での共同行動(家事手伝い)、居間・食堂への「匂い付け」


住まい舞台と福祉・高齢者生活
 住まい舞台での高齢者問題というと、「バリア・フリー化」の問題と思われがちであるが、高齢者が増え、住まいでの生活期間、時間も長くなってくると、住まいは、高齢者の福祉空間、療養空間としても捉える必要が出てきている。

・隠居ではなく「顕居」を、外との「つながり」の重要性・・・○自ら外出しやすいように、外との交流がしやすいように・・・、○医療関係者、福祉関係者がアプローチしやすいように、他の家族員の普通の生活ディスターブしないように・・・。


終わりに
 もう少しきめ細かく議論して、冊子(本)にまとめて発信するため、研究会を組織していこう。



研究会は、正式には12月以降立ち上がることになった。一石を投じた甲斐があった。